2024.10.10
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Michael Jordan's Basketball Hall of Fame Enshrinement Speech(全1記事)
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マイケル・ジョーダン氏:ありがとう。みんなありがとう。
友人にはここに来たら、「ありがとう」とだけ言って歩き去るつもりだよ、と話していたんだ。でも無理だね。出来るわけない。ありがとうと言わなければならない相手が多すぎるよ。
映像を見ると、そこに写っているのは僕だけじゃないことに気づくだろう。スコッティ・ピッペンもいつも写っているからね。僕が勝った全てのチャンピオンシップでだよ。ここ4週間で、たくさん質問されたんだ。みんな「どうしてデイヴィッド・トンプソンを選んだんだ?」って聞くんだよ。
僕は理由を知っているし、デイヴィッドも分かってる。でもみんなには分からないだろうね。彼がチャンピオンシップに勝った1974年に僕は22歳で、ノースカロライナで生活していたんだ。
正直、僕はカロライナ嫌いでね。UNCは大嫌いで、でも結局UNCに行き着いたんだけどね。それでもデイヴィッド・トンプソンが大好きだった。バスケの試合でだけじゃなく、彼のやることが好きだったんだ。
ヴィヴィアンが言っていたように、 僕たちは試練や困難を経験した。彼もそうだった。彼は僕を鼓舞してくれたんだ。彼にここに来てくれって頼んだ時、彼が物凄く驚くだろうっていうのはわかっていたんだ。
(会場笑・拍手)
僕は自分が何をしたか知っているよ。でも彼は優しくて、いいよ、行くよって言ってくれたんだ。カロライナの仲間たちにも失礼にはならないはずだ。だってみんなは僕が正真正銘のカロライナの男だって知っているからね。スミスコーチ、ラリー・ブラウン、サム・パーキンス、ジェームズ・ウォーシー、彼らみたいな感じだよ。全ては、両親から始まったんだ。
みんなハイライトを見ただろう? 僕のことについてみんなが知らないことって何だろうな? 他の受賞者たちが自身の歴史について話すのを聞いていたんだけど、ジェリー・スローンについては知らないことばっかりだったよ。
彼が農場で育ったっていうのは知っていたけど、1年生から8年生まで小さな教室にいたっていうのは初耳だった。デイヴィッド・ロビンソン、そう彼のことは知っているけど、彼のことも色々発見できたよ。それからジョンのことですら、悪いことも、まあいい事も知ることができたね。
(会場笑)
あと、ヴィブのことは何年も前から知っているんだけど、彼女と僕の両親はナイキの件で長いこと一緒に過ごしていたんだ。それでも彼女についてはいいことをたくさん見つけられたよ。
でも、みんなが知らない僕のことってなんだろう? 僕には2人の兄弟がいてね、それぞれ163cmくらいと165cmくらいなんだ。
(会場笑)
2人ともライバルという立場で兄弟として僕が欲しかったもの全部をくれたんだ。ラリーは小さなものの包みは小さいっていう理想的な男なんだ。あいつとは本当に毎日ケンカしていたよ。僕たちのケンカがヒートアップし過ぎると、母親が現れて仲裁するんだ。
それから兄貴はいつもいなかった。31年間軍隊にいたからね。
(会場拍手)
ライバルは2人の兄弟だけじゃないよ。1歳年下の妹、ラズは絶対自分で家に帰ろうとしなかったんだ。妹は僕と一緒に高校を卒業する為に補修を受けていたんだ。ノースカロライナ大学に僕と一緒に通うためと、僕より先に高校を卒業するためにね。
(会場笑)
客席に座っているみんなは僕のライバル達はどこにいるか、ってことか、僕の競争心がどこからきたのかってことを疑問に思っているだろうね。それは彼らから学んだんだ。
今日ここにはいない姉から学んだんだよ。それから父だ。ここには今日いないけど、いつだって僕たちと一緒なんだ。つまり、僕の競争心は、野球でもサッカーでも陸上競技でもバスケットボールでも、授業をさぼるために始めたどんなスポーツであっても初めてプレーしてからどんどん下がっていってしまうんだよ。
だから僕の心に火がついたんだ。最初は両親が火をつけてくれた。それから色々な人たちがそこに蒔きを入れていってくれた。
スミスコーチについては、何が言えると思う?
