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人工知能の進化にみる、クリエイティブの可能性とは(全3記事)

人工知能が世界を最適化しても、クリエイティブの価値は変わらないと茂木健一郎は語る

2018年4月27日、株式会社アマナが主催するイベント、「人工知能の進化にみる、クリエイティブの可能性とは」が催されました。近年は、AIコピーライターなどが登場し、人工知能には不得手とされてきたクリエイティブの領域でも、さまざまな変化が起こりつつあります。クリエイティブの仕事に関わっている人々がテクノロジーとどのように向き合っていくべきか、これからのクリエイティブの未来と可能性について、脳科学者の茂木健一郎氏が独演会を行いました。本パートでは、日本の「わびさび」文化に代表されるエフェメラル(儚い)なものが注目を集めるなか、そのようなどこか欠けたクリエイティブが、シンギュラリティを迎える世界においては重要になってくると語ります。

日本の「わびさび」に世界が注目

茂木健一郎氏(以下、茂木):どちらかっていうと今はターゲットが見えにくい時代です。昨日も新潮社の人と話してたら同じこと言うんですよね。本当にクリエイティブの方向性は見えにくい時代だと思いますね。

僕は昨年、英語で本を書きました。初めて最初から最後まで英語で本を書いたんですけど、日本語の「生きがい」っていう概念について書いたんです。イギリスの出版社から出して、それがアメリカでも出版されて、全30ヶ国28連合で出版されることが決まっています。

だから、日本のエージェントが毎週のように来るんですよ。「インドネシア語の表紙はこれでいいか」って言うから「いいですよ」。「ハンガリー語はこれでいいか」「いいですよ」みたいな。

最初は生きがいについて書く予定はなかったんですけど、向こうの出版社としゃべってたときに、今、日本のそういう概念はものすごく注目されてるわけですよ。生きがいとか、今回のTEDでも、もののあわれってなんか言ってました。どっかのラップミュージシャンが「いやあ俺のラップミュージックはさー、もののあわれなんだよね」って。「ええ!」みたいな(笑)。

あと、日本人以上に「わびさび」というのはもう世界のクリエイティブですごいことになっています。「わびさび」についてちゃんと元を振り返って考えると、「わび」は不完全であることですよね。すべてが整ってなくても、不完全でもそれを「わび」と呼んで、美意識としてそれを認める。

「さび」は年月の経過に伴って劣化していくことですよね。俺のこの白髪なんて「さび」ですよね。実は、多くの人が白髪染めで髪の毛を染めてるって事実に2~3年前まで気付かなくってさ(笑)。

重要なのは、方向性を見定める直感と感性

これが「さび」ですよ。「わびさび」は不完全でもいいし、時間が経過して劣化していってもそれを愛でることができます。これが今、世界のクリエイティブでものすごく注目されてます。それから金継ぎが今きてるんですよ。器が壊れちゃっても、それを金継ぎして使い続ける。

聞くところによりますと、中国などでは完全性を求めるんで、例えば南宋の焼物は完全なものを非常に求めている。日本人はそれはそれでいいんだけど、それがなんらかの理由で割れたとしても、金継ぎしたその模様をむしろ景色として楽しむ。

有名な例としては『東海道五十三次』という有名な茶碗があって。それは呼続といって、もともとバラバラの別の茶碗だったものを53個破片を集めて金継ぎして、1つの茶碗に仕立てたものを『東海道五十三次』という銘にして、それはそれで非常に珍重されています。そういうことも今世界のクリエイティブですごく注目されてるわけなんです。

そうなると、我々Tokyo Daysのクリエイターですよね。みなさんクリエイターで、クリエイティブ(をやられている)。俺も一応クリエイティブの端っこにいて、底辺ユーチューバーも含めいろんなクリエイティブやってるわけですけど、今はトレンドを読むのが極めておもしろいというか、難しい時代になってきてるわけですよね。

