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ボストンカレッジ 卒業式 2014 ジョン・ケリー(全1記事)

「グローバルな課題に苦悩しろ」ジョン・ケリー米国務長官が説いた“卒業することの責任”

第68代アメリカ合衆国国務長官であるジョン・ケリー氏が、2014年度ボストンカレッジの卒業式スピーチに登壇。自身の戦争体験や、その後のボストンカレッジでの経験に触れながら、世界が直面する気候変動などの大問題に挑戦するために必要なことについて語りました。

ボストンカレッジ卒業生への祝辞

ジョン・ケリー氏:カーディナル・オーマリー猊下、プレジデント・レーヒィ神父、モナン神父、デビーノ神父、全教職員のみなさま、私の仲間である名誉博士号受領者のみなさまとそのご両親、ご兄弟、そして2014年生のみなさまへ、本日はおめでとうございます。

アフガニスタンやイラクなどに関する紹介の言葉を聞いて、自分自身を心配しなければならないかと思いましたが、今はチャレンジャーがいる場所のほうが心配です。

(会場笑)

私はボストンカレッジが鷲を解放したことを知ってここを去ることになるでしょう。

(会場笑)

ここにいられることを大変光栄に思います。偉大なアメリカの小説家トーマス・ウルフが「あなたは家に帰れない」と書いたのを英語のクラスで学ばれたのではないでしょうか? またはあなたのご両親が同じことをおっしゃっているので、彼の引用をご存知なのかもしれませんね。

(会場笑)

明らかですが、ウルフはボストンカレッジに来たことはありませんでした。旅に出るのは喜ばしいことですが、家に帰ることはさらに喜ばしいことです。私はここに来ることができて非常にうれしいです。

(会場拍手)

あなた方の多くが徹夜をして、最後のボストンカレッジの日の出を拝まれたのではないでしょうか。あなた方のなかには、卒業式に出られると思っていなかった方もいるでしょう。ご両親や教授もそう思っていらしたでしょう。

(会場笑)

たくさんの方がサングラスをかけているのが見えますが、私にごまかしは聞きませんよ。いびきが聞こえていますからね。

(会場笑)

私は昨日ニューヘイブンにあるあなた方のライバル校におりました。私は彼らに昨年の男性ホッケーのタイトルがすばらしかったことを伝えましたが、これも伝えました。イェール大学はボストンカレッジに4タイトル届いていないということです。

(会場歓声)

イェール大学とボストンカレッジには似ているところがたくさんありますが、一番似ているのはこの点でしょう。ハーバード大学を嫌いだということです。

(会場笑)

たくさんの大学があまりハーバードを好ましく思ってはいませんがね。

ボストンカレッジの歓迎の精神

国の大臣として、私は世界中のたくさんの派閥や競争に留意しておりますが、ボストンカレッジ対ノートルダムが私のなかでは、一番の上位にあります。もちろん、アレック・ボールドウィン対ニューヨーク市警も上位です。ビヨンセの姉妹対ジェイ・Zも。

(会場笑)

そしてこの競争もあります。レッドソックス対ヤンキースです。過去10年は私たちにとって喜ばしい結果になっています。ヤンキースはワールドシリーズ1勝、レッドソックスは3勝です。私の好きなタイプの競争ですよ、みなさん。

(会場歓声)

今日ボストンカレッジは私たちに、競争は乗り越えることができるということを思い起こさせてくれましたが、本日ここに、ホーリークロス卒業生、偉大なボブ・コージーをゲストとして迎えています。先ほどの彼の学位授与式でもお話がありましたが、彼がコーチをされていたとき、ボストンは117勝しました。ボストン・セルティックスは今年、85歳の彼の助けを借りることができたでしょうね。

(会場笑)

本日ここに、偉大なレジェンド、そしてなによりすばらしい人格者、すばらしい選手、そしてほかの3人の、並外れたコミュニティの形成者をお迎えすることができています。本日学位をともにすることを喜ばしく思います。彼らの人生と自己犠牲的働きは、ボストンカレッジが素晴らしい場所であるということの証拠となっています。

