2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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甘糟りり子氏(以下、甘糟):父がマガジンハウスの編集者で、雑誌で育ちましたので、(バブル時代に)流行りものや新しいものやお店とかは生きがいでしたね。
長倉顕太氏(以下、長倉):周りの友だちとかも、みんなそういう感じなんですか?
甘糟:そうですね。1985年ぐらいからは、気がつくといろんな新しいスタイルのお店ができていたので、目新しくて目移りばかりしていて、という感じですかね。
長倉:その時の情報は、甘糟さんとかだと口コミや招待とかいろいろあったと思うんですが、普通の人ってどうするんですか? 当時はインターネットがないわけじゃないですか。
甘糟:雑誌ですよね。口コミで知る人がいて、それを雑誌とかが取り上げて、その後にテレビの情報番組が取り上げていると。そこで流行りは終わりという感じでしたかね。
長倉:こう言ったらあれですけど、一般化するじゃないですが、甘糟さんたちからすると田舎者が来たら「ダサいな」みたいな雰囲気になっていくわけですか?
甘糟:ちょっとそういうところはあったかもしれないですけどね(笑)。
長倉:(笑)。でも、今でも何でもそうですよね……。
甘糟:トレンド競争、あとはヒエラルキー遊び。今はヒエラルキーがシリアスになっていると思うんですよ、ジョークで言えない感じになってきているというか。だからお店に入れる・入れないとか、会員制云々というのが、冗談半分で人を選別したりできなくなっちゃっているけど、あの頃はそれが遊びとして成立していたようには感じます。
長倉:外見が悪かったら入れない、みたいなのは露骨にあったんですか?
甘糟:まず、ジーパンはだめだったんですよ。ジーパンってデニムのことですよ?
長倉:僕はわかりますよ(笑)。たぶんここにいる人はみんなわかっていると思うので。
甘糟:(視聴者からのコメントで)「今と流行りの発信元が違います」。そうですね、違いましたよね。
長倉:インターネットがなかったですからね。
甘糟:それは大きいですよね。
甘糟:どんどん話がずれますが、今になって思うと、私たちはどうやって待ち合わせをしていたんだろうと思いますね。
長倉:そうそう。携帯がないのに。
甘糟:改札口とかを指定して待ち合わせしていましたからね。さすがに私は掲示板に何かを書いた記憶はないんですけど。
長倉:僕は大学生の時にありますよ。
甘糟:本当に?
長倉:僕は学習院大学というところだったんですが、目白駅ってあるじゃないですか。そこにみんなで集まるのに、来ないやつがいたら「どこどこにいるぞ」みたいなのは書いていましたね。最初の頃。
甘糟:でも、その分時間もあったんですよね。SNSをチェックする時間の分、飲んだり遊んでいたり……。
長倉:待ち合わせってどうやるんですか? 僕が本当に気になるのは、例えば次回の待ち合わせを会っている日に決めるのか、途中で電話したりするのか。電話も家電なわけじゃないですか、それをみんなどうやっていたのかなと。
甘糟:たぶんデートとかは別だと思うんですが、グループで集まるのはたまり場という場所があったと思うんですよ。今はこういうもの(SNS)にみんなたまるけれども。約束はきちんとしないけど、行けばだいたい知り合いがいるような喫茶店とかディスコとかも、すごく機能していたと思うんです。
マハラジャの奥の左側のシートとか、そんなような縄張りがあって。「どこそこの何階」とか言って、待ち合わせとはちょっと違うけど、そうやってみんな会って夜に遊んでいたような記憶がありますが、みなさんどうかな。
長倉:今も夜遊びしている人たちはいると思うんですが、当時と今は決定的にこのへんが違うんじゃないか、とかはありますか?
甘糟:最近はさすがに夜遊びをしていないのでわからないんですが、とりあえずファッションはもちろんカジュアルですよね。みなさんジーパンですもんね。あとは何だろう、デザイナーの丸山敬太さんたちと学年が一緒なんですが、敬太さんと言っていたのは、あの頃は今みたいにファッションのスタイルは沢山はない。
けれども、雑誌でいう『JJ』に代表されるようなコンサバティブなファッションの子と、ハウスマヌカンという言葉のようなモードっぽい服の子、行くディスコとかも違うんですけど、そういう子たち同士がわりと普通に仲良くしていたなとは思いますね。
長倉:「ハウスマヌカン」は26歳の人はわからないと思いますね。
甘糟:ブティックで洋服を売る人で、マヌカンは確かフランス語でモデルさんみたいな意味だったと思います。ブティックのモデル兼販売をする人という意味で、ハウスマヌカンという言葉が一時流行りました。『夜霧のハウスマヌカン』という曲がありましたよね。
長倉:ありましたよね。
甘糟:知っています?