じゃあ、人工知能時代のクリエイティブはどうすればいいか。一番大事な資質を一言で申し上げれば「こっちの方向だ」っていう直感と感性なんです。これに尽きるんです。これを見極めるのが一番価値があること。

10年くらい前だったかな。「シックスセンシズ」ってリゾートがあるんですけど、ここの創業者(ソヌ・ダサニ氏)が日本に来たときにしゃべったんです。そうしたら「No Shoes ,No News」だと。つまり、「シックスセンシズ」のリゾートは入口からもう靴を脱いでもらって、Newsも届けないと。

ふだん忙しい生活をしてる人が、「No Shoes ,No News」でゆっくりとした時間を過ごしていただくのがラグジュアリーの方向だっていうことを、10年くらい前に言ってました。彼はインドの出身の方で、見事なクイーンズイングリッシュをしゃべる人だったんですけど、その方向性は正しかったわけですよね。

何を求めるか、それを判断するセンスが必要

ラグジュアリー、たぶんブランディングっていうのも、ある意味では今のその流れに乗ってるじゃないですか。焚火をするとかいうことが非常にラグジュアリーだって言う。その方向を見誤らないことがやっぱり、クリエイティブで一番大事なことになると予想されます。

そのあとのディテールの辻褄合わせは意外と人工知能が(やってくれる)。例えばGoogleのディープラーニングのエンジンを使うと、「こういう感じの写真で著作権的にOKなものを生成してくれる?」って言うとやってくれるみたいな。

今のところコピーライト的なものってどうなるかわからないんですけど、ストックフォトの概念がAIで変わっていく可能性はあるので、アマナさんのビジネスにかなり重大な影響が出てきそうですね。何かしら対応していった方がいいような気はします。

意外ともう、アートディレクター的な立場で「何を求めるか」が問われる時代になることが予想されるわけなんですね。ここのセンスを磨くことがものすごく大事なんですよ。変な例なんですけど、みなさん、『サウンド・オブ・ミュージック』はもちろんご存知ですよね。

最近学生としゃべってたら「いや見たことない」って。「何言ってんだよ。ドレミの歌ってその映画でできたんだぞ」って言ったら「ええー!」とか言ってましたけど。

『サウンド・オブ・ミュージック』って、英語のWikipediaで見るとなんて書いてあるかご存知ですか? 『サウンド・オブ・ミュージック』はどういう性質の映画かって、誰かわかる方。プロパガンダ映画って書いてあるんですよ。クリエイティブのセンスって、そういうところにあるわけです。

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どういう方向性で作品を作るかが一番大事

『サウンド・オブ・ミュージック』が、どういう映画だかご存知ですよね。音楽を愛するトラップ大佐一家がいて、ナチスの方々に迫害されるので、自由を求めて国外に脱出するっていう映画でしょう? 

あれは、本質においてプロパガンダ映画なんですよ。そういう目で見たことないじゃないですか。センスの悪い人が作ったら、そういう映像になっちゃう。でも、あれはプロパガンダ映画なんですよ。

そういう意味においては、映画史上に燦然と輝く『カサブランカ』もそうですよ。ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンが出てくる。あれも有名な「You must remember this. A kiss is just a kiss, a sigh is just a sigh」っていう、あのアズ・タイム・ゴーズ・バイっていうシーンが有名ですけども。あれは、プロパガンダ映画を戦争中に作ってるんです。

つまり、クリエイティブってそのセンスなんです。映画でもコマーシャルでも、なんでもそれなりの資本を使って作るわけじゃない。そのときに、クリエイティブとしては「どういう方向で何を作るか」が一番大事なところなわけですよ。そこでいいものを作っておかないと、結局みんなが不幸になるわけでしょう。

人工知能がシンギュラリティを迎える

実は最近になって、全映画のジャンルの中で最も高い評価を得るようになってきている映画があるんですよ。それはかつてはSF映画としか捉えられてなくて、しかもSF映画としてもかなり難解な映画として捉えられていた。

