2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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人生100年時代の到来とともに、多死社会を迎える中、令和2年度から滋賀県が立ち上げた「死生懇話会」。今回開催されたトークイベントには、『死ぬまで生きる日記』の著者である文筆家の土門蘭氏がゲスト登壇。ずっと抱えていた「死にたい」という感情が、カウンセリングを通じてどう変わったのか。土門氏の「死」との向き合い方を語ります。
土門蘭氏(以下、土門):(カウンセリングを受けながら)だんだん自分のことがわかっていくんですが、そうするうちに1つ変化があって。
(カウンセラーの)質問に答えているうちに、「この人は何を言っても怒らないな」ということがわかったんですね。「そんなこと言うなんてダメだよ」って言わないし、「『死にたい』なんて言ったら私が悲しいよ」みたいなことも言わない。
なぜならば、彼女は初めて会ったカウンセラーさんで、金銭でしかつながってないわけです。家族でも友人でもないから、私がどんな状態であろうと彼女は傷つかないということがわかってきた。そうなると、少しずつ少しずつしゃべれるんです。そうしたら、どんどん心が軽くなっていったんですね。
その前に、ある本で「『話す』ことは『放す』ことである」という言葉を読んだことがあったんですが、本当にそのとおりだなって。自分の中から、重い荷物がどんどん手放されていった感覚がありました。
もう1つ思ったのは、傷をさらけ出すこと、自分の中のすごくみっともないところをさらけ出すことって、家族や友人であったり、すごく近しい人や仲の良い人としかできないと思っていたんですよ。
「初対面の人ともできるんだ。オンラインでただつながって、お金を払っている、言うたらちょっとドライな関係だけれども、そんな人にでもこういうことができるんだ」というのはすごく大きな発見でした。
カウンセリングが終わった後に、ある1つの言葉を思い出しました。これは脳性麻痺を持った小児科医の先生の熊谷晋一郎さんのすごく有名な言葉ですが、「自立とは依存先を増やすこと」という言葉があります。
それまで私は、「自分の問題は自分1人で解決しないといけない。そうじゃないと周りに迷惑をかける」と思っていたんです。「自立」というのは、ある意味で自分1人で背負い込むことだと思っていたんですが、そうじゃなくて本当の自立は、いろんな人や物に頼ることなんだなと理解しました。
あともう1つ。この言葉の続きが「希望は、絶望を分かち合うこと」。私はあの時、自分の中の絶望、つまり「死にたい」と思ってしまうという絶望を、Zoom越しの目の前のカウンセラーさんに一緒に持ってもらった感覚があったんですね。そうしたら、「あ、生きていけるかもな」って思ったんです。
それまでずっと背負い込んでいた絶望を誰かにちょっと持ってもらうことで、そこに希望が入ってくる余白ができた。私にとってそれは非常に大きな体験で、「2回目もがんばってみよう」と思いながら、カウンセリングを続けていきました。
土門:(参加者からの質問で)「カウンセリング期間中に得られた変化は何でしたか?」。当初の目的の「どうして自分が『死にたい』と思うんだろう?」ということがだんだんわかっていったんですが、「どんな感情になってもいいんだな」と思えるようになったことが副産物のような発見です。
カウンセリングで嘘を言ったり、取り繕ったようなことを言ったとしても、本当の意味では自分のためにはならないので。「本当のことを言っていこう」と覚悟を決めてずっと言っていくうちに、(カウンセラーは)何を話しても怒らないし、受け入れてくれるなと。
カウンセリング以外の時間を過ごしている時に、例えば誰かに嫉妬したり、すごくムカムカしたり、イライラしたり、悲しくなったり。これまでは、自分にとって都合が悪い感情を「またこんなことを思ってる。こんなこと思いたくないのに」っていつも押し込んでいたんです。
ただ(カウンセリングの)時間ができると、「今、私は怒っているな」「今、私は嫉妬してるな」というのをちょっと観察できるようになったんですね。「これを今度カウンセラーさんに話してみよう」と思えるようになった。
今までは「感じてはいけない」と思っていたものを素直に感じられるようになって、自分のことがよくわかるようになったんです。「私はこういう時に悲しいって思うんだな」「こういう時にすごく悔しいと思うんだな」と、少しずつわかっていった。もちろん「こういう時に『死にたい』と思うんだな」ということもわかっていった。
土門:カウンセラーさんの言葉にこんな言葉がありました。「自分の心の穴は自分にしか埋めることはできません。その穴を埋めるには、まず形を確かめないといけない」。たぶん私はカウンセリングをしながら、自分の心の穴みたいなものを確認していたんだと思うんですね。
それまでは、その穴を埋めないといけない、もしくは「見たくない」と目をそらし続けていた。でもそうじゃなくて、カウンセリングをする中で、手をペタペタと当てるように「(自分の心の穴は)こういう形をしていて、こういう質感なんだ」というのがわかっていった。