(会場拍手)
知っていると思うけど、彼は試合のコーチをすることでは伝説的に凄いんだよ。それからリロイ・スミスだね。みんな信じてないだろうね。リロイ・スミスは僕が学校代表チームから外された時の選手だ。
実は今夜ここに来ているんだよ。彼はまだ201cmもあるんだ。もうこれ以上は大きくはならないね。多分彼の試合も同じような感じだ。でも彼は僕と同じ道を歩み始めた。だって彼は自分がチームを作った時、僕はリロイ・スミスにだけでなく、自分自身にだけでもなく、僕ではなくリロイ・スミスを選んだコーチに証明したかったんだから。分かってほしかったんだ。間違いをおかしたんだってね。
(会場笑・拍手)
バズ・ピーターソンもいるね。僕のルームメイトだ。バズに初めて会った時、彼について聞いていたのは、ノースカロライナのアッシュヴィル出身でその年の最優秀選手だったってことだ。 僕は思ったよ。「彼は一度も僕と対戦したことないのに、どうやって最優秀選手になれたんだ?」ってね。
メディア露出のせいかな? 僕がウィルミントン出身っていうのは知っているよね。そこではABCチャンネルとNBCチャンネルしかなかったんだ。小さい頃はNBAスポーツは見たことがなかったよ。
CBSはノースカロライナのウィルミントンではなかったから、バズ・ピーターソンは僕のボードに点をつけたんだ。それからバズ・ピーターソンにバスケの試合で直接会う機会があって、バズは素晴らしい人間で彼には何の問題もなかったんだけど、多分僕の競争本能なんだろうね。彼は僕には勝てない、とか、彼はバスケでは僕より劣っているとか思っていたんだ。
そして彼は僕のルームメイトになった。それから彼は僕にとって、僕も彼も知らないうちに重要な存在になっていったんだ。スミスコーチがSports Illustratedに載って、4人の先発選手を発表した日、彼は僕を指名しなかったんだ。これには本当に腹が立ったよ! だって僕の名前は絶対その雑誌に載っているって思っていたからね。
彼には新入生を出場させるっていう考えがあって、それは理解するんだけど、バスケ選手として見たら僕がSports Illustratedに載るべきだったんだ。
まだ終わらないよ。僕の競争心はプロの世界に入っても続いた。ブルスに入ったんだけど、ジェリー・ラインズドルフがチームにいた時で、それは本当に光栄だと思っているよ。また別の組織だったんだ。
それからロブ・ソーンが僕を選んでくれたんだ。ケビン・ロッキーは僕の最初のコーチだった。ケビンはよく練習試合の選手5人の中に僕を入れてくれたんだけど、負けたチームがランニングしなくちゃいけないっていうルールにして競争心を煽ったんだ。
試合の途中で勝っているチームにいる僕を、わざわざ負けているチームのメンバーと交換したりするんだ。僕は試されているんだと思ったよ。10回中9回は負けていたチームを勝たせられたんだ。彼が何をしようが関係なかったんだよ。ケビンには感謝してる。こんな挑戦をさせてくれて、僕の闘争心に火をつけてくれたんだから。彼もまた僕の中の炎に蒔を入れてくれたってことだね。
ジェリーについては何て話したらいいだろう。僕が戻ってきた次の年、足の怪我で65試合も出場できなかったんだ。戻ってきて試合に出たかったんだけどね。彼もドクター達も僕が1試合で7分しかプレーできないっていう結論に達したんだ。でも僕は1日2時間練習していたけどね。「大丈夫」って言い続けていたよ。そういう数値とかっていうのは信じないんだ。
最悪な記録を出してしまった選手は誰でもたくさんのボールやピンポン玉を持ち、どれを選ぶのか決められるんだけど、僕は気にしなかった。ただ勝ちたかったんだ。僕は優勝決定戦をしたかったんだ。分かるかい。情熱をシカゴまでキープしたかったんだ。
だから彼のオフィスへ行って、言ったんだよ。「ジェリー、僕は14分以上プレーするべきだと思うんだ。毎日2時間の練習もしてる。」ってね。彼は言ったよ。「MJ、僕は僕たちが君に投資した分を守らなきゃいけないんだよ。」