その原作を書いたのはイギリス出身のアーサー・C・クラークですけど、当時スリランカに住んでて、スリランカからニューヨークに飛んで、監督のスタンリー・キューブリックとずっと話し合って、映画の小説を書いた。キューブリックはその映画を描きつつ、作り上げたのが『2001年宇宙の旅』。

この映画は今、SF映画の中で特出した作品として評価されてるだけじゃなくて、全ジャンルの中で高い評価を得るようになってきてるんですね。これが実は、流行りの人工知能とシンギュラリティを描いた映画なんです。人工知能がシンギュラリティを迎えるとどうなるか。シンギュラリティというのは、人間の知性を超えてしまう(ことです)。

もっと正確に言うと、シンギュラリティの定義は、人工知能が自分自身を改良するようになり、人間のコントロールを離れるブラックボックスになって、人間の知を超えてしまう状態になったときに起こる人工知能の暴走です。

『エニグマ』という映画で、イギリス政府の秘密プロジェクトで、ナチスドイツの暗号を解読するための天才数学者の集まりがあって。(主人公の)アラン・チューリングは、今のコンピューターの原理を考えた人で、その方を中心とする活躍でエニグマが解かれ、ドイツが次にどこを攻撃するかがわかって、第二次世界大戦の帰結に非常に大きな影響を与えたという有名な話があるんです。

そのアラン・チューリングと一緒にエニグマ解読のプロジェクトをやっていた、I・J・グッドという方が、実はシンギュラリティの概念を最初に出したんですね。自分自身を改良する人工知能を作ることが、人類の最後の発明である。ラストインベンションである。

それ以降、人類はやることがないということを、I・J・グッドは論文で書いたわけです。『2001年宇宙の旅』のHALという人間に反逆するコンピューターのあの造形は、そのI・J・グッドがアドバイスしてできたんですよ。だからものすごく本筋に則った映画なんです。

クリエイティブの世界は万華鏡のように

最後、白い部屋に老人がいる難解な場面があるんですけど、なんとあそこの照明を担当してたのがある現代美術家なんですが、誰だかわかりますか。日本だと『光の家』とかを作ってる。誰でしょう。これはどうでしょうか? 光の家は直島にもあります。

観客:ジェームズ・タレル。

茂木:ジェームズ・タレル! 流石ですね。ありがとうございます。実はその照明を担当していたと、ジェームズ・タレル本人が言ってました。直島でタレルさんとセッションがあったときに、本人が「いやー、昔は金なかったからさ、『2001年宇宙の旅』の最後の白い部屋の照明、俺やってたんだよね」「ええ!」みたいな。

最近英語のWikipediaを見たら、まだタレルの方にそれは書いてなかったんで、いまだに知られてない事実なんですけど、いいのかなここでしゃべっちゃって。まあいいや。

『2001年宇宙の旅』みたいなクリエイティブの方向性を見切ったら、あの映画に関わった人って、みんな幸せになるわけじゃん。それは苦労したと思いますよ、キューブリックって変わった人だから撮影中にいろいろなことがあって、大変だったとは思います。

でも例えば、次の世代で「うちのパパは『2001年宇宙の旅』に関わったんだ」とか、「うちのおじいちゃんは『2001年宇宙の旅』のなんとかを担当したんだ」って言えるじゃないですか。いいクリエイティブはみんなを幸せにするわけよ。

ところが、その方向を見極めるのが本当に本当に難しい時代ですよね。みなさん、どうされます? ちょっとここまでの話を整理しますね。AIによって、どんどん技術要素は増えていくと。例えばAppleのGarageBandみたいなのでは、ループとリージョンで音楽を作れる。そんなツールがどんどん出てくるから、みんなが高畑勲とか小澤征爾みたいな立場になれるようになってくる。

それを前提にみんながクリエイティブを考える時代になってくるっていうことなんですけど、じゃあ人工知能は何が足りないか。評価関数が定まればそれを最適化できるんだけれども、評価関数は自分自身では与えられない。それに、今のクリエイティブは分裂しちゃってるんで、ラノベと芥川・直木賞はまったく違う世界になってお互いに交流しなくなってる。

