2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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武田徹氏(以下、武田):で、この後、論点になっていくのは『美味しんぼの話』ですよね。もう福島には住めないというような内容を雁屋さんが漫画で書いて、それに対して地元から反発があるのは、それも愛郷心的な枠組みの中での反発かなと思っていて。
というのも雁屋さん自身は日本に住んでないのですよ。物理的だけでなく、精神的にも国民国家の外にいようとしている人なので、福島に住まなくてもいいだろうという結論を出してしまったのだと私は思っています。
彼のそうした態度に対して、福島の被曝量は移住する必要があるほどのものではないと科学の主流の立場から指摘するのはその通りだと思うけれども、美味しんぼ問題の本質的な部分は、国民国家的な場所に軸足を置く立場、あるいは愛郷心をもって福島に足場を置き続ける立場と、そうしたこだわりはなくて外に出られる人の言論との齟齬だったのではないか。
要するに科学的正しさを主張すれば済む問題ではなかったように思うんですが、そこはあまり意識されていなかった。開沼さんはどうですか。
開沼博氏(以下、開沼):おっしゃるとおりです。国民国家への立ち位置のズレという観点ではすぐにお答えできないんですが、間違いなく美味しんぼ問題の議論の立て方は非常に対象が矮小化されていたと思っていて、一方には科学的にはこうであるという話。現地の人も鼻血が出まくってるなんてことはないじゃないか、ふざけるなと怒る。科学者からはそんなことになるんだとすれば、とんでもない被爆をしているはずだという話がある。
他方では3・11後に元の住まいから遠方に自主避難した母親たちの中には鼻血が水道の蛇口をひねったように子供から出たという記憶を語り合う人たちもいるんだ。そういう言葉を弾圧するのかという、「言論の自由」論があった。
科学VS言論の自由。いずれも崇高な近代的理念ですけれども、問題はそういう話だけではない。そこに回収されない思いや考えの前提がいかなるものなのか見ていました。
開沼:でも、美味しんぼ問題が起こったときに私が一番最初に感じたのは、やっとこの問題が問題化されたということですね。社会学では「社会問題の社会学」というジャンルがあります。社会問題って、実は私たちが認識していなくても常にあるし、それに誰かがクレイム申し立てすることで、多くの人に意識化されてやっと社会問題になるんだと。そういうことを考えるジャンルです。
わかりやすい話で言うと、セクハラという言葉ができるまで「ちょっとお姉さん、お茶くんどいて」は当然のことであり、規範ですらあると思っていた人が社会に多くいたわけです。ただ「セクハラ」という言葉が多くの人に浸透することで、それがセクハラと呼ばれる問題ある行為なんだと理解されるようになる。つまり、セクハラという言葉ができたことによって初めてセクハラとして社会問題化したわけです。
その観点で言えば、美味しんぼの話が出るまで、結構大きなメディアでも普通に「鼻血が増えている」などと面白おかしいエピソードを、ろくに科学的な検証もなく「当事者の声」として書いてた事例は枚挙にいとまがないんですね。しらばっくれてますが。
背景には「これだけひどいことが起こっているよ、だから原発はだめだ」と言いたがる一部メディアのイデオロギーがあったわけです。イデオロギーの正当化・推進のためにはいくら現場を蹂躙してもいい。そういうメタな潜在的な問題がやっと顕在的に問題化されたのが、この4年目だったと思っています。
開沼:この社会意識の変化はいくつかの社会的な現象を同時に引き起こしつつある。例えば、東浩紀さんが2015年3月頭に朝日新聞で「福島の人は怒るべきです」と言って大炎上した事件があって、これも同じ構造でした。同じ構造というのは、主に原発嫌い、憎いのイデオロギーの正当化・推進のためにはいくら現場を蹂躙してもいいという態度への反発です。4年間溜まりに溜まったその反発が飽和し噴出しだしている。
先ほどの愛郷心の話とどれだけ繋げられるかわかりませんが、私はこれを「当事者の言葉」と「統治者の言葉」の問題として自分の中で整理しています。
例えば、「統治者の言葉」として、もちろん官僚的な体制側の議論もそうですし、一方で低俗な社会運動が抱える反体制側の議論もそうです。つまり、「被災者は早く自立しろ、賠償打ち切るぞ」という体制側の論理もそうだし、「福島なんかもう住めない。農家やめろ。そんなところからは出ていけよ」という論理も確実にコントロール=統治する者の眼差しですね。
