2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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長谷部健氏:だんだん、その博報堂のなかで転機が訪れてきました。僕は不思議と同期に恵まれたところがあって、入った年度は96年入社なんですけど、2浪して入ってるんでちょっと年上なんですね。そこは、そんな関係ないんですけど。不思議なもので、あの会社の僕らの代は慶応(大学)のSFCのやつらが引っ張ってた感じが、今思うとありました。
もう今、(同期のうち)3分の2くらいは辞めてるんですよ、独立心旺盛で。昼飯食ったり、夜ご飯もみんなで一緒に食べるに行くんですけど、しょっちゅう「いつ辞める?」という話をポジティブにしてました。それは会社を嫌で辞めるんじゃなくて、どうやって独立して羽ばたいていくかということを野心的に考えていた、そんな世代だったと思います。
「辞めてなにするの?」と考えた時に、僕はプロデューサーとして生きていきたいと思っていたので、「プロデューサーとして独立して、クリエイティブエージェンシーを作るのがいいな」なんてことを思っていました。
それで、ローテーションと言って、5年経つと(担当する会社を)変わらなきゃいけないんですね。新入社員の制度が。それで僕は、ディズニーからJTとタワーレコードを担当するようになって。JTはマナーの啓発がやっぱり大切な会社で、そこの部分の仕事をするようになりました。
今でも雑誌に「大人たばこ養成講座」と言って、15コマのマンガでタバコの吸い方マナー書いている広告があると思うんですけど、あれを最初に立ち上げました。寄藤文平くんというイラストレーターを、僕が起用してプレゼンしてというところから始まった仕事だったんです。
そのくらいの頃から、社会貢献とか社会に関わるということを仕事で意識するようになったり。あとは、その当時のカンヌとかベルリンとか、世界中にある広告の賞の潮流を見てると、社会貢献メッセージの強い広告が賞にどんどん入ってくる時代になってきていました。
時代は90年代後半なんで、ちょうど温暖化のことが言われ出したり、企業的にはCSRという言葉が出てきたり、そういった最初の頃の時期だったと思います。
だから自然と、仕事をしながらそういうことを考えていました。そのベルリンやカンヌの賞を見ると、非常にグッとくるようなメッセージの広告が多い。僕が最初に気になったのは、ベネトンが「STOP AIDS. SAFE SEX」というコピーで。
イタリアの(オリビエロ・)トスカーニというアートディレクターが作った広告ですけど、ベネトンのコンドームをボーンと出して、「STOP AIDS. SAFE SEX」という広告を出したのが印象に残っていて。
なんでいきなりアパレルの会社が、エイズについて語るんだろうと。当然コンドームを売るということもあるんですけど、「えっ?」と思って。でもその当時、世界中の人だったり、いろんな政府がエイズについての啓発をしていたのに、やっぱりそのベネトンの広告が一番ドキッとみんなに刺さったと思うんですね。
あと、オーストラリアの飲酒運転撲滅の広告がこれまたすごくて。実際の事故現場のグロい映像が、日本じゃ映せないような映像がドーンと流れてきて。終わりのほうのコピーに「If you drink, then drive, you’re a bloody idiot.」、「飲酒運転するなんて超バカ野郎だぜ」みたいな過激なコピーが載っていて。でも実際、その広告で飲酒運転は減ったんですよね。「うわーっ!」と思って。
広告会社に入った時のピュアな……今もピュアですけど(笑)。学生の時に書いた志望動機とかに、本気で強いメッセージを作ることに関わりたいと思っていたことを、やっぱりその頃も持っていて。強いメッセージを作るというのは、社会に関わるメッセージが強いメッセージになると。
要するに広告は「車、リニューアルします」とか、「新しいビールできました」とか、そういう商品の広告は必要なんですけど、ドキッとすること少ないですよね。
