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死生懇話会トークライブ「『死にたい私』と向き合う」(全4記事)

心を守るコツは、“自己満足な幸せ”をいくつも持っておくこと 『死ぬまで生きる日記』著者が語る、無理せず生きるための心得

人生100年時代の到来とともに、多死社会を迎える中、令和2年度から滋賀県が立ち上げた「死生懇話会」。今回開催されたトークイベントには、『死ぬまで生きる日記』の著者である文筆家の土門蘭氏がゲスト登壇。「『弱さ』を言える社会」を目指す滋賀県知事の三日月大造氏らと共に、「死」という誰もが避けて通れないテーマについて議論しました。

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人間は、幸せに対して本能的に恐怖を抱く

三日月大造氏(以下、三日月):この本(『死ぬまで生きる日記』)の中に「人間は本能的に幸せに対して恐怖を感じるのだそうですよ」というやりとりがあって。今、滋賀県では「変わる滋賀 続く幸せ」という基本構想を掲げていて、うまく変わっていこう、変化していこうと。

土門蘭氏(以下、土門):続く幸せ。

上田洋平氏(以下、上田):続く「恐怖」ですか(笑)?

三日月:「続く幸せ」と言っているんだけど、幸せと思った瞬間に、「それを失っちゃいけない」「嫌だ」という恐怖とも裏表なんだなと感じて。

土門:そうですね。

三日月:どういう言い方や考え方をすればいいかなって。

上田:(基本構想を)変えるんですか?

三日月:いやいや(笑)。幸せは大事にしたいんですが、そういう捉え方もあるのかと。

上田:土門さんは、幸せになることが怖かったと。

土門:そうです。幸せになるのが怖かったです。おいしいものを食べたり、きれいな風景を見ると、本能的に恐怖を感じている自分がいて。これはなんでだろう? と思ったら、カウンセラーさんが「幸せを感じると、基本的に恐怖を感じるようにできている」と。

なぜかと言うと、狩猟時代にはおいしいものを食べて、楽天的になっている時に敵が襲ってくるかもしれないから、基本的にはリスクヘッジのために幸せは感じづらくなる。

三日月:本能的に。

土門:はい。感じづらくさせられていると。だから今でも「幸せだな」と思っても、「いやいや、他の国は大変なんだから、そっちを真剣に考えないと」とか、ちょっとストップがかかってしまうのは、自分を守るためのものです。

三日月:なるほど。

土門:でも、それがあんまり強すぎて幸せを感じられないのも悲しいので、(恐怖を感じるのは本能的なものであると)わかっておくのは大事なのかなと思いますね。

三日月:そうですね。でも、刹那で感じる幸福感や幸せ感を大事に味わいたいなとも思うし。

土門:味わいたい。

“自分を幸せにする方法”をたくさん持っておく

三日月:あと、土門さんが(書籍に)書いている中に「他者との関係において幸せを感じるんですね」みたいなやりとりがあったじゃない。

土門:ありましたね。

三日月:同じことをすれば、たぶん僕らもそうなっちゃっているのかなと思いながら読んだんです。他者との関係じゃなくて、自分自身が根っこから幸せって感じられることって、そういえばどれだけあるかな? と思いながら、今度書き出してみようかななんて。

土門:そうですね。カウンセリングの中で、私は常に宿題を求めていたんですね。「次のカウンセリングに行くまでに、何か宿題を出してほしい」という話をしたんです。

その時に「じゃあ土門さんにとって、幸せを感じる時ってどういう時ですか?」と聞かれて、「自分の仕事が誰かに褒められたとか、あるいは子どもたちが楽しそうにしているところを見た時とかですかね」と言ったんです。

「全部他人が関与してますね。『他人があなたのことを認めている』『あなたを必要としている』という時に幸せを感じるんだけど、それ以外に幸せって感じないですか? 他人が関与しない幸せを書き出してみてください。つまりは自己満足。自分1人で幸せになれることって何ですか?」と聞かれて、リストアップしていって。

