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三島賞受賞作家と注目のIoT起業家が語る〜インターネットに繋がるモノは純文学の夢をみるか?テクノロジーで広がる家族観・人間観〜淡路島からやってきた従兄弟同士によるこれからの話(全6記事)

「ITリテラシーの格差をなくしたい」元Appleの起業家が高齢者向けデバイスにこだわる理由

IT企業の経営に関わりながら執筆活動を続け、2015年三島由紀夫賞を受賞した上田岳弘氏と、Apple(アップル)を辞めてIoTスタートアップにチャレンジする梶原健司氏。テクノロジーへの造詣を未来づくりにどう活かすのか。それぞれ違う手段を通して世の中に変革を起こそうとする従兄弟同志の2人によるトークイベントが開催されました。このパートでは、梶原氏の経歴や、新卒で入社したAppleを辞めて高齢者向けデバイスを開発する株式会社チカクを創業した理由を明かしました。

新卒でAppleに入ったIoT起業家

上田岳弘氏(以下、上田):(イベントのタイトルが)「淡路島からやってきた~」なのに、僕明石出身なんですが、ケンちゃんは完全に淡路島ですよね。

梶原健司氏(以下、梶原):淡路島。実は僕も淡路島出身って、取材していただいたらそうお答えしてる。それは間違ってないんですけど。生まれは、実は明石なんです。

上田:そうか、明石市民病院。

梶原:そうそう、何で知ってんの(笑)。僕も両親が淡路島(出身)で、実家も淡路島なんですけど。生まれは明石というか、たまたま両親が結婚して、明石で仕事してたんですね。そのときに生まれたんですね。

上田:おっちゃんが?

梶原:おっちゃん、うちのお父さんが明石で、兵庫県の県庁に行ってて。

上田:あ、そうか!

梶原:うちのおかんが学校の先生やったんだけど、そのときは育休だったのかな。それで明石で生まれて、4歳のときに仕事ごと淡路の実家に戻ろうみたいな感じになって。それで大学でこっち来るまでずっと向こうで。

僕の自己紹介を簡単にさせていただきますと、梶原健司と申します。カジケンと最近よく呼ばれてるんで、カジケンと読んでいただければと思うんですけれど。

私自身は、先ほど言ったように淡路島が実家でして。大学に入るまではずっと淡路島で、おじいちゃんおばあちゃんも含めて3世帯でずっと暮らしておりました。

大学で東京に来て、新卒でAppleという会社、日本本社なんですけれども入りまして、12年間、マーケティング、セールス、新規事業開発といろいろやらせてもらいました。2011年の本当にジョブズが亡くなったタイミングだったんですけど、辞めまして。

震災があったりいろいろあって辞めて、その後自分で会社を作って。離れて暮らす家族を繋ぐみたいなコンセプトで、「まごチャンネル」という製品、サービスを作りました。

具体的には、スマホのアプリで撮れば、誰でも簡単におじいちゃんおばあちゃんが実家のテレビで子供の写真と動画を楽しめるみたいなサービスを立ち上げました。クラウドファンディングで9月に募集したところ、おかげさまで開始50分くらいで目標金額を達成しまして、今はクラウドファンディングで申し込んでいただいた方に向けて、まずは来春出荷するとお約束をしてますんで、そこの開発に邁進してます。

IoT(インターネット・オブ・シングス)とは何か

IoT起業家みたいだとイベントでは言われてたりするんですけれども。IoTってわからない人は……わかんないですよね。「インターネット・オブ・シングス」って、インターネット業界ではけっこう言われる言葉でして。

何かというと、インターネット・オブ・シングスなんで、要はモノがインターネット化するみたいなコンセプトなんですけど。

インターネットに繋がるデバイスって、昔はパソコンで有線で繋ぐしかなかったのが、スマホが出てきたりして。これもインターネットが繋がるわけですよね。スマホとかパソコンしか繋がっていなかったときに、IT業界で「ムーアの法則」というのがずっと働いてまして、18ヵ月~24ヵ月でチップとかのコストが半分になる、もしくは生産性が倍になるという法則がありまして。

