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「最大のアイデンティティーは清潔さ」 菊地成孔氏が語る、水中ニーソの特異性

「水中ニーソ」で知られるデザイナー・映像作家の古賀学氏が中野・Bar Zingaroで毎月開催しているトークショー「月刊水中ニーソ」。2015年8月に開催されたイベントでは、古賀氏とは「水中フェチのオフ会」で出会ったという音楽家・文筆家・音楽講師の菊地成孔氏がゲストに登場。このパートでは、フェチのカテゴリーで括られることの多い水中ニーソと、いわゆるフェチ作品との違いについて、古賀・菊地両氏によって語られました。また、水中ニーソが持つ特殊な政治性についても分析しています。

水中ニーソは「フェチ」ではない

古賀学氏(以下、古賀):女の子と作品の話をいっぱいできたのは良かったですけどね。

菊地成孔氏(以下、菊地):良かったですよね。古賀さんは、さっき言ったようにフェムの方と、手を組める可能性がある近距離にいると思いますね。

古賀:フェット村から出てきて(笑)。

本橋康治氏(以下、本橋):前回のトークでフェティシズムの表現がヘルシーになったという言い方をされてましたね。古賀さんの方でも、それを今回のシーズン2とか今年の制作をする中で、何か意識された部分ってあります? あえてヘルシーでいようと思ったってことではないと思うんですけど。

古賀:水中ニーソの要素をバラバラにすると、たとえばエロいとかあるんですけど、エロいとかわいいって、近いけど違うじゃないですか。近くもないか。全然違うじゃないですか。エロい、かわいい、フェチい、あと萌えもたぶんエロとは違うと思うんですよ。

異性を見て抱く感情みたいなものを分解して、わかりづらいものに関しては、みんな「きっと何かのフェチなんだろうな」と思考停止というか、除外するんで、水中ニーソのわかりづらさは、たぶん「フェチ」ということになってるんですけど。

でも本家の水中フェチから見ると、さっき仰ったように、いろいろスポイルしちゃっているから、本当はフェチくないんですね。

ベースというか、この撮影ができるだけの土台は、僕がフェティシストだから築き上げられたものではあるんですけども。ただ、その本来の使い方をしていないというか。僕が「こう撮るとフェチいな」と思う欲望の撮り方じゃなくって、それはできるんだけど、「こうするとノンケの人におもしろがられる」みたいなのが、ようやく見えてきたというか。

ターゲットはどこにいるか、いまだにわかってないんですけど。ただ、続いていておもしろがられてるので、もうターゲットは設定しないほうがいいなっていう感じもしてるんですけどね。

水中ニーソのアイデンティティーは「清潔さ」

菊地:なるほど。古賀さんの作品の最大のアイデンティティーは、やっぱり清潔さですね。フェチは穢れと結びついてるので。SMを原初のフェチと言うのもあまりにもシンプルヘッドな話ですけど、ロウソクで床が穢れてるわけじゃないですか(笑)。おしっこの臭いとか、汚いわけですよね。現場が汚い。

水中フェチでさえ、ある時期の、例えば70年代くらいまでのものは、まだなんか汚いんですよ。何が汚いのかっていうと、細かくいろんなものが汚いんですけど(笑)。具体的なゴミ的な汚さや排泄物的な汚さもあるけど、何かもっと、精神的に汚いっていうかね。さっき言ったように「苦悶を見たい」というのは汚いので。

古賀:必死な感じとかですね。

菊地:そうですね……苦悶が一概に汚いともいえないのが、スポーツをやってて激戦になっているときは、苦悶の表情になるじゃない? まあ、あれも結局セックスのときに苦悶の表情になるから、それの演繹というか。苦悶1個とっても、清潔から汚いまで溢れてるのね。

泳げない人を水に突っ込んだら、その人は怖がるだろうし、溺れて大変だから、苦悶になるわけですね。単なる苦悶じゃなくて、恐怖を与えるのが好きだっていうハラスメント系のものも入ってきたりして。

凶悪に、つまり犯罪に寄ったりする可能性があるものを、「ヒップホップはいいけど、麻薬はダメだよ」みたいな感じで(笑)。あるじゃないですか? その有毒さ。ポイズンっていうか、有毒さがないですよね。それが全くない。1ミリでもあったら、やっぱりこんなに毎月展示がないと思う。

古賀:ハハハ(笑)。

アメリカとキューバがシェイクハンドするようなもの?

