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京都大学iPS細胞研究所所長・山中伸弥教授「人間万事塞翁が馬」(全4記事)

手術が苦手で逃げ出した、鬱病にもなった - ノーベル賞・山中伸弥氏が高校生に贈った言葉は「人間万事塞翁が馬」

ノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学 iPS細胞研究所の山中伸弥教授が、「人間万事塞翁が馬」と題して高校生に向けて行った講演。山中教授は自身の人生を振り返り、整形外科医としての挫折がなければ研究者の道へ進むことはなかったという。研究者として、人生の先輩として、これからの日本を担う高校生にメッセージを送ります。

ES細胞の特異性

山中伸弥氏:ES細胞というのは何か。僕たちの命、ネズミの命は、すべてひとつの卵子と精子が受精した、たった1個の受精卵から始まります。

それが2つに分裂し、4つに分裂して、大体1週間くらいすると、エンブリオという30個か100個くらいの細胞の塊になります。この左の胚の状態でお母さんの、ベッドのような子宮の壁に潜り込んで、そこからいろんな臓器、形ができてきます。

しかし、ちょっと可哀想なんですけど、この子宮の壁に潜り込む直前のネズミの胚を、お母さんネズミの子宮から取り出してバラバラにして長期に体外で培養することに成功したのが、このES細胞という細胞です。

ネズミで1981年。今から20年ちょっと前、皆さんより少しだけお兄さんというかお姉さんというか、そういった歴史の浅い細胞です。このES細胞は、胚からできるから、胚性幹細胞といいますが、他の細胞にない2つの性質があります。

1つ目はどんどん増殖します。2つ目は増殖した後で神経とか筋肉とか僕たちの体を作っている色んな細胞に分化することができます。すごい面白い細胞です。僕が見つけたNAT1というのは2番目の性質に非常に大切である、NAT1がないとこの2番目ができなくなる、色んな細胞に変われなくなるということがわかりました。

この研究で僕はネズミのES細胞はものすごく面白い、こんな面白い細胞はないと思って、今から10年くらい前の出来事ですが、それから先ずっとES細胞の研究をしているわけです。

うつ病で人生2度目の挫折を味わう

しかしですね、こういう研究でNAT1がES細胞に非常に大切だということが分かった、アメリカから帰って2、3年した頃に僕は病気になってしまいました。PADという病気です。

これは僕たちが勝手につけた病名なので、お父さんお母さんがお医者さんの人もいるかと思いますが、聞いても知らないと思います。教科書にも載っていません。これはPost America Depression といって、「Depression」というのはうつ病です。アメリカから帰ってきた人がなってしまううつ病です。

なんでかというと、アメリカっていうのはものすごく研究環境が良かったんですね。ネズミの世話だけをとっても、アメリカではきちっと世話をしてくれる人がいたんですね。それが日本に帰ってきたら、毎日ネズミのうんちまみれになりながら自分で世話をして、自分は研究者なのかネズミの掃除係なのかわからないというような状況になって。

なかなかアメリカに比べて研究をするお金も、少しはもらえるんですけど、なかなかこう十分にできないと。また、周りにも自分の研究を理解してくれる基礎研究している人もあまりいないと。当時ネズミのES細胞の研究をしていましたから、僕は医学部で研究をしていたんですけど、他の周りのお医者さんによく忠告されました。

「やまちゅう」とまだ呼ばれていましたが、「やまちゅう、ネズミのES細胞を研究、NAT1とか知らないけど、その研究もいいけど、もうちょっと医学に関係することをした方が良いんじゃないか」と。

「医学部にいるんだったら、医学のためになることをした方が良いぞ」と、全然理解されないところがあって。もともと自分も医者でしたから、「確かに本当にネズミの研究をしていていいんだろうか」と、それまでは研究が楽しくてわくわくして8年、10年くらい突っ走っていたんですけど、だんだん冷静になると「本当にこれで役に立つことになるのかな?」という思いも出てきて。

それで朝起きれない、学校に行きたくないという感じになって、研究者を辞める一歩手前にいっていました。手術は下手でも臨床医になった方がまだマシじゃないか、と。僕にとっては2回目の挫折で。

