2024.10.01
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"Gangnam Style" Singer PSY Visits Harvard(全1記事)
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PSY氏:えーと、まずは。好きなだけ写真撮っていいですよ。
(会場笑)
学長様、お呼びいただいてありがとうございます。この場所でスピーチさせていただき、ありがとうございます。でもこれ、なんか変ですよね(笑)。
(会場笑)
知ってる人もいるかもしれませんが、私は大学時代の4年間、ここボストンで暮らしていました。1996から2000年です。成績は悪かったですが。川の反対側に見えるハーバードはかっこよかったです。4年で何の関わりもなかったですが、14年経った今、ハーバードでスピーチをしにボストンに戻ってきました。すばらしいことです。そう思いませんか?
(会場笑)
江南スタイルを知っている方おられると思います。私のことを歌手やアーティストとして見てくれている方もいると思いますが、まだコメディアンと思われていることがあります。
まずは、なぜ江南スタイルができたかについてお話しようと思います。それについては過去のことをお話ししようと思うのですが、ライブで30分のパフォーマンスを依頼されたことがありました。でも5回も6回も江南スタイルは繰り返せない。
どうしようとなった時に、歌手だから他になにか歌えるだろうということになりました。その時はオーストラリアだったのですが、いざステージに立ってみると、会場には大勢の酔っぱらった若者たちがいました。ほぼ半裸みたいな人もいる感じのライブ会場です。自分がステージに現れるやいなや「イェー!」という感じで、「江南スタイルができるまで」とか言おうものならもうブーイングでした。
(会場笑)
なぜそれを話したかったかというと、これを話してこんなに静かな会場はここが初めてだからです。感謝してます(笑)。
(会場拍手)
ところで、ハーバードで原稿無しのスピーチをするのは私が初めてと聞きました。周りの人達は「原稿は?」というのに対して、私は「なんで?」という感じ。
(会場笑)
でも原稿が無い理由は、学術的なことや教育的なことを語るつもりがないからです。私が話しているのは、ただの自分の経験です。過去7、8ヶ月の私の経験は、特別と言えるものでした。これを賢く捉えてくれる人もいるでしょうが、多くの人は「あの人何言ってたの?」というふうになると私は思います。今日が皆さんにとってのリーディング・デイの終わりだと聞いたのですが、そんな日にPSYに出会うなんて。
私の個人的な話をすこしさせていただきます。私は1977年に韓国で生まれました。韓国では、家族がビジネスを経営していた場合、息子が引き継ぐことになっていて、運が悪いことに私は一人っ子でした。父が会社を築き、母が拡張し、私は小さい頃から、次は自分の番だと言われ育てられました。なので私のやっていることを彼らはあまりよく思っていませんでした。半導体製造装置のビジネスをやっているのですが、ずっとそれをやれと言われてきたのです。
(会場笑)
そう言われるのが嫌だったので、高校卒業後に両親に、「もっと大きく賢い人間になりたいから、留学させてほしい」と言ったら、父は「やっと私の息子になったな」と言いました。
(会場笑)
そうして私はボストン大学に出願したのです。そしてそれが私の初めてのアメリカ体験となりました。1996年、経営学を勉強していて、私はウォレンタワーに住んでいました。でも当時はいきなりアメリカに来たものですから、英語なんか分かりませんでした。知ってても「タクシー」「バス」「ダイアモンド」程度。
(会場笑)
誰でも知ってるような単語です。恥ずかしい話なのですが、アメリカ到着の2日目に、私は下痢になりました。
(会場笑)
2日目ですよ。もちろん下痢なんて英語でどう言ったらいいかわからない。「タクシー」「バス」「ダイアモンド」しか知らなかったので。
(会場笑)
とにかく、緊急だったので走って薬局に行きました。本当に走りましたよ。薬局にいた女性は落ち着いていました。でも私の英語の発音は悪く「エクスキュージュミー」という感じ。
(会場笑・拍手)
彼女は「何かお助けできることは?」というのに対し、私は「はい、助けて下さい」と言いました(笑)。
(会場笑)
5秒ほど時間が止まり、女性は「どうお助けしましょう?」私は「とにかくやばい」と。
(会場笑)
またもや5秒時間が止まり、私はさらに10秒ほど躊躇し、でも薬が今すぐ必要だったのでこう言いました。「ウォーター・シットが止まらない」(笑)。
(会場笑)
すぐさま彼女は薬をくれました。支払いを終えると彼女は笑いながら、「走ったほうがいいんじゃない?」もちろん私は走りました。そんな私のアメリカ到着2日目でしたが、このようにして英語を学んだのです。これを話したかった理由というのは、江南スタイルに関しても「セクシー・レディー」以外意味わからないでしょってことなのです。
(会場笑)
それでここまでインターナショナルな存在になれるとは自分でも想像していませんでした。私は韓国国内で十分でしたから。でも面白いことに、韓国で12年アーティストをやっているのにも関わらず、私が英語を話せるということは誰も知らなかったようです。「英語が喋れるようには見えない」とか言われるのですが、それってどんな見た目なのでしょうね?