一方、当事者目線の議論というのは、統治者の議論に比べるともう論理的に整理されてないし、倫理的にどちらが正義か悪か旗幟鮮明ではないし、ぐちゃぐちゃしていて、さっきの政治か生活かという枠組みでいうと根深く生活と結びついていて、わかりづらい。外から見たらもっとわかりやすいイデオロギーの話とか天下国家の話とか政治の話をしてくれよと言いたくなってしまう。
メディアに流れる情報、公共圏の中で可視化されやすい部分には統治者目線の議論はさんざん出るんだけれども、整理されていない当事者目線の言葉はなかなか出にくい。
それで、最初の頃は「統治者の言葉」が圧倒的に勝っていた。そこに時間をかけて整理されてきた「当事者の言葉」が拮抗するようになって、両者の葛藤が生まれてきた。
武田:『はじめての福島学』で、かなりの部分は整理がついたと思うんですよ。開沼さん自身もイベントでおっしゃってましたが、2014年がある種のピークになっていて、「勝負がついた」という表現を使ってらっしゃいました。
この本もまさにそこを整理されたわけですが、実証的に考えていけばおそらくこういう結果になるということがわかったし、かなり説得力のある形で示せたと思うんですよね。
でも、そうした整理からこぼれ落ちる余剰が、次に論点にならざるを得ない気が私はしていて、それは雁屋哲の美味しんぼ問題の、あるいは雁屋哲自身も気づいていなかった部分かもしれないですが、あの問題がきっかけになって吹き出してきたものが、次の議論の対象になっていかなければならないと思っていて。
これは開沼さんのほうが詳しいはずですが、2013年に実施された福島県の県民健康管理調査の「妊産婦に関する調査」で「次回妊娠・出産をお考えですか」に「いいえ」と答えた人の14.6パーセント(複数回答あり)が「放射線の影響が心配なため」という理由に印をつけていたそうですよね。
どうしてこういう結果が出るのかきちんと考えなければと思っていて、というのも福島に住んでいる人は科学的知識、たとえば広島、長崎で遺伝的影響は出なかったというような情報に触れる機会は多いと思うんです。普通なら「放射線の影響が心配」とはならないはずですよね。
にもかかわらず、こうした調査結果になったのは、放射線の影響はないという科学の説明を今は信じていたとしても、将来、もしも障害を持つ子供を産んでしまったときになおそれを信じ続けられる自信がないからではないか。
過去に何か悪いことを自分はしたのではないかとあれこれ考え、福島に住んではいけないと言っていたひとがいたことを思い出して、その言葉に従わなかった自分を責めてしまうのではないか。
そんな未来を予期して、今の時点で不安を覚えて「次回妊娠・出産」をやめるという判断が働いているケースもあるように思うんですね。
こうした心理的な構図があるとすると、科学的啓蒙にはどうやら限界がありそうだし、美味しんぼ騒動が不安を持続させてしまうことにもなると思うんですよ。
開沼:そうですね。おっしゃるような科学的啓蒙ではどうしようもない不安の問題は当然ありますし、意識調査をするとあらゆる形で出てくると。例えば、ある調査では、いまだに福島県内の市町村の首長が逃げたと信じてる人が住民アンケートで3割でてきたりする。
そんなわけがないんですが、あの当時の都市伝説的な噂として、ある自治体の首長は市役所にある公用車で福島空港に行き、愛人とドバイに逃げたって(笑)。いまもタクシー乗ると運転手さんが嬉々として語ったりしています。ちなみに同じ調査で、津波被災地では沿岸部でお化けが出るようになったと信じる人が1割越える。
そこに対して科学的には違うんだよと言う意味は、一定程度はあるし、一定以上はない。「脱走首長」やら「お化け」やら、「なんかが出たんだ! 信じてくれ!」と言う、そう言わざるをえないぐらいに混乱し、ストレスを感じ、自己嫌悪や他罰感情を抱えている人がい続ける時に、科学的なことを言うだけではだめな部分をどうしていくか。
ここに「統治者の言葉」で議論して決着をつけようと対処し続けても堂々巡りではないか。つまり、さっきの「科学VS言論の自由」のように、科学論争、あるいは政治的なイデオロギー論争を続けても対立は深まる。
開沼:ただ、糸口はあります。「当事者の言葉」を丁寧に聴き続けて整理していくことです。
例えば自主避難した方に話を聞いていると、ある瞬間何かのスイッチが入ったように、物凄い汚い言葉で政府・行政批判をまくし立てたり、非科学的な話を滔々と語り出したりする。
ただ、よくよく話を聞いていくと、家族で離れて暮らす無理が相当なものになっていたり、生活費がかさむようになっていたり、孤立感や社会的な地位・承認への不満・不安があったり、と言った問題が根底にあったりする。
