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ムヒカ前ウルグアイ大統領講演会(全6記事)

「一番大きな貧困は孤独」 世界で一番貧しい大統領 ホセ・ムヒカ氏の初来日講演

2016年4月5日、「世界でいちばん貧しい大統領」と呼ばれた前ウルグアイ大統領 ホセ・ムヒカ氏(ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノ氏/Jose Alberto Mujica Cordano)が初来日し、4月7日に東京外国語大学で講演を行いました。前半では、人生を楽しく生きるための時間の重要性や、モノが過剰にあふれてしまった現代の経済における問題点について説きます。講演の中で、ムヒカ氏は「地上にあるもっとも重要なものは“愛”」であるということ、「貧困というのはモノの問題ではなく、一番大きな貧困は孤独」だと語りました。

「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれたホセ・ムヒカ氏

ホセ・ムヒカ氏:ドン・キホーテが言っていました。「君が行った場所で見たことを、そこにいる人たちと同じようなことをすべきだ」と。これは何を意味するのでしょうか?

これが意味することは、例えば、ここは今日本ですけれども、日本人には独自の文化があります。そして、その考え方、性格があります。日本人としてのあり方があります。また、特性というものを持っています。そういった特性に触れて、私は非常に強い感銘を受けました。

ある意味で私は、私自身に言っていることです。私の友人にも言っていることですけれども、日本人はまるで東洋のドイツ人だと思いました。非常に秩序立てて物事を判断する、という印象を持ちました。これは非常に驚くべき文化だと思います。

今回、私は非常に感謝しております。人生に感謝にしております。現在80歳になってから、日本に来るチャンスが得られたことを感謝しております。本当に感謝しています。この私の訪日を実現してくださったこと。そして、私が私の人生の後半に至って、この重要な、日本という国を知り得たことに感謝したいと思います。

日本は私の国(ウルグアイ)とは本当に対局にある、反対側にある国であります。しかしながら、私は今回いろんなかたちで謎解きをしてみたいと思います。いろんなかたちで思考を巡らせてみたいと思います。とくに、若者の人たちというのはこれからの世界を担っていく方々です。そして、これから重要な時期を迎える方々であります。

「生きる」とは、奇跡であり、死に向かって歩むことでもある

今、いろんな価値観がありますけれども、もっとも重要な価値観は「生きている」ということ。なぜなら、生きていること自体が奇跡だからです。

なぜ奇跡なのか? 無限の奇跡とも言えると思いますけれども、なぜならば、今これから生まれるであろうチャンスがいっぱいあるからです。そしてまた、宇宙全体を考えたときに、いろんなかたちでのチャンスがあるからです。そういうチャンスを与えられてること自体が奇跡だと私は思うのです。

もし人生が本当に一番大切なものだとしたら、私たちのまわりにある価値観というのは、人間を生物として、ある意味では考えなければいけない点もあります。すべての種と同じように、私たちは“種”として生きなければいけない。

さまざまな人間は意識があります。記憶も人間にはあります。情動も感情もあります。思考もあります。文化を創り上げることもできます。文明を創ることもできます。そして、理性的に考えることもできます。抽象的に考えることもできます。そして、それでも、私たちは文明の一部にすぎないのです。

自然は、私たちに対して特権を与えてくれました。おそらく「私たち自身のことを考えろ」という意味で、私たちにこういった特権を与えてくれたのだと思います。

しかし、それぞれの生活というものを考えた場合にはどうでしょうか? おそらく、私たちが簡単に忘れてしまうものがあります。あるいは、忘れてしまっているように思えるものがあります。なぜならば、実際に生きるということ、それは基本的には死に向かって歩むことだからです。

人間は自分自身の人生の道を築くことができる

人間の人生は他の生き物の一生とは違うものがあります。というのは、ある程度まで、私たちは何かを創ることができる。すなわち、自分自身の人生の道を築くことができるからであります。なぜなら、私たちには意識があるからであります。

そのほかの動物はどうでしょうか? このような可能性をほかの動物は持っていません。私が考えるには、それは絶対的なものではありません。また、それはおそらく部分的なものかもしれません。しかし、いずれにしても、私たちは存在の方向性というものを作ることができるのです。

若いみなさま方、2つの選択肢があるのです。1つは、「生まれたから生きる」ということです。いずれのほかの生き物すべてと同じように、であります。また、もう1つの選択肢というのは「そこから出発して、私たち自身の人生というものを方向づける」。

そしてまた、それを自分自身で操縦していくということであります。すなわち、この奇跡のような生をうけたということの大義のために生きるのであります。

しかし、そのことは私たち自身の意思にかかっていることなのです。私たちがいかにコミットするかということに関わっているのです。すなわち、内部でどのような決断をするかということであります。

例えば、人生というものを気が向くままに生きるとすれば、例えば、私たちの歴史の中における市場、私たちはこの市場の中に生きています。しかし、その中で、あなたは自分自身の人生というものを動かすことができるのです。

どうしてこのようなことを私は言ったのでしょうか? なぜならば、人生についてコミットするということ。それは、私たちが多くの恩恵をうけているということを理解しているということであります。

文明という非常に素晴らしいもの。それからまた、世代に渡ってのものを受け継いでいく。そして、それによって可能になっていることが多くあります。今日(こんにち)、生活を異様にしているさまざまなものがあるのです。

しかしまた、非常に重要なことがあります。例えば、30年、40年、あるいはそれ以上の人生というものがある場合。またもう1つ、私たちが相続している、受け継いでいるものがあります。それは世界がこれからどうなっていくか、今後の世界というものに関係しています。

私たちはこれだけ多くのものを受け取ったのです。それであれば、私たちは、何かを今後の世代の人たちに残すことができるよう、貢献することができるのではないでしょうか? 

