背番号18は「横浜ナンバー」に

三浦大輔氏(以下、三浦):本日は雨のなかお集まりいただき、ありがとうございます。私、三浦大輔は今シーズン限りで引退します。

高校を卒業して、横浜大洋ホエールズに入団して、今年で25年目。25年間本当に横浜の町で育てられて、たくさんの方に応援していただき、ここまでやってくることができました。うれしかったこと、苦しかったこと、いろいろありましたけれども、本当にいつもみなさんに支えられて、一歩ずつ進んでくることができました。

先日、昨日ですか、CSに出場することも決まり、自分の気持ちも本当に、今シーズンまっとうして終わろうという気持ちで突っ走ってきましたので、残りもう少しシーズンありますけれども、そしてクライマックスと、1日でも長く今のユニフォームを着て、今の選手たちと一緒に戦えるようにやっていきたいなと思っています。本当にいろんな思いありますけれども、感謝の気持ちでいっぱいです。

司会者:ありがとうございます。続きまして、高田GMからひと言お願いします。

高田繁氏(以下、高田):この16日の大阪の甲子園、阪神戦が終わったあとにホテルで、私と球団社長、監督、3人が揃ったところで、三浦選手から現役を引退したいという申し出がありました。

この結論を出すまでには、三浦選手はたいへん悩んだり考えたり、いろんな方に相談して達した決断だと思うので、もう本当に了承するしかなかったといいますかね。

チームにとっては本当に大きな大きな柱を失うことになるので、チームにとって痛手ですけれども、今後ともチームの力になってもらいたいと思っています。どうも今日はよろしくお願いします。

司会者:ありがとうございました。質疑応答に移る前にですが、球団からご報告をさせていただきます。

このたび、三浦選手の引退にともない空き番号となる背番号18ですが、三浦選手のこれまでの功績に敬意を表しまして、プレーそして振る舞いともにチームを牽引する象徴となるべき存在がつける番号と位置づけ、「横浜ナンバー」と名付け、継承していくことを決定しました。

今後は、その番号にふさわしい存在が出るまで欠番とし、ふさわしい選手が現れた際、球団、そして三浦選手、両者協議のうえで継承していくということといたします。

それでは、報道関係のみなさまからの質疑応答の時間とさせていただきます。まずは代表質問からお願いします。

決断した理由は「勝てなくなったから」

記者1:ではいくつか代表で聞かせていただきます。TBSのオオサワです。まずは25年間本当にお疲れさまでした。

三浦:お疲れさまでした。

記者1:今、引退を決意されて、こうやって会見をして、率直な今の気持ちを教えてください。

三浦:いろいろ考えて考えて決断してからも、まだなかなか伝えられてなかった方にも今日こういう場で伝えられて、ちょっとスッキリしました。

記者1:おそらくファンもそうですし、我々、報道関係の人間もそうだと思うんですが、「まだやれるだろう」と思って見ていました。決断した理由はなんだったでしょう?

三浦:勝てなくなったからです。もう常日頃「引退」という文字は、もう今年だけじゃなく数年前から頭にはありましたけれども、「まだできる。もっともっと勝ちたい」という気持ちもあって。「先発ができなくなったら、勝てなくなったらやめる」って決めてましたので。

今年8月まで、その前に7月で初登板させてもらって、打たれて、そのあと8月まで声がかからず。その時にはほぼ気持ちは固まってました。

ただ、「もう一度勝負したい」という気持ちがずっとあったので、9月の頭に甲子園での先発を言われて、それまでは球団にも伝えないでおこうと決めてました。そういう感情抜きに真剣に勝負がしたいというところで。

たぶんその時点では「もう勝とうが負けようが、今シーズンで……」という気持ちもどこかにあったんですけれども、言いたいけど言えないというモヤモヤはずっとありましたね。

記者1:決断をするにあたって、どなたかに相談はされたりしたんでしょうか?

三浦:もちろん家族には話はしましたし。最終的には自分で決めました。

記者1:引退をすると決めた時の奥様の反応はいかがでしたか?

三浦:まあ、残念がってましたね。女房もそうですけど、子供たちも、「まだできるんじゃないの?」という気持ちもあったんですけれども。でもやっぱりプロの世界は厳しいですから、そのへんはしっかりと言って、やり残したことないように精一杯やるって決めて。だから、この間の甲子園もわざわざ甲子園まで見に来てくれましたから。その前で投げれたのはよかったですね。

98年の優勝の思い出

記者1:チームメイトにはいつ伝えたんでしょう?

三浦:昨日の試合後に伝えました。昨日の試合後に伝えるって決めてましたけれど、会見前にみんなに言いたかったので。

その前にクライマックスが決まって、正直ほっとしましたし、決まったあとのよろこんでるロッカーで、こういう報告どうかなって思ったんですけれども、チームメイトにも伝えられてよかったなと思います。

記者1:どういった言葉をみなさんからはかけられたか覚えていらっしゃいますか?

三浦:正直、僕も「引退します」ってことは言ったんですけど、そのあと途中からなにを言ってるのかわからなくなって、自分自身も。でも、それを伝えたあと、「本当ですか」「まだ辞めないでください」っていう後輩の、今日もグラウンドで練習した時も言われましたから、それはうれしかったですけどもね。

記者1:25年というと、もう四半世紀という、本当に長い期間だと思うんですけれども、これだけ長く現役を続けられた……なにが支えになってここまでやって来られたんでしょうか?

