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正解のない時代の子育て・受験・進路 親のためのリベラルアーツ入門(全4記事)

子どもが自分の発想を持てる「学びの場」の作り方 親や教師にできる、探究的なアプローチとは?

エディットプラン合同会社が主催した「親のためのリベラルアーツ入門」をテーマとしたイベントに、新刊『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』の著者で、探究型学習の第一人者の矢萩邦彦氏が登壇。編集者・松岡正剛氏の弟子でもある矢萩氏が、生成AIに対する小中学生の反応や、世界中で高い業績を上げている人の共通点などを語りました。

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「本当にそうか?」という突っ込み

矢萩邦彦氏(以下、矢萩):我々大人も、合理的だと思っていることを、ちょっと考え直した方がいいかもしれない。イヴァン・イリイチという方が「『反生産性』現象」と呼んでいるんですけれども、我々の中にも、突っ込みどころがいろいろある。合理的だと思っていることが、本当にそうかどうかはわからない。

例えば車を所有した場合、平均速度はどれぐらいか。当然平均の移動速度が速くなるから、車を買ったら得をするという発想ですよね。もちろん、車がなければ生活に困る地域もありますし、あるいは車があってもぜんぜん役に立たない、あるいはものすごく短い間隔で駅がある、みたいな地域差はあります。

走行距離割る走行時間で、平均速度が出ますね。そうすると約時速50キロになる。じゃあこの時速50キロの平均速度のために車を買ったんだと思えば、ぜんぜんコスパは悪くないと思うかもしれない。

でも、イリイチさんは「本当にそうか?」という突っ込みを入れました。彼の視点はこうです。走行距離で割るべきものは走行時間ではないでしょうと。車を買うための労働時間、保険料や維持費、ガソリン代、交通違反の罰金を稼ぐための労働時間。あと渋滞で止まっていた時間もあるよね。これらを全部割ったら約時速6キロぐらいになる。速足とか、ちょっと走っているのと変わらない。

じゃあ、その車って本当にあなたにとって必要ですか。もしかしたら人によっては、浪費の可能性もありますよね。こんなふうに、本当にそうかどうかを振り返ってみる。これもリベラルアーツを学ぶ意味かもしれないですね。

ちなみにイリイチさんは、「本当に学校に意味がある?」と突っ込みを入れて脱学校化を宣言して、世界中のフリースクールを後押しした方でもあります。

そんなわけで、従来型の教育の問題点としては、こんなことが挙げられます。これからの子育てや、今、小学生・中学生のお子さんがいらっしゃる方でも、そこをサポートする環境作りに注力する。あるいは対話をしてみる視点が大事なのかなと思います。

意味が伴わないまま形式的に暗記してしまったら、いろんなことに意味を付与できるようにはなっていかないですよね。転用・応用ができなかったら、何のために勉強しているかわからない。でも「何でも転用できるよ」と理解できたら、すべてが糧になりますよね。何でも楽しくなってくるかもしれない。

高校生で学校に行きたくないという人に、「なんで?」と聞くと、「何の意味があるのかわかんない」という意見が一番多いんですよ。でもきっと意味はあるし、意味は自分で作れるものだし転用もできるはず。そういったことこそ、教えて、伝えていくといいのではないかなと思います。

ChatGPTにはできないこと

「前例や模範回答がないと判断できない」。それじゃあマニュアル型になってしまいますからね。マニュアルがないとできません、臨機応変には対処できません、みたいな。「合理的かどうかという側面に囚われてしまう」。でも視点を変えたらそれは合理的でない可能性もあるわけですね。

「常識や多数派が正しいように感じてしまう」。偏差値みたいなものに頼っていると、どうしてもそうなってきてしまいます。じゃあそんな中で、我々はどう学びを作っていったらいいんでしょうか。