そうなると、もう本当に万華鏡のようにバラバラになった世界のクリエイティブ状況なので、自分をどっちに持っていくかはすごく感性のいることですよね。

自分がいいと思うものを見つけることが「批評性」

青山二郎は骨董収集鑑定でも有名になりましたが、最初はあるお金持ちの方に中国陶器の整理を頼まれて何万点も見たそうなんです。その中で自分がいいと思うのは数点しかなくて、そこから目利きというものになっていった。小林秀雄が「私は秀才だが、青山だけは天才だ」というような存在になったわけですけど、脳の仕組みからいうとやっぱり、いろんなものに触れるしかないんです。

長谷川祐子さんは東京都現代美術館のキュレーターで、今は東京芸大の教授をされてますけど、批評性をこういう言葉で語られています。「これは違う、これは違う、これは違う、これは違う、ここにあった」。批評性というのは、なにかダメなものをダメ出しすることではないんです。自分でいいものが見つかるまでやって、次から次へと移動していくことなんですよ。

その「いい」ということをどう脳が捉えてるかというと、僕の専門である「クオリア」の分野になってくるわけなんです。やっぱり「いい」という質感は、言葉では表現しきれない。数値化もできない。我々はクオリアとして覚えていくしかないわけですよ。

例えば写真を撮る方が、「シズル感」が欲しいと言う。シズル感というのはクオリアですよ。日本ってキラキラとかギラギラとかピカピカといったオノマトペがたくさんあって、これ全部クオリアなんです。

我々はさまざまなものをクオリアとして捉えていて、1つの作品、1つのビジュアル、1つの表現にはある固有のクオリアがあるわけです。それをいっぱい入れて、自分の中で消化して、自分が今欲しい感覚方向がこうだ、ということを直感や感性で捉えるしかないんですよね。そこにしかクリエイティブの方向性はない。それをいかに作るか。

グレン・グールドがバッハのゴルトベルク変奏曲を録音して出したとき、「バッハにこんな側面があったのか」とみんなが驚いたわけですよね。グレン・グールドは、「こういうクオリアでゴルトベルクを演奏してみよう」というディレクションがあったから、あれができたわけでしょう。

技術はあとからついてくるわけですよね。ひょっとしたら、将来的にはこういうクオリアで聴きたい、弾いてほしいっていう指示をしたら、自動的に演奏してくれるAIが出てくるかもしれないです。

練習を繰り返し、経験値を積むことの価値

問題は「こういう方向でいきたい」ということを、本人が掴んでいるかどうかなんですよ。これがいわゆる感性とかいわれるものですよね。みなさん、感性ってよく言葉にならないとか曖昧だというんですけど、実は、クリエイター本人はそれをはっきりと把握してる場合が多いんですよ。

問題はここからです。こういう感じが欲しいんだと、本人にはわかっている。だけどそれをどう人に伝えるか、コミュニケーションするかがクリエイティブの本来的な仕事になってくるわけですね。それは物(ぶつ)を作ってみるしかない訳です。

ここの経験値がこれから蓄積されていくだろうと、僕は予想してるわけです。つまり、遊んでみるしかないんですよね。例えば、GarageBandのシステムは一曲しか作ってないので、それ以上は遊んでないんですけど、あれを10曲、100曲、1000曲って作っていったら、きっと、だんだんだんだんわかっていくわけです。

とにかくツールを使っていろいろ遊んでみて、試行錯誤することによって、何が起こるかと言うと、自分のクオリアの感性と外部的な表現にループができて、そこでお互いに刺激を与えて、クオリアの作り込みができるようになってくるわけですよ。

「1万時間の法則」って、お聞きになったことあると思うんですよ。マルコム・グラッドウェルが言ってる、1万時間なにかをやると、だいたいどんなものでもエキスパートになれるという。

