父の勤務先が倒産…波乱万丈の幼少期

藤岡清高氏(以下、藤岡):曽原さんの幼少期について教えてください。

曽原健太郎氏(以下、曽原):生まれは横浜で、家族は両親と弟です。父はサラリーマン、母は専業主婦、いわゆる普通の家庭でした。また、私自身は、あまり記憶がないのですが母親に聞くと、突拍子もない行動をする子だったそうです。

小学校に入学前に父親の転勤が決まり、アメリカに行きました。幼稚園時に習っていた英語は通用せず、大変でした。そして、次に行ったシンガポールでは塾に通い成績も良く、帰国子女枠のある私立中学への進学も見えていた小学6年生の時、父親が勤めていた山一證券が倒産し、日本に帰国する事になりました。

「これからどうなってしまうのだろう」と不安でいっぱいでした。その時の経験から、大企業というものは大して当てにならないのではないか、安定というものはないのではないか、と思い始めました。自分ではコントロールが出来ない事が多々あった小学校時代でした。

家庭と経済環境の変化から、服の売買で稼ぐ

曽原:筑波大附属駒場中学に通っていた頃、両親が離婚して経済的な環境が変わり、高校生になる前から、ありとあらゆるアルバイトをしました。そんな高校1年生の頃、当時ライブドアのホリエモン(堀江貴文氏)がメディアに出てきました。

その様子を見て、「自分で商売をして利益を出す、という方法でしか、この状況から抜け出せないのではないか?」と考えるようになりました。そして、服が好きだったので服の売買を始めたところ、月に20万円程の利益が出るようになり、本腰を入れるようになりました。

大学に行かず、古着屋になろうかと考えましたが、高校3年の進路相談の先生のアドバイスもあり、「古着屋になるにしろ、商売を始めるにしろ、大学には行っておこう」と思い、そこから受験勉強を始めました。

私が通っていた高校は東大が進学先として最も多かったので、私も東大を受けました。1回目の受験は失敗して浪人生になったのですが、その夏も服の売買は続けていました。

当然ですが成績は上がらず、焦り始め、そこから3ヶ月間、1日14〜15時間、本気で集中して勉強しました。東大に合格した時、「本気で一つの事に集中すれば、物事は何とかなる」という自分なりの成功体験を積む事が出来ました。

大学時代、初めて起業に関わる

藤岡:大学時代の話を聞かせてください。

曽原:東大では経済学部に進み、ゼミを選ぶ時の説明会で、「ウチのゼミは財務省、マッキンゼー、ゴールドマン・サックスに〇人内定」といった話をされて驚きました。ただ、元々競争が好きなので、「『就活』という競争が始まるのだ」と受け止めました。

「自分で商売がしたい」「外国にいたから英語を使った仕事」等と何となく思っていたところに、外銀の就活が早速始まるという事で、まずは身を投じてみました。「外銀に行きたい」という明確な意思があったわけではなく、性格がアグレッシブなので、「就活自体を楽しんで、受けるならトップを受けたい」といった考えでした。

外資系のコンサルや外銀、日系の企業などからも内定を頂き、頑張って競争した結果が出て、「次に何をしようか」と考えていたタイミングで高校の同級生の先輩に「一緒に起業しないか?」と声を掛けられ、関心があったこともあり、始めることにしました。

ビジネスの問題意識としては、「日本のお金の半分はシニアが持っている。もっと老人が気分良く若者にお金を還流するような仕組みは作れないだろうか」といったもので、例えば、老人がビジネスとしてしたい事を具現化して、その結果、若者が利益を得る、といったスキーム構築をしようとしていました。

スーツ会社のオーナーと組んで、若者向けのテーラーメイドスーツブラントの立ち上げをサポートしたり、当初は上手くいっていました。しかし、クライアントが起こしたトラブルに巻き込まれて資金繰りが悪化してしまいました。

私はまだ学生でしたので、社長の勧めもあり、就職することにしました。これが、私にとって最初の起業で、最初の失敗です。

「向いていない」から、マッキンゼーに就職

藤岡:何故、マッキンゼーに就職したのですか?

曽原:マッキンゼー(外資系戦略コンサルティングファームであるマッキンゼー・アンド・カンパニー)出身の起業家が多かったのです。起業に失敗しましたが、「もう一度どこかで絶対起業したい」という強い意思がありました。

そして、「コンサルは自分には向いていない」と思っていたのですが、だからこそ、その環境に身を置いてみよう、と思いました。

マッキンゼーで学んだ事は、「とにかく何でもリーダーシップをとる」という事です。全てにおいてリーダーシップを取る事は、価値創造に繋がる、その場にただいるだけでは何も生み出せない、そういう教育を受けました。

もう一つは、緻密さです。「プロフェッショナルたる者、こうでなければならない」という意識を皆が同じ水準で持っていて、手抜きは全て見透かされました。議論を黙って聞いているだけといった甘えは許されず、徹底的に鍛えられました。

ベインキャピタルへの転職、仕事人としてのスキルを得る

藤岡:ベインキャピタルへ転職した理由を教えてください。

曽原:コンサルタントとして一通りの仕事がわかるようなると、自分のした仕事が後にどう繋がっているのかも気になるようになりました。しかし、関わる期間は決まっていて、提案の実行段階まで見られない場合もあります。

また、ベストと思う提案をしてもそれが実行されず、やりきれない思いを抱える事もありました。当然の事ながら、人事権もありませんので、「本当に会社を動かそうと思ったら、この場所では実現できない。もっとハンズオンでやりたい」と考えるようになりました。

そんな時、たまたま声を掛けてくれたのがベインキャピタル・ジャパン(投資ファンド)でした。その時点で公にはなっていませんでしたが、『すかいらーく』を買収するタイミングで、そのプロジェクトに携われるという事でした。リアルな経営への関わりを望んでいましたので、転職することにしました。

ベインキャピタルでは、財務、マーケティング、ネゴシエーション、法務、タスクマネジメント等あらゆる業務を経験しました。当時26歳くらいで、貴重な経験を多々させて頂き、仕事人としてのスキルはここで学びました。