2024.10.21
お互い疑心暗鬼になりがちな、経営企画と事業部の壁 組織に「分断」が生まれる要因と打開策
インキュベーション・アライアンス村松氏(全1記事)
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アマテラス藤岡清高氏(以下、藤岡):まずは、家族構成や生い立ちについてお話しいただけますか。
村松一生氏(以下、村松):家族構成は、両親と弟の4人家族です。調布で生まれ、その後京王線の山側に転居して北野駅の辺りで育ちました。私が中学生の頃に急速に造成が進んでニュータウンとなったのですが、それまではハイキングコースみたいなところでした。
現在に繋がることを話すと、高校は東京高専(国立東京工業専門学校の略称)という5年制学校に行きました。ここで化学を専攻し、野球と研究に明け暮れていました。
藤岡:なぜ高専に進学され、化学を専攻されたのですか?
村松:京王線沿線の狭間駅というところに学校があったのですが、「比較的近くにユニークな学校がある」と母に勧められたのがきっかけです。
また、入学前に学園祭に行ってみたところ学内に寮があり、それが小説で読んだ旧制高校の寮の雰囲気に近い気がしました。普通の高校に行くよりも少し大人になるような感じがして、そんな雰囲気に憧れて入学したところもありました。
化学を選んだのは、一番入りやすかったという単純な理由です。
5年制では、最後の2年間は大学の1、2年生と同じように研究をします。私は4年生後半から炭素の研究を始め、今から30年以上前に自分たちで燃料電池を作って発電していたりしました。
それを特別講師で来ていた農工大の先生が見て、「燃料電池を作ったの?」とすごく驚かれました。その模様が撮影され、その後、農工大の講義で使われていたようです。
その頃から、エンジニアの分野で、自分でいろいろやりたいという思いが出てきました。
藤岡:その後、豊橋技術科学大学に進学されたのですね。
村松:当時炭素材料学会会長をなさっていて、世界的にも高名な研究者である稲垣先生が豊橋技術科学大学にいらっしゃったので、「先生の研究室に入りたい」と考えて、進学しました。高専から大学3年に編入するシステムがあるのですが、この仕組みを使って編入しました。
また、この頃海外への短期留学もしました。『グラフェン』の命名者となったSetton先生のところです。
留学した1980年代前半時は『黒鉛層間化合物』は何に使えるのかまだよくわからず、注目されていませんでしたが、これが後のリチウムイオン電池そのものになります。この基礎研究を30年ほど前に始めた際、稲垣先生に勧められて、Setton先生を訪ねたのです。
Setton先生は当時リチウムイオン電池の基礎になる反応についての第一人者で、日本にはまだ取り組んでいる人がいなかったので、それを教えてもらいに行きました。
このように豊橋時代は研究に没頭しましたが、それ以外にも野球やサーフィンにも取組み、充実した日々でした。
大学から車で5分ほどの距離に海があり、大学4年生から大学院2年生までは毎朝5、6時に起き、まず海に行って、波があったらサーフィンをして、波が無かったら帰ってくるという生活でした。朝サーフィンをして、それから研究室へ行くのです。
海水で目が赤くなっていると、教授に「村松、昨夜遅くまで研究していたのか?」と心配されたりしました(笑)。
藤岡:その後、1985年に神戸製鋼に入社されましたが、その経緯について教えて下さい。
村松:大学院1年時にインターンとして2か月ほど企業に行く制度がありました。私はある鉄鋼メーカーの基礎研究所に行きましたが、そこで鉄鋼メーカー各社が新材料や新事業について積極的に取り組んでいることを知りました。
それがきっかけで、「鉄鋼メーカーに就職しよう」と考えたのです。
入社後は研究所に配属される予定でしたが、溶接の事業部を希望し、そちらに入ることになりました。
もともとは「卒業後に会社を作りたい」という気持ちもあったのですが、経験がないのでいったん就職して経験を積もうと考えました。そうすると研究所よりも事業に近いところで仕事した方が勉強になるし、面白そうだと思ったのです。
事業部の技術部門として、新材料を開発し、それを事業化していく業務に携わりました。当時は新しい分野で次々と新事業を展開していました。従来はやっていない、新しい分野に入っていくにあたり、社内に経験者もおらず、若手にどんどん任さざるを得ず、様々なビジネス機会に恵まれました。
社内ベンチャーとしてもともとやりたかったようなことができ、また母体が大きいので大掛かりな戦略も組むことができる。面白く取り組んでいる内に20年経ったという感じでした。
余談ですが、独立後も当時のやり方が抜けずに、つい企業規模に比べて大胆な戦略を立ててしまい、投資家の方に指摘されたりします(笑)。