コンピューターの性能とかネットに繋がるコストが、どんどんどんどん下がってるんですね。二次曲線、等比級数的に下がっていて。そうなると何が起きるかというと、パソコンだけじゃなくて、マイクスタンドとかコップとか、いろんなものがインターネットに簡単に繋がるようになるよねみたいな。そういうコンセプトが「インターネット・オブ・シングス」って言われてるものです。

僕が何でIoT起業家みたいに言われてるかというと、テレビに繋ぐプロダクトを作ってるんですけど。家の形をしたプロダクトなんですね。新しいコンテンツが、スマホで撮ったものが自動で届くという。家の窓に灯りがついて、まるで離れて暮らす孫がこの家に帰ってきて、その日々の生活がテレビで見れるみたいな。そういう感じのコンセプトなんですけど。

じいちゃんばあちゃんの家とかいろんなところに行ったんですけど、インターネットがないんですよ。あっても有線しか繋がってないとか、無線があってもパスワードがわからないとか、そういうおじいちゃんおばあちゃんにいっぱい会って。「インターネット」という言葉を使ったらもうだめなんだなと。なので、そういうことすら意識してもらわないようにしようということで。

この家の中に携帯と同じ通信回線が内蔵されてるんですね。だから、この電源ケーブル1本繋いでテレビに繋ぐだけで良いんです。そうすると、通信を裏で勝手にしてくれて、写真や動画を持ってきてくれる。そういうすごいシンプルなプロダクトなんですね。

テレビリモコンで操作できるんで、8チャン見ようかな、6チャン見ようかな、じゃあ孫見ようかなみたいな。それぐらいの感じで、孫専用のチャンネルができるみたいな。そういうコンセプトなんです。

一応関西出身なんで、「まごチャンネル」というベタな名前にしました。なるべくいろんな人に使ってもらいたいなということで活動しています。

入社当時のAppleは超マイナーだった

上田:そもそもこのビジネスをやろうと思って、会社を辞めたわけではないんですよね?

梶原:そういうわけではないですね。

上田:それは辞めてみて?

梶原:そうですね。辞めた理由はいろいろあって、基本的に人間って、大きな決断ってそんな1個のきっかけじゃないと思うんですね。

映画だとものすごい大きな1個のきっかけで「これが!」みたいな。リアルな世界ってそんなに単純じゃないやろみたいなところがあって(笑)。

いろんなきっかけがあったんだけど、1個は震災。Appleは当時、東京オペラシティという初台にあって、51階にオフィスがあったんです。オペラシティの51階って免震構造になってるんで、もうめちゃめちゃ揺れるんですよ。

わざと揺らして力を逃がそうとするんで、51階は下の揺れよりもっと揺れてるわけですよね。そうすると、もちろん東北の方に比べたらぜんぜん大したことないんだけど、当時もちろん働いてたんだけど、もうこのビル折れると。ポキっと折れて、俺もう死ぬわみたいな。

上田:淡路の震災よりも揺れた?

梶原:俺そのときは東京ですね。

上田:そっかそっか。

梶原:だから実は、淡路の震災を体験してなくて。でもやっぱり淡路の震災は頭にあって、東京にも来たかと。俺はもうここで終わりやなみたいな。そういうのが大きかったし。後はスティーブ・ジョブズがすごい好きでApple入って、彼がどんどん元気なくなってきてるというのは、やっぱり会社にいるとわかるので。

そういうので、次のチャレンジをしたいなというのはあったし、いろいろあったんだけど。やっぱり震災も大きかったかな。当時年齢が35だったんですよ。35にならんとしてるというか。

上田:4年前?

梶原:そう。35ってけっこう、転職するときでもあるから、次のことに動きたいなというのがあって。あともう1個あるのが、Appleって今でこそ皆知ってるし、すごいみたいに言われてますけど。僕が入社したときって99年とか、内定もらったの98年とかだったんですけど。ぜんぜんそんな(知られてなかった)。

上田:親に反対されながら。

梶原:そうそうそう! 日本の企業にも内定をもらってたんですけど、さっきちらっと言ったように父親公務員、母親学校の先生、これも公務員みたいな。それで電話してAppleという会社入ろうと思うんやけどって言ったら、もう母親とか「え、どこ? 中古車のアップル?」とか。

(会場笑)

梶原:もう本当に、ぜんぜんテレビとか新聞とかのメディアで名前見ることも一切なかったし。スティーブ・ジョブズなんて名前もぜんぜん知られてなかったし、田舎なんて知名度ないみたいな。

上田:当時、スティーブ・ジョブズいなかった?