過去何年かの間に、あなた方すべてはボストンカレッジの特徴である特別なクオリティを経験されたでしょう。「コミュニティのあたたかな歓迎の精神」です。その精神はボストンカレッジが開校した第1日目から格別な特徴となってきました。ほかの学校に受け入れられなかったアイルランド移民やカトリック信者へ、その門戸を開いたのです。

40年以上前に私がここに来た時に、その精神をすぐに感じたということをみなさんにお伝えしたいと思います。ご存知の通り、私は戦争に参加し、帰国したときには終戦のために働きました。あの時代は、国にとっても、私個人にとっても騒乱の時代でした。分裂と幻滅の時代でした。

しかし、ボストンカレッジコミュニティの1人である、良心的で分別のある、ある人のおかげで、自分の家をここに見つけることができました。ここにいる多くの方がその名前をご存知ではないかもしれません。ロバート・ドリナン神父、彼は法学科大学院の学部長で、私がキャンパスに初めて訪れたときに、米国議会に出馬しておられました。

私がドリナン神父に対してもっとも感心した点は、チェスナッツ・ヒルであれ、キャピトル・ヒルであれ、弱く、無力で虐げられた人たちに対する、深い不変のカトリックの献身がありました。その人が真のクリスチャンであるなら、ドリナン神父はこう言うでしょう。「その人は世界中の飢え、不公正、教育の機会の不公平に対して苦悩することでしょう」。

戦争で自分が真に試された

実際、その選択が明確ではなかったときに、私がボストンカレッジで法律を勉強するようにと勧めてくれたのは、ドリナン神父でした。私はほかのクラスメイトとは違った背景を持って法律学部にやってきました。私は海軍に従事し、ちょうど30歳になった時で、すでに若いながらも家庭がありました。

自分の経験したことゆえに、私はボストンカレッジに来た時には絶えず自分を悩ませる疑問を抱えていました。戦争中に自分の死に向き合っていたため、戦いもそうですが、信仰心が生活の一部となっていました。実際、保身のためにとロザリオを首にかけていました。

しかしよく考えてみると、戦争中の自分と神との関係は本当にこれしかありませんでした。「神様、助けてくれたらよいことをします」という関係です。私が戦争に幻滅するにつれて、私の信仰心も試されることとなりました。神学者が「悪の証拠的問題」と呼ぶものがあります。これは、ある出来事があまりにもひどいがために説明ができないときに用います。実際は神様の計画なのです。

それは自分にとって真に試されることとなりました。私と親しかった友人たちが殺されました。戦争で見たことはその後の人生にずっと影響を与えます。

ボストンカレッジの法学部に来て、「悪の証拠的問題」について聖アウグスティンを読み、「正戦論」について聖トマス・アクィナスを読み、聖パウロの手紙と苦しみに関する事柄を学んだのです。これらは抽象的でも教養のためでもなく、すべての事柄がどこに、そしてどのように収まるのかを理解するために深く掘り下げるチャンスだったのです。それには自分自身がどこに収まるのかを理解することも含まれました。みなさんもそのような質問をよくされることでしょう。

私はボストンカレッジに来て、同情や理解を経験できたため、歓迎されていると感じることができました。それは実際に注意深く考え、正しい質問をどのようにすればよいのかを私に与えてくれ、個人の方向性を強化してくれました。

フランシス法王が「交差点に立っている」人たちに、私たちみんなが手を差し伸べなければならない責任についての話をする何年も前になりますが、私はその時にすべてを理解していたわけではありませんが、まさにそれをボストンカレッジは私に対してしてくれていましたし、あなたに対してもしてくれていたと思います。

アメリカはただの国家ではなく“アイデア”

ここで私が出会った人たちは、本日すでに聞いた、イエズス会のモットーを実践していました。「他者のために生きる人」です。すべての組織には使命やモットーがありますが、それは簡単なことです。難しいのは、それがただの標語ではないということを証明することです。私たちの世界はすばやく、そしてさまざまに変化していきますが、私たち一人ひとりは、我々の価値に意味を付していく必要があるのです。

今日、私はみなさまに約束いたしましょう。アメリカの外交問題のうちもっとも難しいものの1つです。不人気で難しい状況であろうとも、アメリカはその理想に沿ってリードする責任を負うということを保証しましょう。