村松:いくつかの事業を立ち上げ、最後に立ち上げたカーボンウエハ・シリコンウエハ再生プロセスが年間5、6億円ほどの売上となり、それを30億円ほどの売上規模にしようという段階でしたが、当時1990年代後半、深刻な鉄鋼不況に陥り、株価も額面を割るような状況になりました。
そこで、鉄鋼メーカーの新規事業は軒並み撤退し、本業集中に向かいました。それ以降、新規事業を進めることは難しくなり、私は撤退する事業について譲渡等の後始末を行いました。
それと並行して独立準備を始めました。2000年頃から簿記や会計の勉強を始め、簿記1級を取得したりしました。その他に家族の説得をしたり、結局準備に5、6年掛かりました。
私の場合、大企業から出て、一からやることに凄く勇気が要りました。「バンジージャンプを飛ぶ」と言いながら、怖くて5年掛かったみたいな感じです。
村松:準備段階から「成長する分野に入ろう」ということを一番に考えました。マーケットが大切です。
ちなみに、当社のロゴは3つの円からできていますが、この一番上の円は『マーケット』を意味しています。右側の円が技術力。でも、市場ニーズと技術が合えばビジネスになるかというとそうでもなく、更に左側の円の『マーケティング、販売力』が必要です。
「どの市場が、これからの日本で伸びるか」を考えた時、社内ベンチャーを数多く手掛けた経験が活きました。
新規事業の立ち上げ時に海外に色々行きましたが、米国でSBIR(Small Business Innovation Research, 中小企業技術革新制度)によってベンチャー企業が沢山出てきた頃、出資検討の為、彼らの戦略の立て方を見ていたのです。その際、参入する市場にはある程度のマーケットサイズがないとだめだと感じました。
また、もう1つ感じたこととして、韓国台湾では、国策で半導体産業を育て、どんどん企業が投資し、競争力を強めていました。他方、日本は半導体や液晶について、コモディティ化させてしまい、競争力を失いました。
そのような経験から、成長性があって、他が模倣困難な付加価値が付けられるのが新素材だと考えました。素材、カーボンと言う素地はあったので、そこでニーズに合ったものを一から開発していく戦略を立てました。
藤岡:戦略としては素晴らしいと思いますが、一個人が独立起業した規模では人材や資金の問題が出てきたかと思います。そのあたりはいかがでしたか?
村松:頭と体が一致していなくて、思い返せば「あっ、1人でやっていた」、「お金がない」という状況でした。
創業後1、2年は古巣からコンサルティングや市場調査といった業務を委託して貰って日銭を稼ぎ、それを小規模な研究開発に回して……とやっていました。研究室時代の同期だった大学の先生や、神戸製鋼の同期にも協力してもらいつつ、1人で部屋の押し入れで研究をやっている状況でした。ですので、あまり費用も掛からず、むしろ独立後で最も年収が高かった時期かも知れません。
ただ、これは一つのビジネスモデルだと思いますが、もともとの独立目的とは異なります。大きな戦略を実現するには、資金も人も集めないといけないのですが、このままではできない。
そこで、研究開発資金については、まず補助金や委託事業を狙うことにしました。そして、3年目の時、ビギナーズラックでたまたま補助金が取れたのです。
グラフェンの開発はできていましたが、申請時にはまだ私1人の会社でした。しかし、1人の組織では採択されない。そこで人材採用も見込んだビジネスプランを書いたところ、経済産業省等の2つの補助金が合わせて5千万円ほど取れました。
補助金は取ったものの、費用として掛かる5千万円はいったん立て替えなくてはなりません。清算払いなので1年後にお金が入ってきますが、それまで立て替える必要があるのです。
立て替えるお金が必要になるので、「辞退するか、やるか。その場合のお金はどうするのか」について悩みましたが、地元の信用金庫がつなぎ融資を引き受けてくれました。
以前行った市場調査の絡みで、中小企業支援を行っていた地元の金融機関と関係ができていたことが幸いしたのです。
こうして補助金を得たものの、単年で終わりです。「3人採用したし、1年終わった時にどうしようか…」と考えました。前年に申請した2件とも受かったので、「またいけるのでは」と5件ほど申請しましたが、全滅でした。
人件費も、研究スペースのコスト等も毎月掛かる中で「どうしよう」と思っていた頃、今の株主であるエア・ウォーター株式会社が新規事業として出資先を探しているという話を聞きました。そして、ギリギリのタイミングで出資いただくことができ、何とか繋がったのです。
そして、これからのジャンプアップに向けた、非常に大きな支援は昨年2016年に産業革新機構からいただきました。一番伸びる市場で、一番必要とされる有望な材料を自分たちで開発して提供する戦略ですので、その事業化に向けた大きな資金が必要です。
藤岡:産業革新機構が出資するにあたって、ある程度事業が形作られていることが求められたと思いますが、どういった段階まで事業が進んでいたのでしょうか?
