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Marina Abramović & Ulay | Art, Love, & Collaboration Pt. 1(全1記事)

“2人で1つ”だった芸術家カップル 万里の長城で別れ、裁判沙汰に至るまでの物語

お互いにパフォーマンスアーティストであり、パートナーでもあったマリーナ・アブラモビッチとウーライ。2人は、やがて自分たちを「2つの頭を持った一身」と表現するほどの信頼関係を結び、さまざまな作品を制作しますが、その関係も万里の長城で終わりを迎えます。その後、マリーナ・アブラモビッチは「パフォーマンスアートの祖母」と呼ばれるほど名を馳せましたが、共同制作時代の作品の扱いをめぐってウーライがアブラモビッチを訴えました。結果、アムステルダム裁判所は、アブラモビッチがウーライに25ドルを支払うように命じたのです。今回のYouTubeのアート系動画チャンネル「Little Art Talks」では、2人のアーティストの協働関係とその終わりについて紹介します。

パフォーマンスアーティストの2人の共働関係

カリン・ユエン氏:みなさん、こんにちは。Little Art Talksへようこそ、カリンです。今月はバレンタインデーをお祝いするため、美術史における偉大な共働関係についてシェアしたく思います。

もちろん、甘く、情熱的な交際のラブストーリーをシェアしたく思うのですが、一方で、アーティストであるということや、パートナーであること、協働関係にあることはどういうことかもお話したく思います。また、どのようなアートを彼らは制作しているのか、そして、相棒はどのように影響を与えているかも見ていきましょう。

もし、みなさんがこの動画に興味があるのなら、毎週新しい動画を配信するLittle Art Talksにご登録ください。この動画は、マリーナ・アブラモビッチとウーライについてです。2010年のニューヨーク近代美術館のアブラモビッチのパフォーマンス「アーティストはそこにいる(Artist is Present)」でこの2人のことは認知されています。

このパフォーマンスは、アブラモビッチが1日8時間も座り、来場者を机の対面に座るように誘います。お互い座っている者同士の間で、目を伏せ、目を閉じ、隣の人間からエネルギーを受け取ります。彼女が目をあげたとき、予期せずにウーライがそこに座っていたのです。彼女は泣きはじめ、自分の手を伸ばし彼の手をとるためパフォーマンスのルールを破ってしまいます。

ビデオが捕えたこの感動的な瞬間は、YouTubeで何百万の人が視聴しました。誰もが長く離れていた恋人たちの再会であったことがわかったからです。

「では」と不思議に思うでしょう。彼らの関係性とはどのようなものであったのでしょうか? 彼らはどのように感じ考えたのでしょうか? 彼らの関係性は、大変神秘的で魅力、そしてエネルギーがあり、2つの強いエゴが面と向かい合っていたものです。

彼らの共働関係は、2つの人が一緒になることはなにを意味するかという問題を扱っています。2人は、マリーナがアムステルダムに旅行した1976年に会いました。彼女は、誕生日に到着し、運命の赴くまま最初に出会った人がウーライでした。そしてなにが起こったと思います? 彼の誕生日は同じでした。これは驚くべきことでしょう。

この2人はすぐに恋人同士になり、そして共働関係になりました。彼らは2人ともパフォーマンスアーティストであり、一緒に仕事をしながら、肉体的、心理的な持続性とジェンダーの役割の限界を追求しました。2人はもっとも象徴的で、影響力のあるパフォーマンス作品をこの時代に制作しました。多くは美術史の書物にも記載されています。

アブラモビッチは、その分野の彼女の革新により「パフォーマンスアートの祖母」と呼ばれてきました。2人は同じような衣服をまとい、同じように振る舞い「他人(The Other)」という2人組を形成しました。彼らは、自分自身を完全な信頼関係による「2つの頭を持った一身」と表現しました。