アメリカがほかの国家となにが違うのかについて忘れてはなりません。それは共通の宗教でも、共通の血統でも、共通の観念でも共通の遺産でもありません。私たちがほかとの違うのは、共通でないアイデアで結ばれていることです。私たちすべては平等に創造され、私たちすべてに奪うことのできない権利が授けられているのです。

私は狂信的でもありませんし、尊大な態度をもって言うのでもありませんが、アメリカはほかの国と同じように、ただの国家ではありません。アメリカはアイデアであり、私たちすべてによって徐々にそれがかなえられていくのです。

(会場拍手)

ですから、私たちの市民権はただの特権ではありません。これには重大な責任が伴うのです。

この縮小していく世界のなかで、アメリカのためにアメリカ人としてなにを成し遂げたのかを基準に成功をはかってはなりません。世界中のパートナーと築く、安全と共通の繁栄をもってはからなければならないのです。

この時代の危機、暴力、闘争、伝染病、不安定のなかで、信じてください、世界はまだアメリカ合衆国を一番の頼れるパートナーとみなしてくれているのです。人々は我々の存在におびえてはいません。私たちが去っていくのをおびえているのです。この安全国家の一部となることの特権は、その状況をじかに見ることができるということです。

我々は気候変動への挑戦に直面する

去る12月、フィリピンで起こった台風の爪痕のなかを歩いてきました。アメリカ軍とアメリカ合衆国国際開発庁は、私たちより近隣の諸国よりも先に現場に到着したのです。

今月にはコンゴ共和国で、私は暴力や虐待の被害者を救済しているカトリック修道女や軍医をアメリカがどのように支援しているのか観察してきました。そして数週間前にはエチオピアにて、エイズとの戦いを献身的に支援してきた結果を見ることができました。地元の医師や看護師たちが、エイズのない世代を実現させるために働いています。我々は実現できる境目にいます。

我々がエイズ、結核、マラリア、そしてポリオとの戦いに対する敗北主義や無関心さを取り除けたという実績は、私たちに、もう1つの国境と世代を超えた挑戦に直面する自信を与えてくれました。それは気候変動への挑戦です。我々が今のままの生活を続けるならば、この問題は避けられないでしょう。

そうです、これはとても難しい問題です。私は約30年もの間この問題についてアメリカ上院で定義し、同僚たちに行動を起こすように働きかけてきました。55席集めましたが、60までは届かなかったのです。

この問題に関して緊急感を抱くのは難しいのは理解しています。ボストンで今このとても美しい朝に、このように座っていると、気候変動が緊急にあなたの仕事、コミュニティ、家族に脅威を与えるようになるとは考えにくいかもしれません。しかしはっきりと申し上げますが、その通りなのです。

2つの大きな最近の報告によると、1つは国際連合、もう1つは元アメリカ軍指揮官の報告ですが、気候変動が私たちに重大な影響を与える結果になるということだけではなく、現在すでに影響が出ているというのです。97パーセントの世界の科学者がこれを緊急の問題とみなしています。なぜでしょうか?

なぜなら、穀物が育たなければ、安定した食料供給ができなくなり、干ばつが長引いてしまえば水不足になり、更に強い大きな嵐が来れば環境が急激に変化し、その変化は悪いものになるでしょう。

気候変動はさらなる対立や不安定さを引き起こすでしょう。申し上げておきますが、世界のある場所、例えばアフリカでは今日、水をめぐって争いが起こっているのです。そしてもし氷河が溶けて水不足になるのに人口が増えたときの問題に、私たちは直面しようとしているのです。そして現実、貧しい人や弱い人たちがより多くのリスクに直面することになるのです。ドリナン神父がおっしゃられたように、我々はこのために苦悩しなければならないのです。

(会場拍手)

重要なのはすべての人が尊厳を持つこと

この問題が腹立たしいのは、この挑戦には解決策がないというわけではないからです。実際、私が考え得るこの国が直面している問題のうち、解決策がない問題は1つもありません。それは私たちの能力と意志力にかかっているのです。解決策は私たちの目の前にあるのです。

それはエネルギー政策です。正しいエネルギー政策を選択すればアメリカは40億人のユーザーに対する6兆ドルにも及ぶ市場をリードすることができ、50年後にはユーザーは90億人に到達するでしょう。

もし私たちがこの挑戦に対して必要となる努力をしたとしましょう。そして例えば、私や科学者たち97パーセントがみんな間違っていたとしましょう。例えばそうだったとしてもどんな悪いことが起こるでしょうか?

