2024.10.10
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Stanford Graduate School of Business Sequoia's Neil Shen to Entrepreneurs: "Follow Your Heart"(全2記事)
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司会:ニール、GSBへようこそ。
ニール・シェン氏(以下、シェン):今日はお招きありがとうございます。
司会:本日最初のゲストということでとても楽しみです。先ほど紹介があったように、あなたは国際的に素晴らしいキャリアを展開されています。今から40分、起業家としてそして投資家としてのあなたのこれまでの軌跡をお話いただきますが、今日勢いのある中国市場についても是非お伺いしたいです。お話を伺ったあと20分間会場にいらっしゃる皆さんから質問をお受けする予定です。
では早速、よろしくお願いいたします。ニールさんは中国で生まれ育ち、1989年にアメリカにいらしたのですよね。当初の渡米目的は数学でPh.D課程へ進むため、そしてその1年後にMBAを目指すことに決められたのですよね。現在成功されているあなたがMBAを目指したというお話はここにいるMBA課程の学生の皆さんの励みになりますね。
シェン:当時はMBAではなくMPPMと呼ばれていました。これはMBAのような学位で、と人には説明しています。多くの場合これがどんなものかを長々と説明することになってしまいますので(笑)。
司会:そうでしょう。MBA取得後すぐに銀行で勤められていますよね。1999年に時間を戻していきましょう。1999年、あなたは銀行の世界に入って8年目、ドイツ銀行で中国の資本市場を担当し、非常に成功していましたよね。
そんなあなたは、その年に2つ大きな決断をされました。1つめは銀行の世界を離れあなた自身のビジネスを始められた。2つめには中国に戻るという決断をされました。当時どうしてその決断をしたのかについて教えていただけませんか?
シェン:まずはなぜ中国に戻ろうと思ったかです。私は4年制大学を卒業後中国を離れましたが、常に中国のために何かをしたい、中国に関わることをしたいと思っていました。上海交通大学を卒業後の私にとっての最善の選択肢はアメリカへ渡り学ぶことだったと思います。
しかしニューヨークに滞在中「自分が中国人であるということ、中国での経験を生かして何かできないだろうか?」と常に考えていました。1992年、1994年に中国に戻り、資本市場発展プロジェクトに関わるチャンスがありました。
アメリカやで学んだ学生やアメリカで職務経験のある人々は、大企業のアジア市場担当になることが多いです。もちろんこの私もそうでした。
中国に戻ると、私が中国を離れた1980年代と比べて非常に変化したと感じ、とてもわくわくし、中国で何かできるのではないかと考えました。しかし1994、95年あたりは、いわゆる経済再生はほぼ大企業周辺、特に国有企業でのみ起こっていました。
真の変化は1990年代終盤、民間企業が経済発展に多大な影響力を持ち始めた頃に起こりました。中国の投資銀行の世界で働き始めた時の顧客と言えば中国の大企業、例えば中国銀行などでした。
しかし後に民間企業にも融資する機会を見出し始めました。それが私にもチャンスがあるかもしれないと考え始めたきっかけです。当時、起業する、「アントレプレナーシップ」という概念は一般的ではありませんでした。「私のような人間には起業することを考えるなどとんでもないことだ」と思っていました。
起業するには多くの資本が必要ですし、中国での民間企業の第一波は大抵生産業だったり、国有企業が民間になるケース、または不動産開発業だったからです。それらの企業は、まずは経済発展に貢献する産業をし、その後その他の産業にも進出するというパターンでした。
