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『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)刊行記念オンラインイベント(全5記事)

「叱られて育った人」が「叱る人」になる連鎖の背景 依存症の専門家と考える「叱る依存」の予防法

紀伊國屋書店にて、『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)刊行記念オンラインイベントが開催されました。著者の村中直人氏と、ゲストに精神科医・松本俊彦氏を迎え、誰もが陥る可能性がある「叱る依存」について語られた本イベント。本記事では、叱る側・叱られる側それぞれにある「成功体験」について、叱る依存への対応法・支援法・予防法が語られました。

「叱る依存」に対する2つのアプローチ

松本俊彦氏(以下、松本):さっきからめちゃくちゃ質問が書き込まれていないですか?ちょっと早めに質問に入ったほうがいいかもしれないですね。

司会者:じゃあ、少し早めに質疑(応答)の時間に入らせていただきます。本当にたくさん今、チャットに質問を入れていただいているんですが、まず1つご紹介します。

本書でも「心理的虐待」を取り上げていますが、そのような場面に日々遭遇されているという、児童相談所の心理士の方からのご質問です。「『身体的虐待や性的虐待に比べて、心理的虐待は軽く捉えられがち』というお話があります。心理的虐待を行っている大人は、『相手が悪いから叱る』『叱れば反省して直る』と言い張る人が多いです。

『子どもにはマイナスにしかならない』ということを繰り返し伝えても、『叱ることで行動変容を促せた』という成功体験にすがっていて、虐待の認識に至りません。そういう相手には、どのようなアプローチが有効でしょうか。何かヒントや実体験があれば、先生方に教えていただきたいです」ということです。

事前にいただいた質問にも「『叱ることに依存している』という自覚がない人に、どのようなアプローチをすればよいか」「自分が叱ることに依存しないためには、どのような有効な手立てがあるか」といったものがあります。

『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)

松本:「叱る依存の対応法」あるいは「支援法」。それから「予防法」ですね。僕は「先生の著書をさりげなく、叱っている人の机の上に置いておく」しか思い浮かばないですね。(先生は)どうですか? ぜひ教えてください。

村中直人氏(以下、村中):ありがとうございます(笑)。大きく2つ(観点があります)。まさに『〈叱る依存〉がとまらない』の終盤に書いたことなんですが、「社会全体に対するアプローチ」と「個別なアプローチ」に分けて考える必要があると思うんですね。

「社会全体」に対しては、「処罰感情というのは、叱る側の快楽らしいよ」「ネガティブ感情で相手をコントロールすることは、あまり役に立たないらしいよ」ということを社会通念として、いかに常識にしていくか。堀を埋めていくように、この流れを加速していきたいと思います。まずこれが1つですが、いただいたご質問はもう少し現場寄りですよね。

松本:そうですね。

「叱っちゃダメ」とは言わずに「ゆとり」とゲットしてもらう

村中:まず、どうすればいいか。そんな簡単な話ではないと思うんですが、まず気をつけなきゃいけないのは「叱る人を叱らない」こと。もうちょっと踏み込んでいくと、「叱るという方法を(その人から)簡単に取り上げない」こと。これがすごく大事だと思うんですね。

先ほどもお話ししたように、叱る人というのは、それが幻想であっても、即時的な成功体験のようなものがある。かつそれ以外の方法を何も教わっていない。その状態で「叱る」ことを取り上げられるということが、どれだけ怖いことで、反発心が芽生えることであるか。支援者の立場の方は、まずそこ(を知ること)が大事だと思います。

だから、「叱る」という行動をなんとかケアしたいと思ったとしても、外堀から埋めていく(必要があります)。「その人のリソースが奪われているから、アディクションが加速している」ということであれば、まずはちょっとした「ゆとり」をゲットしてもらうことがすごく大事です。

また、この本の中でも「ディフェンスモード」と「冒険モード」について書きましたが、ちょっとでもいいから、その人が「冒険モード」に入れるように支える。「じゃあ、(叱ってしまう相手の)子どもにこういうことをしてあげたらいいんじゃないか」と思えるようにお手伝いをする。