菊地:そこがすごいですね。ただ、普通そういうもの、毒がないと、表現として魅力がないというのが20世紀のクリシェで、毒もあったほうがいいって言われるんだけど、なくても成功してる。何をもって成功とするかはわかんないけど。成功してると思うんですね。

人がいっぱい来るとかなんとかっていうよりも、僕は古賀さんが最大に成功したことは、やっぱりさっき言ったように、フェムと手が組める可能性、フェムとフェットの間にある壁を壊す力を持ってるということ

それがクールジャパンだか、ジャパンクールだか、どっちでもいいですけど(笑)。毎回言ってるんですけど、どっちかわからないので。どっちかを言うと訂正されたりするので、ジャパンクールでもクールジャパンでもどっちでもいいんですけど、それはすでに超えちゃってる可能性がある。

すごいイージーな超え方で、「男の子も女の子もないんだ」という、要するに同一性が無くなっちゃってるような状態に行くのは比較的たやすいですよ。それは病理なんですね。

でも病理じゃなくて、簡単に言うと、アメリカとキューバがもう1回シェイクハンドするって大変じゃないですか。大変ですよね? アメリカとキューバが病理的にグダグダになることは無いわけで、この例えは限界がありますけど(笑)。

だから、病理的にグダグダになるんじゃなくて、ちゃんと壁があるのを乗り越えてシェイクハンドすることは、本当に政治的なことなんです。言ってみればポリティックなことで、ポリティックな成功を収めるには、やっぱりポリティックな戦略があって、ポリティカルな取引がある。それに成功しているのが古賀さんのお仕事だと、僕は解釈してますけどね。

古賀:それが去年の言い方だと「ヘルシー」?

菊地:そうそう、ヘルシー。

ただのマッシュアップと政治的な取引の違い

古賀:ヘルシーじゃないやり方だと、実は通過する方法はなくはない。

菊地:なくはない。まあ、女装を病理っていうとLGBTの人に怒られるけど、さっき言ったような障壁を乗り越えるときに、グダグダに乗り越えることはできるんですよね。

普通にAVの中のエピソードで、少し飽きたから箸休めにAVの女の子を男装させるコーナーがあったとして、別にそれでもなんてことはないし。百合の問題だって、アメリカンポルノだったら、別にレズビアンじゃない人も普通のスキームとして女性同士で絡まなきゃいけない。

別にそれをイヤイヤやってるんじゃなくて、職能としてやれるっていうのが伝統的にあって。それを見ても何にも興奮しない人もいるし、異様に興奮する人もいるし(笑)、飛ばす人はチャプターで飛ばすだろうし。

古賀:「それはゴミだ」っていう(笑)。

菊地:そうそう。ただ、男優同士が絡むことは、いくら箸休めって言っても絶対にないので。そこら辺は、もはやフェミニズムというより、ポリティックな感覚がないと無理だと思うんですね。古賀さんが政治家としてやがて立候補するって言ってるんじゃなくて、象徴的な意味でのポリティック、政治ですけど。

なかなかその発想の人はいないんですよ。ただお好みのもの、お楽しみのものをマッシュアップして喜んでいるだけの人はいっぱいいるの。やろうと思ったら、俺だってできるよ、それは。ていうか毎日やってるっていうかね。アハハ(笑)。

(会場笑)

菊地:それはただ自ら慰めるだけで個人的なことだから、孤立に向かいますよね。孤立している同志が、同じ趣味だとか、属性が同じとか言って、ちょっとネットかなんかで仲良くなったとしたって、やがて孤立しますよ。政治のほうがずっとでっかいわけで。国が動くわけだから。