私のように多くの資本を持ちえない人間には、起業しようと思ってもなかなか難しいことでした。しかしそれもインターネット普及によって大きく変化しました。アメリカからヒントをもらったことに感謝しなければなりません。学生時代の友人の多くがシリコンバレーのテクノロジー企業で勤めていたので、シリコンバレーには頻繁に足を運んでいました。
1998年から2000年の間、シリコンバレーを訪れる度に大きな変化を感じました。オラクル、SAP、IBMで勤めていた人々がインターネット企業に転職したのですね。
フリーウェイ101を走っていると、そのそばに立っている看板広告が大企業からインターネット企業に代わりました。アメリカの人々の生活や仕事がインターネットによってどんどん変化する様子を感じずにはいられませんでした。そこで私は自然と「アメリカでこのような変化が起こるのであれば、中国だって変わるはずだ」と考えました。
中国でのインターネット起業の第一波はアメリカの成功モデルから影響を受けています。資本がベンチャーキャピタルを使ってビジネスを成長させていくというモデルです。私の最初のベンチャーであるCtripもまさにそうでした。Expediaはとても成功していた、彼らが旅行業界をあんなにも変えるのであれば中国でも同じことができるはずだと思ったのです。そうしてCtripは1999年に始まりました。
実はこれは非常に難しい決断でした。もし私がソフトウェアエンジニアであったのであれば、Ctripを始めるのもそれまでのキャリアの応用であったでしょう。しかし私は銀行家でした。銀行家の仕事は企業と合併の話を進めたり、負債の融資をしたり、IPOの話をしたりすることですが、Ctripを始めるということは、私が完全に未知の世界に飛び込むことを意味したからです。非常にベンチャー的でした。
しかし、「もしこれが上手くいかなければ、また銀行家に戻ればいいや。またドイツ銀行が雇ってくれないとしても、他の銀行に職は必ずあるはずだ」という考えが救いでした。
今から思えば、それはあまりよい考え方ではなかったなと思います。起業するのであれば自分のビジネスを成功させるためにがむしゃらに一本道をいかねばなりませんからね。他の道も残っているからいいや、というのは甘い考えです。成功しなかった場合の代替案を残しながら起業すべきではありません。
でも私はそうして起業してしまったのですがね(笑)。成功するとは思っていましたが、もしダメなら他に職はいくらでもあると思ってね。
しかしこのスタートアップに身を投じ始めると、他のことを考える余裕はまったくなくなりました。始めたビジネスを成功させたいですからね。毎日毎日生き残るために必死でした。最初の2年はビジネスモデルを確立させようと昼夜働き詰めで、他の可能性など考えることもありませんでした。
こんなことがありました。ドイツ銀行を辞める時、私のボスであるアジア資本市場のトップが私に「ニール、あと4か月だけ辛抱してみないか?」と言いました。私は「なぜあと4か月なのですか?」と聞きました。
ちょうど、当時新しい通貨であるユーロが主要通貨として導入された時でした。私は確定利付債券を担当しており、中国の財務省とは長年付き合いがありました。中国の財務大臣はユーロ公債を設立しようとしていました。
そこで私のボスは「こんなに長年の間やってきたのだから、中国財務省がユーロ公債をローンチするのを見届けたいとは思わないかい? 君の国に貢献できるのだから素晴らしいと思わないか? あと4か月だけ待ったらどうだろうか」と言ったわけです。
起業パートナーたちに相談してみましたが、「そんな4か月も待っていられるはずがないだろう。起業はスピード勝負、4か月先にどうなるかは誰もわからない」と言われました。