長倉:知っていますよ! 誰でしたっけ、名前は忘れていますけどわかります。
甘糟:「やや」という人です。歌いたくなっちゃうけど歌が下手なので。
長倉:ハウスマヌカンとかありましたね。
甘糟:ファッションが今よりもうちょっとわかりやすく、いくつかスタイルがあったかなと。
長倉:当時は子どもだったのでわからなかったんですが、今もたぶん新国立美術館で「日本のファッション誌」みたいなものをやっていると思うんですが、80年代はコムデギャルソン、山本耀司さん、三宅一生さんとか、あのへんが出てきた時ですよね。
甘糟:たぶん、全身真っ暗な格好するのがあの時は衝撃だったんですよ。
長倉:そうなんですか!?
甘糟:そうです。コムデギャルソンはそれで世の中に衝撃を与えて、今は私も黒い服を着ますけど、喪服以外に真っ黒というのはなかなか衝撃でした。
長倉:ちょっと戻るのかもしれないですが、DCブランドブームみたいなものがあって、当時いろんなブランドがいっぱいあったなと。バーゲンにはみんなマルイとかに並ぶ、というのもありましたよね。
甘糟:ありました。1年だけですが、DCブランドの1つで働いていたので、セールの時とかすごかったですね。
長倉:今思うと、購買に対する勢いがあったなと思いますね。
甘糟:そうですね。今はファッションって、ユニクロでもH&Mでもおしゃれできるんですが、あの頃のそれなりにおしゃれに見える服は、ちゃんと対価を払って居心地の悪い思いをして、ブティックと言われるお店に行かないと手に入らなかった。だから逆にみんな夢中になれたのかなと言うと、今を否定しているみたいで悪いですが、そうかなと思いますね。
長倉:パワーは本当にあったと思うんですよね。当時は経済的な話でいうとバブルですが、日本はなんで1985年のプラザ合意に持っていかれたかというと、日本の経済に勢いがあったから、アメリカ側からすると「しぼませよう」という作戦だったわけですね。
違うかもしれないんですが、今の中国人の物の買い方とか、コロナ前ですけどブランド品を世界に買いに行ったりというのは、(過去に)日本人がやっていたと思うんですよ。
甘糟:でも、中国のバブルは弾けずに意外と続いていますよね。
長倉:そうですね。強いですよね。
甘糟:数の力なのかな。
長倉:そうだし、もしかしたら上が賢いんでしょうね。
甘糟:それか、日本のバブル崩壊を見て勉強したんですかね。
長倉:それぐらい若い子たちはわからないと思うんですよね。日本にものすごく勢いがあった世代を。
甘糟:でもその頃は、勢いはあったけれども、パリとかでカメラをぶら下げて眼鏡をかけてチマチマといろんな景色を撮る、馬鹿にされた日本人の象徴のように言われていましたが、その代わりに日本人が本当にお金を使っていたんでしょうね。
長倉:これは信じられない人がいるかもしれないですけど、ハワイのワイキキビーチにあるホテルは全部日本人が買っていたんですよね。ロックフェラー・センターも買ったりとか。
甘糟:安田火災海上保険が買ったゴッホのひまわりが53億円とか。
長倉:すごい金額でしたよね。
甘糟:今の若い人は確かに信じられないかもしれないですよね。
長倉:ハワイのホテルが全部日本人のものって、考えられないですよね。
甘糟:そうですよね。
甘糟:「昔は良かった」みたいになるのはあまり良くないけど、まだ私が30代の終わりの頃とかは、イタリアのモンテ・ナポレオーネのブティックがいっぱい並んでいるところとかも、日本語ができる店員さんが必ずいて。だから、本当に今の中国と一緒ですよね。
長倉:ニューヨークやチャイニーズとかの定員さんとかも……銀座とかもいると思うんですが。
甘糟:話は変わるけど、中国の方がペトリュス(高級ワイン)をコーラで割って飲むと聞いた時はびっくりしたんですが、たぶん同じようなことを私たちもやっていたんでしょうね。記憶はないですけど。
長倉:わかりやすく言うと、例えば僕らが中国の方に「失礼なことをやっているな」と思っていたりする部分は、実は日本人も昔、バブル時代にけっこういろんなところでやっていたんだと思います。
甘糟:そうだと思います。
長倉:そういうのも含めて知るとおもしろいなと思っていて。じゃあ、なんでお金がそんなに変えたのかというと、本当に金をばらまいていたんだと。じゃぶじゃぶと金を貸していたからなわけですよね。みんな借金でハワイのホテルを買って、そのあと捕まった人とかはいっぱいいますけど。