例えばストレッチをするとか、おいしいものを食べるとか、洗いたてのシーツの中で眠るとか。そういったことを書き出していくうちに、これまで自分は「幸せ」をすごく他者に委ねていたところがある。でも、それはいつまでも一定して供給されるものでもないので、すごく不安定になりますよね。

でも、自分で自分を幸せにするのはいつでもできるから、そういった方法をたくさん持っておくのは、自分を守るためにも非常に大切なことですよと言われました。

これからの社会は“絶望を分かち合うこと”が求められる

上田:「幸せを他者に依存しない」ことと、しかし一方で「絶望を分かち合うこと」という他者との関わりが非常におもしろいというか、深いなと思うんですね。

土門さんが「健康な人は『死にたい』だなんて思わない。それは病気なんだ」と(医者から)言われたけれども、死にたいと思うことも、ある種人間の特性であるのならね。

土門:確かに。

上田:(死にたいという)感情も、山や川、雨や風のように自然のようなものならば、手放すんじゃなくて向き合うことを選ばれた。そういう意味では、絶望することも人間らしさなのだと。

一方では「絶望がなくなればいいな」と思いながらも、今っていろいろなことが自己責任ですが、絶望を自己責任にしないで絶望を分かち合う。そういう社会というか、そういうことがますます求められているような気がします。

北海道の浦河にある「べてるの家」というところの向谷地(生良)さんが、「安心して絶望できる社会へ」とおっしゃっているんです。コロナを経て、私なんかはそういうのを強く感じるんですよね。

毎回ここでも言うんですが、コロナが流行りかけの頃、我々はコロナにかかることを恐れたけれども、それ以上にコロナにかかって、周りの隣近所から指を差されること、つまり社会や世間を恐れた。そういう部分があるよなって気づいたんですね。

しかし土門さんは、「誰か他者が私を変えてくれる」「育ててくれる」というか。あるいは三日月さんがおっしゃった『百二歳の旅人』の方の、「人は人に生かされ、人は人を生かす」というところと結びつくんだろうと思いますけどね。

弱音を吐き出すことは、自分が傷つく可能性もある

上田:一方で、他者を信じるというのはかなり難しいんじゃないか。疑心暗鬼で、自己責任で、何かをやったら怒られ炎上という中で、他者を信じることはどうしてできるのかしら。

土門:そうですね。カウンセリングの話をすると、「誰かに相談をするってすごく大切なことですね」「誰かに自分の悩みを打ち明けたほうがいいんだろうな」というご感想をいただくんですね。

ただ、それってすごく危険なことでもあって。ある意味、自分の弱いところをさらけ出すので、もしかしたらすごく傷つくこともあると思うんですよ。例えば「死にたいと思っているんです」と思いきって言った時に、「そんなこと言っちゃダメだよ」って言われたら、逆に傷ついちゃう。

誰彼かまわず信じるのは、それはそれで難しいし、あまり得策ではないと思っていて。みんなが敵だと思うのは悲しいことだけど、「この人になら言えるな」というのを自分の中でちゃんと見極めていくのは、すごく大切なことだろうなとは思うんですね。

だから私は、お金を払ってプロに頼むことで、自分の中の心理的安全性を担保していた。最初に「ここで話したことは誰にも漏れないですか?」とも言ったし、言いふらされたらもっと傷つくわけですよね。でも、そういうことがないとも限らない。

だから、「ここなら信用できる。安心できるな」という場所を自分の手で作っていくのはすごく大切だし、「それをするためにはどうしたらいいですか?」という相談を誰かにすることも大切。日本には懺悔室みたいなものはないので(笑)、もしあったらすごくすてきだなと思うんですが。

“他人を信じられない自分”も肯定し続けた

三日月:本を読んでいてもそうだし、今のお話を聞いていても思ったのは、先ほど「原体験」とおっしゃったお母さんとの関係

たぶん土門さんは、自分の中にもう1人の土門さんがいて、「どうしたい? 何がつらいの?」というやりとりをずっとされてきた。「どういう人になら自分の心をさらけ出せるか」というのを、願望とともに作っていらっしゃったような気がしたんです。

