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中野信子氏 インタビュー(全3記事)

「言葉がいらなくなった社会」では何が起きる? アート、意識、人間性から中野信子氏がひもとく近未来

新型コロナウイルスの蔓延によるリモートワーク普及の影響もあり、ビデオコールやチャットなど、コミュニケーションの手段が少しずつ変化してきている、昨今。将来的には「言語」にとどまらず、映像や音楽、脳内アイディアを用いた「非言語」によるコミュニケーションが増えてくる可能性もある。そこで、それらが人間社会に与える影響について、脳科学者・中野信子氏にお話を伺った。本パートでは「非言語によるコミュニケーションが人間社会に与える影響」などについて、中野氏に語ってもらう。

人間は嘘をつく生き物

――最後は、非言語によるコミュニケーションが人間社会に与える影響についてお聞きできればと思います。たとえば「自分の脳内に浮かんだアイディアを、お互いに共有できるようになったら」とか。

中野:なるほどなるほど、そういうテクノロジーの使い方、いいですよね。口下手でなかなか自分を売り込めないけれども、実際にやらせてみるとものすごく腕がよくて天才的な職人とか、そういう人がもっと評価されるようになる世界ですよね。日本人は口下手で損していると、よくヨーロッパでは聞きましたけど。

「でもスキルフル」だねって。そういう人にとっては得な未来もしれないですね、伝わることが可能になると。

――では、思ったことが自動的に相手に伝わる未来が到来したとしたら。「以心伝心」がスムーズに行えるようになったら、コミュニケーションはどうなるでしょうか。

中野:もちろん、うまく隠す方法が発達すると思います。

――それをできるようになったとしても?

中野:できるようになったとしてもです。嘘が必要な生きものだから人間は(笑)。人間がなんで嘘をつく能力を持ったのかっていう問題は、なかなかおもしろいと思うんですよね。ちょっとスペキュラティブなものではありますけれども、そもそも人間がなんで体毛を失ったのか、という話がある。

髪の毛などは別として、人間の体毛は他の哺乳類と比べるとすごく薄いですよね。毛も細いし、そもそも薄い。これは肌、人間の皮膚がコミュニケーションのための器官だったからじゃないのかという解釈があるんですよ。

もちろん、いろんな説があって、本当にどれかはわかんないんだけど。でもそういう仮説があるというのがそもそもおもしろい。非言語的なメッセージを伝えるのにすごくいいデバイスですよね。皮膚というのは。感情によって血流や発汗が左右されるから微妙だけれど色や質感も変わるし、筋肉のこわばりとか、言語と一致しない不自然な姿勢とかが見えて、非言語的なメッセージが相手の状態で伝わるものなんです。

では人間が体毛を失って、コミュニケーションできる部分の面積が広がった、という説を仮に採用して話を進めてみましょうか。結果、何が起きたか。保温の目的以外での衣服の使用ですよね。肌に彩色や刺青をすることも行われましたし、装身具も発達していきましたね。これは、もっと裸になってコミュニケーションをどんどんとろう、という方向にはいかなかった、ということなんじゃないのかな?

本当の自分の状態を知られたらまずい、もっとよく見せなくては、となった。社会を安定的に維持していく上で不都合なんですよ。本音が即座に伝わっちゃうと。共同体の最小単位の中ですら、そうでしょう。奥さんには反応しなくなってるのに、お隣の中学生のお嬢さんには反応しちゃったとか。絶対隠したいでしょ。社会を安定的に維持していく上では。

テクノロジーがどれだけ発達しても、人間そのものが変化するわけではない。だから「本音が非言語領域でつながるコミュニケーションが可能になりました」という技術革新が起こったとしたら、必ずそれをスクランブルにかけるようなデバイスができてくるはずだと思います。

嘘のつけない社会を人間は維持できないんじゃないかな。もし、嘘のつけないコミュニティが実現できたとしましょう。そうするとそのコミュニティは、嘘をつく個体がどこかからコミットしてきた途端に、もう崩壊がはじまります。崩壊の様子は、パゾリーニの『テオレマ』みたいなイメージかな……。

――それは、その「嘘をつく個体」の方が覇権を握るからということですか?