2つの出来事のおかげでPADを克服

さっき言った、せっかく整形外科医になろうと思って門をたたいたのに、逃げ出してしまったというのが1回目の挫折です。その結果、研究という新しい世界に出会えて、アメリカにまで行って、僕はずっと研究でやっていくんだと決心をして、日本に帰ってきたら、またちょっと環境が悪くなってくると、すぐにこれはダメだと逃げ出す準備を始めて。

しかし自分としても、逃げ出す、研究者を辞めてしまうのも情けないなと、また挫折するのかという思いもあって非常に苦しい時期だったんです。今から10年くらい前になりますけど、幸いこの時に2つの出来事が起こりました。

1つ目が人間のES細胞ができたんです。1998年にマウスのES細胞ができてから17年経っていますが、アメリカのトムソンという先生が人間の胚、着床する、お母さんの子宮に潜り込む直前の胚からES細胞を作り出すことに成功しました。

そうするとこれは人間の細胞です。いくらでも増えるわけです。増やした後でいくらでも細胞が作れるんです。そうしたらこういうことができるんではないかと。人のES細胞をいっぱい増やしておいて、そこから神経を作る。

心臓の細胞を作り出すことができるんではないかと。そして、そういった元気な人間の細胞を脊髄損傷の患者さんとか、心臓の悪い患者さんとか、そういう方に元気な細胞を移植して機能回復できるんじゃないか、治せるんじゃないかということで、一気に再生医学がすごく期待されるようになりました。

これは僕にとっては、今までネズミのES細胞の研究をしていて「もっと医学に関係することをしろ!」と色んな人から言われていたのが、ES細胞がすごく医学の役に立つかもしれないということに突如一夜にして変わったわけです。

これは僕の研究もこのまま頑張っていたら役に立つかもしれないと思うようになってきました。しかし、ES細胞は、生命の萌芽、もとである受精卵、胚を潰さないとできませんので、本当に医学のためとはいえ、人間の胚を使っていいのかという倫理的な非常に大きな問題もあります。

それからご本人の細胞ではないので、そういう細胞を移植したら拒絶反応が起こってしまう。そういう問題もありましたが、しかし、人間のES細胞ができて、僕にとって自分の研究が意味があることなんだと思えました。

もう1つの出来事が起こりました。奈良先端科学技術学院大学で研究に雇ってもらったんです。

1999年12月に。これが見てもらったらわかるように、アメリカに近い素晴らしい研究環境があってここには日本中から基礎の研究・応用の研究、色んな研究者が集まっていて、研究費も比較的沢山あって、さらに全国から大学院の学生さんが毎年何百人入ってくる。素晴らしい研究環境があったんですね。

私の病気、PADもこの2つの出来事によって幸い克服することができ、研究をつづけられました。ここで初めて非常にラッキーなことに自分の研究室を持たせてもらえました。それまでは教授がいて、その下で助手として働いていたから、あんまり自分の好きなことをやりにくかったんですけど、ここでは自分がボスである、自分の下に学生が来てくれる、とういう環境になりました。

ビジョンを持たないハードワークは無駄

研究室としてのビジョンを持たないとダメだと考えました。ハードワークは僕もやるし学生さんがやってきてくれるから、彼らもやる。しかしビジョンを持たないとハードワークの無駄遣いになると。その時に作ったのがこういうビジョンです。

人間のES細胞ができて、研究ができて再生医療ができるようになった。しかし、人の胚を倫理的な問題とか拒絶反応がある。それだったら患者さんご自身の細胞を何とか加工して、コンピューターのディスクに色々書き込んだのを初期化したら真っ白になりますね。

それと同じように受精卵がどんどん分化して機能が本当に限られたことしかできなくなっている皮膚細胞を、何とか「ピッ」とリセットボタンを押して初期化して、受精卵と同じような状態のES細胞に近い万能細胞にできないかと。これは非常に難しいビジョンですけど、いったん研究者も辞めかけたんだからと、もうヤケクソで、思いっ切り難しいことをやってやろうと思ってこれをビジョンにしました。

そしてこのビジョンに惹かれて3人の大学院生が入ってくれて、高橋君、海保さん、徳澤さん。これはその3年後の修士の修了の時ですけれど、この3人をはじめ何人かの人が先ほどのビジョンのもとにハードワークをしてくれて、何十年もかかるかもしれない、僕が研究している間にはできないんじゃないかと思ったところ、彼らの頑張りでできてしまったのがiPS細胞です。

