2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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高橋健太郎氏(以下、高橋):なるほど。わかりました。三野さんのこの喋りにいきなり圧倒されている人も少なくないんじゃないかと思うんですけど。三野さんって、そんなに世の中の前面に出てくるわけでもないので、ご存知ない方もいると思うんです。
僕が三野さんと初めて会ったのは2004年で、11年間なんだかんだで結構な頻度で会ってるんです。ただそれでも、僕、三野さんはかなり謎の人物なんですけど。
僕は2004年に、今の「OTOTOY(オトトイ)」の前身の「recommuni(レコミュニ)」というのを作るときに、三野さんもその創始者の1人で。僕もそこに参加して、何人かいたんですけども、出資して、こういう配信の会社を作ろうということで、三野さんとそこで初めて知りあったんですけども。
ただ、三野さんがそれ以前に手がけてきたものは、僕、実はすごい近いことが多くて。もともとはレコード会社のA&Rっていう所謂ディレクターを。その前はオーディオでしたっけ?
三野明洋氏(以下、三野):大学卒業して日本コロムビアに入ったんです。入ったら、「レコードの部門にいけ」って言われたんですが、「「音楽業界なんてどうやるのか。僕のいる世界ではない」とお断りしたんですよ。そしたら、長年の歴史のなかで、コロムビアに新卒で入ってきた社員で「レコード事業部いけ」って言われて断ったのは僕が初めてらしいんですね。
そしたらいきなり「秋葉原の営業だ」って言われたので、大学出ていきなり秋葉原電気街の営業やってたんですよ。
高橋:オーディオの営業。
三野:カラーテレビやオーディオ商品です。ですけど、売れないんですよ。どうして売れないのかなって思って考えてたら、そのころ松下(電器)がTechnicsっていうブランドでオーディオを出してたんです。
「そうか、ブランドを変えりゃいいんだ!」っていうので、企画書書いて。「コロムビアじゃないブランドにしてくれ」っていう企画書書いたんですよ。営業マンが。
高橋:DENONって名前、皆さんはご存じですか?
三野:実はdenonっていうのはコロムビアの輸出モデルのブランドだったんです。「これ使おう!」って。「このほうが格好いいから」と。そしたら「denonは使えない」と。海外向けのブランドなんで使えないと。「じゃあ、大文字でDENONだったらいいんじゃないか」と。小文字のこういう文字だったんで、大文字だったらいいだろうって……。
高橋:昔はデンオンでしたよね。
三野:昔はね。だからコロムビアモデルっていうのをデンオンっていうブランドに変えたんです。
高橋:今はデノンって言うんですよね。
三野:それは輸出ブランドのデノンとデンオンが、デンオンが傾いてその呼び名をどうするこうするで会社も分離したもんだからかたちが変わっちゃった。もともとはデンオン。
高橋:デンオンなんだ。じゃあ、デンオンにしたのは三野さんだったんですね。
三野:要するに、そういう世界の人たちが集まって考えて企画書を出したのが初めなんですけども。そしたら売れたんです。「あ、売れるんだ」と……。
それで2年経ったら、急に周りがざわざわし始めて。2年半経ったら通知が来て。会社って赤紙が来ると急に移動なんですよね。入社するときは断るんだけど、赤紙来ると断れないんですよ。それで3年経って、4年目からコロムビアのレコード事業部っていうところに行かされたんですよ。
行ったら、いきなり宣伝マンが、今でいうとクールビズなんだけど、昔でいうとゴルフウェアですね。宣伝マンはおじさんばっかりいて、「なにこれ!?」と。「こんなとこで仕事するのはまっぴらだ!」と思ったんで、そのまま徹夜で企画書書いて、また社長のとこ持ってったんです。
「これからは学生音楽だ!」って……それがスタートです。
高橋:それ年代でいうと何年?
三野:年が知れますけどね、1973年か4年ぐらいかな。それで僕とあと2人、3人でフォークロックグループというのを作ったんですね。それで「やってやろうじゃねえか!」って言って、やり始めたら売れたんですよ。
ドドドって2~3年で48人の部になりました。ブームだったんですね。「なんだ売れんじゃん」って。レコードなんて作ったこともない(人間が)。
高橋:最初のブレークはなんですか?
三野:中村雅俊です。慶応の後輩なんです。
とは言いながら、一番、僕が作ったもので音楽業界で評価していただいてるのは、『飛んでイスタンブール』っていう、庄野真代さんの作品です。
あれが大きく売れたもんですから、評価していただいた。そっからはもう順風満帆。毎年ヒット曲がずっと続いてたんですね。常に売上ベスト3に入ってて。そうすると生意気になるんです。徹底的に生意気でした。
コロムビアのなかではなにを言ってもオッケーというね。そういう時代だったんですね。そこから今ができてますね。ずっと生意気に生活してきちゃったと、こういうことですね。
高橋:コロムビアの中でかなり実験的というか、新しい分野を開拓することも。
三野:そうです。片手でヒットしてたもんですから、売上がすごく大きかったんで。そうするとつまんないじゃないですか。つまんないって言っちゃいけない、か。ヒット曲も大事だけど、なんか新しいことやりたいじゃないですか。
だから片手で「もう少しおもしろいことやろう」って。新しいことたくさんやってたんです。
高橋:僕が知ってる三野さんが手がけたものって、そんなには売れないけど、次の時代の日本の音楽を作ってくようなもの。近田(春夫)さんとかも。
三野:近田さんは、一緒にがーっと仕事してましたから。一番最初にやったのは、「二人が楽しいこと以外一切やらない」っていうコンセプトでやったジューシィ・フルーツです。
高橋:近田さんのソロもやってる。
三野:やってます。
高橋:YMOとやった『天然の美』とかも?
