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ザ・チョジェ・リンポチェ師 インタビュー(全3記事)

「仏教の教えはたった1つの言葉に集約される」ダライ・ラマ法王のNo.2が今、日本人に伝えたいこと

西澤ロイの頑張らない英語。このラジオは、英語が上達しない原因を根本から治療するイングリッシュ・ドクターの西澤ロイ氏が、英語の効果的な上達法・学習ノウハウ、英語を使って活躍している方のインタビューなどを伝える番組です。今回のゲストは、ダライ・ラマ法王のNo.2といわれるザ・チョジェ・リンポチェ師です。現在はアメリカでチベット仏教の布教活動を行なうリンポチェ師に、チベット仏教から見た日本の姿を語っていただきます。(この記事はイングリッシュ・ドクター西澤ロイ公式ブログから転載しました)。

※本記事は英語のインタビューを日本語に翻訳したものです。

チベット仏教のNo.2、リンポチェ師が来日

西澤ロイ氏(以下、ロイ):本日のゲストをお迎えできて、ただただ光栄です。今回の放送が第80回目となりまして、それを記念して、今回はものすごいゲスト様をお迎えさせていただきました。

本日のインタビューは、英語で行なわせていただきます。今回のゲスト様は、チベット仏教の高僧でいらっしゃいます。ダライ・ラマ14世の70歳生誕祭では、最高執行責任者を務められましたザ・チョジェ・リンポチェ師です。

この放送をお聞きの皆さま、ザ・チョジェ・リンポチェ師をお迎えください。

ザ・チョジェ・リンポチェ師(以下、リンポチェ):みなさん、こんにちは。ザ・チョジェ・リンポチェです。短くして「リンポチェ」と呼んでいただいて構いません。アメリカに住んでいますが、チベット人です。両親はチベット出身ですが、私が生まれたのは難民キャンプです。最近はアメリカに住んでいます。

アメリカンネームとして「ザック・リンポチェ」と呼ばれます。日本だと「ザックー、ザックー」と呼ばれますね。

ロイ:リンポチェ様、本日はこの番組にご出演くださり、本当にありがとうございます。

リンポチェ:こちらこそ、とても嬉しいです。

リンポチェ師と日本の関係

ロイ:したい質問がたくさんあります。日本は何回目くらいでいらっしゃいますか?

リンポチェ:日本にはもう何回も来ています。1999年からですから、今は2017年です。

ロイ:18年前ですね。

リンポチェ:年に2回来ることもあれば、年に1回の時もあります。ですので基本的に、日本には「たくさん」来ております。

ロイ:それは「たくさん」ですね。ところで、日本の食べ物はお好きですか?

リンポチェ:はい、美味しいです。

ロイ:特に何がお好きですか?

リンポチェ:日本の食べ物は大好きなのですが、特に好きなものの1つがラーメンです。

ロイ:ラーメンですか!

リンポチェ:そして餃子。ラーメンと餃子です。

ロイ:僕もラーメン、大好きなんです。日本人に対して、どのようなことをお感じでしょうか?

リンポチェ:日本には美しい文化があると思っています。私が注目する一番重要なポイントは、日本文化が「敬意」の上に成り立っていることです。日本の昔の文化、例えばサムライの文化を見てみると、敵にさえも敬意を払うことを教えています。それはとても大きなことです。

少し前に日本に来た時にも、7月の17日頃だったと思うのですが、「海の日」と呼ばれていました。私は、これは何の日ですか?と尋ねました。「これは特別な日であり、海に対して敬意を払ったり、感謝をしたりする祝日だ」と教わったのです。

これはとても美しいことだと思うのです。日本には、伝統のある、美しい文化があるのです。人々も丁寧さを大事にしていて、他人に敬意を払っています。人と出会った時にも、お互いに頭を下げたりします。お互いに自己紹介をする方法も、独特なところがあります。日本には美しい文化があり、人々はその文化を取り入れています。それは美しいことだと思います。

仏教の教えは「敬意」に集約される

ロイ:昨夜、リンポチェ様の講演会に行きましたが、最初にされたお話が「敬意」でしたね。重要なことですよね。

リンポチェ:はい、いつもその話をするのですが、それが仏教の教えから私が学んだことなのです。お釈迦さまは実際、たくさんのことを教えていらっしゃいますが、全部を集めると、たった1つの言葉に集約されるのです。それが「敬意」です。