「息を吸う/息を吐く(Breathing In/ Breathing Out, 1977)」では、意識の極限状態を探究しました。外部の酸素を呼吸せず、お互い吐いた息を吸い込んで、使用できる酸素を使い切るまで17分のパフォーマンスを行います。お互い依存し合った2人は、文字通り、必然的に空気を使い果たしてしまいますから、必死になって意識を保とうとしています。両方が意識を失うとき、共働関係によって危険にさらされた、お互いの暗喩的な死を意味しているのです。

彼らは2人を結び付けるこの生の力を共有し、吸収しますが、最終的にこれは彼らを破壊します。

「残っているエネルギー(In Rest Energy, 1980)」では、アブラモビッチの心臓を狙った矢を引いた弓を持ち、お互いを反対側にいてバランスをとっています。アブラモビッチは、すべてウーライの統制下に従属せざるを得ません。マイクロフォンが置かれ、彼らの早い心臓の鼓動や不規則の呼吸を拾っています。その4分後に弓矢を落とします。

万里の長城でお別れ、そして…

この緊張した関係性の数年後、精神的な旅を行うことで、彼らはその共働関係を終了することを決定します。作品「万里の長城を歩く(The Great Wall Walk, 1988)」は、万里の長城の2つの区間を歩きました。彼らは、反対側の端から始め、90日間で2,500kmを歩き、真ん中の地点で別れを述べました。

パフォーマンスを行うために、中国政府からの許可が下りるのに8年もかかり、彼らがこのパフォーマンスができるようになったときには、2人の関係性は完全に崩壊していました。ロマンティックな関係は終息を迎えましたが、しかしながら、何を彼らがしようと、最後にはそれをたった1人で成し遂げたと思い出せます。

自分のキャリアについて述べた文の中で、アブラモビッチは以下のように述べています。

「この関係性の主な問題というのは、2人のアーティストのエゴをどうするかという問題である。それは自分自身の死ともいえるような、何か両性具有的な状態のものを作るには、彼もそうであったように、私のエゴを取り去ろうとしなければなりませんでした」。

ドラマティックで、ロマンティックな注釈はここで終わりにしたく思います。しかしながら、不運なことにこれから先の話があります。

2人は、自分自身の作品をそれぞれ制作していましたが、アブラモビッチは、より世界中で注目を引きつけました。2010年のニューヨーク近代美術館の回顧展のおかげで、HBOのドキュメンタリーがあり、JAY・Zやレディー・ガガのような有名人の友達もおり、アディダスと企業契約もしました。

1999年に彼らは、彼らの共同作業を取り扱うための契約を締結しました。ウーライが彼のネガフィルムやスライドといった物質的アーカイブをアブラモビッチに売却しました。契約によると、利益の20パーセントをウーライが受け取るとされました。そして、作品を複製したり売却する場合は、彼女は彼に許可をとる、といったことです。

ところが、少し悲しいことが起こります。2015年、ウーライは、アブラモラビッチを訴えます。1999年の契約に違反し、彼からの資金を保留し、共同財産に適切なクレジットを与えなかったと告訴されました。彼らの作品は定期的に売られ、支払いはたった4回のみで、たった31,000ドルを受け取っただけなのでした。

アムステルダム裁判所は、ウーライは元々の契約書で述べられているように、ロイヤリティーを受け取る権利を有し、アブラモビッチはウーライに25ドルを支払うように命じました。加えて、彼女は1976年~1980年の共同作業を「ウーライ/アブラモビッチ」、1981年~88年まで「アブラモビッチ/ウーライ」署名で制作するように命じられました。

インタビューでは彼はこのように言っています。

「彼女は単なる以前のビジネスパートナーではない。作品の総体すべてが歴史であるからだ。しかし、今や学校の本にも記載されている。彼女は故意に物事を誤解させ、私の名前を外した」。

アートの世界の、このような象徴的なカップル、あるいはかつてカップルであったものの、悲しくドラマティックな終結でした。望むらくはすべてが解決し、誰もが適切なクレジットを手にすることができることを願います。彼らの、協働のシリーズは、共同作業をしようという努力と、対等性、バランスによって、緊張感とエネルギーに満ちたものになりました。

さて、みなさんが、アブラモビッチとウーライの関係性の動画を楽しんでいただけることを望んでいます。

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