だから「叱っちゃダメよ」「叱らないようにしてね」「それ、役に立たないからね」という言葉は言わなくていい。「こういうやりかたはどう?」とか「こうやったらもう少し楽しく関われるんじゃない?」といった、保護者の方が冒険者モードになれるような関わりかたをするのが、たぶん基本になると思います。

叱る依存からの脱出で目指すべきは「叱るを手放す」状態

松本:お聞きしていると、私がやっている依存症に関する「ハームリダクションアプローチ」と、すごく似ていますね。

村中:そうだと思います。

松本:例えば「生きるために、今は薬やリストカットが必要」という人に、いきなりこれらを取り上げてしまうと、かえって事態が悪くなるかもしれない。だから、いろんなサポートをしてあげたり、別の提案をしたりということですよね。いいと思いますね。

村中:はい。わかりやすい言葉だと「叱っちゃダメだ」と我慢しているうちは、まだまだなんです。だから「気がついたら、叱らなくなっていた」という(状態にする)。これを、本の中では「叱るを手放す」という言葉で表現しています。

「叱ることがそもそも必要ない状態」に、どうやってするか。そういう発想の切り替えが必要です。それは外部から支援する場合でも、ご自身が叱る依存から脱出したい場合でも、大事だと思います。

20年前の社会をベースにした「あるべき姿」を疑い続ける

松本:予防という点では何かありますか?

村中:はい。日々私も予防をしているわけですが。予防に関しては、実体験なので技術でもないんですが、「あるべき姿を疑い続ける」ということが、基本中の基本だと思います。

私も、小学生の息子を持つ親の立場としてすごく思うのは、10~20年前の社会だったら、子どもが20年後に大人になる時を(想定して)「こういう社会になるから、こういうことを身につけておかなくちゃいけない」みたいなことが言えたと思うんですよ。(それが、今は)もうたぶん、言えなくなっているはずなんですね。

特に令和の時代、コロナ禍になって、ここから10年後の社会がどうなっているかなんて誰も予測できない。それなのに、なぜだか20年ぐらい前の社会をベースにした「子どもはこう育たなくちゃいけない」という思い込みで、「これができないなんてダメでしょ」と言っちゃっている。

偉そうに言っていますけど、私自身もやっぱりそういうところがあるなと思います。「これを身につけるべき」「これをやっちゃダメ」「これがこの子の役に立つ」という、自分が信じている「あるべき姿」は、そもそもどこまで妥当性が高いのだろうか。

「それは本当にあるべき姿なのか?」ということを問うてみる。これが、予防の基本中の基本で、それを問い続けていると、あまり叱るモードにならないんですよね。ちょっと子育てに寄った話になってしまいますが。

「ゲーム依存」から考える、20年前のままの大人の姿

松本:なるほど。先生のおっしゃることはわかるような気がします。例えば、子どもの(ゲームやパソコンに関しても)親たちは20年前の感覚なんですよ。SNSとかパソコン、タブレット、スマートフォン、この20年で劇的に進化していますよね。

村中:そうですね。

松本:だから(親たちは)「子どもたちがしょっちゅうゲームしている」「パソコン触っている」と言う。コロナ禍で学校に行っていないから、子どもたちの姿を見る機会が多くてカリカリしている。それで「ゲーム依存だ」なんだって来るんです。本当にゲーム依存の子たちもいるけど、残り半分は親がうるさいだけ。だから、子どもたちに「ゲームする時にはイヤホン着けな」って言うんです(笑)。

村中:(笑)。

松本:そういうこともあるので(笑)。

村中:なるほど。

松本:実は大人の側が20年前のままなんですよね。

大人が気をつけるべきは「依存症ビジネス」

村中:今おっしゃっていること、すごくよかった。一方で、親の立場でも心理士の立場でも、気をつけなきゃいけないのが、いわゆるアディクションビジネスというか、「依存症ビジネス」というものがある。