甘糟:「借金」という感覚じゃない借金だったんでしょうね。わからないけど。
長倉:知らないかもしれないですが、この本を読むと長銀という銀行があって。
甘糟:長期信用銀行という、またすごい名前の銀行ですよね。
長倉:そこがある人に5,000億円ぐらい貸していて、それで結局吹っ飛んだという。5,000億円買った人は世界中のホテルを買っていたりとかしていて、最後は捕まったと思うんですけど、そういうのはぜんぜん起きていた時代ですよね。
甘糟:それは本当の“すごいバブル”のほうなんですけど、私が見たのは20代、30代ぐらいのサラリーマンの人も、株を買って不動産投資して。だからお給料自体がそんなじゃなくても、株を買ったりマンションを買ったりしたお金で外車を乗り回して、ディスコで遊んでいる人たちがけっこういて、あれも1つのバブルなんだなと思いますけど。
長倉:サラリーマンでポルシェとか乗っているとおっしゃっていましたけど。
甘糟:新車かどうかはわからないですが、それでディスコに乗りつけていた人がいっぱいいましたね。だけどそういう方たちも、マンションを買っておけば高く売れると思って買うのだけど、崩壊しちゃった時に買った値段の半分でも売れなくなって、大変な思いをしたり、行方がわからなくなっちゃった友だちもいますね。
長倉:昔の話を聞くと、証券系の人たちはいなくなっちゃった人がいっぱいいたみたいですね。
甘糟:バブルが終わったのは、一応1991年3月と言われていますが、私は不動産を持っていたわけでもないから「そうなのかな」というぐらいでしたけど、1997年の山一證券廃業はさすがに「ああ、終わった」という感じでしたね。あれはびっくりしましたね。
長倉:山一證券は「四大証券」と言われる証券会社の一角で、けっこう日本だと金融機関がもてはやされたというか。うちの親もメガバンクの銀行員で、小さい時から「銀行は絶対に潰れないから」とか言われてて、自慢されていたんですもの。本当か何にもよくわかっていなかったですが、でも「潰れてるじゃん」と思って(笑)。
甘糟:山一證券とか銀行が潰れると足場が急になくなったぐらいにびっくりしました。
長倉:本当に「銀行は絶対に潰れない」と言われていたんですよね。僕もすごく洗脳されていたし、それがあっさり潰れるんだ、みたいな。山一證券は特に記者会見が印象的だったんですよね。
甘糟:社長が号泣しながら「社員は悪くありませんから」というね。本にも書きましたが、山一證券の社員だったりすると、結婚式に「縁起が悪いから来ないでくれ」と言われたりとかして、今だったらハラスメントになるような扱いで。
上層部の一部応はわかっていたと思うんですが、わからずにブイブイしていた社員は、本当にびっくりしたと思いますけどね。
長倉:あと、今回僕が株価とかを見て印象的だったのは、どれだけ日本がその後やばかったか。今でも苦しんでいると思うんですが、1989年の12月の日経平均株価が3万8,000いくらだったわけじゃないですか。
甘糟:3万8,915円かな?
長倉:当時、アメリカのダウ平均は2,000ドルぐらいだったわけじゃないですか。今はダウ平均で3万5,000ドルあるわけですよね。だからアメリカの株価は10何倍になっているんですよ。でも、日本の株価は未だに3万8,000円は超えられないという。
甘糟:何がいけないんだろう。バブルがいけないのかな。
長倉:バブル時代が未だに“後遺症”というか……。僕の感覚だと、今回のオリンピックもそう思ったんですが、税金とか会社の金とかも含めて「人の金を何だと思っているんだ」というような人たちがけっこういるなと思っていて。
甘糟:「申し訳ありません」というぐらい、バブルの時は……。
長倉:(笑)。何でも経費で落とせたりしていたと思うんですよね。その感覚が未だにあって、アメリカみたいに合理化された経済には立ち行かなくなってきたというか。
甘糟:私も顔パスでディスコに入って、そのディスコで見聞きしたことを書いてお金をいただいていたわけですから、本当に申し訳ございませんというか……。
長倉:公務員とかもタクシーチケットがバンバン配られていて、という話があったじゃないですか。
甘糟:現金をもらうこと自体はなくても、顔パスとかで回っていると言うか、現金が自分の手に入らなくても遊べちゃった感じでしたけどね。
長倉:そこが大きく違うと思うんですよね。
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