(スライドの)この画像に違和感全開の方もいらっしゃるかもしれませんが、これはChatGPTに描かせた絵です。

「未来を感じる、明るくてみんなが笑顔な教室を描いてくれ」と言ったら、こんなのが出てきました。現状のAIは、こういうわざとらしい感じになってしまいますよね。だけどこんなの、すぐに改良されていきますので。

でも、改良できる部分と改良できない部分がある。今日はAIがテーマではないので、あまり詳しいお話をする時間がなく、すっ飛ばしてしまいますけれども、AIと人間ではぜんぜん構造が違います。成り立ちも違います。それを理解していると、これから何をするべきかが見えやすくなるのかなと思います。

ChatGPTは、いろんなことを明らかにしてくれました。まず「スピード」。これは、AIに敵わない。何をやるかによりますけどね。「情報量」も圧倒的にAIのほうが多い。でもこれですよ。「正確さ」。計算であるとか一問一答では、ChatGPTの正確さはすごいですし、データをたくさん食わせれば、どんどん正確さは上がっていきます。

だけど、さっきの自分軸、真善美の話に視点を移せば、「正しいって何なの?」という問いは、AIには答えられないですよね。そもそもAIは理解をしていないわけですから、そこに正しいとか正しくないとか、美しいとか美しくないとかの判断はできません。現状では私たちが善悪や倫理に関わるようなことを言うと、AIも道徳的な答えを返してくれたりしますが、それはプログラミングされたものです。

大人とは異なる、生成AIに対する小中学生の反応

「正しさ」は時と場合によって、人によっても違います。だからこそみなさんの、私たちの、あなたの、全員の最適解は、ちょっとずつ違うはずです。ぜんぜん違う場合もあるかもしれない。生身の人間がその場で判断することだと「あの人が決めたから」みたいなことはあるのかなと思います。

イギリスで2年前にウインザー城に侵入しようとした男が、逮捕された事件があったんですね。その男が、自分の犯行をAIに相談していた。AIはそれに対して「これはいい計画だ。懸命だ。実行すべきだ」と答えていたというニュースが、先月報道されました。もしかしたらAIは、犯罪者が相談するのにはもってこいだと思われてしまったのかもしれない。

みなさんもちょっと人に聞けないようなことだとか、悩みや質問、相談とかありますよね。生徒たちに「あなたならAIに何を相談しますか?」と聞いたんです。そうしたら、中学生はほとんどが「別にAIに答えて欲しいことなんてない」「別に正解が知りたいわけじゃない」という答えでした。

私は頼もしいなと思ったんですね。小中学生にとって生成AIって別に普通の存在で、AI以前を知っている世代は、「こんなことができるようになった。すごい!」と、テンションが上がっているんですけれども。小中学生たちはわりとAIをナチュラルに受け入れて、使ったり使わなかったりしているんですよね。

ちなみにピカソ(パブロ・ピカソ)さんは「コンピューターは使えない。答えしかくれないから」と言っていたんです。このあたりが、これからの生成AI時代に必要なものは何だろうかという問いの1つのヒントになるのではないかなと思います。

世界中で高い業績を上げている人の共通点

さて、最近この「キー・コンピテンシー」という言葉を、教育の現場でもよく聞くようになりました。何を持つ人が、世界で高い業績を上げているのか。するとこういうキーワードが上がってきた。

「異質な集団で交流する」「自律的に活動する」「相互作用的に道具を用いる」。そしてそこに「思慮深さ」がある。これらを教育の中に入れられたらいいのでは、という指針があるわけです。けれども今、それが入っているかというと、なかなかそういう現場は少ない気がします。

じゃあどうしたらそれを入れられるのかという視点で、今からお話をします。アインシュタインさんは「教育とは、学校で学んだことを一切忘れてしまった後に、なお残っているもののことだ」と言っているんですね。簡単に言うと、何を考えたかとか知識ベースの話ではなくて、どのように考えたかという方法のほうが残る。