(会場笑)
つまり下痢という単語を知らなくても「ウォーター・シット」で通じたのと同じことなのです。江南スタイルを制作したのは去年の7月でしたが、当時の経済は非常に悪かった。そんな時に自分にできるのは、面白い歌で人を笑わせるということだったのです。ですから、もうできるだけ馬鹿げたものを作りました。私が江南スタイルでやりたかったのはそういうことなのです。
私はYGというレーベルに所属しています。Big Bangとか2NE1とかも所属しています。彼らは海外のファンも多いので、YouTubeに動画をアップロードしていました。そうして私の曲もアップロードされたのです。「曲アップロードしてもいい?」というのに対して私は「別にいいですよ」という感じでした。
しかしその2週間後、英語、アラビア語、フランス語などでコメントが書かれていました。書かれていることがいいことか悪いことかもわかりませんでしたが。
(会場笑)
それでもどんどんコメントは増え、私はまさに「マジで?」という感じでした。
(会場笑)
そうして私はYouTubeの1000万ビューを記念して、人生で一番大きなパーティーを開きました。
(会場拍手)
その2日後に、もっとすごいことが起こりました。ケイティ・ペリーがツイートし、ブリトニー・スピアーズがツイートし、トム・クルーズががツイートし、ロビン・ウィリアムズがツイートし、T-Painもツイートしました。彼らは「hilarious(とてもおもしろい)」とか「obsessed(頭から離れない)」とかツイートしていましたが、意味はそんなにわかりませんでした。
(会場笑)
スクーター・ブラウンのことは知っておられると思います。私のマネージャーでもあり、ジャスティン・ビーバーやカーリー・レイのマネージャーでもあります。彼はロサンゼルスから韓国に電話をかけてきました。2000年から十数年英語を喋ってなかったので、電話に出た時は「アニョハセヨ」という感じでした。彼は「あなたがPSYですか? スクーター・ブラウンというものですが」と言うのに対し私は「誰? スクーター? 趣味がですか?」
(会場笑)
彼は「ジャスティン・ビーバーのマネージャーです」と言ったので、私は間違い電話だと思いました。「ジャスティン・ビーバーのマネージャーだったらジャスティン・ビーバーに電話をかけて下さい」と言いました。
(会場笑)
「ジャスティンと2人で仲良さそうにしてる写真を送ってもらえますか?」と言いメールアドレスを教え、そこに送られてきた写真を見た時は、皆「マジか」という感じでした。
(会場笑)
それから丁寧に電話をかけ直しました。
(会場笑)
私は最初、「スクーター? 趣味か何か?」とか言ってたのに、「お話できますか?」みたいな口調になってました。彼はリミックス制作のために著作権を買いたかったようです。私は「本当に?」という感じで「じゃあいくら?」と聞いてしまいました。
(会場笑)
すると彼は「ロサンゼルスまで来れます?」と言ったので、私は「すぐ行きます!」と言いました。
(会場笑)
次の日にロサンゼルスに向かい、彼の家のバックヤードに行ったとき、そこには彼自身とアッシャー、そしてジャスティン・ビーバーがいました。「マジで!?」という感じでした。
(会場笑)
彼らは彼らで、「うわー! PSYだ!」とアッシャーがあの美しい笑顔を見せてくれたのです。スクーターとの会話の際、私の英語が想像よりもよかったみたいで、「英語喋ってるとき面白いね」と言ってくれました。ここでは韓国とは笑いのツボが違うので、ウケを狙おうとするとシーンとするのです。
(会場笑)
でも意図せずに何か言った時に「ははは」となるので、こっちは「ワオ!」という感じなのです。
(会場笑)
エレンの部屋に出演したのですが、ブリトニー・スピアーズにサプライズでダンスレッスンをするというものでした。それが初めてのアメリカのテレビ番組出演でした。私は緊張していました。生放送ですしブリトニー・スピアーズがいますし、しかも彼女は私がいることに気づいてません。7、8時間も隠れていたのです。
その番組では彼女とサイモン・コーウェルがXファクターの宣伝で来ていて、彼女はダンスすることなど全く想像してなかったので、ピンクのドレスでおめかししていました。そんな状況で私が出て行き、タイトなドレスを着て高いヒールを履いて彼女は踊ってくれました。私が「豪華に着飾ってバカっぽく踊るのがこの歌のテーマなんです」というと彼らは爆笑しました。……これ面白いですか?