あの手この手で人をハマらせる目的の、魅力的なコンテンツが大量にあります。それこそNetflixから何から、全部そうですけど。パチンコなんかもそうだと思うんですが、ある種人間の弱みというのか……。

松本:射幸性ですかね。

村中:そういうところを刺激していますよね。すごく賢い大人たちが、ハマらせるために設計しているものがたくさんあることも事実です。そことの「距離の取り方」は、バランスよくやっていきたいなとも思うんです。

松本:そうだね。20年前は、そこまで気を遣わなくてもよかった。でも、今はそれに対するリテラシーも必要になってきていますね。

村中:そうだと思います。ものすごく巧妙になっています。先ほど「脳神経科学を自力で学んだ」という話をしましたが、支援現場では脳神経科学の最新の知見はなかなか入っていかないのに、ビジネスの領域ではどんどん入っている。なぜなら、儲かるからなんですよ。

どんどんどんどんハマってもらう。「アディクトしてもらうためには、どうすればいいのか」という技術が、どんどん高まっているのは……。

松本:脳神経(科学)を熟知しているからなんですね。

村中:はい。そこをジャックすることに長けているものが、たくさん出てきている。だから、そこはおっしゃるように、20年前にはなかった「大人が気をつけなきゃいけないポイント」です。

とにかく変化の激しい時代です。「『時代の変化』や『もともと持っていた常識』をどれだけどんどん突き崩していけるか」ということが、実はダイレクトに叱る依存の予防につながる気がしています。

松本:ありがとうございます。

「いろいろな意味でのゆとり」の「いろいろ」が指すもの

司会者:今、お話の中で「ゆとり」という言葉が出ましたが、次のような質問がありました。「本書の中に『人が本心から変わろうと思うには、少なくとも自分を受け入れてくれる仲間と、いろいろな意味でのゆとりが必要』という記載があり、そこに共感しました。

『変わりたい』『成長したい』という気持ちは、自発的でないと育んでいけないし、他人から押し付けられたものは、いつかは行き詰まりますよね。いろいろな意味でのゆとりの『いろいろ』について、もう少し詳しく教えてください」ということです。

松本:鋭い質問だね。

村中:そうですね(笑)。先生、いかがですか?

松本:僕も文章の書き手として、ついうっかり気を抜いてごまかすことがありますが、そこを突いてくる読者(笑)。

村中:鋭いですね(笑)。「いろいろ」としておいたところを(笑)。

松本:やっぱり孤立がよくないことだけは確かですよね。仕事に困った時に気軽に相談できたり、自分の失敗を話したりできる場所(があること)。そこに、業務評価とは関係ない仲間がいるということは、「いろいろ」の1つだと思うんですね。

村中:そうですよね。「いろいろ」とお茶を濁してしまったことの1つとしては、日本は今、経済的な問題もすごく厳しくなっている。それで経済的な問題があると、時間的余裕も奪われて、時間的余裕が奪われると体力が奪われて、そういう連鎖の中ですごく生きづらさを抱えている方が多くて。

そうした状況は、叱る依存と非常に親和性が高いんですね。私が「いろいろなゆとり」と書いたのはそういったところです。

孤立を解消する「半径10メートルの社会適応」

村中:一方で、「仲間」と書いたのは、先生がおっしゃるように、フラットにすぐつながり合える仲間の存在がすごく大きいと思ったからです。

支援活動とはぜんぜん違うんですが、単純に私、発達障害の自閉スペクトラムにものすごく関心があるんです。ADHDもそうなんですけど、特に自閉スペクトラムに関心があります。それで最近は、自閉スペクトラムの成人当事者の方々と「自閉文化を語る会」という名称で定期的にディスカッションを行っているんですね。

これは、みなさんを支援しようとかいう場でもなんでもなくて。「単純に自閉文化を語りたい」という自閉スペクトラムの当事者の方々に、私が混ざり込んでいるんですけど、まあ楽しい。