皮膚の細胞に4つの遺伝子を送り込むと、本当に不思議なんですけど、ES細胞にそっくりな細胞ができるということがわかって、その細胞をiPS細胞と名付けました。2006年にネズミで成功して、2007年には人間でも成功したわけです。iPS細胞の話は、こうやっていつも僕がすることが多いです、しかし実際は、この3人がiPS細胞を作ったと言っても過言ではありません。

先ほどの3人の学生さんのうちの2人、海保さんも頑張ってくれましたが、2年で修士が終わって2002年くらいに就職して、今は会社にいます。しかし徳澤さんと高橋君はずっと研究を続けてくれています。

それからもう1 人は一阪さん、彼女は技術員です。ネズミの世話もしてくれるし、iPS細胞を作るうえで欠かせなかった色んな材料を作ってくれたのが一阪さんです。この3人のおかげでiPS細胞ができました。

その結果、稲盛財団から京都賞をいただいて、そして今日、こういう素晴らしい機会で皆さんとお話をすることができたわけです。

iPS細胞技術はまだまだ道半ば

この3人だけではありません。iPS細胞ができたのは、私たちの前にたくさんの研究者の人たちが色んな事を実験して、色んなことがわかっていました。

僕たちはそれを使って、その上で研究して、ようやくiPS細胞ができました。色んな研究があってこそのiPS細胞です。彼ら3 人以外にも、たくさんの僕の研究室のメンバーも頑張ってくれました。またiPS細胞ができた後も世界中で多くの研究者たちがiPS細胞技術をより発展させています。

だから技術そのものはどんどん発展していっています。そういうことがあってこのiPS細胞があるので、今日こういう場で発表させてもらっていますが、本当にこの3人をはじめ、多くの人たちに感謝の気持ちでいっぱいです。と同時にiPS細胞技術はまだ完成していません。1人の患者さんの命も救ってはいません。

これからまだ色んな研究が必要です。ですから京都賞を頂いてすごい励みになります。もっと頑張って本当の意味でiPS細胞技術を完成させるのが、これからの僕のビジョンです。この高橋君と一坂さんはいまだに奈良から京都に来てくれて僕と一緒に働いてくれています。

こういう素晴らしい仲間に囲まれて、今後ビジョンを達成するために、ハードワークをしていくと。そのために体力も大切ですから、これからも鴨川を走りたいと考えています。今日は研究のことはすぐに忘れていただいても大丈夫ですけど、聞いていただいた方、iPSは京都賞をもらってすべてが順調でこういう研究者がここにいるんではない、そういうことをわかってください。

人間万事塞翁が馬

高校の時に先生にコテンパンに怒られて社会人になって、医者になってからだけでも……。医者になってすぐに、まだ28歳でしたけど、最愛の父親を亡くしました。自分にとっての最大のサポーターを亡くしてしまって。今話したような山あり谷ありがあって、こういう研究ができたんだと。

みんなもこれから、今まではお父さんとかお母さんとか先生とか色んな人に守られて、助けられて、自分ではそう思っていなくても、たくさんの人に守られてここにおれるんですけど。これからどんどん大学生になり、社会人になり、結婚して子供ができる人も多いと思います。そうなっていく上で、色んな事が、いいことも、楽しいことも、辛いことも、悲しいこともあると思いますが、少しでも今日の僕の話を思い出してもらって「万事塞翁が馬」だと。

悪いときは必ずいいことがあります。

いいことがある一歩手前です。かがむとジャンプできます。そうでしょう。いい時は用心しましょう。何か悪いことがあるかもしれません。先生に褒められているときは用心しましょう、家に帰ったらお母さんに怒られるかもしれません。

そんな風に一喜一憂しないということがとっても大切だと思います。僕たちも色んなことに失敗を恐れず挑戦してきました。やらずに後悔するんだったら、やって後悔する方が良いと思います。僕もアメリカに行くときも悩みましたが、本当に行って良かったと思います。

みんなも失敗することは全然恥ずかしいことではありません。これからみんなが日本を支えていく本当の力になっていくんですから。研究のことは本当に忘れてもらっていいです、今日のこの話が少しでも参考になれば本当に今日話したかいがあります。今日は本当にありがとうございました。

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