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お寺トーク~小藪がお坊さんにアレコレ聞いちゃいます!~(全2記事)

お坊さんだって腹は立つ--犬山紙子らが語る「悩み」の解消法

歴史と伝統のある京都のお寺の住職3名、コラムニストの犬山紙子氏、お笑いタレントの小籔千豊らが集い、お寺めぐりがもっと楽しくなる小ネタや仏教の知識について語ったトークイベント。後半では、小籔から住職らに投げかけられた「お坊さんたちは悩むこと、腹立つことはあるのか?」という質問に対してそれぞれが回答しました。

仏教における「小乗」と「大乗」の考え方

小籔千豊氏(以下、小籔):あとね「お坊さんたちは悩むこととかはないんかなぁ?」というか。個人個人みなさんも悩みはあると思うんです。

僕もいろんな仏さんの教えとか、そういう本を読ませてもらったんですけど、どうしても拭えん怒りみたいなんがありますやん? お坊さんとかも「腹立つわ~!」とかあるんですか?

後藤典生氏(以下、後藤):悩みがあるんです、私。病気したり年いったり、死ぬことが怖くて修業に入ったわけです。どんどんどんどん修行をしていってそういうものを減らす。確かにね、修行していいところへ行けるとか、そういうことではないんです。

それはもう、いいところなんか行けないんです。極楽なんかあるかどうかわからない。平等院さんに悪いんだけどね。

(会場笑)

後藤:しかしそこへ行きたいとか、地獄へ落ちたくないということは「欲」なんですよ。そういう欲をだんだん減らしていけば、確かに心の安らぎは得られるわけです。

ところがね「小乗」っていう……。誤解を恐れずに言うとですね、小さな乗り物に乗って一生懸命修行している。これは自分はある程度救われるんです。

ところが、他の人の不幸を見たら今度は放っておけないんです。「その人が不幸になってるのに俺だけ救われていいんか?」って思うんです。そうすると、今度はその人の不幸を助けようとするんですよ。大きな乗り物に乗って。「大乗」っていうんですけど。

「沈むときはみんな一緒に沈め」って言われますね。「浮くときはみんな一緒に浮け」。お前だけが浮いて他の人が死ぬような人間にはなるなという教え。そうすると大乗のよさっていうのが出てくるんですね。他の人が苦しんでおったらこちらも不幸になる。そうではなくて、一緒に沈む、一緒に浮こうじゃないかと。

自分の修行で欲を減らしていくと、自分はある程度救われるけれども、他の人を放っておいて行くことができないという新たな苦しみが生まれてくる。

そこで私たちは小乗、小さな乗り物に乗って自分だけ修行して、自分がとにかく苦しみを抜ければいいというものから、大きな乗り物に乗ってみんな一緒に行こうという仏教に移り変わった。「大乗仏教」に変わってくる。日本の9割以上は大乗仏教。

みなさんには、日本の仏教は大乗仏教で、自分が一生懸命脱却することも大事、しかし他の人を放っといて自分だけが浮こうとすることもまた自分を不幸にすることですよっていうことは知っておいてほしい。京都はほとんど大乗仏教です。

後藤:仏教ではバチ当たるとか言われますけど、バチなんか当たらないですね。

小籔:そんなカミングアウトせんといてくださいよ(笑)。

後藤:たぶんね、人の痛みはわからない。みんな苦しいんですよ。孤独なんですよ。しかしその人を助けることはできない。けれどもその人の気持ち、痛みを共有することはできるでしょう?

少なくともあなたの言っておられる方は、別に共有せんでもいいと思ってる方でしょ? 仏教徒っていうのはやっぱり共有したいっていう人の集まりなんです。だからそういう人を見かけてやっぱりこの人の気持ちになりたい、痛みを本当にわかる人間になりたい、これが私たちの考え方ですからね。

忘れたいことを忘れるコツ

犬山紙子氏(以下、犬山):私、忘れるコツ知りたいです。私、忘れたいです! どうやったら忘れられるようになります? 