中野:そうです、そっちの方が得だからです。

――実際にイメージを何かを媒介にして相手に伝えるとなった時に、見た目と色と匂いと重さと温度みたいなものが、ごちゃ混ぜになったような物体が相手に提示されたりするんですかね? あんまりイメージできないですよね。

中野:いわゆる「表象」ってやつですね。 この語にも混乱があるんだけど、まあここで議論するには長くなりそうだから詳しい話は飛ばしましょうか。「概念」と似たようなものですけど、よりもっと感覚的だったり具体的だったりするので、区別して表象と呼ばれている意識内容のことです。プラトンは、事物の超感性的な原形、といってますね。

そういう情報が、オンラインに乗る感じになったら、たしかにそれはおもしろいかもしれないな。それを使ったアートとか想像するだけでおもしろい。

ノスタルジーの共有

――なるほど、アートはおもしろいですね。音楽とかイラストとかは、表現がかなり変わってくるんじゃないかなと勝手に思ってます。従来、曲・音楽だったら「メロディと歌詞」でしか表現されなかったものに、さらにプラスアルファで「なにか心を揺さぶるような要素」が入ってきたりとか。イラストも何か入ってきたりするのかなと思うんですけど。

中野:私よりウェブメディアでお仕事されているみなさんの方が得意だと思うんですけど、バズる要素ってあるじゃないですか。懐かしいとか感動とか、俺にもひとこと言わせろとか。今まで言語でしか表現できなかったそういう要素が、もう言語にしなくていいわけですよね。

「昔、駄菓子屋に仲良しと行った時のなつかしいあの感じ」とかが、そのまま伝わってくるわけでしょう? いいですよね。「虹を見たとき」とか「初めて一人で電車に乗った日」とかね(笑)。

――確かに、ノスタルジーとかって、おじさんに話されても伝わんないですもんね。「あの町は昔、こうだったんだよな」みたいなのって。「ああ、そうですか」という感じ(笑)。

中野:そうそう(笑)。ジブリの『コクリコ坂から』ってご覧になりました? あれやっぱり、我々の世代にはちょっと刺さりにくかった(笑)。

――そうですね(笑)。

中野:我々の親世代くらいの人ならとても刺さる話ですよね。だから親世代の人みんな、あれ見てちょっとほろりとするというのがあったと思うんですけど。

――学校のやつでしたっけ?

中野:そうそう。ああいう世代に限定的に共有されているストーリーを知らないのに、その懐かしい切ない感じだけを伝えられるとなったら、ちょっとおもしろいなと思うんですよ。

人間は誰でも、たぶん同じような感じを味わう体験というのをどこかでしていたり、それまでの経験からある程度は合成できたりすると思うんですよ。でも、特定のああいう校舎ではないし、横浜という特定の場所ではないし、ああいった社会運動めいたことでもない。でも、若い頃に誰でも持っているような、ちょっと熱い青い感じというか。

――クレヨンしんちゃんの映画で『オトナ帝国の逆襲』ってあったんですよ。それで、ひろし(主人公の父)が結婚して子供が生まれて「こうやってしんのすけ(主人公)を育てていった」みたいなのが、走馬灯のように流れるシーンがあって。

もちろん見てる人が体験した人生はみんな別々なんですけど、でもそういうのを見て「結婚して、子供育てるってこんな感じだったな、そういえば」みたいな。自分の中のノスタルジーに勝手に重ね合わせて、みんな泣くみたいな。そんなシーンなんですけど。そういうのがもっと自由にできるようになったら、表現はどんどん変わってくるなと思いました。

中野:おもしろいですよね、そういうの。ポルノとかもぜんぜん変わっちゃうんだろうな。男の人用のポルノはもしかしたら、あんまり変わらないかもしれないけど、女性用のポルノのそういうテクノロジーに沿っての発展を考えると。女性は別に、裸が見たいわけじゃないですからね、男の人の(笑)。なんだろうな……これこそ言語化できないわ(笑)。

