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WAR | 5 Artists in 5 Minutes(全1記事)

『ゲルニカ』にはどんな意味が込められている? 戦争を後世に伝えるアートの役割

戦争は1万4千年前からその証拠があるとも言われており、人類の歴史と密接にかかわっています。どの戦争にもさまざまな視点がありますが、それらがしっかりと後世に伝えられ、議論がされることはとても重要なことです。その役割を果たすものの1つが芸術作品。ピカソの有名な絵画『ゲルニカ』など、戦争の悲惨さを訴える作品は数多くあります。今回はそんな戦争を扱った美術作品を紹介します。

戦争を扱ったアート作品

カリン・ユエン氏:戦争の証拠は1万4千年前からあるのをご存知でしょうか。そのときから、技術の進歩に伴い戦争の荒廃は増大するばかりです。イデオロギーへの信奉から領地をめぐる紛争が行われ、結果として損失は常に甚大で、精神的な打撃は何世代にもわたり続きます。

もっとも有名で、かつ力強い単独の反戦絵画は、1937年の6月に完成したピカソの『ゲルニカ』でしょう。スペイン人画家によるこの油彩画は、スペイン北部のゲルニカ地方への無差別爆撃への抗議として描かれたといわれています。

スペイン内戦の国粋主義者たちの要請によりドイツ軍とイタリア軍の爆撃機が攻撃したのです。

1人の女性が死んだ子供を抱いて嘆き悲しみ、建物は火に包まれ馬は苦しげにいなないています。置き去りにされた兵士が床に倒れ、折れた剣と手にし、そこから花が出ています。もう片方の手のひらにはキリスト殉教のシンボルである聖痕のような傷が記されています。

頭上には電球が輝き、悪魔の目のように辺りを見回しています。裸電球は真実の暗喩として読まれ、スペイン語で電球は爆弾という語の音に近いため、言葉遊びとも考えられるでしょう。部屋に漂いながら現れる女性は、ランプの炎を電球に対して掲げており、これは希望のシンボルでもあると解釈できるかもしれません。

アメリカの写真家、アン・ミ・リーの作品は、戦争の表徴について考察するものです。ベトナムのサイゴンで生まれ、青少年期、ベトナム戦争の最後の年に、政治亡命者としてアメリカ合衆国に移住します。『Small Wars(1999-2002)』シリーズでは、リーはサウス・カロライナでベトナム戦争の再演に参加し写真に撮影しています。

この手の込んだ戦争ゲームの参加者のほとんどは男たちと何人かの老兵たちです。着陸する飛行機やテントや軍服など、細部まで再現された小道具を用い、彼らは戦闘のシュミレーションをします。

針葉樹林や柏の森からなる典型的な北アメリカの植生が、ベトナムを覆う熱帯のジャングルに見えないこと以外には、証拠となるようなものもなく、虚構と現実の境目を曖昧にさせます。

このアーティストは、ベトコンの一員や通訳の役を演じている自分自身も写真に挿入しています。演技を強調することよりも、この演技の背後にある動機が、歴史へ熱望や、ファンタジーへの希求といった心理的なコンプレックスから来るものだという事実を繊細に扱っているのです。

いかに戦争が想起され、再びかたちを変えて語られてきたか、演劇的な手法で歴史記録の信憑性について問題提起しています。

写真が伝える戦争

ウェリー・ドハティーは、北アイルランド出身の、現代の映像作家であり写真家です。多くの作品は、生誕地である北アイルランドのデリー、またの名をロンドンデリーとしても知られる街に焦点を当てています。

この都市は、一連の北アイルランド紛争のボグサイトの戦い(1969年)と血の日曜日事件(1972年)の両方によって被害を受けました。

街は川によって分割され、それぞれ対岸には相反するイデオロギーの人々が分かれていますが、クレイガヴォン橋は、この地点でプロテスタントとカトリックの共同体を結んでいます。

2002年制作の映像『Re-Run』では、スーツを着た身なりの良い男が、パニックになって夜のクレイガヴォン橋を走って渡っている姿が、二重に投影されています。同時に両方の方角から走っているように見えるように、映像は男の前面と後ろ面を映し出しています。

歴史的には、この橋は2つの岸辺を行き来する目的しかなかったのですが、しばしば爆撃される戦略的な地点になったりしたのです。

もっとも象徴的な原爆のイメージのひとつに長崎の原爆の写真があります。広島の原爆の3日後、1945年8月9日に投下されました。

写真は、チャールズ・リーヴィが攻撃に用いられたB29機上から撮影したものです。リーヴィが16枚の写真を撮影する前、上空3万フィート、爆心地から200マイル離れた場所でも、爆風によって吹き飛ばされそうになりました。

2004年にアメリカ国立公文書館の定期刊行物『プロローグ(Prologue)』が、このイメージを、トップ10のイメージに指名したのです。

エイヤ・リーサ・アハティラは、ヘルシンキを拠点にしている映像作家、写真家です。マルチ・スクリーン・インスタレーションの作品『Where is Where?』は、語りが2つの暴力的な事件を接続し組み換えています。

この2つの事件というのは、1950年代のアルジェリア戦争の際、フランス軍兵士が40名のアルジェリアの村の男たちを寝床から引き出し虐殺した事件と、2人のアルジェリアの少年が、フランス人の遊び仲間を殺害した事件です。

そして現在では、ヨーロッパの詩人が、死のキャラクターの助けを借りて、この事件を解釈し、理解しようとしています。物語の筋書きが、異なる時間と場所に重ねられ、社会と政治史をめぐり探索しますが、そこには個人の私的な経験が含まれています。

かつての植民地紛争は、今日では世界の見え方の異なる同士や、その調停のされ方が異なる同士の遭遇に置き換えられているともいえるでしょう。

さて、私の5分の動画が終わります。戦争は楽しいものではないかもしれませんが、それについて議論するということは重要ですし、これらの作品は物語を伝えてくれるだけでなく、どのように語られるべきか問いかけています。当時の衝撃と今日への影響という両方の面から、今でもその意義を思い出すための忘備録となるでしょう。

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