「手当て」という言葉は、「手を当てる」と言いますが、そうやって自分の心の穴を確認することで、ある意味で自分自身をケアしていたし、自分自身を慈しんでいたなと思います。
もう1つの変化ですが、過去を捉え直せるようになった。私はこれまで「理想の自分」があったんです。死にたいと思わないで、楽しく陽気に生きていきたいという理想があって、そこに向かって努力をするタイプの人間だったんですね。
それって周りから見ると、「すごくがんばり屋さんだね」「目標があっていいね」と言われていたし、私もそう思っていたんだけれども、逆に言うと今の自分をずっと否定し続けていることでもあるんですよね。「今の自分じゃないものになろう」と思い続けていたことに、少しずつ気づいていきました。
そういうふうに自分の穴を確かめることによって、「そうか。だから私ってこうなんだ」と気付けるようになった。
土門:カウンセリングって、基本的には「未来のこと」ではなくて「過去のこと」をずっと追っていくので、「自分がどこで生まれて、どういうふうに育って、どういう親に育てられてきたのか。どういう人間と会って、何を感じてきたのか」ということを、一個一個思い出し直していく作業なんですね。
そうすると「だから今、私はこうなんだ」と、過去の積み重ねが自分なんだなということがわかってきた。これまでは未来から見ていて、今の自分じゃないものにしないといけないと思っていたけれども、カウンセリングは過去から行って「だから今、私はここにいるんだ」と、足元がしっかりするような感覚がありました。
それは、過去に意味づけができるようになったということでもあります。「人生を物語化する」ということでもあります。人生を物語化できるようになると、過去を受け入れられるようになるんだなということが、体験としてわかりました。そうすると、過去のことを慈しめるようになる。
カウンセラーさんにもこんな言葉をかけてもらいました。「過去は変えられなくても、捉え直すことはできます」。私は「過去なんて変えられないから、振り返ってもムダだ」と思っていたんですね。
でもそうじゃなくて、過去をもう一度振り返ってみて、ちゃんと捉え直す。「だからこうなんだ」と意味づけしていくことによって、過去をちゃんと受け入れられて、今の自分も受け入れられる。そういうことが、カウンセリングを通して変化していったところだったなと思います。
土門:(参加者の質問で)「その中で『死にたい』という気持ちはなくなりましたか?」。2年間カウンセリングをして、今もカウンセリングを続けているんですが、「死にたい」という気持ちはなくなっていません。ただ、頻度は落ちました。
前は毎日のように感じていたけれども、それがだんだんと2日に1回、3日に1回、2週間に1回になり、今は1ヶ月に1回ぐらいになったので、だいぶ頻度は落ちたなと思います。
ただ、やはりカウンセリングを始めた頃は、「変われた!」ってすごくうれしかったんですね。「今日は良く眠れたな」「私、最近なんか明るいかも」とか思って。
「やったやった、変われたぞ」と思った瞬間に、「死にたい」という気持ちにまた襲われて。「あれ? ぜんぜん変われてないじゃん」ってすごく落ち込むことが多かったんですね。それは揺り戻しみたいなものですが、「こんなにがんばっているのに変われてない」ってすごく落ち込むことがあったんです。
ただ、その時にカウンセラーさんから「人は直線的ではなく、螺旋的に変化していくものです。ぐるぐると同じところを通っているようでも、少しだけ深度や高さが以前とは異なっている。だから、前とぜんぜん変わってないなどと落ち込むことはないんですよ」と言われました。
ぜんぜん変わってないなと思ったけど、自分が前に進もうとしている限りは、ぐるぐるとちょっとずつ上に上がったり、あるいはちょっとずつ下に下がっていったり、深めていったりすることができている。
「見ている風景、また同じやわ」と思っても、もしかしたら高さが違うかもしれない。だからそんなに焦ることはないと言われて、この言葉にすごく励まされながら、自分自身と対話を続けていっていました。
土門:螺旋階段を上がるんだか下がるんだか、どっちだかわからないですが、自分の中で対話を続けていく中で、ある日「風景が変わったな」という時があって。死にたいという気持ちはなくなってないけど、「『死にたい』と思ってもいいかもしれないな」と思えるようになったんですね。
これまでは「(死にたいと)思っちゃいけない」「これは消さないといけない」と思っていたけど、思ってもいいかもなと思えるようになった。これが私なんだなって。穴をたくさん確認して、「これが私の形なんだ」というのがわかってきた。
そうしたら「この形、けっこうおもしろいな」「この穴、わりと可愛いかもな」「だからこそ私は文章を書けているのかもな」「だからこそ私は他の人と違うのかもな」って思えるようになったんですね。それって、すごく自然物を見るような感覚でもあったんです。
例えば山って緑もあれば、秋になったら茶色くなったり、冬になったら枯れるじゃないですか。天気も晴れだったり、曇りだったり、雨だったりして、一定じゃないんですよね。「ずっと晴れていてほしいな」と思っても雨が降るものやし、そうやって自然は回っていっている。