三野:『天然の美』は、実はキングレコードです。あの後。
高橋:あれキングか。あの後か。
三野:そういうことをたくさんやりましたね。おもしろかったですよ。とにかく「好きなことしかやらない」と。「自分の嫌いなものはやらない」っていう。コンセプトが非常にはっきりしてたので。
高橋:普通、そのままだったらレコード会社のトップA&Rで、幹部になり、社長までいくかどうかわかんないけど。そういうシステムじゃないですか。
三野:そうやってやってたんですけど、「会社を辞めよう」と思って辞めたんですよ。
高橋:なぜ?
三野:僕はたかがディレクター、その後にプロデューサーになって、邦楽本部長という役員になっても,電機労連の給与形態ではあんまり変わらない。「え!? こっから15年これやって取締役になっても、今とあんまり給料変わらないのか!」と、「それ何!?」と。
三野:だってつまんないですよね。夢がないじゃないですか。
と、いうことと同時に、やっぱり「好きなように音楽作るにはどうしたらいい」ってのもありましたし。それでレコード会社の小さいのとか、音楽出版社とか作ってやってたんですけど。「コロムビアでヒットしてるから外に出ても同じことができるか」って言うと、そうは問屋が卸さないですよ。
やってたら、その流れのなかで、ワーナーの邦楽統括本部長とかをやらせていただいたり。そういう意味では、音楽業界のなかでいろんなビジネスをやらせていただいたことは、大きな経験になってることは事実です。
高橋:でも、そのレコード会社のA&Rなり制作の仕事してて、「著作権法」っていうのってどの程度わかるもんなんですか?
三野:僕はほかのディレクターとちょっと違って。ディレクターになった1週間目にもう、「自分の作った音楽ってどうやって、誰が儲かんだろう」と思ったんですよ。
まず、自分でなんでもやるのが好きなんで。2つあって。ひとつは、レコーディングスタジオありますよね。エンジニアがいて、たくさん機材があって、スタジオがあってっていうんだけど。普通ディレクターって特段知識を持ってないんです。
自分で触るのが好きなんですよ。ミキシングも自分でやったほうがいいんじゃないかって(思って)。エンジニアの経験もまったくないんですけど。最初にディレクターになった日に、スタジオ行ってエンジニアに、「悪いんだけど全部教えてくんない」って言って。
スタジオ行ったら、「これ1個が要するにアンプのコンポーネントと扱い同じなんで、それがたくさん並んでると思ってください」と教えてもらって。「そっか、こうやりゃいいんだ」っていうことになったもんだから、実は、後半は自分でミキシングやったりしてたんですよ。そういうディレクターってあんまりいないんです。
高橋:三野さんとこういう話したの初めてですね。わりと僕と同じことやってますね。
三野:それでなおかつ、1週間目にいろいろと考えていたんですけど、自分で作った音楽が「誰がどうやって権利処理して儲けてんのかな」と思って。現場のほうはなんとなくわかったんですよ。お金出してスタジオ代払って、音楽を作った人がそれなりのロイヤリティが入ってくんだよね。でも「著作権」って言われたとたんチンプンカンプン、まったくわかんなかったですよ。
高橋:やっぱりそうですよね。
三野:それで、どうしたらいいかなと思って。結構好きなんで、国立図書館行ったんですよ。著作権の本探そうと思ったら、ないんですよ。そこに1冊だけ、『アメリカンミュージックビジネス』っていう本があったんですよ。借りてきて読もうと思ったら、英語なんですよ。
高橋:それは何年ぐらいなんですか?
三野:ディレクターになってすぐです。
高橋:まだリットーミュージックの、『よくわかる音楽著作権』みたいな本はない。
三野:日本にそういう本がなかったんですよ。しょうがないから、英語の本を1冊読んだんですよ。それがすべてのスタートです。
で、「そっか、コピーライトってこういうことなんだ」というのを勉強して、それからレコード会社のディレクターのわりに音楽出版社と交渉してたと。
だから、音楽出版社の方々からすると、「レコードメーカーのディレクターのくせに、レコード会社と音楽出版社の出版の取り分の交渉に来るディレクターはお前だけだ」と言われていて。
そんなこと言ったって「原盤が半分ずつ持ってくれたおかげでこれ出したんでしょ」と。「なんで著作権だけ音楽出版社が全部持っていくんですか?」と。「おかしいじゃないですか。半分うちにくださいよ」っていうお話を、よく交渉に行ったんですね。
そうしたら「音楽出版社は音楽出版をやってる役割なんだから。レコード会社のディレクターが言うことじゃない」って言われて。「いや、それは違うでしょ」という交渉し始めたのが最初です。
最初は、「じゃあ原盤権は半分だけど、音楽出版に関しては、3分の1と3分の2ぐらいの比率でやりましょう」とかって言われて「しょうがねえな」と。そういう交渉をやってたんですよね。
それがきっかけで、「権利を有する人が、このコンテンツビジネスを征するんだ」って理解したのが、そのへんのことなんです。
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