――それは言語化して大丈夫な奴なんですかね?(笑)

中野:大丈夫なやつ……だと思うけど……。「溶け合っていく」ような感じがいいわけじゃない、女性は。人によるかもしれないですけど。少なくとも自分は、その感覚だけを配信してくれるのがあったら買いますよ。

ヒトとチンパンジーの差は、わずかしかない

――でも、芸術とか他のコミュニケーション手段って、言葉でのコミュニケーションに比べてめちゃめちゃコスパ悪いですよね。

中野:データ量を分母にして、その分子をエフェクトだとしたら、データ量のわりに経済的なエフェクトは小さいかもしれない。そういう意味では、コスパが悪いっていう試算にもなりますよね。

――もっと手軽にできれば……スタンプ選ぶぐらいのレベルで絵を描いて提示して「私、今こんな気持ち」とかできれば、もしかした人は言葉じゃなくてそっちを使っているかもしれないということですね。

中野:確かに、そう思いますね。言葉はやっぱり、情報を圧縮できるのがいいんですよね。とくに日本語なんか、ものすごい圧縮率で(笑)。みんなが使っているだけのことはあるというか、すごい発明だと思います。人類はこれがあるからこそこんなに繁栄しているのだという説にも、やっぱり一票入れたくなりますよね。

あと、言葉を語る上で忘れてはならないのが、有名な「FOXP2」。

――(検索して)えーと「人間が話せるのは一個の遺伝子の変異のせい」ってやつですか?

中野:そう。これはちょっと前にめちゃくちゃ話題になったやつで、なんとチンパンジーと人間で、本当にほんのちょっとしか違わないんですよ。たった2塩基。こんなほんのちょっとの塩基の差が、人間に言語の使用を可能にしたのかもしれないというのがおもしろいですよね。

このFOXP2というのは、遺伝子の転写の調節をしているんです。2塩基しか違わないんだけれども、培養細胞で調べると、ヒトのFOXP2はチンパンジーのFOXP2とは全く違う複数の遺伝子を活性化するみたいですね。そこに何か、言語を使いこなす能力の秘密があるんですね。

チンパンジーとマウスのFOXP2はまあ同じといえるんですけど、進化距離という考え方があって、マウスと霊長類の進化距離は1億3千万年と言われています。ヒトとチンパンジーは500万年。ずいぶん短い。つまり、1億3千年間も不変だったFOXP2なんだけど、ここ最近の500万年の間に、一気に2つも変わったということです。おもしろいね。

アートが持つ、人間の業を肯定してくれる力

――最後、これだけお聞きしたかったんですけど。今、アートって注目度が上がっているじゃないですか。

中野:そうですね。

――ああいった非言語領域というか、白黒つけられずに評価が難しいもののニーズが世の中的に上がってきているのかなという。そこには「数字で判断できない価値」というのが、背景にあるのかなと思ったんですよね。

中野:なるほどなぁ。必ずしも事情はそんなに美しいものとはいえないかもしれないね。例えば、富裕層が自分のステータスをアピールするためにアートを使うのが話題になったというのが、もちろん大きな事情としてはあるでしょう。アピールするのがいい悪いとかいう話ではなく、そのことでビジネスも軌道に乗っている印象を与えることができるし、広告にもなり、それこそコスパは悪くないと思いますよ。

そのステータス神話としてアートが使われるようになったのは、大きな目で見れば良いことだと思いますけども。お金、不動産、女、車とかじゃなくて、アートに目をつけるのはいいことなんじゃないかなと思うけれども。

じゃあ本当の意味で「その人はアートが好きかどうか」というのは、なんとも言えないところがあるかもしれませんね。好きだということと、目利きである、センスがいい、ということも、あんまり一致しないしね。しかも、どれだけアートが好きな人でも、やっぱりヴァニティとは無縁ではないというか。コレクション中のいろんな作品を「こんなの持っているんですよ、すごいでしょう」と見せたいものだと思いますし。