土門:自然って、人間にとって都合のいいものでもないじゃないですか。自然災害が起こったり、それによって人がたくさん亡くなってしまったりするということもある。人間も動物なので、私自身も自然の一部なんですね。
だから、私自身も矛盾を内包している存在であるんだろうなと。今までの自分は、都合のいい自分しか受け入れてなくて、言うたら「きれいな青空の下でずっと緑を見ていたいな」と思っていたとしても、季節は巡るように、私自身にも波がある。
むしろそのほうが自然だし、「雨の日の私でも、晴れの日の私でもしょうがない。それが自然なんだから」と、少しずつ思えるようになった。「死にたい」という気持ちはなくならなかったけども、その代わりに得たものだったなと思います。
カウンセラーさんにこんなことを言われました。「問題ってね、『解決しよう』と思わなかったら問題じゃなくなるんですよ」。これは、私の中ですごく価値観の転換でした。
これまでは「死にたい」という気持ちは問題だと思っていて、なくさないといけないものだと思っていた。でも、「解決しよう」と思わなかったら問題じゃなくなる。
「死にたい」という気持ちを問題だと思わなくなったら、「あぁ、そう思っているんだね」という、ただの事象になるんですね。私の中でこの2年間は、死にたいという気持ちが「問題」から「事象」になっていくプロセスだったなと思います。
土門:最後の質問です。「今のあなたにとって、『死ぬ』『生きる』とはどういうことですか?」。カウンセリングを受けながら、いろんな本を読んだり、いろんな話を聞いたりしていたんですが、その中で1つ「あ、これだ!」というのがあったんですね。
それが、音楽家の坂本龍一さんと生物学者の福岡伸一さんの『音楽と生命』という対談集です。非常におもしろい本なので、ぜひ手に取ってほしいんですが、その中で哲学者のアンリ・ベルクソンのこんな言葉があります。「生命には物質の下がる坂を登ろうとする努力がある」。
どういうことやろ? ということなんですが、福岡伸一さんがこの言葉について、さらに補足されています。この本は私には少し難しくて、ちゃんと解釈できているかあんまり自信がないので、正しい情報はぜひ原典に当たってほしいんですが、今から話すことは私の解釈です。
「エントロピー増大の法則」があります。これは何かと言うと、「物事は放っておくと無秩序な方向に向かう」というものなんですね。例えば、部屋を放っておくとどんどん散らかっていくじゃないですか。ほこりがたまったり、物が散乱したり。
あるいは自分自身も放っておくと、垢がたまったり、汚れがたまったりして、どんどんカオスに向かっていく。どんどん秩序がなくなっていくことを「エントロピー増大の法則」と言うんですね。
福岡伸一さんは、それについてこのようにおっしゃっています。「生命は増大し続けるエントロピーを絶えず系外に捨てることで」、つまり自分の中に生まれていくカオス・無秩序をどんどん外に捨てることで、「不安定ながらも見かけ上、ある一定の期間、崩壊しそうになるたびに秩序を作り直しています」。
つまり物質が下がろうとする、カオスに飲み込まれそうになるという坂を絶えず登り返す。あてどない往還、とどまることのないシーソー運動が繰り返される。これが「動的平衡」です。動的平衡というのは、福岡さんにとっての「生きる」ことの定義そのものなんですが、そのようにおっしゃっています。
土門:私にとっての「カオス」、放っといたら私は「死にたい」という感情に飲み込まれちゃうんですよ。それがすごく怖くて。「このままの私じゃ無理かもしれないな」ってなるんだけども、それに対して私は、転がり落ちそうな坂をなんとか「言葉」で登ろうとしていたんですね。
「なんで私は『死にたい』と思うんだろう? どうしたらいいんだろう?」というのを、人と対話をしながらどんどん混沌を秩序化していった。この本を読んだ時に、「私は生きてたんだな」ってすごく思ったんですね。
カオスに飲み込まれそうになりながらも、それに屈せずに、それでも秩序立てていくことをやってきた。それが私にとっての「生きる」だったんだなと思います。
だから、やはりこの本(『死ぬまで生きる日記』)を書いている時はめちゃくちゃしんどかったんです。カオスに飲み込まれそうで、「怖いな、しんどいな」と思いつつも、それでも文章を書き続けた。その時は、すごく生きている実感があったんですね。
この坂を「登り切った。もう大丈夫だ」と思うことはきっとないんですね。たぶんみなさんも生きていく中で、たくさん別れを経験したり、老いとか病気とか、そういうカオスに飲み込まれそうになる時ってあると思うんです。
ただ、その中でも「これって何の意味があるのかな?」「自分にとってはどういう意味があるんだろう?」と考えて、解釈し続けていく。自分の中に取り込んで、秩序化していくことで、物語にすることで生きていけるんじゃないかなと思います。だから、きっとカオスは必要。
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