著名な作家のチママンダ・アディーチェ氏が登壇

チママンダ・アディーチェ氏:温かくお迎えいただきましてありがとうございます。みなさんからの愛を感じます。2019年の卒業生のみなさま、おめでとうございます。去年の卒業スピーチはヒラリー・ロダム・クリントンさんでした。今年は私です。

(会場歓声)

ですから、まず初めに本当にごめんなさいと言いたいと思います。

(会場笑)

過去3年間のことを考慮に入れますと、去年の卒業生は、ちゃんとした大人の政治家のお話を聞けて、さぞかしリフレッシュされたことと思います。話す能力に長けて、経験が豊富で、思いやりに溢れ、大人の語彙をきちんと使える、教養のある方のお話を聞かれたのです。

(会場歓声)

私がここを卒業してから10年が経ちました。ここにいる間、ずっとハッピーなわけではありませんでした。それは学校の問題ではなく、自分の問題でした。でも、それを後悔しているわけではありません。ここに戻って来られて嬉しいです。

本屋さんで何時間も過ごしたことを思い出したり、私の夫と私が気に入っていたインドレストランで夕食をとったことを思い出したり、トンプソン先生の家でセミナーに参加して、その家が彼が中央アフリカから集めたものでいっぱいだったのを思い出したりできたのも良かったです。

アフリカ文学でちょっと気まずいセミナーに参加したことがありました。私が書いた小説がカリキュラムに含まれていたのです。私はただ席に座って何も言わずにいましたが、どういう表情をしていれば良いかわかりませんでした。

(会場笑)

不安や疑いに苛まれるのは人類共通のこと

しかし、何より大切なこととして、このイェール大学に来られたことで、私がフィクションライターとして大切な「ある活動」ができる多くの機会を得ることができました。それは「盗み聞き」です。図書館でもやりましたし、体育館でもやりましたし、歩いているときにも廊下にいる人の近くに寄って行ったりしていました。

ライターにとっては、フィクションを書く材料となる情報を集められるなら、立入禁止区域は存在しません。イェール大学にはさまざまな種類の興味深い人たちがいます。みなさんの帽子を見てください。

(会場笑)

私がここで集めた情報は、まさに黄金のようでした。本当にありがとうございます。私を卒業式スピーカーとしてご招待いただきまして恐縮です。ありがとうございます。みなさんは卒業できて大変興奮なさっていらっしゃるでしょう。お祝いを申し上げたいと思いますが、同時に、ここからは下り坂だということはお伝えしようと思います。冗談ですよ。

(会場笑)

私が大学生を卒業するとき、悲しく感じました。期待する構造がなくなってしまったのです。参加する授業もありませんし、書くべき論文もありません。世界が大きく広がり、秩序がなく、目が回るようでした。私は矛盾であふれていました。自分の矛盾と戦っていたのです。

矛盾をしているのは、人間として正常であるということを知らなかったからです。私は不安でいっぱいでした。絶対的な目的地ではなく、継続的な旅であることを知らなかったのです。みなさんが自分で何年もかけてそれを知る必要のないように、このことをお伝えしたいと思います。

みなさんも不安でいっぱいになる日々もあることでしょう。そして、疑いの気持ちに押しつぶされる日々もあることでしょう。それが人類共通であることを思いに留めておくことは、少しの助けとなることでしょう。私が若かった頃は「絶対にやらない」と言ったであろうことがたくさんありますが、今になってはその多くをやります。その例の詳細をお伝えしても良いですが、必要以上に警告したくはありません。

(会場笑)

理想主義であると同時に実用主義であれ

要点は、自分の気が変わることにオープンであるべきということです。そうなるのは、あなたが成長したことの印です。自分が間違っているかもしれない可能性にもオープンであってください。イデオロギーは良いことですが、自分のイデオロギーの見解すべてに疑問を感じるようでしたら、自分の考え方に敏捷性が必要なときなのかもしれません。小さな転換が必要なのかもしれません。例えば、いたるところに複雑ではっきりしないものがあることを示してくれるサインがあるかもしれません。

一般的に私は、理想主義であると同時に実用主義であるようにと人に勧めます。そして、清教徒気質になり、対象が高価すぎて手に入らないと見なすことは助けとなります。

政治はさまざまな観点から見ても、ひどいものですが、関わることを拒否するのは正解ではありません。ときに人は自分の望む方向にそれを変えるために政治に飛び込む必要があるのです。世界のこの状況に関わるのです。そうしなければ、何も変わらないでしょう。

しかし、あなたがそうするとき、世界がどのようであるべきかという、はっきりとしたビジョンを導きとして持つことは大切です。私は自分が文章を書くことを、神から与えられた使命だと考えています。これは、私が地球上でするべきことなのです。

しかし、世の中には私を物書きとしてではなく、フェミニズムを語るものとしてご存知の方もいらっしゃいます。私は、フェミニズムのアイコンになることを目指してきたわけではありません。だから、誰かが私に「フェミニズムのアイコン」と書いた帽子でも作ってくれたらいいのにと願うほどです。