だから、「支援」と言いながら生活の問題を見ようとせずに、なんでもすぐに政治問題にしようとするメディアや研究者、活動家がいますが、生活の問題の部分をどういうふうにケアするかということが重要だというのが科学的啓蒙が効かない不安への当面の対応策と考えています。
実際、そういう実践は様々な形ではじまっています。たとえば、一度県外に避難していた人の多くが県内に帰還しつつありますが、そういった方はなかなか地域にすぐに馴染めなかったりする。そういう方を対象にしたお話の会を定期的にやるような試みが始まっている。
そこでは放射線の話はもちろんだけど、それ以上に、自分たちの悩み、日常の困難があるのかということを話あっている。個々の問題はすぐに解決できないにしても、不安を共有し孤立感を緩和したり承認感を得ていくことで状況が改善する部分は大きい。
ただしこれはグラスルーツ的な話であって、トップダウン的なアプローチも不可欠だと思います。例えば、行政、メディアは、科学的にここまでわかったというものは一方では常に用意しておく必要がある。その両方の動きの中で不安をなくしていくことなのかなと思っています。
武田:不安を共有して支えあう日常的関係を作ることはもちろん正しいのですが、一方で議論をもっと一般化しなきゃいけないと思う面もあって、たとえば障害問題のより根本的な解決方法の模索を経由せずには、福島における障害への不安の問題も解決できないということも言えるでしょう。
そろそろ、そちらの方向での解決を意識する時期なのかなと思うんですよ。たとえば立命館大に小泉義之さんという哲学者がいらっしゃいますが、彼は『生殖の哲学』の中で、遺伝子改造などを含む優生主義的な方法を進めるべきだと言い出すんです。
なぜかというと、それらの技術は未熟なので障害者を世界に溢れさせる結果になるだろうと。そしてそのときこそ優生と劣性の価値観が転倒するのだと。
それはすごく逆説的な言い方であって、小泉さんはもちろんクローン技術を支持したいなんて全く思っていないでしょう。まさにある種のレトリックだとは思います。
彼がそんな論法を取ったのは、障害者差別は人類誕生以来の原罪とでもいうべき深さで構築された問題であって、障害者が多数派になるような、普通ならありえない逆転でも起きなければ解決されないと考えているから。
ただそんな小泉さんにしても、逆説的な言い方であれ、それを述べたというのは、その問題の深さに気づく人が増えることで障害の問題を少しは脱構築できる方向に進めるかもしれない希望を感じているからでもあるのでしょう。
障害問題自体を脱構築することこそ、将来、障害をもった子供を産んだ時に後悔するかもしれないと予期的に考えてしまう不安から逃れる根治療法になるはずです。3・11後、私たちは自分たちが障害への不安にこんなに怯えていることに改めて気づかされたのだから、この機会に本気になって障害問題を解体してゆくことに踏み出してもいいのではないかと思います。
私は先に話したように開沼さんと1年ぐらいは対談やシンポでよくご一緒しましたが、その後、私自身がそうした仕事から離れてしまって、何をしていたかというと『暴力的風景論』という本を出しました。それは明らかに3・11以後の日本社会のことを考えようと思って書いた話ではあるんですよ。
だから僕にとって、あれは一切福島のことは議論していないけど、もうひとつの福島論のつもり。個別の暴力の出現を、より普遍的な暴力の構造の中に位置づけて、つまり普遍的な方向にシフトさせて特殊な問題を解決しようとしています。うまく行った自信はないけど、そういう回路作りを誰かがやったほうがいいとは思っています。
武田:そのあたり、私とちがって一貫して福島に軸足を置かれてきた開沼さんにとっての問題意識を聞いてみたいですが。
開沼:その点で意識し続けているのは、まさに「福島を特殊化しないで普遍的な問題につなぐ」ということですよね。一般向けの講演では、「あなたの遠くにある問題と思って、無意識的に人ごと化しているかもしれないけども、足元を見れば地続きの問題なので、自分のこととして考えてください」という言い方をしています。
端的に言えば、なんでも原発事故のせい、放射線のせいにして済ませるような、福島で起こっている問題を特殊なものとして扱うありがちな態度を、現実にあわせていくことです。
例えば、「福島は原発事故のせいで人口減少をしている」という前提の語り方がさんざんなされてきた。しかし、5年、10年のレンジで取ったら、秋田や高知など人口減少が激しいとされてきた地域のほうが福島よりも人口が減っていたりするんです。「福島が人口流出がやばい」とさんざん切り取っているけども、福島がやばいんだとしたら、それって日本全体で起こっていることなんだよ。そちらについて考えましょうと。
