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漫画家として引き出しを増やしにスクエニに入ったらいつの間にか任天堂子会社社長になっていた寄り道人生 〜聖剣伝説LoM、MOTHER3、EGGLIAを作った男〜(全4記事)

会社を辞めたら、ひょんなことから任天堂子会社の社長に 「好きに使え」と渡された2億円で、誕生した名作ゲーム

クリエイターヒストリアは、ゲーム業界でお仕事をしているデザイナー、プランナー、エンジニアなどのクリエイター向けに、キャリアデザインをテーマに実施するセミナーイベントです。第10回は、『聖剣伝説』シリーズや『MOTHER3』を手掛けたクリエイターである亀岡慎一氏が登壇し、ゲームクリエイターズギルド代表の宮田大介氏が歴史をひもときます。本記事では、任天堂子会社の社長となった亀岡氏が、名作ゲームを生み出すまでの裏側を語りました。

『ファイナルファンタジー』チームに配属後、退社を決意

宮田大介氏(以下、宮田):後半戦をやっていきましょう。じゃあまずは後半戦の一発目で、2000年のヒストリーポイント4なんですけれども。

「『ファイナルファンタジー』チームに配属されるが、タイミングとして退社を決意された。この決断が亀岡さんの人生を大きく変える」と書かせていただいてるんですが、『FF』チームに配属されて退社されたのは、どんな理由でそういう決断をされたんですか?

亀岡慎一氏(以下、亀岡):聞きたいんですか?(笑)。

宮田:(笑)。放送中止にならないぐらいの、話せる範囲で。

亀岡:「ゲーム業界のターニングポイント」という、カッコいいところですよね。本当は『レジェマナ』の2を作らせてもらえるという話だったんですが、会社の方針が変わって『FF』ラインになって。僕も津田(幸治)も、オンラインの『FFXI』のチームに入ってくれって言われて。

宮田:オンラインで入ったんですね。

亀岡:発表会の時までは僕と津田がアートのイメージは作ったりしてたんですが、その頃はまだ3Dのスペックが低かったので、ポリゴンとかがあんまりきれいに見えなかったんですよね。

「これだったらドット絵のほうが……」というか、その前の『レジェマナ』のほうがベタ絵で描けてたので、もっとすごくいい作品を作れるのになという思いがあって。魅力をあんまり感じられなかったので、僕はもういいかなと思いました。

ゲームボーイアドバンスのソフトを作るため、上司と2人で退職

亀岡:その頃、任天堂からはもうゲームボーイアドバンスが発表されてたのかな? それとも風の噂で流れてたのかは定かではないですが、そういう話があったんですよ。

スーパーファミコンのスペックぐらいなので、白黒のゲームボーイからいきなり16色使えるような携帯機が出るということで、「これいいな。作りたいな」と思って。ただ、なぜかその時スクウェアでは、ゲームボーイアドバンスで(ソフトが)作れなかったんですよね。

宮田:そうですね、ちょっと……。

亀岡:そうなんですか?

宮田:やんごとなき(笑)。

亀岡:なんで知ってるんですか? 何があったんですか?(笑)。

宮田:ここは一般的に公開されてる感じですよね。

亀岡:何がですか?

(会場笑)

宮田:スクウェアさんと任天堂さんがいろいろあったっていうのは。

亀岡:僕は知りませんよ。なんか知らないけど、ただ「スクウェアでは作れないから」って言われてたので。

宮田:そうですよね(笑)。いろいろあったんですね。

亀岡:「あ、そうなんだ」って聞いてたけど、そういうことか。

宮田:いろいろあったということで(笑)。なので当時、スクウェアさんのところでやっていても、アドバンスを作ることは絶対にできないと感じたと。

亀岡:そうですね。作れないからしょうがないなって。「僕は外へ出て、これから出るであろうアドバンスのハードを作れる会社へ行くよ」と言って、その時の上司だった津田を説得して。そうしたら彼も2Dの人なので、「ああ、そう。俺もまだ今の3Dには魅力を感じられないんだよね」って。

「じゃあ、2人でどこかへ行ったらチームを作らせてもらえるかもしれないから、出るんだったら俺が動くよ」「俺もその話に乗ろうかな」ということで、津田も(スクウェアを)辞めました。

スクウェア退社後、知り合いを通じて任天堂に

亀岡:どこかでチームを持たせてもらおうということで、今思うとエニックスとかいろんな会社さんにけっこう電話をしてたんですよね。「サポートしてくれるんですかね?って。

宮田:なるほど。

亀岡:「まだチーム名は言えないんですが、そこそこ有名なRPGを作ったアートチームなんですが……」って。「ぜんぜんありますよ」と言ってたんですが、その頃はまだインターネットもないので、ゲーム会社も情報が入らないわけですよ。

宮田:直接、電話で。

亀岡:『ドラクエ』のエニックス、『ファイナルファンタジー』のスクウェア、あとはもう大手しかわからなくて。どうしようかなと思ってた時に、「ゲームボーイアドバンスは任天堂が作ってるんだから、とりあえず任天堂から行ったらいいんじゃない?」という話になって。