ロイ:敬意ですか。リンポチェ様は日本文化の中にそれをたくさん見いだしていらっしゃるのですね。

リンポチェ:はい、そう思います。日本文化の土台として、敬意が大元にあると思います。例えば、お互いに敬意を払うこと。もし自分の敵にさえ敬意を払うことができたら、誰に対してでもできるでしょう。

ロイ:確かにそうですね。そんな風に考えたことはありませんでした。この番組のメインリスナーは、日本に住む英語学習者の方々です。彼らは、将来の日本、ひいては世界を背負って立つリーダーだと僕は考えています。彼らに何かアドバイスをいただけたらと思うのですが……。

リンポチェ:素晴らしいことですね。このところ、世界はどんどん狭くなり、国境を超えて人々がつながれるようになってきています。そして英語が国際的に最も使われる言語の1つになっています。

ですから、英語をできるようになっておくのは良いことですし、そうすれば別の文化を持つ様々な人たちとつながることができます。ある意味、新しい世界になってきていると言えるかもしれません。英語を学ぶののも素晴らしいことですし……、実は私は日本語を身につけようと努力しているところです。

好きな言葉は「うたし」

ロイ:日本語で好きな言葉っておありですか?

リンポチェ:好きな単語ですか?「うたし」です。

ロイ:「わたし」ですか?

リンポチェ:いいえ、「うたし」です。

ロイ:「うたし」ですか……。

リンポチェ:「うたし」の意味が分かりますか?

ロイ:ごめんなさい。

リンポチェ:組み合わせた言葉なんです。「嬉しい」と「楽しい」と「幸せ」を。

ロイ:はあ、それで「うたし」ですね!

リンポチェ:日本語の単語にはありませんが作りました。私が作ったわけではなく、友人が使っていて、とても気に入ったのです。

ロイ:いいですね。面白いですね。日本人はとてもシャイなところがあります。謙虚すぎると言いますか。そして、英語を使うことを避けてしまいます。

リンポチェ:立ち上がって大きな声で「私にはこれができる!」と、日本人は世界に対して言うべきだと僕は思っています。確かに、日本人的な性質かもしれませんね。細かいことを大事にしたり、そこにこだわる気持ちが、日本人の心の中にはあるでしょう。一種の完璧主義のようなものが、精神性に含まれていると言いますか。

ですから、うまくできないことが分かっている時に、それを避けて最初からやらないことがありますよね。でも、何かを学んでいる最中なのであれば、口に出して言ってしまうべきだと思います。もし、間違えたとしても、きっとみんな理解してくれることでしょう。英語はあなたの母国語ではないのですから。

間違えたところで、英語をうまく話せる人たちは理解してくれるでしょう。それどころか、彼らは頑張って話してくれたことを嬉しく思うはずです。逆に、話そうとしなかったら、誤解をする人が出てきてしまうかもしれません。「もしかして私のことが嫌いなんだろうか」などと。

ロイ:だから、口を開くことが大事なんですね。

リンポチェ:間違いがあったとしても、もしあなたがちゃんと口を開けば、相手は喜んでくれるでしょうから、口を開いた方が良いのです。

蚊を殺すか、追い払うか

ロイ:ふと興味が湧いたのですが、「間違い」についてどのようにお考えですか?

リンポチェ:日本語は、チベット語と結構近いところがあります。例えば「私は行きます」というのを「行きます、私は」のように語順が違ったりします。でもそれは、文の作り方というだけの話です。時には文法的にちょっと間違えるかもしれませんが、それでも大丈夫なのです。

発音について怖がってしまう人もいます。「正しく発音ができていない」とか「正しい言い方ではないかもしれない」などと。でも、母国語が違えば、発音も違ってくるのです。英語を話す人たちの中であっても、イギリス人は発音が違いますし、アメリカ人も違います。

ヨーロッパの人たちが英語を話す時には、その発音もそれぞれ違います。ですから、発音がうまくできなくても、ちょっとした間違いに過ぎないのです。

ロイ:なるほど。1つ、個人的な質問があるのですが、私は2回、ブータンに行ったことがあります。ブータン人の99%がチベット仏教の信者であり、彼らは殺生を好みません。蚊さえも殺さないのです。とても素敵な考え方だと思い、自分でも採用しようと思いました。でも、日本にいると蚊を殺さないわけにはいかないのです。家族と住んでいると、退治を要求されるのです。