僕はこう返した。「ジェリー、僕は本当にプレーするべきなんだ」彼は「聞かせてくれ、頭痛はしないかい?」その時、足首や足をまた怪我する可能性が10%くらいあった。 彼は言ったよ。「もし頭痛がして、10錠の薬を飲んだとする。そのうちの一つがシアン化物でコーティングされていたら、その薬を飲むかい?」
僕は彼を見つめて言ったよ。「頭痛はどのくらいの痛さ? その頭痛がどのくらい酷いかによるな」ジェリーは僕を見つめながら「うん、いい答えだと思うよ。戻って試合に出たまえ。」って言ったんだ。
ジェリーは僕にたくさんの障害をくれたけど、同時にバスケにおいて高レベルのパフォーマンスをするチャンスも与えてくれた。そしてブルスという組織は僕やチームメイトを正当に評価してくれた。
僕はブルスで14年以上に渡ってプレーしている友人がたくさんいるんだから、信じてよ。僕は彼らをみんな尊敬しているし、ただ勝ちたかったんだ。それをどう見たいのかってことだよ。
そしてジェリー・クラウスとジェリー・レインズドーフの中間にあたるダグ・コリンズが入ってきた。
そして同時に、サマータイムに僕がプレーしようとしたら、「組織はサマータイムにプレーすることは禁じているんだ。君は組織の一員なんだよ」って言うんだ。だから僕は「ダグ、君は僕の契約書の例外規定を読んでないだろ。そこには、試合を愛するっていう項目があるんだ。つまり、僕はいつでもどこでも好きな時にプレーできるってことなのさ」って言ったんだ。
(会場笑)
ダグは「確かにそうだ。確かにね」って言ってたよ。そうやって僕とダグ・コリンズの仲は少し近くなったんだ。ジェリー・クラウスはそこにいたけど、もう一人のジェリーはいなかった。誰が彼を招待したのか分からないけど、理解してくれたと願っているよ。彼はとても負けず嫌いで、それは僕も同じだ。
彼は「組織がチャンピオンシップに勝てるんだ」と言った。僕は「ユタでインフルエンザと戦う組織を見なかったし、足首を痛めても戦っている姿も見たことないよ」って言ったんだ。
確かに、組織はチームを組みたてるけど、その日の最後には、そのチームは出て行って試合をしなきゃいけないんだ。だから突き詰めると、選手たちはチャンピオンシップに勝利し、組織はそれにつながっているんだ。勘違いしないでほしい。
でも選手よりも組織を優先させようとしないでくれ。一日の終わりには選手たちは試合に出て戦うんだから。組織は僕たちにお金を払うけど、僕たちは試合に出てプレーしているんだよ。
僕の子供たちを知っているよね。ジェフリー、マーカス、そしてジャスミンだ。みんな、とても愛しているよ。君たちは僕のいろいろな部分を表している。性格もそれぞれ違うしね。
君たちのママも子供たちの象徴だ。君たちは大きなプレッシャーを感じていると思う。もし僕が君たちにならなきゃいけないとしても、なりたくないね。だってたくさんの期待を背負わなきゃいけないんだから。
周りを見てごらん。このイベントのチケットを1,000ドルにした人たちだ。前は200ドルだったのに。でも払ったよ。他にどうにもできなかったからね。僕にはたくさん家族がいて、連れてきたい友達もたくさんいる。だから言わせてもらうよ。Hall of Fameのチケットを値上げしてくれて本当に感謝している。
でも子供たちに言いたいのは、愛しているっていうことと、助けてくれる人たちがたくさんいるっていうことだ。家族とか友達とか君たちが知らない人たちもみんなが助けてくれるよ。親戚だっていう人たちがどこからともなく現れたりするかもしれない。君のママも僕も正しいことを教えてきたつもりだ。時がきたら正しい判断ができることを祈っているよ。
僕の母親については何て言ったらいいかな。母は絶対じっとしていないんだ。忙しいって思うだろ? 母はいつも働き詰めなんだし、頼りになるし、すごいんだ。今、母は2つの仕事に就いているよ。
(会場拍手)
本当信じられない女性だろ。毎日僕に小言を言う人がいるとしたら、それは母だね。それに母は僕が人がどう自分を理解し、その人たちをどう尊敬し、子供たちにとって何が良いことで、自分にとって何が良いことなのかに集中できるようにいつも見守っていてくれるんだ。