神居文彰氏(以下、神居):いつの間にか忘れるんですけれども……。逆に、きれいなものを見ながら寝るとかね。そうすると、きれいなものが夢の中に出てきます。

後藤:だんだん忘れるようになってきますよ。

犬山:歳を重ねることで?

小籔:それ、老化ですか? 大事なことも忘れてしまうんじゃないですか?

(会場笑)

後藤:あんまり気にせんと。本物を見ないかんのですよ。人からちょっと言われたことについて、自分で心の中でトークしてしまうんですね。「あいつがこんなこと言いよった」「あいつがあんなこと言いよった」というのをどんどん膨らましていって、その人はこんなちっぽけなことしか言ってないのに、だんだんだんだん「許せん」ということで、大きく大きくするんですね。本物じゃないんです。

本物はこれや、と。その本物を見るために座禅を組んだり修行したりするんですよ。だから、あんまり覚えておいて膨らますんじゃなくて「本物はこれだけなんだ」ということ、真実そのものを見なさいっていうのが仏教の1つの教えです。

犬山:なるほど~。

小籔:犬山さんは腹立つやつが無限におると思うんですけども、美しい景色をインターネットで見ながら、家でお花を生けたりとかしながら心安らかにお眠りになられると、そういう夢は見なくなるかもわからない。

犬山:そう考えるとお寺に行くっていうことはいいですよね。イラーっとしたときとか。

小籔:まあまあ寝る前になかなかお寺見ることはできませんから。

(会場笑)

悩みとは、人生に対する問い

英月氏(以下、英月):まぁほんまに生きてたら腹立つこともいっぱいあるし、つらいことも悲しいことも。でもたぶん、ここに居たはる人はみんなそうやと思うんですよね。

私自身、本当にお恥ずかしいですけど、こんな格好してますけど、悪態つくこともあるし、腹が立つこともある、悲しいこともある。悩みは尽きないんですよね。でもね、実はこの悩みっていうのは、私「問い」じゃないかなと思うんです。人生に対する問いなんですよ。

後藤:さっきの話の中で覚えておいていただきいのは、いろんなことがあると思うんです、嫌なこともつらいことも。ただね、仏教では相手のことを批判したり、相手に追及してる人は弱い。会社でも、自分がうまくいかない責任は相手にあるんだ、他の企業にあるんだと思ったら弱いんです。

全部、こちらのほうにあると思ってください。嘘やと思ったら今日から1週間、誰にも文句言わない。親子げんか、兄弟げんか、あるいは友だちとけんかしかけても、今週1週間は「俺のほうに問題がある」って、自分のほうに考えてみてください。1週間、1回も他人が悪いと思わないで、思わないようにしよう、しようとするんですよ。

1週間経ったとき、ガラッと自分が変わりますよ。これが仏教の修行なんです。ここにあるということ。だから今、これが悪い、あれが悪いと言われたけれども、それを思わないでください。1週間でいいです。自分を変えるにはこれが一番近道です。

小籔:まだまだ修行が足りません、私、本当に。どうでしょうか、きっとみなさんいろんな教えをご存知だと思いますけど、後藤さんもたくさんおっしゃられていましたけど、自分の中でいちばん好きというか、好きな教えって何かありますか?

「私の好きな教えはこんなんです」みたいなのがあったら教えていただけたらなと思うんですが。英月さん、いかがでしょう?

悲劇をギフトととらえる

英月:いまお聞きして最初に浮かんだのが、ちょっと坊主くさいんですけれども「調達闍世をして逆害を興ぜしめ」という、親鸞上人が書かれました『顕浄土真実教行証文類』という書物に書いてある言葉なんですけども……。

小籔:ほとんど何言ってるかわかりませんけども。

(会場笑)

英月:私も噛まずに言えてよかったなと思ってるんですけどね(笑)。何を言ってるかといいますと、要は、お釈迦様が生きてはったときに、インドのマガダ町というところで「王舎城の悲劇」という悲劇が起きました。

小籔:おおしゃじょう?