2000年春まで待つのは止めて、1999年の年末に銀行の仕事を辞めました。その決断を後悔したことは一度もありません。なぜならその公債が始まったのは結局2003年となったからです。
しかも、ユーロ下落については皆さんご存知でしょう(笑)。ユーロが下落し、中国財務大臣はローンチを渋り、最終的に実現は2003年となったわけです。
その後しばらくして私がCtripの独立取締役になってからあの時のボスに会って言いました。「あの時4か月待っていたら、それは10か月になり2年になり、Ctripが誕生することはなかったでしょうね」と。
皆さんが本当に何かをしたい、心の声が呼んでいる、と思ったらすぐさまそれに取り掛かりましょう。それが起業するということです。
司会:もし成功しなければ銀行にまた戻ればいいと思ったというお話がありましたが、実際Ctripは成功でしたね。興味深いのは同じ時期に成功させたのはCtripだけではなかったという点です。
あなたは2002年にHome Innsを創設、現在それは中国で最も大きなホテルチェーンの1つとなりました。300以上の異なる街に3000件以上のホテルがありますね。さらに4年間NASDAQに上場しています。成功の秘訣はなんでしょうか? 起業家としての成功の鍵となったことがあれば教えてください。
シェン:一度ビジネスの世界に入ると、その業界のことがよくわかるようになります。私はCtripを始めてからホスピタリティ業界のことをよく理解できるようになりました。
例えば、中国の旅行会社はITシステムにおいて非常に遅れているということ、そしてビジネス自体、または最終目的地にお客様を招くのにも、どこを取っても中間業者が多すぎるということです。
1つだけ問題を提起するというよりも、業界の中で何が起きているのか、この業界とはどういうものなのかがわかるようになります。
Ctripを通じてわかったことはホテル業界自体が非常に遅れているということです。例えばアメリカにはいわゆるビジネスホテルと呼ばれるもの、エコノミーホテルと呼ばれるホテルチェーンがありますね。しかし中国では2002年、2003年当時それがほぼ皆無であったと言えるでしょう。お客様の特別なニーズに応えるホテルが中国には無いという事実を知りとても衝撃を受けました。
Home Innsを始めた当時会社がどこまで成長できるか少し不安がありました。それは各ホテルが100から150部屋という比較的小規模なものであったことと、中国が我々の仕掛けるものを受け入れる準備ができているかという点です。
ここでもまたアメリカからヒントをもらいました。旅行会社を訪問するためにダラスに滞在した時──ダラスは旅行会社のハブですので──空港に到着し、そこで車をレンタルし空港からダウンタウンまで運転していきました。
夜9時頃だったでしょうか。空港からダウンタウンまでの20分〜30分程度の間に15ほどの異なるエコノミーホテルチェーンがありました。それ以外も合わせると約25件ほどのホテルがありました。ダラス郊外からダウンタウンまでに約25件のホテルがある。つまり市場規模は中国ではまったく問題ないという意味ですね。
(会場笑)
もちろん3000件ものホテルを中国に持つことができるようになるなど想像もしていませんでした。これは我々が努力した結果、そして競合他社が努力した結果です。市場は間違いなくそこにあります。需要は非常に大きいです。我々の仕事はお客様に使っていただくための商品をつくることです。
司会:PhDからMBAへ、銀行家から起業家へと様々な方向転換がありましたね。2005年にあなたは起業家から、起業家をサポートする起業家へと、また新たに大きな決断をされました。
あなた自身のファンドをつくることもできたでしょうに、アメリカで確立されているセコイアのフランチャイズとしてファンドを始められました。このように国際的ブランドを中国に導入されたのにはどんなお考えがあったのでしょうか?