(会場笑)

ただ単に、私はたまたま物書きをするプラットホームを持ち、たまたま公正について強い意見を持っていただけです。特に女性の平等権についてそうするに至りました。そして、自分のプラットホームを用いて何が自分にとって大切なのかを語ったところ、たまたま、すでに同じことを考えていた人たちの共感を得たと言うわけです。

一人の人間の考え方を変える努力には価値がある

しかし、それと同時に幾らかの人を苛立たせることにもなりました。ある男性が私に、長時間にわたって、なぜ自分の妻が自分に従わなければならないのかについて説明してこられたことを覚えています。私はなぜ人が、仲間である人間に対して、恒久的鎮圧状態に置かれることがあなたのいるべき場所だ、などと強要することができるのかと混乱しました。

なぜバランスのとれた人間が、他の人間を従わせることが必要なのでしょうか。世界にはあの時の男性のような方がたくさんいます。私がそのような人たちを教育する必要があるのでしょうか? いいえ。

では、私は教育したいのでしょうか? はい。なぜでしょうか? なぜなら私は、ほとんどの人々を信じても良いと思っているからです。もしより良い人間の善につながっていくのなら、一人の人間の考え方を変える努力をするのには価値があると思うからです。

そして何より、私は少々「救世主的妄想」を抱く傾向があるからです。私は、世界のほんの一部を変えたいのです。ですから一人の男性が女性の人権を見つめ、彼がもしかしたらドメスティックバイオレンスを肯定することがあれば、それを止めさせたいと思うのです。そのようにすることで、地球の一部を、自分が住みたい場所にすることができるのだと考えるのです。

私の愛する一人の友人はラゴスに住んでいます。彼女の名前は「ボッシー」と言います。彼女は非常に優秀で人道的な産婦人科医で、彼女にはそれを遺伝で受け継いだ娘がいます。この娘さんはナイジェリアで育ち、イギリスの私立学校へ通うようになりました。彼女はとても優秀で、すべての教科でトップにいました。最近、彼女たちは、大学はどこへ通ったら良いかと考え始めました。

私はアメリカのリベラルアートのカリキュラムを心から尊敬しているので、イギリスではなく、アメリカの大学に通った方が有益ではないかと思うと彼女に話しました。すると彼女は、16歳にしては非常に落ち着いた声で、こう言ったのです。「私は死にたくないからアメリカには行きたくありません。」

彼女のはっきりした直接的な言葉に、私は一瞬びっくりしましたが、彼女は明らかに銃のことを心配していたのです。彼女の母親は、その後、私に話してくれましたが、彼女の娘は特に白人の警察官が黒人男性を背後から撃ったビデオを見て、それがトラウマになっていたようなのです。

自らに「アメリカはどうあるべきか」と尋ねてほしい

「イボ(語)」の抽象的表現で、特定な種類の不安、混乱、悩みを表すものがあります。直接的な訳は、「物事がしっかり立っていない」という意味になります。この表現の気まずい美しさ、「物事がしっかり立っていない」という表現は、私が抱く今日のアメリカの状況を一番よく表していると思います。

物が崩壊してきている、または半分崩壊している、という表現は芝居がかっていて、過剰表現に聞こえるかもしれませんが、現状、物事がしっかり立っていないのです。あなたはイデオロギー的スペクトルにいるかもしれませんが、アメリカが呼吸している空気の中に恐れがあるなら、物事はしっかり立っていないのです。

私がこのような話をするのは、みなさんが今回卒業されるにあたり、自分自身に、「アメリカがどうあるべきか」と尋ねてほしいからです。アメリカは、子どもが学校で常に怯えていなければならないような国であるべきなのでしょうか?

他の子どもに銃で殺されて学校から帰宅しない子どもがいるような場所であって良いのでしょうか? 警察の中に黒人を人間と見なさない人がいるゆえに、黒人が自分の命を脅かされて、恐れながら生きなければならない国であるべきでしょうか?

アメリカは、女性が自分の体に権利を持てないという恐れを抱かなければならない国であるべきなのでしょうか? 市民が吸うこの国の空気に「恐れ」が入っているのに、まだ民主主義の国であると言えるのでしょうか?

アメリカは、人々が愛と誇りにインスパイアされた、愛国者の国でしょうか? それとも、人々が敵への憎しみにインスパイアされた、国家主義者の国であるべきなのでしょうか? しかも、その敵たちは実在し、さらに増えていくのです。

アメリカはどうなるのでしょうか? アメリカを定義し、その事例を作るのです。どう投票するかなどのわかりやすい方法だけではなく、小さい部分でそうするのです。他の人をどう扱うか、他の人をどう思うかといったこと。あなたが容赦しないこと。あなたが放っておけない、不当な扱いに不平を言う人たち。

あなたが示す親切な行い。あなたが耳を傾けることにした人々。本当に人々に耳を傾けることは、彼らが大切であるということを示す最善の方法なのです。