『はじめての福島学』の帯にも書いてある「福島の問題は地方の問題である」という言い方を戦略的にしてきた面もあるし、でも実際に数字を見るとそう言わざるを得ない面もあります。
この本でやった、地方の問題として語り直すのは「特殊なものとしての扱いを位置づけ直すことで普遍化する試み」のひとつでしたし、武田さんがやられたように、あえて関係ない話をしながら周辺から福島の問題を固めていく方法もあるのかなと思っています。ただ、その困難も感じていて、わかりにくいんですね。
開沼:特殊であると言い続けたほうがいいんじゃないかという考えもあります。上野千鶴子さんとの対談では「普遍的であると言ったら、せっかく福島に注目集まっているのが離れていってしまうじゃないか」と言われました。
特殊であると言ったほうが戦略的に正しいと、上野さんらしいのかもしれませんが、一理ある話です。
武田:最初に出た愛郷心の問題と関わってくると思うんですが、柄谷行人がよく引く言葉で、中世のキリスト教神学者のヴィクトル・フーゴという人が言ったとされている言葉があって「故郷を甘美に思うものは、まだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられるものは、すでにかなりの力を蓄えたものである。だた、全世界を異郷と思うものこそ、完璧な人間である」とね。
これは愛郷心の反対でしょう。全世界を異境と思うぐらいの境地にならないと人間はある意味で完璧にならない、そういうことを1000年代、中世の人が提示していて。
ま、フーゴはキリスト教徒なので本当の世界は神の国であり、この世はすべからく異郷と思えということでもあるのでしょうが、それはそれとして、特殊な問題を相手に普遍的な議論をするために、やっぱり愛郷心との距離の確保を自分の課題として持ちたいなと思ってはいますね。
開沼:そのとおりですね。愛郷心や当事者性を掲げることは一つの権力をもつことにつながる。美味しんぼ事件で言えば、登場人物として描かれた井戸川前双葉町長のように、我こそは福島のことを思っていて、これだけ努力してきて、その中でこれだけ鼻血が出ているのにみんなわかってくれないなどと、愛郷心や当事者性を強くメッセージに織り込んでいる。
愛郷心や当事者性を掲げることで得られる権威性によって周りが反論できなくなり議論をしづらくなる。そういった「難しい・面倒くさい」構造がうまれないように意識しています。
そもそも、先程述べたとおり、自分自身にそんなに生得的な愛郷心がないからこそできる役割はあると思っています。
武田:開沼さんにとって、福島の中でもいわきだったってことは大きいんですかね。たとえば中通りだったら開沼さんの人生は変わってたのかな。
開沼:それはもちろん変わっていたと思いますね。そもそも原発を修士論文の時点で扱わなかったかもしれないし、特に震災後の議論は、それこそ特殊な細かい話になってしまうんですが、やはり福島として語られるときに、浜通りと中通りの議論にかなり温度差があって、例えば行政の中枢とかメディアの中枢って基本的に中通りにある。にもかかわらず、廃炉や避難の現場の中心は全て浜通りにあって。
そこの温度差とか、ある面で中通りの議論を浜通りから見ると、結構東京と同じレベルの話をしていることも多いなと思ったりするんです。震災直後、そこのギャップを埋めたいというのをすごく感じていました。
武田:浜通り・中通りという福島の中でのギャップとはまた違って、今度は福島と東京の関係で考えると、浜通りの中でもいわきは一番東京に近いわけですね。そういう意味で言うといわきは福島と首都圏の境界じゃないですか。それはやっぱり大きいですか? スーパー日立が来るようになってますからね。
開沼:そうですね。だから、若い人の間には休日のたびに常磐線一本、2時間半ほどで東京に行ったりするようなライフスタイルも普通にあります。ただ時間距離で言うと福島市の方が全然北にあるのに、東京から1時間半でつく新幹線が通っているがゆえに東京に近い感覚もあったりしますので、一概には言えないかもしれないですね。
武田:開沼さんは東北新幹線の開通のときに何歳? 生まれた時にはあったのか。
開沼:新幹線が自分の身近に通っているという感覚は全然なかった。特に記憶がないですけども、生まれたときにきぎりぎりあったかどうかぐらいですよね。上野駅まで東北新幹線が開通する場面があまちゃんで出てきますよね。それが、僕が生まれて数年後だったという記憶があるんで。
武田:JRになる直前ぐらいですか。1982年かな。
開沼:じゃあ、生まれるちょい前ですね。盛岡・大宮間の開業が1982年で、大宮から上野への延伸が1984年。
