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『風神雷神図屏風』にはモチーフがあった? 日本絵画史に残る作品の裏側に迫る

安土桃山時代の芸術作品は、とりわけ豪華さに秀でていました。とくに、時の権力者たちに愛された狩野派は、さまざまな作品を現代まで残しています。しかし、この時代に活躍したのは狩野派だけではありません。風神雷神図屏風を描いた俵屋宗達や、同時期に活躍した本阿弥光悦は後世に多大なる影響を与えた絵師としてその名が知られています。YouTubeのアート系チャンネル「Little Art Talks」。今回は、安土桃山時代を彩った絵師たちの作品に迫ります。

狩野派だけじゃない安土桃山時代の絵師たち

カリン・ユエン氏:17世紀初期、狩野山楽は襖絵に、『源氏物語』の一場面を描くように依頼されました。『車争図屏風』が現存していますが、今日では四曲一双の屏風に改装されています。小説の導入部分で、最も重要な出来事である牛車の争いの逸話の場面を描くにあたり、山楽は、絵巻物の物語的な描写技法を襖絵の大規模の形式に導入しました。これらの、物語の基本的な部分は遠目からでも明瞭にわかりますが、近寄って見ると興味深い細部描写で満ちています。

源氏の愛人である六条御息所に随行する牛車は、源氏の妻である葵の宮の側近と乱闘します。どちらの集団の騎手も上賀茂神社の御禊の行列の経路において、より良い場所を取ろうと争っているのです。

右半分は、貴族の男性が良家出身の未婚の子女である上賀茂神社の巫女を伴い、左に行列していきます。随行する騎手たちの乱闘は左半分を占めています、人物だけでなくポーズなど、この絵画の構成と様式は、13世紀中頃の土佐派の手による絵巻物を思い起こさせます。

長谷川等伯は、永徳と同じ時代の人ですが、個人による装飾画の偉大な実践者でした。京都の仏教徒たちの関係を持った彼は寺院に通い、所蔵されている室町時代の巨匠作品や、宋や元王朝の中国絵画の傑作に学びます。『枯木猿猴図』は、明らかに、雌猿が保護するように子猿を抱きかかえている、牧谿筆『猿猴図』をもとにしています。

しかしながら、等伯は、猿が啓蒙されない人間の象徴であるという禅の考えに基づき、完全なる知へは到達不可能であるというアレゴリーを絵の中に込めました。猿は、夢見つつ月に手を伸ばそうとします。しかし沼池に映った事実の反射から過ちを知るのです。

もう1つ等伯が主に影響を受けたのは、華麗に着彩された狩野派の装飾的な様式です。永徳の父である狩野松栄の工房で仕事したこともありましたが、独立した芸術家として自分自身の画風を確立します。1592年、祥雲寺の装飾画を独占的に依頼されます。しかしながら豊臣一派の滅亡に伴い、寺院は破壊されます。そして数枚の残った絵画が切り取られ、真言宗の寺の智積院に飾られます。これらの作品は、初期の大和絵画題の再制作と同様に金と青の金碧障壁画です。

とりわけ『楓図壁貼付』、四面のパネルは単一の楓の木を描写していて、その葉はちょうど色づき始めた頃合いです。聚光院の永徳の桃の木や松の木の対角線上の配置とは対照的に、等伯は楓の巨大な幹を中央の二面のパネルに斜めに横切るように配置し、木の枝は腕のように優雅に絵画の両端に向かって伸びています。菊などの秋の花々と鶏冠は、樹木に対して不動の土台を形成しています。低い岩々や灌木の茂みの緑の葉が、楓の茶色の葉と橙色の葉と混ざり合っています。

金地の背景は、通る深い青い色の一筋は、乾いた大地を流れる小川のように一瞬見えますが、雲に覆われた青い池の水のようにも見えます。『松林図』では、伝統と永遠の感覚を保ち続けながらも、形態の再解釈に取り組みました。その中で遠くから高い木々が浮かび上がります。周囲を流れる厚い霧は、いくつかの木々の下半分と、いくつかの幹の中央を曖昧にぼかしています。幽霊の如く霧の中から流れて現れ出ているのです。

風神雷神図屏風の誕生秘話

16世紀後半から17世紀初頭にかけて、大和絵画題のリバイバルと最も密接な関係を持った絵師は、本阿弥光悦とその縁者である俵屋宗達です。光悦は、町人階級から出現した新しい教養ある画工の例です。彼は桃山時代と江戸時代初期の様々な芸術分野に携わった活動的な人物像です。刀剣の鑑定、研磨、浄拭を営む京都の家に生まれ、刀の鑑定だけでなく、次第に書道や他の専門分野にまで手を広げていきます。

彼は書道でまず有名になり、陶芸愛好家でもあり、茶道の信奉者でもあり、若いころは絵師の工房で働いたりしました。光悦の書と宗達の意匠や絵画を組み合わせるなど、二人は多くの共同作業を行いました。宗達の出生の多くは明らかになっていませんが、彼は商業絵師としてキャリアをスタートさせ、「俵屋」と呼ばれる絵屋を所有しました。大規模の装飾的な襖絵や掛け軸を、青と金で描きました。彼の代表作は、安土桃山時代最後の繁栄を体現するものとなりました。

彼らの共同作業の中でも、とりわけ美しい作例は、天皇の収集した和歌(新古今和歌集)の書き起こしです。この和歌は12世紀の歌人である鴨長明が書いたものです。書は激しく官能的であり、1ページ全体にわたって広がっています。宗達は緑と金、銀を用い、水田の稲が実の重さで垂れ下がっている近景を表しました。

『風神雷神図』の二曲一双の屏風は、雷神、風神が描かれています。この屏風は1621年以降に制作されたと言われています。宗達は、北野天神縁起絵巻から同じ悪魔のイメージを転用したことが知られています。風神のイメージの源はわかっていません。現存しない絵巻物から転用したかもしれませんし、三十三間堂にある13世紀の慶派の仏像、風神雷神像から着想を得たのかもしれません。

屏風の左上の角にいる雷神は、金地の背景と銀の雨雲に対して、白い色の体躯が目をひきます。彼の衣服は、青と緑、そして橙などの、平板で堅牢に着色されています。しかしながら、その角は黒とベージュそして緑の微妙な混色で塗られています。この技術はたらし込みと呼ばれ、乾かない状態のまま、ひとつの色をもう1つの色ににじませ、豊かな不均一さを持つ表情で混色することです。

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