土門:確かに。

三日月:とはいえ、初めてカウンセリングするカウンセラーさんのことはまだ信用できないし、「情報が漏れたらどうしよう」という思いがあったから一線を引かれたけれども、「どういう人なら信じられるか」というアンテナがすごく敏感で研ぎ澄まされていたんじゃないかなと思って。

もちろん、本なのでいろいろと書かれているところもあると思うんですが、人を見る目が鋭敏だなと思って。

土門:「自分は人を信じられてないんじゃないか」ということも、考えたりはしていたんです。

三日月:でも、信じない自分を信じていらっしゃったというか。

土門:「信じなくてもいい。いや、信じられなくて当然」という自分を肯定されていたというか。だからすごく死にたいと思われつつも、それ以上に「生きたい」「自殺なんかしない」とか。

三日月:さっきの福岡伸一さんと坂本龍一さんのことにも通じるのかもしれませんが、ネガティブなものを凌駕するようなポジティブなものをご自身の成長の中で、行ったり来たりやりとりをされてこられたから、動的平衡が内部にすごくある。

土門:確かに、内発的にあると思いますね。

三日月:でも、それは誰しもあって。ネガティブなところにいる時に「いやいや、ぜんぜんネガティブでいいじゃないですか」と言ってもらうことで、気の持ちようが変わる。誰しもいつもそうあれるかと言うとそうじゃないんだろうけど、そういう引っかかりがたくさんある社会を大事にしたいなと思うんですね。

政治家としても、素直に「弱さ」をさらけ出す

上田:知事はおもしろいことを言っていて……あ、三日月さんは年始のあいさつで「弱さを大切にしたい」とか、政治家なのにそんなことを言うわけですよ。

三日月:上田さんは「おかしい」「めずらしい」「不思議だ」ってよく言うんですが、僕はぜんぜんそう思ってなくて。コロナの時にはわからないことが多くて怖かったじゃないですか。

だから知事や行政は、テレビでなんかわかったようにしゃべらなくちゃいけないことが多かったんですが、知ったかぶってしゃべるとぜんぜん聞いてもらえないんですよね。

ところが「いや、僕もわからないんです。僕も怖いんです」と言った瞬間に、みんなが「同じなんだ」って見てくれはる。僕にも言うてくれはるし、僕の言うことも聞いてくれはる。

そういう感覚を持った時に、「そうか。わからないことは『わからない』と言えばいいし、怖いことは『怖い』って言ったほうが、みんなと話ができるんじゃないのかな」と。それで僕は「弱さ」を言える滋賀にしようと。

土門:なるほど。やはり「わからない」と言うのは非常に怖いことですよね。

三日月:怖いですよね。

土門:今まで私は「わかることがいいことだ」と思っていたんですね。死にたいという気持ちがなくなって、全部きれいに解決している状態が理想であると思っていたけれども、世の中を見渡した時に、課題がなくなることは一切ない。

ここが大丈夫になったかな」と思ったら、こっちで課題が生まれたり、今でも地球のどこかでは非常につらいことが起こり続けている。だけれども、そこに向き合い続ける。

解決できなかったとしても、「どうしたらいいんだろうね?」と、ちゃんと諦めないでいること自体が生きることなんだろうなって思うので、それは政治の場面でもきっと一緒なんだろうなと思います。

「矛盾を内包すること」は人間にしかできない

上田:政治家なんてね、「誰を信じたらいいか」とか……それは今日は聞きませんが。

土門:(笑)。

上田:でも、弱さが良いんだと言った知事って、やはりすごいなとは思うんですよ。「このことについては」というか、「ついても」ね。

三日月:(笑)。

土門:ついても。

三日月:僕もそうだったし、今日ご覧になっていらっしゃる多くの方もそうだと思うんですが、「死ぬまで生きる日記 『死にたい』とどうして思うんだろう? カウンセラーとの対話を通して」という、この帯。

おそらく同じように悩んでいらっしゃる方が、(この帯を見て)「どうして『死にたい』って思わなくてなれたんだろう?」と思って読まれると思うんですよ。

土門:きっとそうですね。

三日月:先ほどのお話でもおっしゃいましたが、「死にたいと思ってもいいんだ」「死にたい私のままでもいいのかもしれない」というのが1つの結論だったというのが、すごく気づきというか。そのまま包み込まれるような包み込まれ方が、僕はすごくいいなと思って。