でもブータン人は、手で追い払うんですよ。それって、何というか、素晴らしいと思ったんです。

リンポチェ:チベットはブータンに似ています。ブータンとチベットは似た文化を持っており、動物がいると……それが蚊だった場合には、ただ手を振って、追い払うのです。もし道路上に昆虫か何かがいたら、つまみあげて、安全な場所に避難させます。

それは生き物の命に対する敬意のようなものであり、私たちは文化的にそのような信仰基盤を持っているのです。でも、多くの文化では、蚊などをすぐに殺してしまいますよね。でもそれは、時には人間の本能的なものなのです。

ある時、ダライラマ法王が玉座に座っておられ、二の腕の辺りに蚊が止まったのです。法王は、こんな風に手を挙げ、その蚊を叩こうとされたのです。でもすぐにこうおっしゃいました。「これは一種の本能だね。こうやって叩きたくなるのは人間の本能だよ」と。その後、こんな風に蚊を追い払われたのです。

ロイ:ダライラマ法王がそうやっておっしゃったんですね!

リンポチェ:はい。

ロイ:本当ですか!

リンポチェ:蚊に刺されたりするとチクッとしますよね。そうしたら、手が自然と動いて「パチン」と叩きたくなるものです。ですから人間の本能だと思うのです。もし無意識に、意図せずに叩いてしまうのであれば、それは仕方のないことです。しかし、意図的に殺そうとするのであれば、それはちょっと難しい問題になります。

自分自身に敬意を、人生に感謝を

ロイ:確かに難しいです。なるほど。もう時間が迫ってきていまして、最後の質問です。この番組を聞いているリスナーの方々にメッセージをお願いします。

リンポチェ:本日は、たくさんの方々とつながれる素晴らしい機会をいただいたことに感謝しています。私が伝えたいメッセージはいつも同じです。リスナーの国籍が違っても、特に違いはありません。私たちは、敬意と共に生きるべきだということです。敬意とは、自分自身に敬意を払うことから始まります。

自分自身に敬意を払うというのは、感謝をする、感謝の気持ちを持つことを含みます。例えば、自分の体に敬意を払うというのは、自分の体に感謝することを意味します。感謝の気持ちを持つべき理由は、あなたを生かすためにいろいろと働いてくれているからです。体の中を具体的に見てみると、例えば心臓は鼓動しています。私たちは心臓に敬意を払うべきなのです。

24時間休みなく、一生懸命働いてくれているのですから、あなたの心臓は少なくとも何らかの感謝や敬意を受け取ってしかるべきなのです。自分の体に敬意を払うのは一例です。そのような感じで、自分自身に敬意を払う。自分、そして他人の命や人生に対する敬意を払う。

そうやって芽生えた感謝の気持ちというのは、とても素敵な感情です。ありがたいという気持ちに満たされます。特に日本には、モノがあふれています。良いモノがたくさんあります。他の国々の多くの人たちと比べて、日本の生活環境は非常に良いと言えます。

ですから時には、自分の人生を深く見つめて、良いモノが身の回りにどれだけあるかを認識できると、それらの素晴らしさに対する感謝が生まれるかもしれません。「すごい! 自分の人生は素晴らしいものだ」という考え方を持って生きることができた時、人は自分の人生を肯定的に捉えられるようになります。

肯定的な気持ちで生きることがとても重要なことだと私は思います。物事をより肯定することができるようになると、より幸せな気持ちになり、より良い人生が送れるようになるでしょう。

ロイ:どうもありがとうございます。

リンポチェ:こちらこそ。

ロイ:みなさん、ザ・チョジェ・リンポチェ師に大きな拍手をお願いします。どうもありがとうございました!

リンポチェ:ありがとう。

ロイ:ということで、今回のゲストは、チベット仏教の高僧、ザ・チョジェ・リンポチェ師をお迎えいたしました。そして、キャンプファイヤーというサイトでのクラウド・ファンディングでご支援くださった方々、本当にありがとうございました。

以上、「西澤ロイの頑張らない英語」、お届けしましたのはイングリッシュ・ドクター、西澤ロイでした。お聴きくださり、ありがとうございました。それでは!

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