混沌としたものだと思いますよ。美しいばかりがアートではないし。とくに現代アートはそうですよね。だけど、美しくないものが存在する意味を肯定する力というのもアートにはあって、それがいいんだと私は思っているんですよね。

さっきの『Piss Chris』も酷い作品だけど(笑)。クリスチャンから見たら、本当に冒涜的な酷い作品だけれども「人間にはこうやって、聖性を認めたうえで、同時にそれを冒涜したい気持ちも同じ次元の中に存在するよね」というようなところに思い至らせてくれたりもする。

今まで、何千年もかけて強化されてきた破れないガラスの天井のような、宗教の通念が自分の真上にあると感じてきたけれども、こういう抵抗の仕方もあるんだと思う人もいるかもしれない。いろんな感想があるでしょう。ともあれ、人間の業を肯定してくれる力が、アートにはあって、私はそこが今、本質的には求められてるのかなと思います。

「非言語領域を形にする」のがアーティスト

――なるほど。非言語とかとは、ぜんぜん別の文脈でということですね。

中野:ん~どうだろう。業こそ非言語じゃないのかな。「阿頼耶識」(あらやしき)って聞いたことありますか? 大乗仏教の概念なんですけれども、知っている人どれくらいいるのかな。「眼(げん)」「耳(に)」「鼻(び)」「舌(ぜつ)」「身(しん)」、要するに、五感ですねこれは。それを超える第六識として意識があって、第七識として末那識(まなしき)があって。

この末那識というのは、いわば「オートマチックに動いている脳機能」とでもいうものです。第八の阿頼耶識は、個における一番深層にあるものと考えられていて、そこにはいろいろな私たちの、ちょっと目にしたものだったりとか、聞いたニュースだったりとか、によって起きた諸々のものまでも蓄積されていく。例えば「自分はレイプにあったことはないけれども、レイプ事件のことを見聞きして、本当に男の人が好きになれなくなっている」みたいなのもそうかもしれない。

そういうものを、どんどん溜めていく場所だと言われているのが阿頼耶識、とあまりにもざっくり説明しすぎているけれど、ここの感覚は普段は言葉になることはないんです。普段は表に出てくることはないんだけれども、だけどもその人の創るものとか、発する何かに必ずそれは深く影を落としている。阿頼耶識って要するに今の文脈でいえば、非言語的な表象ですよね。そのコントロールが人間は意識的にどこまでできるんでしょうかね? というのはとても興味深いと思うんですよね。

ただ、これは人間が直視すると、なかなかしんどいものがあると思いますよ。子どもの頃に受けた酷い記憶とかが、他人が発したネガティブな言動の断片まで仕舞われている領域だから。

――PTSDとかとは違うんですか?

中野:PTSDと東洋思想の関連は、もっと研究されてもいい興味深いテーマですけど、まだその辺は何とも言えないという状態ですよね。臨床家の一部の人は独自の方法論を持っているかもしれませんが。

「誰々さんと喋るだけで、蕁麻疹が出る」とか、謎の反応がいろいろあるでしょう。その謎の反応の黒幕に阿頼耶識がいるんじゃないかな、という解釈はできるかもしれませんね。

だから、その部分はアートにかなり影響しているというか、創作する人の原動力になっている可能性もおおいにあるんですよね。「アーティストの業は深いね」と言われたりとか(笑)。でもその部分を見たくて、わざわざ作品を見にいったりすることもあるんですよね。それはその人だけの記憶ではなくて、その人が代表して持っているような「人類そのもの業」であったりもする。

これからの課題を言語化はできないけれども、鋭敏に感じ取って「こういう未来が来るんじゃない」かみたいに、予言的な作品を作ったりとか。そういうことができるのが、アーティストという人たちだと思うのです。それは上手な絵を描く・描かないということじゃないんですよ。

この非言語的な、つまり言語化するとちょっと伝わりにくくなっちゃう「おかしなこと言っている」みたいになっちゃうメッセージを、形にして出す力のある人たちが、現代ではアーティストと呼ばれているのかなと思っています。

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