三浦:まさかプロ入った時に25年もやるとは思ってませんでしたし、本当に1年1年勝負だとやってきましたし。やっぱり打たれたら悔しい。「もう負けたくない。悔しい。勝ちたい」という気持ちがあったからこそ、苦しい練習もできましたし。

試合で勝った時に、たくさんのファンの方が喜んでくれた。あれが一番うれしかったですね。「あそこにもう一度立って一緒によろこびたい」「負けたら悔しいからもっと練習するしかない」って思ってやってきた25年間でしたね。

記者1:本当にたくさんの思い出があると思うんですが、この25年を振り返って一番の思い出はなんでしょう?

三浦:そうですね、1つになかなか絞れないですけれども、98年の優勝した時。優勝したら、優勝という、「これだけうれしいものか」って。すべてが報われたというか、1年間のしんどいことが吹き飛んだというか。98年の優勝はそれだけ最高によかったですね。

「本当に横浜に残ってよかった」

記者1:その98年の優勝している選手、最後になったわけですが。ユニフォームを今回脱がれるということなんですが、三浦さんは強くなっていく過程も知っていますが、今のこのDeNAベイスターズを見ていて、その時に似てるなと感じるのか、このあたりは違うと感じるのか、どうでしょう?

三浦:98年は98年のよさがあったと思いますし。今年はまたチームでの自分の立ち位置もあの時とはぜんぜん違いますので。ただ、苦しい時があったからこそ、今のハマスタ、DeNAベイスターズを見てると、やっぱりうれしいですね。いいチームになってきたって。

昨日の試合でもそうでした。横浜・広島戦で、何年か前はあれだけお客さん入ってませんでしたし。レフト側、3塁側見ると真っ赤に染まって。バックネット、1塁側ライトスタンドはブルーに染まって。満員のなかでプレーできてるということは、プロ野球選手にとっては最高のことだと思いますし。

本当に何年か前はガラガラでいろいろ苦しい時期もありましたけれども。僕1人じゃどうしようもなかったことですけれども、FAで横浜に残って、「横浜いいチームになったな」って、(いいチームに)したいってあの時に思って、小さな力でしたらけれども、横浜がどんどん変わってくるのを見てきて、本当にうれしく思ってます。

記者1:そのFAの時は、ひょっとしたら、ファンは、阪神に行ってしまうんじゃないかという思いで。「とにかく残ってくれ」という熱い思いは、三浦さん自身感じていたんですが、あの時を振り返るといかがですか?

三浦:いろいろ本当に悩んで悩んで、いろんな方にもご迷惑をおかけしましたけれども、150勝した時も言いましたけれども、本当に横浜に残ってよかったなと。たくさんのファンの方が喜んでくれる、喜んでくれた、支えてくれたというので、本当に三浦大輔は幸せ者だなと思います。

記者1:172勝、ここまでされていますが、一番印象にある勝ち星というのはありますか?

三浦:一番ですか。まあそうですね、どれもうれしいですけど、やっぱりさっき言ったように150勝の時は、僕自身はすごいうれしかったんですけども、それ以上にファンの方が喜んでくれるのを見て、それを見てまた僕は喜んでたなという印象が強かったので、思い出に残ってます。

記者1:150勝は確かジャイアンツ戦だったと思います。おそらくこの先、その最終戦でもう一度三浦さんの雄姿が横浜スタジアムで見られると思うんですけれども、どんなピッチングをしたいというのはありますか?

三浦:勝ちたいです。もうそれだけです。

現役は卒業しても、野球からは卒業しない

記者1:ちょっと早いんですが、今後のこと、人生プランというんですかね、そういったものを考えていらっしゃったら、ここで言える範囲で教えていただいていいですか?

三浦:とくに決めていません。ただ、現役は卒業しますけども、野球からは卒業しないので、もうずーっと野球に関わっていきたいなと思います。

記者1:改めてこの25年間を振り返って、三浦さん自身、どんな野球人生だったと思いますか?

三浦:高校を卒業して、6位で(横浜)大洋ホエールズに入って。そんなにとびきり球が速いわけでもなく、すごい変化球があるわけでもなく、よくやってこれたなって。球が速くなくても、プロ野球選手ってできるんだなっていうところを見せたかったですし。

いろんな……もちろん勝ったり負けたり、まあ負けのほうが多かったですけれども、本当に周りの方に支えられてここまで突っ走ってこれたなっていう、感謝の気持ちでいっぱいです。

記者1:余計なお世話かもしれませんが、トレードマークのリーゼントは今後どうされるんでしょう?

三浦:えー……卒業しません。そのままです(笑)。まあ、できるかぎりやり続けたいなと思いますけどね。

記者1:安心しました(笑)。では、代表から最後になりますが、改めてこの熱い熱いDeNAベイスターズ横浜のファンに、三浦さんから一言お願いします。

三浦:本当に25年間、熱い熱いご声援、ありがとうございました。いろんな苦しい時、本当に助けられましたし、良い時も悪い時も、どんな時でも僕たちをご声援いただき、応援していただき、背中を押してくれて、本当に感謝してます。

何回かヒーローインタビューで言ったことあるんですけども。「三浦大輔を応援しててよかったな」って、「DeNAベイスターズを応援しててよかったな」って思えるようになりたいと思ってやってきて。約束していた優勝ということは果たせませんでしたけれども、若い選手が出てきて、昨日クライマックスシリーズに進出することができて、チームはどんどん成長してきました。

これからも横浜を応援してほしいなと思いますし、僕も横浜から離れることはないので、一緒に、まだね、シーズン、クライマックスって残ってるので、もっともっと上にいけるようにがんばっていきたいなと思います。

本当に25年間、熱い熱いご声援ありがとうございました。

記者1:代表からは以上です。お疲れ様でした。