やっぱり自分に関わる、社会に関わるというほうがエモーショナルにドキッときますから、そういった広告がいいなと。そういうことで日本の公共広告を見渡してみると、やっぱり保守の壁があって、なかなかオーストラリアのようなグロい広告はできない。ベネトンのようなパンチのきいた広告は、なかなか公共広告ではできないなという感じでした。
でも、これからそういう時代が間違いなくくるから、「そういうものに長けたクリエイティブエージェンシーができたら、おもしろいんじゃないかな」と、その頃の同期だったり、仲間とそういうことを話していました。20代後半の頃です。だから、会社を辞めるということに関してはぜんぜんネガティブなことはなくて、むしろ独立してなにかやりたいと思っていた。
独立を最終的に決意するのは30歳の時なんですけど。27の時に……、今でも忘れませんけど、突然地元の仲間の同級生に「区議会議員にならないか」と言われたんですね。それは、「あり得ない!」と(笑)。
僕に言ってきたその同級生というのは、表参道の商店会、あそこは欅会という商店会なんですけど、そこの副理事長の息子が同級生だったと。
一笑に付して断りました。「むしろ(選挙に)出るならお前が出ればいい。俺がポスター作って、コミュニケーションの企画を考えるから」ということを言って大笑いしたんですけど、そいつが近所に住んでるもんで、ことあるごとに会っちゃうんですよ。そのたびに「やろうよ、やろうよ」と言われまして。正直なところ、そうやって頼られるということ自体は悪い気はしないし。
だけど、そんな恥ずかしい仕事はしたくないと思ってて。やっぱり博報堂にいる時に、表に出てくる人たちの得るもの・失うものというのは、芸能人とかで見ていてわかっていたつもりだったので。自分はプロデューサーとして、裏方でやりたいという思いが強かったですから、それについては、ぜんぜんピンとこなかった。
よく言っている例えで、誤解されちゃうと嫌なんですけど……。変なこと言うかもしれませんが、(区議会議員が)かっこいい仕事だと思えなかったんですよね。例えば合コンに行って、博報堂の名刺と渋谷区議会議員の名刺見せたら、たぶん博報堂のほうがモテると思うんですよね(笑)。
(会場笑)
これは世の中の人、みんなそう思ってると思うんです。だから、当時はそのぐらいにしか感じてなかったんですよね。そんな程度で20代後半を過ごしていたんです。ただ、さっき言ったように強いメッセージを作りたいとか社会貢献、エッジのきいたクリエイティブエージェンシーを作りたいとか、そんなことを思い始めてた時期と、そこが重なってました。
決定的に気持ちが揺らいできたのは、ちょうど30になる前くらいに「プロデューサーになりたい」と言ったら、「お前の言う、そのプロデューサーというのは、ソーシャルプロデュースだ」と。「政治はソーシャルプロデュースだ」と。「かっこいいこと言うな~」と。「表参道のプロデューサー、渋谷区のプロデューサーになってほしいんだ」と言われたら、初めてそれはちょっとおもしろいかもと思ったんです。
というのは、プロデューサー人生を歩んでいく中で、脂の乗ってくる30代にソーシャルプロデュースという、未開のジャンルを踏むということは、自分の経験としても非常にいいんじゃないかと思えたし。
「表参道のプロデューサー」という時に、最初に思いついたのは……「俺って本当に広告屋だな」と思ったんですが……例えば、バレンタインデーの時に表参道を歩行者天国にして、大きな広告を出して、コピーは「こんな日だからこそ、手を繋いで歩こう トヨタor日産」みたいな。
車会社が「車に乗るな」という広告を世界で初めて作ったら、「これは、賞取れるんじゃない?」とか、そういうことを思ったんですね。こういうことができる可能性があるんだと思った時に、僕としてはおもしろそうだなと思うようになりました。
そういうことで少しづつ、なんか独立したいと思うようになり……本当に30の誕生日を迎えた夜に決断したんですけど。友達に祝ってもらって、ちょっと酔っぱらっていたというのもあるんですけど、40才になった自分、50才になった自分というのを、その時想像してみたんですよ。