英月:王舎城の悲劇。これはね、簡単に言えば、親殺し子殺しの、誰が聞いても悲劇なんですね。その悲劇の話を親鸞さんはどう受け取ったかというと「これによって自分の生き方が転じた」と。

小籔:転じた。

英月:これは悲劇ではなくて「今の自分に必要だった」「これによっていただいた命が生きていける」と。例えば今の小籔さんの話は、いろいろけったくそわるい……、ちょっと言葉悪かったですけど(笑)、いろいろあるわけですよね? でもそれは、先ほど「問い」と言いましたけれども、私はもっと1歩踏み込んだら「ギフト」じゃないかなと思うんです。

小籔:ギフト。

英月:やっぱり生きていたら、いろんなことがあるわけですよ。さっき紹介していただきましたけど、私もアメリカで10年近く暮らしておりまして、日本に帰ってくるつもりはございませんでした。ずっとアメリカで楽しくやってたんです。でも家の事情で帰ってこなあかんかった。そのときに出会ったのが今の言葉やったんです。

誰が聞いても悲劇だと思うようなこと、それが「そうじゃない」と。「それは浄土の縁が熟して、今自分がいただいたギフトだった」と受けとらえた先輩、親鸞さんがいらっしゃったという事実が、私にはすごく力になったんですね。

日本に帰ってきて今4年半なんですけれども、折に触れこの言葉がすごく私を支えてきてくれました。つらいとき、悲しいときには「今の私の都合で言うたらつらいし悲しいけれど、でもこれひょっとしたら、まんちゃん、仏さんからのギフトなのかな?」と思ったら、また違ったようになってくるんですね。で、違う一歩が踏み出せる。

小籔:すごく素敵な言葉やと思うんです。それも僕、読ましていただいて……。

英月:もし「悟りすごろく」みたいなのがあったとしたら、天狗になっちゃった時点で「ふりだしに戻る」になっちゃうような気がするんです。

小籔:なるほど。いわば、本当には自分を捨ててない。そこにまだ自分があるからそういう思いに至ってるということですよね?

英月:なんかこう、人を見て「俺イケてる」と……。

小籔:我がが出てきた?

英月:というのは、ちょっと悲しいと思いました。

小籔:な~るほど! じゃあもっと無の境地を目指して……。

英月:それは無理やと思います。

(会場笑)

お寺は全く常識じゃない非常識な場所

神居:ちょっといいですか? 小籔さんのお話からインスパイアを受けて。法然がときどき使う言葉で「慎独(しんどく)」という言葉があるんです。「慎む」に「独り」。すごくいい言葉だと思うんです。

無になるとかそういうことではなくて、自分自身で慎む。自分自身で自分の中を見ていって、ひとり慎む。慎独っていうのは、今英月さんが言ったことにも非常に通じる単語だと思います。

小籔:慎独。ぜひともWikipediaで調べながら自宅に帰りたいと思います。じゃあ最後に、神居さんと後藤さんのお二人に好きな教えを聞いて終わらせていただいてもいいでしょうか。神居さん、どうですか? 慎独以外にも好きな教えがあるかと思うんですけど。

神居:今言った慎独っていうのがちょうどこの話の流れでは適切かなと思います。それからお寺のことをさっきからいろいろお聞きになっておられたので、そのことだけ一言お話ししたいんですよ。お寺、特に浄土教っていうのはどういう場所かっていうと、非常に「非常識」な場所です。

犬山:非常識。

神居:言ってみれば、常識ではない。「命の向こう側を信じる」という、全く常識じゃない非常識なところなので、非常識な場所に行くということ。だから、日常とは違うことであるということを考えていただいてもいいんじゃないかなと思います。

だからそこで出会うものは、全く日常とは違う。けれども決して日常と切り離されているわけではない。いかがでしょう? そんなことを含めて、慎独。

バラモン教と仏教の教えの違い

小籔:なるほど。そういう気持ちでお寺に行くといいんじゃないかということですよね。ありがとうございます。さぁ、後藤さんはいかがでしょうか? いろいろ教えをおっしゃっていただきましたけども。