勉強したことではなくて、例えば自転車の乗り方って忘れないですよね。これはたまたまですけれども、私は10歳まで自転車に乗っていたんですよ。そこから中学受験をして一切自転車に乗らなくなったんですね。次に乗ったのが20歳の時で、10年後だったんです。その次に乗ったのは30歳の時だったんですよ。

10年ずつ空いたんですけれども、1~2分練習したらパッと思い出すんですよね。体が覚えていることはパッと思い出せます。でも頭で覚えていたことは、10年前、20年前のものはパッと思い出せない。何かノートを見返すとか、その時の本とかがあれば思い出しやすいですけれども。なので、方法に注目した学びを、もっと取り入れた方がいい。

子どもが自分の発想を持てる「学びの場」の作り方

私が授業でやっているのはこれです。予測できない社会で生きていくんだから、予測したり推測したり、あるいは予見することが、非常に重要になるんですね。模範解答がないわけです。たとえばこういう問いを授業では使います。画面を見てください、これは、何でしょうか? みなさんも、考えてみてください。

こういう問いの何がいいかと言うと、出題している私も答えを知らないんですよ。教師とか大人が、自分は答えを知っているうえで問うてくる。そういう上から目線みたいな、ヒエラルキーがある環境だと、のびのびと自分の発想や想像を発表できない子たちがすごくたくさんいます。

バツをつけられたり、間違っていると言われるのが嫌だから。他にも、単純にずるいと考える人もいます。私なんかも、小学生・中学生時代、教師はずるいと思っていました。フラットな関係なら、いろんな自由な発想が出てきます。

これはNASAが南極で謎の「四角い氷床」を発見した時の写真で、NASAも「謎だ」と言っているんですよ。ということは、安心して何でも言える。模範解答がない、一問一答ではない問いを、フラットに一緒に考える。それを一定期間、何度も何度もやるんです。そうするとだんだん自分の発想が出てくる。

私は授業の時に予定調和を嫌うので、予定調和的な授業はなるべく避けようとしています。例えば今日もこの講演を用意してる時に、スライドを100枚ぐらい用意しているんですね。今日はみなさんのお顔が見えないので、あんまり調整ができてはいないんですけれども。

授業の場合は、話の流れの中で反応を見たり、「やはりこっちの話しよう」とか、その都度変えるんですね。そういう場も、非常にいい影響があります。

私は実際不登校になった人間です。不登校になった理由はいっぱいあるんですが、そのうちの1つが「この先生の授業、たぶん私が寝ていても起きていても、同じことを言って同じことを黒板に書くだろう。自分が学校を休んでいても、たぶん同じだろうな。そんな場に6年間もいたら、『世界なんて絶対変えられない』と思いそうだな」「洗脳されそうだな」と思って、めっちゃ怖くなったんですね。

なので、「あなたがいたから、今、話の方向性が変わりましたよ」とか、「その意見いいね。じゃあ今日はそれについて話そう」とか。あるいはみんなが黙っていたら、「黙っているんだ。じゃあこれをやってみようかな」とかね。いろんなやり方ができるんですけれども、その時その時でいかに対話的に対応するのかが、非常に重要ではないかなと思います。

教師や親の役割は「探究のナビゲート」

これ、家庭でできることも重要なポイントですよね。探究をナビゲートする時に、大事なことの1つにこういうのがあります。これは、動物行動学者の日高(敏隆)さんの作品の中に紹介されている話です。

「さあ、この紙にアリの絵を描いてみなさい」と、小学校低学年の子たちに紙を渡します。そうすると、こんな絵を描く子が多い。

次に、シャーレに本物のアリを入れて「これ、よく見て描きなさいね」と渡す。するとどうなるか。多くの子がまた同じ絵を描くんですよ。つまりちゃんと見えていない。今度は「アリの体はどうなっている? 足は何本ある?」「ああ3個に分かれているわ。真ん中から6本生えているわ」みたいに、質問をしながら見せる。ナビゲートしていくと、ようやくちゃんと認識されるようになる。