武田:そこでやっぱり中心がずれる感じはあったのか。どっちかというと、それまでは常磐線のほうが中心ですよね。主要な交通としては常磐側じゃないですか。
開沼:そうですね。どの側面で中心か、という点で変わってくると思います。例えば、行政的な話と産業的な話は違う。今でもいわきは製造業で、東北1位だったりするので、その点では中心的ですが、行政やメディアの中心という意味では中通りに近代以降常に中心軸があり続けたのは確かです。戦後、松川事件があったのは中通りを走る現在のJR東北本線でのこと。そこでは役割分担のようなものが元からあった。
その上で、行政がスマートに外とつながった感覚は、確かに80年代以降に強まったのかなとは思っていますね。そういった意味で、原発が浜通りにさらに求められた議論はできるかもしれません。
武田:開沼さんは『「フクシマ」論』の中で、いわゆる国内の植民地化というキーワードで地方の問題を議論してきたじゃないですか。
満州国があったときには、日本は海外に植民地を持っていたんだけれども、それを失った後に、国内に植民地的なものを持たざるを得なくなってきて、国内の植民地的なものは、例えば高度経済成長で言えば、人口を提供するし、田中角栄以後はリスク施設を受け入れることによって、日本という国民国家の発展に寄与する。そういう形で地方が使われてきた面があるという議論もされてますね。
しかし、植民地が中にあると問題だから外に出ればいいってことにはもちろん今更ならない。では、どうするのか。
内植民地化の問題をこれからどう考えていくべきかの話がさっきの愛郷心の問題ともつながってくると思っているのだけれども、『はじめての福島学』の中では例えば6次産業だとか、そういう形である種のソリューションを提案していますが、これからの地方の問題はこの辺にありますかね。
開沼:そうですね。もちろん6次産業化と、あの本の中で書いてますけど、いわゆる地方創生の議論とも関わっていると思います。スポーツで言う「スター選手」のように「スター地方」や「スター地域」を作っていくかたちで、ある面で地方の中で、勝ち組、負け組みを作っていく。これまでの政治が果たしてきた役割としての「みんな等しく足りてないところへ足しましょう」という考えより、むしろ「勝ってる地域を褒めたたえて、みんなそれを真似しよう」というかたちになっていくのではないかと。そこに原発の問題が、関わってくるのかもしれない。
東海村や福井原発が立っているイメージが強いものの、実際はそれとセットで原発と関係ないものも含めた様々な研究施設ができていて地域に根付き新たな「地域の顔」となり始めている。これは、実は震災前から起こっていたし、今も着々と進んでいる現象です。「日本にとって良い地域」が全国にポツポツとあって、そこを軸に国土が再編されていくイメージなのかなと思っています。
武田:60年代は「全総」の「国土の均衡ある発展」がある種のマジックワードとなっていて、現実的には東海道ベルトラインの開発にばかり投資しているのに、一応、全国的にやっているという幻想を持たされていたわけですよね。
その幻想が破綻した後に、今度は地方の中で勝ち組・負け組を作っていく、そういう意味では結局どこかがどこかを植民地化している。このやり方ではそういう構造からは脱却できないですね。それはどうすることもできないですか?
開沼:この4年間で色々な事例を見てきた感覚では、その植民地化を不可避な構造はどうしようもない気もします。ただ、明快な答えを出せていないですけど、そこで植民地とされるものが、健全なものなのか否かということを問い続けることの中に希望はあるのかもしれません。
当然、過疎地域が簡単に産廃施設を受け入れまくるような依存症状態になったり、さもなくば、切り捨てられて病院に行けなくなって餓死する、孤立する人がいっぱいでるような2択しか残されていないような不健全は問題です。
ただ、もしかしたら健全なあり方、不健全であっても健全な状態になっていけるようなあり方もあるのかもしれない。そして、そういった問題を超えられるインフラや、いろんなリソースは今の日本にもあるのかもしれない。
その内国植民地をどういうふうに今の地方創生の勝ち組イケイケじゃなくて、負け組こそを支えられるようにするという議論に展開するのかが、今後の課題だと思っています。
まさに被災地でそれが起こっているわけですね。福島の中でも飯舘とか南相馬とか全国的に有名になった自治体もあれば、そうではない、自己アピールが下手で外部リソースを集めきれていない自治体もある。格差が出ている。じゃあ、負け組側を支えていくにはどうすればいいのか。その実験を今のうちからしておくべきだなと思っています。
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