もともとはヴァイオリニストで、音楽家でコンサートヴァイオリニストとして活躍できるレベルの人と、レッスンをするプロとなにが違うかというと、一番違うのは練習時間だったというデータがあります。

グラッドウェルが挙げている例は、ビートルズ。なんであんなに完成された姿でいきなりデビューしてきたのかと言うと、彼らはハンブルク時代、酒場のオーナーに一日8時間とか10時間とかずーっと演奏させられ続けてたんです。普通は酒場で演奏するって、「1ステージ45分です」「2ステージ、今日はご苦労さま」じゃないですか。

ビートルズは、あのメンバーでずーっとやってたって言うんですよ。だから、マルコム・グラッドウェルの説は、ビートルズが卓越したバンドになったのは、それだけ演奏時間を重ねてたからだということです。

天才! 成功する人々の法則

世界でエフェメラルなものが注目されつつある

来日公演に行かれた方は、ポール・マッカートニーが水も飲まずにずっと、あの3時間のステージをやっていたのをご覧になったことがあると思うんですけど、あれがポールの無名の時代からの日常だったわけですよね。

そうすると、優れたクリエイティブがどこから生まれるかということですが、なにか新しいツールが生まれた時に、ひょっとしたらAIによる画像の生成ツールかもしれないけど、それを上手くループさせて、自分のクオリアの感性といろいろインタラクティブできることが重要です。

結局、アートディレクターとかクリエイティブディレクターとか、全体を俯瞰する立場として、さまざまなものを見渡すところで卓越性を発揮できるような人が、これからのクリエイティブでは一番輝くだろうと。

ツールがだんだんできてきているわけだから、そこでの感性の勝負はおもしろいですよね。先ほど申し上げましたように、日本のいろんな概念というのは今、世界的な注目が集まっているわけで、本当にチャンスです。

東京はもう「世界で最もクリエイティブな都市だ」と言われていて、もののあわれと言った外人もラッパーも、「日本人は1週間しか咲かないチェリーブロッサムを、それなんかすっげえいいって見てるらしいんだよ」と言ってるんですよ。

花見って、日本人だったらものすごく当たり前なことなんだけど、外国の人は、やっとそれを発見し始めている。英語でいうとエフェメラルなもの。エフェメラルっていうのは、一瞬で過ぎ去っていってしまう、儚いもの。

今、世界中がそういうものをクリエイティブで大事にしようという方向にきてるわけじゃないですか。そうすると、エフェメラルなものってどういうときにやるのかな。例えばさっきもエフェメラルがあったっけ。

俺なんか、(モデレーターの)タジリちゃんが「飛行機が着いたらメールしろ」とか言って、島根からバスターミナルでバスに乗って、(この講演が始まるのが)17時だと思ってたから、必死こいて行って。

Google先生に、最初ここの近くのセンタービルとか訳のわかんないところに連れて行かれちゃって。わっせわっせとこの会場に着いたその勢いで登壇しようと思ったら、タジリちゃんが意外と余裕こいてて。「茂木さん、控室行きます?」って。「だって17時だろ、始まんだろ」って、あそこに立ってたじゃないですか。

俺にとってはあのときしかない雰囲気というのはあったんですよ。5分押しでこのイベントが始まった訳ですが、この場の雰囲気とか、みなさんとの交流とかで、そのときにしかないものってあるでしょう。

人工知能時代を生き抜くためにクオリアを鍛える

例えば、ぜんぜん好きでもない異性が自分に言い寄ってきてるとします。まあ今の時代、同性でもいいんだけど。「めんどくせえなこいつ、うるせえなー」と思ってたのに、その人が「私、恋人できたの」「俺、恋人できたんだ」って言ってきた。そのときにしか生まれない気持ちってあるじゃないですか。

ぜんぜん好きじゃない、興味ねえんだよシッシッ、と思ってたのが「恋人できたの」と言われた瞬間に「えー」みたいな(笑)。「いいんですか? 俺、私に来なくていいの?」みたいな。そのときにしか生まれない気持ちってあるでしょ? それがエフェメラル、もののあわれってことです。