これ、とっても大事な話です。教師はなんでいるのか。親がなんで隣にいる必要があるのかと言うと、探究をナビゲートすることができるんです。だから1つの問いがあった時に、どのように対話をするのか、どのような問いかけをするのか、それ1つで子どもたちの考え方は随分変わってくる。

多くの探究の現場で行われているサイクルを、私がまとめたものが(スライドの)これです。

この中で学校や塾の現場などは、主に「認知」と「共有」。インプットとアウトプットにばかり力を入れているんです。でも本当に大事なのは「想像」することと「経験」することです。

頭の中に浮かんだことを発表すること。自分で「何か言いたいな」と思って意見が出る。初めて言いたいことが出てきた時に、例えば「作文、こう書いたら伝わるよ」とか、「あとで見やすい文章になるよ」とかね。「思い出しやすくなるよ」という指導に意味が出てくる。

別に興味がない本を読んで「感想文を書け」なんて言われても、主体的になれないですし、何も想像力が湧かないんですよね。ここを見逃さないことが大事。

アウトプットばっかりになってしまうと、「こう書いておけば受けるんでしょ」「こう書いておけば評価されるんでしょ。じゃあそれに合わせて志望理由書を書きましょう」みたいな話になってくる。対策されてしまう。それが詰め込みになってしまう。それでは今までと変わらないですよね。

そうではない。「あなたはどう感じたの?」「どう思ったの?」。そういうことを自由に考える自分軸を掘り出す。自分と向き合うためには、さっきみたいな正解のない問いを、一緒にフラットに考えていく場がないと、なかなかそれが育っていかないですね。

子どもの問いに答えるのではなく「応える」

ご家庭でできることもたくさんあります。「Switchは部品何個でできているの?」とか、すごく子どもらしい質問ですよね。大人になるとそんなことは思わないですからね。私は「純粋疑問」と呼んでいます。

でもこういう質問・疑問は、小4ぐらいから急激に減り始めます。特に受験をする子たちは、突然こういう興味がなくなってくるんですね。親が「そんなことテストに出ないでしょ。先に宿題しなさい」とか言ってしまうんですよ。確かに宿題には出ないことばっかりですけれども、これらをどのように対話的にしていくのか。

「そんなこと言ったって答えがわからないから難しい」と思われるかもしれない。そうではないです。答える必要はないんですよ。応える。こっちでいいんです。「応答する」でいいんですよ。スルーしないことが大事です。正解を教えようとしなくていいんです。対話すればいいんですよ。

例えば「Switchは部品何個でできているの?」と聞かれたら、「どんな部品が多いと思う?」「どんな形の部品が多いと思う?」と聞き返してみる。「日本に山が多いのはなんでだろう」「海はなんで多いって言わないんだろうね」と聞き返す。「りんごはなんで赤いの?」「でも青りんごってない?」みたいな。

そうすると勝手に「言われてみればそうだな」と思考が進んでいきますよね。相手が自分の話を聞いてくれた。聞いたことに対して返してくれた。そういう気持ちを持つことが非常に大事です。

なので対話的に返す。オウム返しではダメです。難しいですけどね。「空はなんで青いの?」「なんで青いんだと思う?」だと、やる気がなくなってしまうんですよ。「わからないから聞いているんですけど」「あなたの話が聞きたいんです」となる。

というわけで、対話をしていくことが、探究的な学びの中でもすごく大事なことになっていきますし、リベラルアーツを身につける中で非常に大事な、今ご家庭でできることだと思います。

時間が長くなってしまいましたけれども。ぜんぜんしゃべりきれなかったので、もし今のお話にご興味があった方、親としてどう接したらいいんだろうという方は、こちらの本(『子どもが学びたくなる育て方』)で、まず自分がアップデートするきっかけを掴んで頂ければと思います。

具体的に何について考えればいいんだろう、という方は、こちらの本(『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』)をぜひ読んでいただければなと思います。というわけで私からの今日の話はここまでにしたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

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