村松:売上はまだ上がっていませんでしたが、当時マイクロソフトが開発中だったヘッドマウントディスプレイ『HoloLens』の放熱部材として我々の技術に着目し、共同研究をしている段階でした。
ですので、これから成長する市場でニーズがあり、まだ課題はあるものの、差別化のある素材として認められつつあるということがご理解いただけたのだと思います。
藤岡:事業化するための仲間集めはどのように進めてきたのでしょうか?
村松:20~30代で起業していたら、「一緒に夢を追ってやろうよ」と仲間を誘えたと思うのですが、私は45歳で独立し、今は10代後半と20代の娘がいます。いい人材がいても、ついその親の気持ちを考えてしまい、「うちに来てやるよりは、大企業にいた方がリスクはない」等と考えてしまい、「一緒にやろう」とはこれまで言えませんでした。
ですので、今まではハローワークを通じて採用し、OJTで教育して戦力化するというやり方をしてきました。
しかし、大きな資本も得て、本格的に事業を拡大する局面に入っているので、これまでとは違うスキルや経験を持った人材を採用しないといけないと、やり方も変えていかないといけないと、考えています。
藤岡:これまでは、ハローワーク経由だけで10名以上採用し、定着させてきたのですね。
村松:45歳以上の方は辞めてしまう方も多いのですが、若い方はあまり辞めません。現在は難しくなりましたが、2年ほど前までは就職環境が厳しく、その頃はよい方が採用できたのです。
また、弊社は海外の大手企業が取引先ですが、ハローワークには日本に永住権を持っている外国人の方が登録していることが多く、その方達にはとても優秀な方が多い。外国籍だと就業が難しいようで、「外国籍の方、歓迎です」と募集して、5名ほど採用しました。
藤岡:貴社が求める人材像について教えて下さい。また、現在フェーズの貴社で働く魅力についても教えて下さい。
村松:求める人材としては、自分自身で何かを作り出していきたい方というのが一番です。
また、弊社が取引しているのはグローバルな大企業ですので、こういう企業にどんどん行き、開発や営業、マーケティングができる方を求めています。営業やマーケも戦略を練るだけではく、実際現地で先方担当者とコンタクトして、実行できる方がいいですね。
現状は取引先との開発要件の打合せ等はほとんど私がやっている状況ですが、ここができる方に是非参画して欲しいと思っています。
魅力としては、まだまだ小さい組織なので、すぐに裁量をもって、経営層としてやって貰えることでしょうか。グローバル企業相手に仕事したい方には魅力的な状況だと思います。
藤岡:オフィスは基本的には神戸ですか?
村松:基本的には神戸ですが、アメリカにも拠点が必要だという話も出ています。海外勤務の可能性はあります。設計を決めるのはアメリカで、生産はベトナムや台湾、中国というグローバル企業が相手なので、そこに合わせた対応になると思います。
藤岡:今後の展開が楽しみですね。本日はありがとうございました。
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