もののあわれは、それこそ本居宣長とかそういう方から、小林秀雄から、『源氏物語』の頃から、日本のすごく重要な文化的な伝統で、今も世界中から注目されている。それにも関わらず、なぜか日本人は忘れてるところがあるかもしれないんだけど、そうやって感性を磨いていくことでしか、もう人工知能時代を生き抜けない。なんでもののあわれがそんなにおもしろいかというと、評価関数がそんなにはっきりしないから。

とにかく「ビッグデータがあって、評価関数がはっきりするものは人工知能に任せよう」という時代になってくることは間違いないです。じゃあ、人間のクリエイティブの役割は、文脈がさまざまで評価関数がはっきりしない中で、自分は「こっちがいい」というイメージをまずはっきり持っていただくこと。

僕は東京芸大で6年間くらい教えていた時期もあって、意外とクリエイターと仲がいいんですけど、やっぱり抜きん出ないクリエイターは、本人の中でイメージがはっきりしてないんですよ。

いいクリエイターは、それを表現できるかとか実現できるかは別として、方向性の感覚ははっきりとしたイメージを持ってるんです。もちろん、偶然に発見されるものもありますよ。だけど、その場合でも偶然にできあがったものが「自分の基準に照らしてどうか」という、非常にはっきりとしたイメージを持ってる人がやっぱり際立っていくんですよね。

その「こちらがいいんだ」という感覚を持つことは、絶対に人工知能には教えられない。人間が切り拓いていくしかないんですよね。結局、自分のクオリアを鍛えるということに尽きるのかなあと僕は思ってます。

“欠けたもの”からクリエイティブは生まれる

そろそろ質疑応答にいきたいと思うんですけど、「ルネッサンスのときに、なんで芸術ができたのか」という話をしてて、「神様がこの宇宙を作って、それは自然法則で記述されるんだけど、そこに欠けてるものを人間は芸術というかたちで生み出したんだ」という説があるそうです。

そういった意味では、人工知能の時代では、クリエイティブの役割ってますます大きくなっていくと思うんですよ。つまり、人工知能って第2の神様みたいなものだと思うんですよ。ありとあらゆるものが人工知能によって最適化されていく。自動運転もおそらく実現する。そのときに、それでも足りないものってあるはずなんです。

仮に人工知能がこの世の中をすべて最適化してくれて、エネルギー問題も解決して、食糧問題も解決して、我々が幸せに生活できる環境が整ったとするじゃないですか。そこでも足りないものがクリエイティブなんですよね。

それはなんなのか。感動なんでしょうね。生きることなんでしょうね。クリエイティブの多くは、その人間の不完全性とか、死んでしまうということとか、傷つくこととか、そういうことから生まれてくるわけです。

僕が好きな話を1つ出すと、『脳と仮想』という本のなかで書いたんですけど、今はもうマジックの1つの原型になってる脱出マジックを考えたフーディーニという人がいます。彼がその脱出マジックを考えたきっかけが、精神病院の閉鎖病棟で患者さんがご自身を傷つけてしまうんで、拘束衣をつけないで閉鎖病棟に入れられているのを見学したあとだったらしいんですよ。

脱出マジック自体はエンターテイメントなので、起源にフーディーニのそういう経験があったなんてことは考えないんだけど、クリエイティブってそういうところがあって、刺さる作品や表現は、その向こう側に必ず人間が生きることの切実さがある訳ですよ。

ウルトラマンの脚本家の金城哲夫さんが沖縄戦を経験した人だというのは有名な話です。ということは、人工知能がいろんなことを最適化する時代に、人間は悩んで頼って傷ついて生きていくわけじゃないですか。

そうしたら、その限りにおいてクリエイティブの役割は絶対に変わらないし、おそらくクリエイティブというのは人間の生きる証です。我々がそこで、何かを感性でつかんで表現しようとする。それを僕は楽しい時代だと思ってます。

脳と仮想 (新潮文庫)

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