後藤:私はやっぱりお釈迦さんの教えが。2500年前、バラモンの僧侶たちは、心の安らぎを求めて、清浄心、体と心をきれいにするにはどうしたらいいかっていうので「ガンジス川の水で沐浴せい」ということを言われた。

あの水で沐浴したら身も心も清浄になって、心の安らぎが得られると言ってみんな一生懸命に努力した。いいところへ行きたいというバラモンの教えもあったんですけどね。

仏教徒たちがお釈迦さんに「ガンジス川の水で沐浴すれば身も心も清浄になれますか?」って聞いたら、お釈迦さんは「そんなもんでなれるんだったら、亀もカエルもみんな聖人になっとるわ」と。これが仏教の教えです。

(会場笑)

後藤:それならお釈迦さんは、身も心も清浄にし、安住を得るにはどうしたらいいと言ったか。それは自分のものの考え方、精神と、それから行いが大切であると言われたことは、仏教徒の方は覚えておいていただきたい。

自分のものの考え方、精神と行い、これが自分を清める以外の何物でもないということを2500年前にお釈迦さんがおっしゃったということ。私が直接聞いたわけではないんですが……。

小籔:いやいや、それはわかってますよ(笑)。お釈迦さんと話した人がここにおるんやったら入場料安すぎるでしょ。

(会場笑)

小籔:ありがとうございます。そうですね、我ががありましたね。まぁ、我がを捨てることがやっぱり悩みを解決することになるのかもしれません。犬山さんはいかがでしょう?

犬山:私にもやっぱりムカつく人がいたり、あとは身内の病気、自分の病気だったりとか、理不尽だって思うことが結構たくさんあるんですけど「自分が理不尽だって思う心も我(が)なんだな」って今日聞いて思ったので、後藤さんがおっしゃっていた1週間自分のせいだって思うように心がけるというのをちょっと実践しようかなと。

小籔:それで結局は自分の気持ちも変わってくるわけですからね。メリットあるんじゃないかと思います。本当に、みなさん貴重なお話をどうもありがとうございました。

(会場拍手)

仏教は人を優しく包み込む

小籔:さぁ、それではエンディングでございます。前のほうに来ていただきましょうかね。2時間ちょっとに渡って、ありがとうございました。またいつか僕の話題で2時間ぐらい使ってやっていただきたいなと思うんですが。後藤さん、今日はいかがでしたでしょうか?

後藤:ありがとうございました。

小籔:こちらこそありがとうございました。

(会場拍手)

小籔:続きまして神居さん、いかがでしたか?

神居:本当に、今日はガラガラかと思ってたんです。それを差し置いてここに来てくださった。仏教、これはどこにでもあることかと思っています。でも京都の関係のこういう集まりに集まっていただいたこと、本当にありがとうございました。

(会場拍手)

小籔:英月さん、いかがでしたでしょうか?

英月:生まれ育った京都、そしてお寺を飛び出してアメリカに行って、10年経って日本、京都に帰ってきて「あぁ、こんなにええとこやったんか」と改めて思ったんですけど、今日この場所で、ほんまにええとこやなと再確認させていただきました。ぜひ、京都にも足を運んでいただけるとうれしいです。

(会場拍手)

小籔:犬山さんはいかがでしょう?

犬山:今日お話をうかがって、仏教は優しいなって思いました。なんか優しく包み込んでくれる感じがしまして。私は毎週大阪のほうに行く用事があるので、本当に一度行ってみて、そこで「にわか」じゃなく「知ったか」じゃなく、今日聞いた話を実践できればなぁと思っています。ありがとうございます。

(会場拍手)

小籔:ということで、みなさん今日はいかがでしたでしょうか。僕みたいなしょうもないやつがいろいろ聞きすぎてすいません。

でも本当にこれをきっかけに、またさらに仏教とか、お寺に親しみをもっていただけたらという思いでやらさせていただきました。またお家で「こんなことがあったよ」みたいなお話もしていただけたら幸いかと思いますし、油まいてるやつを見つけたらすぐに通報してください。

(会場笑)

小籔:本日はどうもありがとうございました!

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