私たちの、そのかたちでの可能性がある、“種”としてのもの。それから人生に対してのもの。そういうものがあるわけです。だからこそ、私たちは「これからやってくる世界が、私たちが今生きている世界よりもよりよいものにしよう」という意思を持とうではありませんか。

ここで1つ疑問があります。これが質問です。生まれたから生きる。あるいは生まれたことを理解して、私たちの存在自体に方向性をつける。そしてまた、種としてのよりよいものに対して戦っていく、哲学、政治、倫理などがあります。そして、これらは同じ塊の中のものとしてあります。

人生のための時間をスーパーで買うことはできない

しかしながら、この市場というものについて、歴史から考えた場合、その中で経済というものは、倫理、とくに哲学というものから、分離することとなったのです。市場によって、非常に組織だった社会の中に生きるようになったのです。

そして、私たちの文明というのは、おそらくこういったことを忘れてしまったのではないでしょうか? ギリシャの古い原則です。すなわち、「過剰なものがない」ということ。これが意味することは、すべてには限界がある。リミットがあるということ。そして、それを認識するということであります。

どうして私は今このようなことを申し上げているのでしょうか? なぜならば、もし人生・生きているということが第一の価値であるとするならば、人生・生きるということは負担ではありえないのです。

例えば、スーパーマーケットに行って、いろいろなものを買うことができる。しかし、人生の年月というものを買うことができるでしょうか? スーパーマーケットではなんでも買うことができます。しかしながら、人生の何年間というものをスーパーマーケットで買うことはできないのです。

そして、私たちが私たち自身の存在というものに直面するとき、これは当然ながら、私たちは努力しなければなりません。私たち全員が尽力し、努力していかなければいけません。なぜならば、当然必要な物質、必要なものというのがあるからです。

そして、「できるのに仕事をしない」ということはあってはなりません。例えば、ほかの人の労力のもとに自分は働かずして生きるということ。これはあってはなりません。それはおそらく団結心が不足しているということになりましょう。同じ種のほかの者に対しての団結というものがない、ということになります。

買い物とは、人生の一部の時間を払うこと

ただし、生きるということは、単純に仕事をするということだけではないのです。ほかの言い方をすれば、ほかにいろいろなことをする必要があります。なぜならば、あなたがもし何かを買う時、それは、あなたは何かをお金で買っているのではないのです。

あなたが買うということは、それはあなたの人生の一部の時間、そして、その時間をお金を稼ぐために費やさなければならなかった人生の一部の時間で払っているのです。

そして、あなたは人生の時間というものをきちんと尊重しなければなりません。ですから、節度ということが重要なのです。なぜならば、時間は必要だからです。重要だからです。人生を楽しむために、享受するために、自由な時間というのが必要だからです。

すなわち、そのあなたの存在。そしてまた、それはもう戻ってこないものなのです。例えば、また別の生があるというふうに考えたとすれば、おそらくそれは心の慰めになるかもしれません。でも、この人生において、この生において、地獄と栄光があるとするならば、それは栄光のために、美しく生きるために戦うということが必要になるでしょう。

これは何を意味するのでしょうか? すなわち、浪費する、消費する、買うこと、買い物をするということ、例えば、それは必要でしょうか? 誰もそういうことを放棄することはできません。

この文明というものがもたらしたものがあります。ただし、ここで問題があります。それはやはり「私たち自身にリミットをつける」ということです。それは時間を得るためです。

地上にあるもっとも重要なものは“愛”

みなさんの人生の時間、例えば、若い時には愛のために多くの時間が必要でしょう。この愛というのは地上にあるもっとも重要なものなのです。人生の動力となるものです。もしもパートナーがいるのであれば、もし子供がいるのであれば、時間が必要です。子供に向き合う、子供と一緒になる時間が必要です。

もちろん物質的な必要性というものもあります。でも、もっと重要なのは、時間を持って、親愛を示す時間が必要なのです。モノというのは、親愛、愛というものをくれません。そうではなくて、「生きる」ということが愛をくれるのです。そのために時間が必要です。

しかしながら、この人間というのは欲のたくさんある動物であります。アリストテレスが言ったように、人間というのは政治的な動物です。なぜならば、他のものが必要だからです。例えば、1人で生きること、孤独で生きることはできないのです。あなたの存在というものは、そのほかのもの、社会の他者があるからこそ可能であり、また、確実なものとなるのです。

もしも心臓病があれば、もちろん心臓病のお医者さんが必要になります。自動車に問題があれば、もちろん機械に詳しい機械工が必要になります。人生のいたるところで他者というものが必要なのです。例えば、アイマラ族。こちらはアンデス山脈に住んでいる人々ですけれども。

ここで貧しい人、かわいそうな人というのはコミュニティがない人であります。すなわち同伴してくれる、一緒に生きてくれる、その人のグループであります。なぜならば、一番大きな貧困というのは孤独だからです。貧困というのはモノの問題ではありません。それはこの人生というものを共有するということが重要なのです。

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