自分がどう世論に見られていても、一息おいて、何をすべきか考えるんだ。そしてそういう考え方はすべて両親が教えてくれたんだよ。母が僕に教えてくれたんだ。僕はもう46歳だけど、母はまだ僕を育ててくれているってことだね。それは母にとってはいいことだよ。母がこの世を去るまでずっと僕は愛し続けるんだ。
それからみんなが思いもしなかった相手にも僕はありがとうと言いたい。アイザイア・トーマス、マジック・ジョンソン、ジョージ・ガービン、僕のルーキー時代のあれはいわゆる「締め出し」だったって彼らは言うだろう。一度も考えたことがなかったけど、彼らは僕に「明らかに僕は君たちに証明できてなかった。僕はこのレベルに値する男だって証明したよ」って言う動機をくれた。
それに誰が何を言おうが、もし噂だったとして、僕が真実だと思っていなくても、彼らが僕を閉めだせたことはないんだ。だって僕は彼らがどう思おうがそこにいるだけで幸せだったんだから。そしてその時から僕は、マジックやラリーやジョージやその他のみんなに証明したかったんだ。
僕はみんなと同じレベルに上り詰めるに値しているんだってね。願わくは、僕の選手人生の中で、疑いもなく、僕はやってのけたと思っている。デトロイトイヤーでさえも、僕たちはやり遂げたんだ。
パット・ライリー。君と僕は古い付き合いだ。ハワイでのことはまだ覚えているよ。僕はちょうど着いたところで、君は確かもう帰ろうとしていたんだよね。でももう何日か滞在を延ばすことにして、僕のスイートにいた。それから彼らがやってきて、君が僕のスイートから出ていかなきゃいけないって言ったんだ。
それで君は出ていかなきゃいけないのに、僕の部屋のドアの下に「大会は楽しかったよ。おめでとう。でもまた僕たちは会うことになるだろうね」って書いたメモを滑り込ませていったんだ。僕はそれを見て元気が出たんだよ。だって、コーチの立場から見ても、正直、君は僕と同じくらい負けず嫌いだったんだからね。
確かレイカーズの時ではなかったと思うけど、僕がニックスやヒートと対戦する時、君はいつも挑戦してきていたよね。でもいつも僕と君のチームが対戦する時、そこには、僕が大好きだったジョン・スタークスっていう、僕を止める役割がいたんだ。
君は僕の友達のチャールズ・オークリーに「僕たちはランチにも行けないし、ディナーにも行けない。だってパットは僕たち2人が親しいって信じないんだからね」とまで言わせたんだよ。そしてこのチャールズって男はリーグの中の誰よりも僕に強く当たってくるんだ。 僕の大親友だよ。
パトリック・ユーイング。僕たちは同じ時期にやってきて、同じエージェントだった。でもランチには行けなかったんだ。なんでかって? 君は僕が他の誰と対戦する時とも違う形で、君と対戦するんだろうと思っていただろ。そんなことないって。
君の所の小柄なスタッフの男が、次のコーチである、ジェフ・ヴァン・ガンディだ。彼は僕が選手をだまして、彼らと仲良くなって、それでバスケのコートでは彼らに攻撃するんだって言っていたんだ。
どこからそんなことが思いつくんだ? 僕はただフレンドリーなだけだよ。誰とでも仲良くなるけど、同時に試合になれば負けず嫌いになるだけだ。だから、僕が絶対必要なそういうモチベーションに対して、みんなにお礼を言いたいんだ。
(会場拍手)
フィル・ジャクソン。彼は僕にとってプロフェッショナルなディーン・スミスだ。彼は肉体ではなく、気持ちで僕に挑戦してきた。彼はテックス・ウィンターと共に試合を理解していた。彼らは僕にバスケの試合についてたくさん教えてくれたよ。
僕は一度もテックスを満足させられたことがないんだ。僕はテックスのことが大好きだよ。テックスはここにはいないけど、心の中で生き続けている。今でも覚えている試合があるんだ。
僕たちは多分5〜10点くらい負けていて、僕が25点入れて、追いつくことができて、そして試合に勝ったんだ。僕たちがフロアの廊下を歩いているとテックスが僕を見て言ったんだ。「Teamに”I”は入っていないって分かっているはずだ」僕はこう言ったよ。