シェン:まず初めに、PhDに進みましたが学位は取得していませんし、その後MBAというのもMBAではなくMPPMで、そこから銀行家となったわけですが、当時はあまり選択肢がなかったのです。
皆さんはとてもラッキーですよ。特に中国から来ている学生は。最初にニューヨークに到着した頃、すぐにビジネス・スクールに入れるとも思っていませんでしたし、ビジネススクールそれ自体にもあまり選択肢がありませんでした。しかもインターンシッププログラムも少なかったですから、自分に一番向いているものを探すということが難しかったのです。
私がこれまでの決断を下してきたのは、当時それぞれに可能性を見出したからです。そしてその当時のトレンドも影響しています。中国はどんどんグローバル経済へと発展していくというのがこの20年、30年のトレンドです。恐らくこのまま20年ほどこのトレンドは続くでしょう。
ベンチャーキャピタルについてですが、7年間銀行に勤め、6年間起業家としてやってきましたが、私は後に投資の方向へいくだろうと常に思っていました。それはファイナンスのプロとしてと起業家としての経験を生かすことができるからです。恐らく私に向いているのではないかと思います。
もちろん、こうなるだろうと常に計画を立ててきたわけではありません。まずは銀行家をやってから起業家となり、その後ベンチャーキャピタルへ、なんて考えてもいませんでした。Ctripを始めた時は何とか生き残れれば、なんとか成功できれば良いとだけ思っていましたし。
「この経験はベンチャーキャピタリストとして後に生きるだろう」などとは思ってもいませんでした。自分の道を進むうちにこうなりました。もちろん私自身、Ctrip時代に個人的に投資してきており、その中のいくつかはとてもうまく行っています。
しかし、私のこれまでの経験を最大限に生かしたい、それと同時に何かに投資したい、そしていわゆる新経済に貢献したいと考えています。もちろん私自身で投資することもできますが、それではセコイアと協力するのに比べてスピードが遅いだろうと思います。そしてセコイアのようなファンドが、この40年間にどのようなことをしてきたのかを学びたいとも思っています。
シリコンバレーには多くのファンドがありますが、セコイアは恐らく中でも最長で、さらに現在でもトップクラスのファンドの1つであると思います。最も難しいことは、恐らく投資をするために資金を集めることではなく、サステイナブルなビジネスを生み出すことだと考えます。
私にとってセコイア・チャイナは新たな挑戦です。1つ2つ素晴らしい投資をするのは簡単です。しかし、いかにチームを結成するか、いかにビジネスをサステイナブルにするか、Ctripでやってきましたが、これが難しいポイントだと思います。
10年経ちましたが、この決断をして本当によかったと思います。多くの起業家がセコイアのポートフォリオとなりCEOへと成長しましたから。それ以上に10年前はたった3人のチームであったのが、現在では12人のパートナーがいます。
そして我々は中国内で最も重要なセクターをカバーしており、中国を率いる多くの企業に投資しています。これはたった1人で成し遂げようとしてもできなかったでしょう。皆の力があってこそ実現することができました。
司会:それについてですが、この10年のセコイア・キャピタル・チャイナの業績は素晴らしいですね。中国を率いる大手企業のほとんどすべてに投資していると言えます。人はあなたを石を金に変える「中国のミダース」と呼んでいますよ。何があなたを投資家として、特に中国で成功させたと思いますか? 秘訣を教えてください。
シェン:ベンチャーキャピタル投資とは、常に後悔と隣り合わせです。もちろん投資した多くの企業は成功していますが、それと同時に後悔した投資もあります。間違いを犯したと言えるでしょう。
しかし、人は間違いから学びます。そして毎年改善しようと努めるのです。もう1つ重要なのは、米セコイアを考えてみると彼らの歴史は48年、長期に渡り成功を収めてきました。
例えばオラクル、シスコ、アップル、グーグル等です。その理由のひとつは彼らが主要トレンドを抑えてきたことです。そして良いトレンドに見えても実際は続かないトレンドに対しては「ノー」を言ってきました。これがセコイアが成功してきた秘訣であると思います。
中国を拠点とする我々が成功しているというのであれば、それもまたトレンドを正確につかんでいるからでしょう。
7年前のことです。我々はeコマースに着目し投資すべきであると決めました。当時我々は、Eコマースが中国で非常に重要な役割を担うことになるだろうと読んでいました。アメリカの小売店よりも中国のeコマースが力を持つようになるのではないかと。
そして我々は約15の中国のeコマース会社に投資しました。もちろんその中のいくつかはあまりうまくいきませんでしたが、我々は中国のeコマース業界トップ6の企業を抑えることができました。