土門:「これからはAIの時代」と言われていますが、人間にしかできないことは矛盾を内包することだと思うんですね。

AIは(問題を)解決をするものなので、「わかる」ことのプロだと思うんです。でも、人間は「わからない」ことを抱えながら生きていくことができる存在なんじゃないかなと思っていて。

三日月:なるほど。

土門:たぶんそれは人間の非常に強い特徴だなと。「なんだかわからないけど涙が出る」と「すごく惹きつけられる」とか、きっと人が感動するのもそういうことだと思うんですね。

「わからない」という部分にずっと取り組み続けている姿勢であったり、わかったと思っても割り切れない何かが残るとか。「人間臭い」と言われたりするものは、むしろ大切にするべきもの。

三日月:そうですね。

土門:矛盾、葛藤、割り切れなさは、むしろ持っておいたほうが魅力になるんじゃないかと思います。

三日月:AIだと、この感覚がわからないか。

土門:わからないんだと思う。

AIには難しい、人間同士でしか共有できないもの

土門:カウンセラーさんに相談するように、何回かAIにも相談したんですよ。

上田:AIにも相談していたの? AIカウンセリングですね。

三日月:「死にたいと思うんだけど」って。

土門:そうですね。「ぜんぜんやる気が起きないんですけど、どうしたらいいですか?」って送ると、「まずはタスクを洗い出してみましょう」と。でも、結局それでも治らない時は、やはり「専門家に相談してください」になるんです。

AIが言ってくれるようなことは、そんなことは自分でわかっているんですよね。それでも残っている部分で人は悩んでいるので、そこを共有できるというのは、人間にしかできないことだろうなと思います。

三日月:そうですよね。

上田:ええこと言ってくれはりました。だってこの死生懇話会というのは、知事から「まとめるな」と言われていますしね。

土門:ほんとですね。

上田:「答えを出すのはこの場ではない。みんなで問いを持ち帰ろう。あるいはもやもやを持ち帰ろう」と言うんですよ。滋賀県ではそんなのをやってるんですが、どう思いはります? ちょっと忖度をして聞いている感じがするけど(笑)。

土門:いえいえ。

上田:死生懇話会みたいに、まさにわからないこと。死んだことがないから、「死ぬ」ことなんてみんな初心者。

土門:本当ですね。

上田:そういう意味では、最も大きな「わからないもの」をみんなで共有しようと、三日月さんは言い出しているわけです。

「死」と向き合うことが「生きる」ということ

上田:この懇話会だけじゃなくて、2023年からはサロンというもっと小さなかたちで顔を見合わせながら、あるいはオンラインも含めてやっています。

この間の第1回目では、就活で査定をされて「お前は何ができるんだ? 何者なんだ?」なんてことをずっと言われて悩んでいる人もいれば、80歳の高齢の方が「バリバリ働いてきた。そんな悩みを持つこともできなかった」とか、そういうことが言い合える場ができているんですよね。これについて何かコメントはありますか?

土門:X(旧Twitter)でこの集まりの告知をさせていただいた時に、「滋賀県すごいね」というコメントをいただいて、私も同じ感想でした。「死」と、どういうふうに向き合うべきかを話し合う。たぶん絶対に答えは出てこないし、それを滋賀県さんがするのはすごいなと思ったんですね。

さっき私は「エントロピー増大の法則」というカオスとロゴスの話をしましたが「死」は最大のカオスだと思っていて。カオスに飲み込まれきって、ロゴス化できない、秩序化できない時が、私たちの「死」だと思うんですね。その時には、やはり安らかに眠るべきだとは思うんです。

だけど「死」という最大のカオスに向かって、こうやってみんなで集まって言葉にして、ロゴス化していこうということ自体が「生きる」運動だと思うので、それを滋賀県さんがされているのは非常に意味があると思います。

上田:ありがとうございます。今日(2023年11月23日)公開の映画(『翔んで埼玉』)では壮絶にディスられるはずの滋賀県ですが、そうやって褒めていただいて大変ありがたいなと思います。

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