「猫がかわいい」はローマ帝国

菊地:だからそういう意味では、やっぱりこの猫(写真集『ミルクねこ』)もヤバいです。「これやばいな」と思った、俺(笑)。これは猫っていう巨大な国家ですよ。「猫がかわいい」っていうのはローマ帝国ですからね。ローマ帝国とフェット村がシェイクハンドしようという、すごい政治的なアプローチですよ。外交手段としてはすごい。外交手腕というかね。

本橋:古賀さん「猫は暴力」って言ってましたからね。

古賀:というか「かわいいは暴力」。「かわいいは正義」っていう言葉がネットとかにあるんですけど、自分が撮ってて本当にかわいいのが撮れた時って、正義感よりも暴力性の方がある。撮れた作品のかわいさが、あまりにかわいくて、攻撃される。

菊地:なるほど。俗にいう「やられた感」ですよね。

古賀:あともう1個は、アンサイクロペディアっていうサイトがあって、いろんな俗語を収集してて。そこで「麻薬」って調べると、麻薬の種類の中に「猫」ってあるんですよ。言われてみればその通りで、猫は中毒性が高い。

菊地:依存性がありますよね。

古賀:かなり麻薬性の高いものなので。猫の展示をやったら、猫の患者さんがいっぱい来るわけですよね。

菊地:そうですね。依存症の人が。

古賀:僕自体は猫写真家としては新人なので、他の名だたる薬物の生成師たちがいるところに、新しい「効く」麻薬を持っていく人にならなきゃいけないじゃないですか。

猫が麻薬だと考えると、この写真集は効く成分をかなり高度に精製できたと思ってるんです。

水中ニーソも、エロいの方にはいかなくて、当然綺麗なもの、かわいいものなんですけど、やっぱり猫がかわいいのと同じで、依存性がある美少女というか。実際に自分が撮影してて、「このかわいいモデルをもう1回撮りたいなぁ」と思っても、本人の事情とかあって、なかなか撮れない、みたいなのがあって。

でも「どうしても撮りたい、どうしても撮りたい」っていう僕がいて。あとで気づいたんですけど、僕自体がその子の中毒にかかっていて。だから美少女の麻薬性みたいなものがあると思ってて。猫もそうで、エロとは違うんですけど、かわいいという暴力性と、依存度の高さがある。

猫のかわいさが持つ暴力性

菊地:正義は暴力ですからね。かわいいは正義だとしたら、かわいいは暴力だというのは字義的にはさほど矛盾していないというか。

古賀:確かに。

菊地:暴力性がない正義とは何なんだろうっていう。「日めくり道徳カレンダーなのか?」っていう感じがします。あれは全く暴力性がないですもんね。

古賀:かわいいは正義で。正義は負けない暴力みたいなものなんですかね。

菊地:やっぱり正義は相当な強度か、暴力性がないとだめですもんね。だから同じことを言っているとも言えますね。僕は猫に関しては全くで、猫毛アレルギーだし、猫が寄ってきても、とにかく捕まえてバッと投げるぐらい猫虐待派なんですけど(笑)。

猫大嫌いなんですが、そんな私がは猫写真を見たり、ほとんどしないですけど。インターネットとか見ると、猫をアイコンにしてる人がいっぱいいますよね。全員に対して「バーカ」と思ってるんですけど(笑)。

(会場笑)

菊地:「バーカ」ってもっと現実的に言うと「ネーコ」っていうことですけど。「また出た。ネーコ」「また出た。アーニメ」って思ってるんです。自分のアイコンをアニメのキャラクターとか猫にしてる人は多いですよね。

そんな私が見ても、この写真集はちょっとゾクっとしたんで、相当スキルがすごいということですよね。

これは水中ニーソと逆というか、安全でかわいいものである猫を愛でることの中にエロが混入しているから、本当はフェティッシュでやばいものであるところの競泳水着を着せて女の子を水の中に沈めたところで実際はヘルシーなんだというのと、逆さまになってますよね。でも同じことというか。

古賀:正義と暴力が同じっていうことと、ほぼ同義っていう。

【休憩】

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