あの感覚は何なんでしょうね。別に世の中に対する恨みつらみを言うでもなく、「自分たちはすごいんだ」と言うわけでもないんです。そこはフラットに「多数派と私たちって、こんなところが違うよね」「こういうことを私たちは『文化』と言ってもいいんじゃない?」みたいな話を、ただただ語るんです。

私自身もすごく楽しいし、参加してくださっている多くの方々も「楽しい」と言ってくれている。

これは叱る依存とは直接つながらないんですが、こういう場を私は「半径10メートルの社会適応」と呼んでいて。(そういうものを)どこかに1つ、2つ、3つ持っていると生きていけるというか、多少のことがあっても何とかやっていける。そういう感覚が強くありますね。

松本:職場でもないし家庭でもない、第3の場所みたいなものがあればいいなと思います。でもその一方で、コロナ禍では同僚とちょっと飲みに行ったりすることも少なくて。もちろんオンラインでつながることもできるけど、やっぱり人が孤立を解消するためには、3密と不要不急の外出が必要なんですよね(笑)。

村中:それはあります(笑)。今日も先生とこうやって、ガラス越しではありますけど対面をさせていただいてすごくありがたいです。

「叱る依存」に、世代間連鎖はあるのか?

司会者:ありがとうございます。質問を2つ読ませていただきます。「叱る依存の世代間連鎖性について、教えていただければと思います」というものと、「今までの経験が故に考えを変えることができない、叱るという行為をやめられない人は、自分を見失う恐怖に目を背けるために叱ってしまうのでしょうか?」というものです。

本の中では、「叱られて育ってきた人が、叱るという方法しか知らない可能性がある」と言及されていました。「世代間連鎖」や「経験が故に考えを変えることができない」ということについて、(ご回答)お願いします。

村中:ありがとうございます。前提として、何かの調査をして「世代間連鎖が起きています」というエビデンスがあるかというと、ないんですね。ただ、私が今まで関わってきたケースや、手に入るいろんな情報から考えると、それはかなり高い確率で起きているだろうと思います。

(世代間連鎖からの)脱出に関しては、私自身ももっと学びたいですね。すごく深いところまで叱る依存状態に陥ってしまった方は、どんな手助けがあれば、またどんな流れがあればそこから脱出できるのか。私自身もそこがすごく知りたいし、今後取り組んでいきたいんですね。そこは逆に、松本先生のご経験から教えていただきたいと思います。

松本:たくさん叱られた、あるいは虐待を受けて育った子たちには、2種類のタイプがいます。「暴力的なことがすごく嫌だ」「絶対ああいうのはやりたくない」という子たちもいるんですよ。その一方で、加害者の信念にほとんど同一化して、同じように加害的なことをする子たちもいる。

何が違うのか。叱られることでダメになっちゃって、苦しくなっちゃって、支援とつながって、いろんな人に助けられた人は「ああいうふうになりたくない」と思う傾向があります。

「叱られることで成功した人」の難しさ

松本:一方で、逆に叱られることで成功しちゃう人もいるんです。「あれがあったから今の俺がある」みたいな。それが怖いんですよね。その人たちは成功しているから支援につながらない。だから本当にこれは難しいなと思っているんです。

その人も、そういうふうに思って生きてきたんだけど、ある時期メンタルヘルスの問題を呈したり、鬱になったりする。その時に変われるチャンスがやってくるんですね。

あとは、周りがその人を傷つけないように、叱るという行動をいきなり取り上げずに、どうやってその人を孤独感から救ってあげるのか。風前の灯になった自尊心をちょっとだけ支えてあげて、安心して弱音を吐けるような状況を作っていくのか。このあたりは、かなりいろんなスキルが必要になってくると思います。

村中:そうですね。叱られることで、本当にがんばって、成功してしまったという表現がいいかどうかわからないですが、成功された方がいます。この本の中でも「生存者バイアス」という言葉で表現をしましたが、これは本当に難しい問題ですよね。

ご本人の、その成功体験を否定するのも、なんか違う気がするんですよね。でも、だからといってその成功体験を他の人に感化してほしくない。そういう難しいバランスがあります。

司会者:ありがとうございます。

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