「テックス、確かにそこには”I”は入ってないね。でもWinには”I”が入っているだろ。」ってね。
(会場笑・拍手)
彼は僕の言った意味がわかったと思う。僕は勝つためなら何だってやるよ。もし僕たちがチームの形で戦うっていう意味なら、僕たちは勝つ。もしそれが僕がやらなくちゃいけないことを何でもやれって言う意味なら、君がどう思おうが僕たちは勝つだろう。
僕たちには否定派のメディアがたくさんいた。「得点王はNBAのタイトルを取れない」とか「君はマジック・ジョンソンほどよくもないし、ラリー・バードほどよくもない。君は優秀だよ。でも彼らには劣る」って言われたりね。
僕はこういうのを全部聞かなきゃいけなかったんだ。でもそれは僕の心に火をつけて、さらにいいバスケ選手になってやろうと思ったね。今なら言えるけど、彼らは間違ってなかった。僕は違う視点からそれを見ていたんだろうね。
でもそれと同時に、バスケ選手として、僕はできる限り最高のプレーをしようとしていた。だからキャリアの中でたくさんのことを成し遂げてきた僕の様な人間にとって、バスケをハイレベルでプレーするやる気を起こさせる為に、人々が言ったりしたりするメッセージを探しているんだ。だってそういう時にこそ僕は最高のプレーができるからね。
そして最後は、多分みんな既に見ていると思うけど、これを彼にするのは嫌だな。でも彼はとてもいいやつなんだ。僕が初めてブライアン・ラッセルに会ったのは、ジョンとカールは覚えていると思うけど、1994年にシカゴにいた時だった。
僕は野球の練習をしていたんだけど、彼らは練習とシュートアラウンドに来ていて、僕はあいさつをしたんだ。この時、僕はバスケをプレーすることも戻ってくることも全く考えていなかったんだ。ブライアン・ラッセルは僕のところにやってきてこう言った。「なんで辞めたんだ? 僕が君を守ってやれたのに。もし君がショーツを履いている姿を見ることがあったらな」これ覚えているかい?ジョン。
(観客 笑)
だから1995年に戻ると決めて、96年にユタでプレーし、僕はセンターサークルのあたりにいて、ブライアン・ラッセルは僕の隣に座り込んで、彼を見ながら言ったんだ。「1994年にした会話を覚えているかい? 君が、僕を守れる、僕を止められる、僕と対戦するのが大好きだって言ったんだ。そのチャンスをつかめそうだぞ」ってね。
その日から彼は自分のチャンスをつかんだんだ。彼がどのくらい成功したのかは分からないけれど、彼は彼のチャンスをつかんだし、この日からもし僕が彼がショーツ履いている姿を見ることがあったら、彼のところに駆けつけるよ。
もうみんな行かなきゃいけないよね。友達に言っていたのよりもだいぶ長くここにいたかな。泣いちゃったね。ただ一言「ありがとう」とだけ言って去る予定だったのに、そんなことできなかった。
最後に、バスケっていうのは僕のすべてだった。僕の逃げ込める場所だった。安らぎが必要な時にはいつでも行ける場所だった。いつも痛みをともなう原因であり、楽しいとか満足っていう強い気持ちの源だった。
そして誰も想像もつかないようなものだよ。時間とともに、発達してきた関係で、試合に対する素晴らしい尊敬と愛情を与えてくれた。僕が自分のキャリアの中で、予想も想像もできなかった方法で、何百万人もの人々と情熱を分かち合える場所を与えてくれた。
僕が関わってきた何百万人もの人々にも、楽観主義や大変な仕事を通して達成できる欲望、忍耐力、そして前向きな姿勢が与えられていたらいいと思う。僕がこのバスケットボールの殿堂に入るという最高の名誉を与えてもらったにも関わらず、今でもバスケとの関係に明確な答えを出せないでいるんだ。
それはきっと単純に、ずっと昔に始めた何かを続けることだと思う。いつか僕が50歳でプレーしている姿を見ることがあるかもしれないね。
(会場 笑)
おいおい、笑わないでくれよ。絶対ないなんて言えないだろ。限界って言うのは、恐怖と一緒で単なる幻想に過ぎないんだ。
本当にありがとう。
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