メディアはチャネルではなく、今や1つの空間である
山口幸穂氏(以下、山口):今、日本企業の話が出てきましたけれども、今日お越しいただいたオーディエンスのみなさんの中には、出版社などから来た編集者の方も多いと思います。
みなさんも今後、従来のメディアを形成していた出版社や新聞社などが今後どういうふうに変化していくか、この時代の流れに適応していけばいいのかを漠然と考えていらっしゃると思います。それに対する佐々木さんの見解はありますか?
佐々木俊尚氏(以下、佐々木):そうですね。フェイクニュースの話と直接は繋がらないんだけど、「メディアとはそもそも何なのか」という定義自体がすごく揺らいでいますよね。
メディアは日本語で「媒体」と訳します。なのでCDやレコードもメディアですし、テレビ・出版社・ラジオもメディアです。じゃあテレビ・出版社と、CD・レコード盤はどうして同じなのか。それは単純に「情報を送り届ける手段」だから同じになるんです。つまり、旧来の定義で言う「メディア」は情報を送る装置である。つまりチャネルなわけですね。
ところがそのチャネルという発想はもう意味がなくなっていて、メディアというのはチャネルではなく、今や1つの空間であると思うんです。球体、先ほどのパブリック・スフィアという言葉の「スフィア」ですよね。
例えば発信者としての僕がいて、僕が情報を送り届けたい人たちがそこにいるとします。今までは本で届ける・ネットで届ける・ラジオで喋って届けるなど、いろんな方法があったんだけど、これからはありとあらゆる方法でいいんじゃないかなと思います。
だからネットか紙か、電波かYouTubeかとかじゃなくて、電波で届けられるなら電波でいいし、YouTubeで届けられるならYouTubeでもいい。紙で届けるのも構わないし、ネットでも構いません。
更に言えば、別にこういうイベントでも構わないし、あるいはフェスでも構わない。「一緒に音楽のフェス行きましょうよ」みたいなね。あとフリーペーパーとかもある。
雑誌とは、その向こう側にいる人と自分を接続する装置
だから、自分と相手がいて、その全体を包む1つの文化空間みたいなものをイメージしたほうがいいんじゃないかと思います。その文化空間の中でいろんな情報をいろんな方法でやりとりする。
そこでやりとりされるのは、必ずしも発信者と読者であるみなさんの1:Nの関係ではなくて、Nの間でもそれぞれやりとりをする。いろんな人がたくさんいて、その人たちの間でいろんなものがぐるぐる回っている状態が1つの文化なんですね。
その文化を支えるプラットフォームとしてメディアがあるんじゃないか。あるいは文化そのものをメディアと呼んでもいいんじゃないか。単純に印象として読み手が変わってきているがゆえに、その文化空間をどうやって維持して守っていくのかを考えたほうがいいんじゃないかと思っているんです。
ここではよく引き合いとして、70年代、80年代くらいのマガジンハウスの雑誌を例に挙げるんですよ。例えば、今はないけれど『Olive』という雑誌がありました。『Olive』は都会の少女の読む雑誌、イメージ的にはボサノバとカフェオレボウルとバゲットみたいな(笑)。
ちょっとステレオタイプだけど、そういうイメージがあるわけです。その空間は今では別に珍しくもなんともない。でも80年代前半くらいの日本の空気の中では、そんなものは表参道くらいにしかなかったわけです。
でもその雑誌を読むと、表参道くらいにしかなさそうな素敵なボサノバが流れて、Olive少女たちがいる空間に触れられる。それを例えば大阪南部の、なんと言うかヤンキーしかいないような地域で女の子が読んで、「周りはヤンキーばかりだけど、私はこの本を読んでいる間だけあのボサノバの空間にいるんだ」と思える。
つまり、雑誌を読むという行為はその雑誌に載っている情報を受け取るだけではなくて、その雑誌の向こう側にいる人たち、Olive少女たちと自分を接続をするための1つの装置になっていたんです。
水平分離されたメディアがもう一度統合される「空間の時代」
僕は70年代に中学生だったんですけど、その頃『POPEYE(ポパイ)』がすごく流行ったんですよ。当時マガジンハウスは平凡出版社という名前でした。その『POPEYE』を高校生くらいの時に読んですごく感動したんです。
それまで日本の若者の文化は、もうちょっと乱暴で汚らしいランクのはずだったんですよ。その中で「この雑誌はどうしてこんなにかっこいいんだ」「サーフィンをやってバスケットシューズを履いているんだ」「VANジャケットとかを着ているんだ」みたいなね。衝撃的でした。
「この文化に触れること自体、自分の中ですごく嬉しい」みたいな。それはもうカタログ雑誌という役割ではなくて、その文化の中に自分がいる実感を持てるものとして『POPEYE』という雑誌があったんですよね。
かつての雑誌はそういうものだったんです。マニア向けの雑誌がありますよね。釣り雑誌とか、鉄道雑誌とか。それは単に情報だけじゃなく、例えば「鉄道ファン」というマニアの文化空間を維持する、守るための装置として鉄道マニアの雑誌があったわけです。