(会場笑)
彼らは確かに笑ってましたけど、今皆さんは落ち着いてるでしょう? 本当にわからない。
スクーターの話ですが、彼の天才的なアイデアについて話したいのですが、彼は私のコンサート映像を見つけていました。彼は「これ観客は何人?」と聞き、「3、4万人」と答えました。「韓国の人口は?」と聞かれ、「5000万人」と言うと、「契約しよう」と彼はいいました。「本当に?」という私に対して、彼は「もちろん。江南スタイルで」
私が「やろうとすれば英語でも歌えますよ」と言うと、これが彼の天才的なアイデアなのですが、「PSYが英語でラップしたとしても、もうすでに英語のラップは多く存在している。そしてそのほとんどが君よりうまい。でもアメリカで韓国語のラップをしたならば、君はナンバーワンだ」そう彼が言ったのです(笑)。
(会場笑)
でもそんな歌を理解するのは大変で、「江南スタイル」にしても「Gentleman」にしても、誰も内容を理解していない。ワイワイしていて、皆「sexy ladies」の歌詞待ちです。
(会場笑)
でもそれってすごいことだと思いませんか? 誰も意味がわからないのに、パフォーマンスをしている時は皆、幸せそうにみえるのが私は本当に嬉しいです。そうして私は、言葉の先にある何かについて考えるようになりました。「言葉の先にあるものは音楽」なんてつまらない答え以上のものがあると思うのです。楽しむに値するようなものです。楽しいことは皆好きでしょう?
「エレンの部屋」の後は、ロックフェラーセンターで「Today's Show」に出ました。東海岸中の旅行者が家族写真を撮るような場所です。私も、幼い頃に家族と撮りました。そんなロックフェラーセンターで朝からライブをしました。何で早朝から人気番組があるのでしょうか。6時20分にリハーサルをしました。
「Today's Show」の後はMC HammerとAmerican Music Awardでパフォーマンスしました。そしてその後、マディソン・スクウェアでパフォーマンスするのでコラボしたいという連絡が、あるアーティストからありました。「誰」と聞いたら、それは「マドンナ」でした。
当時私の曲はビルボードでナンバー2でした。「江南スタイル」と「Give it to me」のコラボをしようということでした。面白いことに、彼女はちょっとやりすぎというくらいにプロフェッショナルでした。私はただのスペシャルゲストだったのですが、彼女は「リハーサルしないと」と言いました。見た目やらダンスやらチェックはしないといけないのですが、それだけでなく、彼女は私にフォーマルな黒のスーツを着るように言ったのです。
私は1曲やって帰るだけだったので、「なんでリハーサルでこれを着るの?」という感じだったのですが、とにかく着込んでマディソンスクエアに行きました。しかし実際にリハーサルに行ってみると、マドンナはジャージにスウェットで、黒いスーツなんか着ているのは私だけでした。それでもマドンナはクールでした。
私がステージに上がると、彼女はステージで寝転がっていて、「ハーイ」と言うのです。私は「マドンナだ……。」という感じ。
(会場笑)
ステージで寝そべって「ハーイ、ハニー」という彼女に、私は「自分が彼女のハニーなの? スゲー」という感じ。
(会場笑)
彼女が最初に言ったそんな一言がかっこよすぎました。「ハニー、ステージ上では私の体のどこを触ってもいいからね」私はもう躊躇すら無く「本当ですか!?」となりました。
(会場笑)
それは私のキャリアの中でも大きなものとなりました。その後も色んな場所に行きました。でも私は謙虚でなくてはならなかった。特にアジア人アーティストにとって、こんなことは滅多に無いことだからです。彼らの多くがアメリカ市場の扉を叩くものの、成功できない。私は、いつか韓国のアーティストがアメリカで成功することを夢見ていましたが、それが私自身だとは思っていませんでした。私の体型はちょっと特別ですからね。
(会場笑)
そう、カジュアルで自然体型(笑)。
アメリカでのプロモーションの後、フランス、イギリス、イタリア、ドイツ、ブラジル、香港、中国などからオファーがありました。たった4、5カ月の間に、26、27カ国と50ほどの街に行きました。
本当に幸せなことだったのですが、毎回毎回、「PSY! ダンス教えて!」「いいよ! こうやるんだ!」みたいなやりとりを20カ国以上、50もの街でやったのです。
ある時、私は悪夢を見てしまい、その中で私は馬でした。スケジュールもループしていて、「空港」「ホテル」「現場」の繰り返し。自分がどこにいるのかもわからない時期もありました。全部同じに思えてしまったのです。私は疲労困憊でよく悪夢を見ました。自分がまるで草原にいるゼブラみたいに踊っているのです。あれは怖かった。