O2Oについてもまったく同じことが言えます。アメリカではO2Oはあまり大きなチャンスではありませんが、中国では非常に大きなチャンスでした。これを掴むことが非常に重要であると考えました。じっくりと研究し、12から15の企業に投資、そして中国のトップ4の企業を掴むことができました。
これが成功する企業の投資のやり方だと思います。願わくは他の人々よりも早く市場のトレンドを掴み、狙ったセクターに多くを投資するのです。
アメリカでも同じです。40年前の米セコイアはコンダクターに着目しました。そしてその後はパーソナルコンピュータを扱う複数企業に投資。その後はソフトウェア企業へ。インターネットが広く普及する頃には複数のインターネット企業に投資。その後はモバイルインターネットに投資。これが良い投資家のやり方であると思います。
もちろん失敗をすることもあります。ある特定の人物やビジネスモデルへの見解が間違っていたり。それでも良いのです。必ず失敗はしますので。失敗はしても、主要トレンドを抑えれば成功することでしょう。
これは時にはある特定のセクターに「ノー」を言うことでもあります。7、8年前に「クリーンテクノロジー」がアメリカでも中国でもバズワードになりました。
幸運なことに、アメリカのパートナーも中国のパートナーも、この分野はそんなに成長しないだろうと読みました。これに関するベンチャーキャピタルやプライベートエクイティに投資し、多額の時価総額を生み出すのは容易ではないと彼らは判断したのです。そして結果、その通りになりました。10年後、当時この分野で成功していた企業を覚えている人は誰もいなくなりました。
繰り返しになりますが、このように思わぬ落とし穴にはまらぬようにすることが大切です。この事業に資産の3分の1を投資している企業もありますが、彼らは最終的にその分野の多大な成長は見込めないと知ることになりました。これは非常に重要なポイントです。決断が高くつくこともあるということです。
企業は必ず間違いを犯すという点についてですが、9年前、我々は動画ビジネスに関心がありましたYouTubeで成功しているトップの人々をピックアップしてみました。色々調べて手を尽くしてはみましたが、結局この種のビジネスは投資するには値しないという結論に至りました。
このようなことは常に起こります。例えば特定の起業家を良い風に誤解する。動画ビジネスの件では、創設者が実はマーケティングに弱かったということがありました。しかし動画共有サイトでは、マーケティング能力が不可欠です。確実に成功するだろうという企業を1つ見つけ出すよりも、大きなトレンドを掴むことが重要です。
司会:最近のトレンドはどんなものでしょう? 今中国で注目していることは何ですか?
シェン:2年程度のサイクルで新たに画期的なテクノロジーが生まれていると思います。アメリカでの過去5年間のトレンドと言えばビッグデータ、ソフトウェア関連でしょう。しかし中国では、まだあまり普及していません。これが今後中国でも注目されていくのだと思います。
ビッグデータやソフトウェアに関して言えば、アメリカ、シリコンバレーから中国への出戻りである私は、中国で仕事をする上で有利かもしれません。ソフトウェアやビッグデータに関して、現在の中国は5、6年前のアメリカと同レベルであると考えてください。大きなチャンスだと思います。
コンシューマーインターネットで勝負しようとすると、いわゆる「地元企業」には勝てません。なぜならコンシューマーインターネットの世界では文化的要因が非常に重要になってくるからです。ユーザーをよくよく理解せねばなりません。アメリカ生活が長くなるとそれができなくなってしまいます。
しかしエンタープライズ分野では、テクノロジーの重要性の比率が上がります。アメリカで長くこの分野で仕事をしてきた中国人は、中国で非常に重要な役割を担う可能性があります。
他にはロボット産業や人工知能も重要ですが、そういった重要なセクターではどれも中国はアメリカに遅れを取っています。しかし中国にも国内企業が自身のテクノロジーを発展しているケースもあります。
DGIがその一例です。彼らはドローン産業の中でトップを走っています。なので中国でも興味深い動きが起きています。中国国内企業の中にはアメリカの企業よりも進んだことをしているものもあるのです。先ほども言った通り、数年ごとに興味深い産業のチャンスが生まれています。
中国でのチャンスはアメリカでのそれよりも大きいと思います。中国はアメリカに比べて生産性の点では非常に遅れを取っています。これが、eコマースがアメリカより中国でのほうが大きいビジネスである理由です。O2Oも同じです。
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