梶原:俺が入る、1、2年くらい前に戻ってきてた。でもまだiMacとか発表される前だったから。それで大反対されたんだけど、母親が電話口で泣いて「公務員になれとは言わない。なって欲しいけど、一番の理想は農家を継いで欲しい」と。うちは実家が兼業農家してたんです。

上田:うち今、その米いただいてます。淡路米。

(会場笑)

梶原:そうやね(笑)。農家になって欲しい、それが無理なんやったら公務員なって欲しい。それが無理なんやったら、日本の会社で働いてくれみたいな。

上田:大学時代は通訳になりたいという……。

梶原:あれはいろいろあって(笑)。僕一応早稲田と上智受かって。

上田:英語学科に行ったんだよね。

梶原:でも早稲田の試験で、もう男ばっかりやったんですよ。「何これ!?」みたいな。それで上智に行ったら、女の子ばっかりなんですよ。「何これ!?」みたいな。

(会場笑)

梶原:しかも淡路島では見たことないような、ものすごい垢抜けた、めちゃめちゃ可愛い子たちがすごいいて。これはもう絶対こっちやと思って。そんなこと親には言えないから、「これからは英語ができないとだめでしょ」みたいな。本当にそれで行ったみたいな。

上田:僕も法学部に行ったのは、弁護士になりたいと。

(会場笑)

梶原:絶対嘘やね(笑)。

上田:そうそう(笑)。弁護士になりたいって行ったんだよね。

梶原:高校くらいから小説家になりたかったんでしょ?

上田:そうそう、もうだいぶ前から。

梶原:もっと前から。それで何の話でしたっけ?

上田:何で辞めたか。辞め方と、何で入ったか。

Appleを辞めて「株式会社チカク」を創業

梶原:入ったのは良いかな。辞めたのはそうですね……もう、すぐ辞めるつもりやったんです。すぐ潰れると思ってたから。それが入ったら何か、iMac出てiPod出てiPhone出てって、僕が入ったらうなぎ登りに事業が成長していって。僕何もしてないですけど(笑)。

辞めるときが、時価総額ちょうど世界一やったんですよ。辞めるときには今度は親が、「何で辞めんの!?」みたいな。

(会場笑)

梶原:入るときは「何で入んの!?」で、辞めるときには「何で辞めんの!?」って、どういうことやねんこの人たちみたいな(笑)。笑い話のような本当の話がありました。すいません、こんな感じで。だからあんま先を決めずに、辞めたみたいな感じですかね。1回辞めてみようみたいな。後は何か質問して。

上田:じゃあ、「株式会社チカク」って名前じゃないですか。チカクってどういう意味なんですか?

梶原:なるほど、良い質問ですね。

上田:それ前から聞きたくて。

梶原:僕の会社、「株式会社チカク」って、片仮名でチカクって書くんですけど、そういう会社をやってます。ダブルミーニングなんですけど、距離とか時間とか関係なく、大切な人同士がもっと近くなって欲しいなというところと、知覚するというので、もっと日常的にお互いの存在を知覚して欲しいなみたいな。その2つの意味でつけた会社名です。

上田:それは、「まごチャンネル」ありきでその名前にした? もしくはチカクありきで、「まごチャンネル」?