宮田:(笑)。

亀岡:「そこからどんどん落とされていって、どこか拾ってくれるところで落ち着いたら入れてもらおう」「任天堂のアポ、誰かある?」という話をしてたんだけど、たまたま任天堂の子会社に勤めてるやつが知り合いにいるやつがいて。「じゃあ、ちょっと話をさせてよ」と言って話をしたら、その時の任天堂の担当の方が『ポケモン』のプロデューサーをやってたんですね。

宮田:なるほどですね。

亀岡:たまたますごく偉い方で、「こういうのでチームを作らせてもらいたいんですが、任天堂さんの中で作らせてもらえますかね?」と言ったら、「ぜんぜんオッケーですよ」って。

宮田:えぇ?(笑)。

亀岡:なぜかわかりませんが、スクウェアを辞めた時から、任天堂さんからすごく追い風が。

宮田:いろんな状況を鑑みて。

ひょんなことから任天堂子会社の社長に

亀岡:僕はわからないですが、なぜか「ぜんぜんオッケーです」という話になって、話がどんどん進んじゃって。そうしたら任天堂の人から「山内(溥)さんが会社を作りなさいと言っている」と、言われて。

「会社を作るの? 僕らは何にもわかんないです。会社で何をやっていいんだか、さっぱりわからないですが……」「まあサポートはしますので」って。任天堂はトップの企業だったので、いい大学を出ないと入るのも難しいですよね。

宮田:そうですね。京大の方とかも多いですよね。

亀岡:「どこの馬の骨かわかんない連中を簡単に社員にしたら、それはいろいろ問題はあるだろうな」ということで、会社を作れと。それでできたのがブラウニーブラウンですね。

宮田:タイトルを作るつもりが、会社になってしまったんですね。

亀岡:そうなんですよ。チームだけ持たせてもらおうと思って話を持っていったんですが、どんどん話が大きくなって、会社を作ることになってしまって。「社長を立ててくれ」と言われても、誰もそんな知識がない連中で。まだその頃はインターネットがない時代だから、会社の作り方とかも検索もできないんですよね。

「どうする、どうする」と言って。一応、人を集めてたのが僕だったので、「じゃあ亀岡さんが(社長を)やってよ」と言われて。「お前ら協力しろよな。じゃあ名前だけ、一応僕が代表になります」ということで、社長になっちゃったわけですね。

宮田:ひょんなことから社長になってしまった。いやぁ、『FF』チームの配属から遠いところに来ましたね(笑)。

亀岡:そうですね。

「この頃は尖った連中がすごく多かったんです」

宮田:当時のスクウェアさんは『FF』シフトで、いろんなチームにとって激動の時代でしたよね。

亀岡:よく知ってますね。なんでスクウェアの話をそんなに(笑)。

宮田:いや、ちょうどクリエイターヒストリアの前の回に出ていた……。

亀岡:ああ、そうですよね。

宮田:倉島(一幸)さんとか。

亀岡:佐々木(洋勝)とかも出てましたものね。

宮田:はい。「ラブデリックを立ち上げて」という。

亀岡:そうですね。みんな辞めた連中ですね。

宮田:辞められて、今は違うかたちで活躍されている方々が多いですね。

亀岡:そうなんですよ。さっきも言った通り、この頃は尖った連中がすごく多かったんです。スクウェアで好きなことができないとなったら、「独立しようぜ」「出ようぜ」という感じで、みんな熱い連中でした。

何社かしか残ってないので難しいですが、『moon』を作ったラブデリックが一番最初に(スクウェアを)飛び出て。でも、そこをそろそろ解散するような感じだったんですよね(笑)。

宮田:当時? そうなんですか(笑)。

亀岡:そこのやつに「なんで失敗しちゃってるの?」という話をいろいろ聞いたから、それをやっちゃいけねえんだなって。一応社長をやることになったので、いろんな人に(話を)聞きに行って。

宮田:『moon』が出る前ですか?

亀岡:いや、出た後ですね。『moon』が出て、その後もう1本か2本か作ったけど、その後はバラバラに。あそこも奇跡的にすごいやつが集まったんだけど、その後はパーンと南斗聖拳ですよね。

宮田:伝説のチームですね。

亀岡:みんなバラバラになっちゃって。「なんでそんなになったの?」という話を聞いて、じゃあうちはちゃんとそこらへんをしておかないとなって。ブラウニーブラウンではいろんな会社の失敗談を聞いて(笑)、それを反面教師にやってましたね。

宮田:いや、すごい(笑)。

亀岡:おもしろいですけどね。

宮田:倉島さんとかと、今度話をしたいですね(笑)。

亀岡:あそこは……ちょっと長くなっちゃうな(笑)。

宮田:(笑)。

当時の社長から「これで好きに使え」と、2億を渡される

亀岡:スクウェアでは上下関係がすごくあったけど、それが嫌で。「俺らはみんなで真っ平らでいこうぜ。給与の高いやつ、低いやつはなしだ」と言って、全員給料を同じにして。

でもそれだと、結局誰が責任を取るんだ? となった時に、みんな均等だから誰も責任を取らない。これは誰か軸になるやつが仕切らないとダメだと悩んで、じゃあ俺ががんばらなきゃいけねえなと覚悟を決めたわけです。ここだけの話。

宮田:ここだけの話すぎて(笑)。

亀岡:そうですね。

宮田:これ、どこまで公開していいのかな。ブラウニーブラウンが爆誕して、もともとは「ゲームボーイアドバンスでゲームを作りたい」という思いからの独立なんですが、ひょんな頃から代表になっていって。二足のわらじで大変なところもありましたか?