その後しばらく経つと、人は「次は何か」と聞くようになりました。私にもわからなかったので躊躇していました。そして彼らは私のことを一発屋と言うようになりました。でも私は自分の国で12年のキャリアがあり、アルバムも6、7枚出しています。これのどこが一発屋なのか。韓国の外では私は「江南スタイル」だけだと思われていて一発屋と言われる。でもキャリアは10年以上ある。これのどこが一発屋なのか。
「何かしないと」と私は考え、私は作曲を始めました。江南スタイルが流行った理由を分析し、各国での意味や発音における言葉のスタイルを研究しました。そして「スタイル」という単語を皆が使っていることがわかりました。そして私は「バス」「タクシー」「ダイアモンド」というような言葉を探し始めたのです。
(会場笑)
そして見つけた言葉が「ジェントルマン」です。この単語は全世界共通で、そういった国際語を見つけたことが始まりでした。そうして歌詞を書き始めたのですが、それは歌詞というより、最早、言語学でした。世界中で発音されやすい韓国語を探して歌詞を書き、ビデオやダンスについても考えました。アーティストというのは皆、酷いくらいに考えます。変化を生むために自分を追い込むのです。
でも自分にとってはちょっと違います。自分は音楽業界における商品なのです。ですから商品として、人々が自分を選ぶはっきりした理由があるのです。ハンサムでもなく、筋肉があるわけでもない、そんな私が選ばれた理由というのは、その音楽、ビデオ、ダンスが楽しいからです。ですから私がいつもやろうとしていることは、変化ではなく、進化なのです。
そうして私という商品を選んでもらったということは、私はちゃんと自分の役をまっとうしなければいけないのです。ところで「Gentleman」という曲は聞いていただけたでしょうか? 人の好みにもよるので好き嫌いはあるので、皆を満足させることはできませんので、「どうしよう?」とか思うのではなく、いいと思ったことがうまくいくと想定してやるしかないのです。
「江南スタイル」は普通じゃありませんでした。それと比べられて「Gentleman」は良くないと言われても、「江南スタイル」と比較するとどの曲だってそうです。あれはもう事故のようなものなので、そうそう起こることではありません。あんな事故がしょっちゅう起こっていたら人類は滅びてしまいます。
そしてこれからは、事故に期待するわけにはいきません。16億ビューですよ。私の国の人口ですら5000万です。ですからその後にやったことは、タイミング的にも防御でした。「江南スタイル」が攻撃のスタイルだったので、その次に繋ぐための防御でした。一発屋と呼ばれないためだけにそうしたのです。
「Gentleman」でのゴールは、ビルボードのトップ10入りすることと、YouTubeで1億ビューを突破することでした。本当にそれだけを目指していました。「江南スタイル」と比較して色々言われますが、そんな成功は永遠にはできるものではないのです。
アジア人アーティストとしてのチャレンジ第2段は、ユーチューブ上では27日目で現在3億ビューとなりました。
(会場笑)
ビルボードでは33位だったのですが、私は、自分が落胆したことに驚いてしまいました。「ビルボード33位? まだまだ上にいかないと」と考えられる自分は偉くなったものです。よく考えると、ビルボード33位というのはとんでもなく重大なことなのに。
好き嫌いは人それぞれなのは当然なのですが、それでも「自分が最高だったとは言えないけれども、最善を尽くした13年間であった」ということは言っておきたいです。
(会場拍手)
(会場拍手)
私は最初は、ボストンの学生だった。当時の自分にはニックネームがありまして、「WWF」と呼ばれていました。プロレス団体(World Wrestling Federation)じゃないですよ「Withdraw, withdraw, fail(退学、退学、落第)」です。授業が始まるのが早かったので。
(会場笑)
私は若く、クリエーションというものについて誤解していました。他人から学べると思っていたのです。しかし若い頃は誰もが間違います。その14年後に、ここの校長に招待されてスピーチするなんて、誰が想像できたでしょうか。今こうして皆さんと接しているのが変に感じられます。
私は幸せですし誇らしく思えます。ハーバードでスピーチをするなんて本当に非現実的です。皆さん本当に賢そうに見えます。
(会場笑)
失敗ももちろんしますが、私はポジティブでいることの力を強く信じています。時に優しく、また辛辣にされることもあるでしょうが、何があっても、どうなろうとも、いつもポジティブでいて下さい。地球上で一番大きな力なのですから。
人生で失敗はつきものです。14年経って、ボストンにスピーチしに戻ってこられました。「WWF」がたいしたものです。ありがとうございました。
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