我々が何百人もの人たちの力で既存のエネルギーの代わりとなる新しい再生可能エネルギーを作成するならば、私たちの生活は健康的になるでしょう。なぜなら空気中の粒子が減少し、きれいな空気はさらなる健康を促進するからです。私たちは今に勝るエネルギー面での独立をすることにより、さらなる安全を得ることができるのです。

エネルギー面での独立は否定的側面です。これは政治や盲目的支持の問題ではありません。これは科学と管理業務の問題なのです。能力の問題でもありません。意志力の問題なのです。

(会場拍手)

しかし、もし私たちが行動を起こさず、批評家たちや反対者たちや地球平面協会のメンバーたちが間違っていたとしたら、私たちは地球全体の未来を危険にさらすリスクを冒すことになるのです。簡単に言ってしまえば、これは難しい選択ではありません。しかし、それでもそれを可能にするためにあなた方一人ひとりの助けが必要であるということを述べておかなければなりません。

ここで学んだことを外で分かち合う

このような世界的挑戦、極端主義からどのように自国を守るか、どのように疫病を根絶するか、若者に機会をどのように提供するのか、この惑星をどのように守るのか、といったすべての問題は、男女すべてが尊厳を持って生活することができるかということにかかっています。

ここでいう尊厳とはどういう意味でしょうか? 私の言う尊厳とは、デビッド・ホレンバック神父がこの大学で教え、カトリック社会の教えの核心となったことを言っているのです。それは、家族がきれいな水ときれいなエネルギーを利用することができれば、彼らは尊厳を持って生活することができていると言えるでしょう。人々が選挙日に自分の政府を自由に選ぶことができ、毎日市民と触れ合うことができるなら、尊厳を持って生活することができるのです。すべての国民が民族性や、愛するものや、神を呼ぶ名前の違いにかかわらず、協力することができるなら、尊厳を持って生活することができるのです。

そこであなたが必要になるのです。尊厳の葛藤です。それは町を越え、国を越えたとしてもあなたの生活に関わる要求となります。本日あなたが受け取った卒業証書はただあなたの業績を証明するだけではありません。あなたが負うべき責任なのです。これはあなたたち一人ひとりにとって、強力な挑戦となるでしょう。なぜならあなた方はすでに世界クラスの教育を受けるという特権を受けており、それには責任が伴うのです。

その責任の一部はここで学んだものの価値を心に留め、ボストンカレッジの外でもそれを分かち合うということです。そのサービス精神はこの学校の基礎の一部であり、この国の基礎の一部でもあります。

世界に火を灯せ

私はよく私たちの初代国務大臣トーマス・ジェファーソンの言葉を思い出します。彼もこの学校のような一流大学を設立しました。ジェファーソンはこんなシンプルなイメージの美しさについて語りました。1本のキャンドルを使ってもう1本のキャンドルに火を灯すというものです。

彼はこう言いました。そうするときに、キャンドル両方に火が灯り、どちらかから火が消えることはありません。彼はこの話をすることにより、知識を分かち合うことの、伝染性の特質について述べました。イエズス会の伝統継承者として、あなたもこの考え方をよくご存じでしょう。

ジェファーソンの2世紀前に、聖イグナチオ・デ・ロヨラが自身の手紙の最後にいつもシンプルな言葉を残していました。それを本日私もあなた方に残したいと思います。聖イグナチオはシンプルにこう書きました。「世界に火を灯せ」。

2014年生のみなさん、あなたの火をほかの人に分けてください。あなたの奉仕で世界に火を灯してください。さまよえるものを迎え、交差点にいる者を探してください。そうすることにより、このすばらしい教育機関の卒業生としての責任を果たすことができるのです。そうすることによりリーダーとして答え応じることができ、そうすることにより信仰を保持し、アメリカのアイデアを新しくし、そうすることにより一国民としての務めを果たすことができるのです。

みなさんおめでとう。グッドラック、そして神の祝福がありますように。

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