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Underwater Discovery and Adventure: The Story of Jacques Cousteau(全1記事)

アカデミー賞も受賞した、伝説の海洋探検家ジャック・クストーの功績

「海の恋人」とも呼ばれたフランスの海洋学者、ジャック=イヴ・クストー。彼の発明のおかげで、探検家は海洋生物研究を大きく前に進めることができ、彼が製作した映画や彼が設立した団体は、海洋生物保護に多大な貢献をしました。YouTubeの人気科学系チャンネル「SciShow」より、クストーの海洋への貢献と功績をご紹介します。

海洋探検に多大な貢献をしたジャック・クストー

ハンク・グリーン氏:ジャック・クストーがもし生きていれば、今日(2016年6月11日)が106歳の誕生日に当たります。クストーといえば、トレードマークの赤い帽子や、海の神秘を語るときの、フランス語なまりの優しい口調を思い出される方も多いでしょうが、彼は海洋探検と環境保護のまさに象徴ともいえる存在なのです。

彼の発明のおかげで、探検家は海洋生物研究を大きく前に進めることができました。また、彼が製作した映画や彼が設立した団体は、海洋生物保護に多大な貢献をしましたし、研究者が現在研究を続けられるのも彼のおかげといっても過言でありません。

ジャック=イブ・クストー(正式名)は1910年フランス南部で生まれ、小さい頃から海に対する憧れを持っていました。20歳でフランス海軍兵学校に進み、パイロットになることを目指していました。

しかし、交通事故で両腕骨折という重傷を負い、それを断念しましたが、療養中、再び海に強い興味を抱くようになりました。海軍のまだ若い将校であった時に、技師のエミール・ガニアンと協力し、世界初の自給式水中呼吸装置であるアクアラングを開発しました。

アクアラングは、タンク内の圧縮空気の圧力を調節し、ダイバーが楽に呼吸できるようにする装置です。この発明により、海中探検はずっと簡単になりました。

海軍を退役してから、科学調査用潜水艇「ダイビング・ソーサー」を開発しました。この潜水艇は、2人の乗組員が水深350メートルまで潜り、フィルム撮影をすることを可能にしました。

クストーはまた、オーシャンノートと呼ばれる住居式海中研究設備の開発も手がけました。海中に何週間も居住し続けながら、研究をする設備です。海底居住実験は1960年代に3回行われ、コンシェルフ1号、2号、3号と呼ばれています。この実験は、宇宙というような過酷な環境に人間がどのように対応するかを考える上で大いに役立ちました。

彼はまた海洋探検を志すいろいろな団体を設立しました。例えば、1949年に海軍を退役した時、のちに有名になったカリプソ号という船をリースし、海に浮かぶ研究所に改造しました。

これを契機にフランス海洋キャンペーンズという団体を設立し、ダイビングや水中の撮影を始めました。また、沈没船の考古学的探検も行いました。

本の執筆や映画製作も

研究を続けるためには資金を集めることが必要ですが、そのためには、まず一般の人に自分の仕事に興味を持ってもらわなければならないと彼は考えました。それで、1953年に最初の本である『沈黙の世界』をフレデリック・デュマとの共著で出版しました。その本はアクアラングを使って行った初期の頃の冒険と沈没船の探検の様子を描いています。

クストーの観察力は鋭く、海洋や海洋生物に関する新しい理論のいくつかをすでに見抜いていました。例えば、イルカの群とのふれあいの記述において、音波が使われていることを見抜いていました。これが科学的に実証されたのは、ずっと後になってからのことです。

この本はとても好評を博したので、クストーはそれを『沈黙の世界』という同じ名前のドキュメンタリー映画に製作し直しました。そして、このドキュメンタリー映画は1956年にはカンヌ国際映画祭で最高の栄誉であるパルム・ドールを受賞しました。ドキュメンタリー映画としては初めてのことです。またその後、オスカー賞も受賞しています。

彼はまた、『クストーの海底世界』という人気テレビ番組の司会も務めました。それは1968年から1975まで続いたドキュメンタリー・スタイルのシリーズで、クストーと彼の仲間が海の研究をしていた時の冒険を取り上げ、海洋生物の美しさと多様性に焦点を当てています。

映画製作者としては若かったので、クストーは時に最高のストーリーを作ることにこだわりすぎることもありました。最高のショットを撮るために、撮影チームが動物を虐待したという証拠もあります。

しかし、彼の著作と映画がますます世に広まる一方で、クストーは人間の活動が、海に悪影響を与えていることにも気づき始めました。探検をしながら、陸から何千マイル離れたところでも海洋汚染が広まっている実態に気づきました。そして、海洋生物の多様性が失われつつあることも認識しました。

自分の冒険家としての誤りにも気づき、あえて、自分のチームが海の動物を殺している初期の頃の映像シーンをそのまま残すことにもこだわりました。

生涯を通して、クストーは海洋の研究と探検を目的とする多くの科学団体に関与しました。また、海と海洋生物の多様性を保護することを目的とした保護団体ともかかわりました。例えば、1960年には、地中海に大量の放射性廃棄物を投棄することをやめさせるために政治家を説得しようと、市民に支持を強く訴えました。また、1973年には海洋生物保護のためにクストー財団を設立しました。これは現在も活動を続け、人々に海洋とその生態系について啓蒙する役割を果たしています。

彼はまた各国の元首に訴え、商業捕鯨の制限を実現しました。その結果を引き継ぎ、国際捕鯨委員会は1986年に商業の目的でクジラを殺すことを禁止しました。

クストーの支援活動と彼が設立に関わった数多くの団体のおかげで、科学者はもとより、多くの一般の人が、広大で神秘に満ちた海底の世界の美しさについて学ぶことができたのです。

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