亀岡:あの頃は今と違って、世の中もちょっとグズグズというか。会社といってもそんなに法律が厳しくなかったっぽくて、最初に山内(溥)さんが「2億やるから、これで好きに使え」と言ってポンっとくれて。

宮田:ポンと2億円って、すごいですね(笑)。

亀岡:とりあえずその金でゲームを作ろうと、機材が送られてきてコツコツと。その前にファミレスで企画会議をやってある程度固めてたので、それを宮本(茂)さんとかにプレゼンしたのかな。

でも、あの頃は「あんまり口を出すな」って言われてたらしくて。できるのかどうかわからんけど、好きに泳がせろと。口出しもなくやりながら、ある程度システムが固まるまで作っていって。なんにも言ってこないけど、こんなに作っていて普通はいいのかなって、逆に不安で。最初の1本は本当にできるかどうか……。

宮田:『マジカルバケーション』の時ですか? 

亀岡:そうです。『マジバケ』は本当に好き勝手に作ったやつです。あの時の社長業は、出ていくお金と残っているお金がいくらぐらいかだけをちゃんと見ておけばよかった。あとは任天堂から経理の人が来てくれていたので、その人に「今月はこんな感じです」というのを渡していたぐらいで、そんなに社長業はやっていなかったですね。

インターネットのない時代、求人は「人づて」が主な手段

宮田:タイトルが並列で走られていた時もあるんですよね。その後は『MOTHER3』だったりとか。

亀岡:そうですね。『マジバケ』を作って、その時は社長業というか人集めですよね。

宮田:大変そうですよね。(ゲームづくりとは)またぜんぜん違う。

亀岡:本当に何度も言いますが、あの頃はインターネットがなかったので、どうやって人を集めるかといったら人づてしかないわけですよ。「誰かさ、プログラマーいねぇかな」とか、いろんな人に聞いて。それでいろんなところからポロポロ集まって、最終的には20人弱ぐらい集まったのかな。

それでとりあえず『マジカルバケーション』を作って、その次の仕事をやろうとして。うちはRPGしか作ったことがないのでRPGを企画したけど、「任天堂はそんなにRPGはやりませんよ」って言われて(笑)。

宮田:けっこう異色のチームですよね。

亀岡:「あれ!? じゃあうちはどうしたらいいんだ」という感じになって。その話を詳しくすると、ちょっと怒られそうな感じもするのであんまり……。

宮田:ほどほどにしておきますか(笑)。

亀岡:ふわっとしておきます(笑)。RPGを本当に作りたかったら、任天堂社内では通すのは難しいなと。「RPGというのは、何をもっておもしろいゲームになるのか」が、わかる人がいないので。

「任天堂がハードだったら、外の会社さんとやってもいいですよ」と言われて、初めて営業の仕事をやったりしました。それで次に動いたのが、『新約 聖剣伝説』ですね。あの時はスクウェアではアドバンス(のソフト)が作れなかったんですが、作れるようになったみたいです。

宮田:いろいろあって作れるようになったと。

開発が止まっていた『MOTHER3』を再構築

亀岡:動いてたら、任天堂さんが「RPGが強いチームがせっかく子会社にいるんだったら、あの作品を復活させたらどうだ?」という話になって、『MOTHER3』の話が来たんですよね。

宮田:当時、『MOTHER3』自体は(開発が)完全に止まっちゃっていたんですよね。

亀岡:『MOTHER3』の開発自体は、止まって10年ぐらい経っていたんじゃないかな。NINTENDO 64がけっこう難しいハードだったので、アドバンスだったらできるかもしれないと。あとは当時の開発者の人たちの間でも、やっぱり『MOTHER』シリーズと言えばドット絵だという話もあったらしいんですよ。

じゃあ、アドバンスだったらいいんじゃないかということで、「ちょうどブラウニーブラウンとかいうRPGを作る会社があるから、そこに投げてみようか」と。それで『MOTHER3』を作りました。

宮田:『MOTHER3』も10年ぐらい止まっていて、いろいろな複雑になっているところを解きほぐしていって。

亀岡:1本で2~3時間ぐらい軽くしゃべれちゃうので、どう端折ってしゃべったらいいのか難しい。

宮田:そうですね。ここらへんはまた、特集回でタイトルごとのやつをやりたいですね。

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