梶原:まごチャンネルはアイデアとしてはAppleにいたときからあって。それを自分でつくった会社でやりたいなみたいな。

上田:まさにこれが。

梶原:会社にいるときは名前とかなかったし、ここまで具体的じゃなかったけど。リテラシーが低いとか高いで……今ってすごい便利な時代じゃないですか。

どこに行っても携帯があればインターネットに繋がるし。インフラは整ってると思うんですよ。だけど、それを使いこなせる人と使いこなせない人で、受けられる恩恵の量がぜんぜん違うじゃないですか。そういうのが僕は嫌で。

じいちゃんばあちゃんって、基本的にITリテラシーが低い。相対的にね。彼ら彼女らにとって最適なデバイスって何かなっていうところで、テレビかなって。

こっちはスマホ、向こうはテレビで良いんじゃないかなっていうのは前からずっと思っていて。だから会社を作るときに、もうちょっと上位概念として俺は何がしたいのかなって思ったときに、今みたいなことを考えたんですけど。

上田:じゃあ、シリーズ展開的な。「まごチャンネル」が終わったら、別の何かっていう。

梶原:まあ終わるっていうのは何かっていうのはありますけど。

上田:終わるっていうのはサービスを立ち上げ終わって、世に出ていくっていう流れになったときに、余ったリソースというか。そういったものはやっぱりチカク、何かを近くにするのか、ITギャップを埋めるとか、そういう方向性で何か考えてる?

梶原:僕らが今本当に集中してるのは、僕らの親が最初のユーザーみたいなものなんですけど、同じような人って世の中にいっぱいいると思っていて。なかなか離れて暮らす孫の近況がわからないおじいちゃんおばあちゃんっていっぱいいると思うんで。そういう人らをなるべく大丈夫だよってしたいなっていうのは、すごく根っこにあって。

まずはこれがトップ・プライオリティ。それをやりながら、もちろん別のチカクしていくことでできることはいろいろあるかなって思っています。

うちのチーム内では、例えばバーチャルリアリティとか遠隔コミュニケーションとか、触覚みたいなものの博士号を持ってる元研究員のエンジニアの人がいたり。そういうのもいるので、今はあくまでもデバイスとして、まずはテレビみたいなところなんですけど、やれることはいろいろあるかなっていうのはありますね。

上田:ケンちゃんが会社立ち上げたって聞いたときに、どっちかっていうとウェアラブルとかそっちの方向で考えてるんちゃうかなって思ってたけど。意外と「まごチャンネル」みたいな。「おお、マジで?」っていう感じが。

梶原:「マジで?」って思った?(笑)

上田:ケンちゃんの淡路の実家にお邪魔したときに、お母さんがすごいMacを使いこなして孫の動画見まくってたので。あれが発想の原点にあったのかなっていう。

梶原:そうそうそう! まさしくそう。Mac使いこなしてるっていうか、Mac miniを買って、テレビに繋いでてっていう、それが原点。

上田:やたら機敏にマウス動かして動画とか見てたんで、これをさらにパッケージ化して簡単にしてたんだなっていうのが。

梶原:そう、あれがまさに原点ですね。だから、やっぱりあれで特に母親がめちゃめちゃ喜んでたんで。とにかく本当に喜んでたから、何年もずっとやってて。だから最初Appleを辞めたときって、けっこう気負って、次に何をするかをちゃんと決めずに、「何ができるかな、何がしたいかな?」って友達の会社を手伝わせてもらいながら探してたんですけど。

何となく、周りの目とか前職のこともあると、イノベーティブでクールなビジネスとかプロダクトを作らなきゃいけないんじゃないかって。

実はそんなん誰も思ってへんかったけど、他人のことなんかどうでもいいんやけど、そうやって思われてるんじゃないかなって最初すごく気負ってて。最初の1、2年くらい。それから2年くらいしたときに、「何か俺、格好いいの向いてないわ」「クールとかやめよう」って。

上田:泥臭く。

梶原:泥臭く。俺そもそも、個人的に何解決したいんだろうって。お金が儲かるかもわからないし、人からどう思われるかもわからないけど、自分が本当に個人として何が解決したいことなのかなって思ったときに、やっとるがなこういうことって。

昔から問題意識持ってたし、実際そういうのを自分の親とかもやってたから。だから、考えるたびに選択肢に挙がってるんだけど、ぜんぜんクールじゃないと思って毎回選択肢から外してたんですよ。無意識の内に。それをやってみようかなって。それが2年半前くらい。

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