会社にいる中で、見本というか先輩がいっぱいいるわけですね、40才の人、50才の人が。もちろん、すばらしい方もいっぱいいるんですけど、「ああはなれないな」と思ったりもしたんです。
というのも、僕は現場でクリーンナップを打ち続けていたいし、それは別にメジャーリーグじゃなくてマイナーリーグでもいいと思ってるんですけど、ブイブイ言わしてたいタイプなんですね。だから、給料稼ごうと思ったら会社では偉くなんなきゃいけなくて、部長だったり局長だったりを目指すと給料が上がっていくと。でも、「そういうの、俺は向いてないな」とか思って。
しかも数字も得意じゃないし(笑)。区長の立場でこんなこと言っちゃいけないんですけど(笑)。
(会場笑)
でもできる職員たちにやってもらってますから、大丈夫です(笑)。ただ、自分はそういうことに向いてないなと、その時非常に思って。だったら今、独立してチャレンジしてみるのもいいんじゃないかと。
思い切ってその30の日に決意して、電話して、やることにしたんですね。
そのまえにもう1個やると決めたのは、僕が「政治家かっこ悪い」と言ってたんで、商店会の人たちが「じゃあ、その政治家たちに会ってみる?」ということで、国会議員から都議会議員、区議会議員も何人か、国政の人たちもたくさんいましたけど、15人くらい会ってみました。結果、それで「やっぱりかっこ悪い」と思ったんですよ(笑)。
(会場笑)
すいませんね、政治家の先生ね(笑)。というのは、なぜかというと、僕がどこの海のものとも山のものとも、馬の骨かわからない、なのに「おまえ立候補するんだろ、応援してやるよ」と、すぐ言うんですよ。「は?」と思って。
ピュアな僕はですね、政治家だったら自分の理念があって、ビジョンがあって、それが共感できたら「一緒にやろうぜ」と言ってくれるもんだと思ってたのに、すぐ「応援してやるぜ」と言うんです。
「なんでこんな簡単に、みんな言うんだろう?」と思ったら、これは数の論理の1つで。僕が立候補したら、泡沫候補でも名簿を持つであろうという計算をしていて、自分の選挙とか政党に関わる時に応援しろよと、「いってこい」なわけですね。「だから簡単に言ってくれんだ」と思って、「なんだかなあ……」と思って。
1人だけ、鈴木寛さんという当時民主党から出ていた人がいるんですけど、彼だけは僕にビジョンと理想を語ってくれて、(こちらもそれを)聞きたいという話になって、こういう人もいるんだと思いました。だけど、16人に会って彼1人しかいなかったんですよね。
スズカンさんは灘中、灘高、東大法学部、通産省みたいなスーパーキャリアですけど、でも、ほかの人もそのくらいのキャリアがあるのに、「なんか、ぜんぜんダメだな」と図々しくも思ったんです。僕のほうがまだまともに考えてんじゃないかという。そういうロックンロールな思いが出てきて、決断をしました。
それで、博報堂を辞めて。で、博報堂の人もおもしろくて、止められるかなと思ってたら、みんなに「行け、行け」と言われて(笑)。総出で、全力で応援してくれて、ありがたかったです。そういうおもしろい会社にいたということで、いろいろ育まれたかなと。
それで、(自分は)博報堂でなにを学んだんだろうと思ったんですね。最初は、人を選択することを学んだと思ってたんです。
だけど、辞めてから気づいたことは、合意形成を作ってものごとを前に進めるスキルを学んだんだなと思いました。というのは、得意先を説得するのは意外に楽と言っちゃいけないですけど、優秀なスタッフがいっぱいいるんで、おもしろいプレゼンをしてくれる人がいっぱいいるんで、彼らと組めばわりと説得できるんですよ。でも、(スタッフである)彼らを説得するほうが実は大変で。
「制作はこう言う」、「コピーライターはこう言う」、「CMプランナーはこう言う」、「マーケッターはこう言う」。もう違う角度でみんな言いたいこと・やりたいこと言って、それをまとめていくということが、やっぱり難しかったんですよね。
でも、そこで揉まれたというのが、博報堂で学んだことかなと思っています。あとは、全部自分でやらない、いろんな人の助けを借りてやっていくということも、学んだことの1つだなと思います。
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