2024.10.21
お互い疑心暗鬼になりがちな、経営企画と事業部の壁 組織に「分断」が生まれる要因と打開策
横浜DeNA 三浦大輔選手 引退会見(全1記事)
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三浦大輔氏(以下、三浦):本日は雨のなかお集まりいただき、ありがとうございます。私、三浦大輔は今シーズン限りで引退します。
高校を卒業して、横浜大洋ホエールズに入団して、今年で25年目。25年間本当に横浜の町で育てられて、たくさんの方に応援していただき、ここまでやってくることができました。うれしかったこと、苦しかったこと、いろいろありましたけれども、本当にいつもみなさんに支えられて、一歩ずつ進んでくることができました。
先日、昨日ですか、CSに出場することも決まり、自分の気持ちも本当に、今シーズンまっとうして終わろうという気持ちで突っ走ってきましたので、残りもう少しシーズンありますけれども、そしてクライマックスと、1日でも長く今のユニフォームを着て、今の選手たちと一緒に戦えるようにやっていきたいなと思っています。本当にいろんな思いありますけれども、感謝の気持ちでいっぱいです。
司会者:ありがとうございます。続きまして、高田GMからひと言お願いします。
高田繁氏(以下、高田):この16日の大阪の甲子園、阪神戦が終わったあとにホテルで、私と球団社長、監督、3人が揃ったところで、三浦選手から現役を引退したいという申し出がありました。
この結論を出すまでには、三浦選手はたいへん悩んだり考えたり、いろんな方に相談して達した決断だと思うので、もう本当に了承するしかなかったといいますかね。
チームにとっては本当に大きな大きな柱を失うことになるので、チームにとって痛手ですけれども、今後ともチームの力になってもらいたいと思っています。どうも今日はよろしくお願いします。
司会者:ありがとうございました。質疑応答に移る前にですが、球団からご報告をさせていただきます。
このたび、三浦選手の引退にともない空き番号となる背番号18ですが、三浦選手のこれまでの功績に敬意を表しまして、プレーそして振る舞いともにチームを牽引する象徴となるべき存在がつける番号と位置づけ、「横浜ナンバー」と名付け、継承していくことを決定しました。
今後は、その番号にふさわしい存在が出るまで欠番とし、ふさわしい選手が現れた際、球団、そして三浦選手、両者協議のうえで継承していくということといたします。
それでは、報道関係のみなさまからの質疑応答の時間とさせていただきます。まずは代表質問からお願いします。
記者1:ではいくつか代表で聞かせていただきます。TBSのオオサワです。まずは25年間本当にお疲れさまでした。
三浦:お疲れさまでした。
記者1:今、引退を決意されて、こうやって会見をして、率直な今の気持ちを教えてください。
三浦:いろいろ考えて考えて決断してからも、まだなかなか伝えられてなかった方にも今日こういう場で伝えられて、ちょっとスッキリしました。
記者1:おそらくファンもそうですし、我々、報道関係の人間もそうだと思うんですが、「まだやれるだろう」と思って見ていました。決断した理由はなんだったでしょう?
三浦:勝てなくなったからです。もう常日頃「引退」という文字は、もう今年だけじゃなく数年前から頭にはありましたけれども、「まだできる。もっともっと勝ちたい」という気持ちもあって。「先発ができなくなったら、勝てなくなったらやめる」って決めてましたので。
今年8月まで、その前に7月で初登板させてもらって、打たれて、そのあと8月まで声がかからず。その時にはほぼ気持ちは固まってました。
ただ、「もう一度勝負したい」という気持ちがずっとあったので、9月の頭に甲子園での先発を言われて、それまでは球団にも伝えないでおこうと決めてました。そういう感情抜きに真剣に勝負がしたいというところで。
たぶんその時点では「もう勝とうが負けようが、今シーズンで……」という気持ちもどこかにあったんですけれども、言いたいけど言えないというモヤモヤはずっとありましたね。
記者1:決断をするにあたって、どなたかに相談はされたりしたんでしょうか?
三浦:もちろん家族には話はしましたし。最終的には自分で決めました。
記者1:引退をすると決めた時の奥様の反応はいかがでしたか?
三浦:まあ、残念がってましたね。女房もそうですけど、子供たちも、「まだできるんじゃないの?」という気持ちもあったんですけれども。でもやっぱりプロの世界は厳しいですから、そのへんはしっかりと言って、やり残したことないように精一杯やるって決めて。だから、この間の甲子園もわざわざ甲子園まで見に来てくれましたから。その前で投げれたのはよかったですね。
記者1:チームメイトにはいつ伝えたんでしょう?
三浦:昨日の試合後に伝えました。昨日の試合後に伝えるって決めてましたけれど、会見前にみんなに言いたかったので。
その前にクライマックスが決まって、正直ほっとしましたし、決まったあとのよろこんでるロッカーで、こういう報告どうかなって思ったんですけれども、チームメイトにも伝えられてよかったなと思います。
記者1:どういった言葉をみなさんからはかけられたか覚えていらっしゃいますか?
三浦:正直、僕も「引退します」ってことは言ったんですけど、そのあと途中からなにを言ってるのかわからなくなって、自分自身も。でも、それを伝えたあと、「本当ですか」「まだ辞めないでください」っていう後輩の、今日もグラウンドで練習した時も言われましたから、それはうれしかったですけどもね。
記者1:25年というと、もう四半世紀という、本当に長い期間だと思うんですけれども、これだけ長く現役を続けられた……なにが支えになってここまでやって来られたんでしょうか?
三浦:まさかプロ入った時に25年もやるとは思ってませんでしたし、本当に1年1年勝負だとやってきましたし。やっぱり打たれたら悔しい。「もう負けたくない。悔しい。勝ちたい」という気持ちがあったからこそ、苦しい練習もできましたし。
試合で勝った時に、たくさんのファンの方が喜んでくれた。あれが一番うれしかったですね。「あそこにもう一度立って一緒によろこびたい」「負けたら悔しいからもっと練習するしかない」って思ってやってきた25年間でしたね。
記者1:本当にたくさんの思い出があると思うんですが、この25年を振り返って一番の思い出はなんでしょう?
三浦:そうですね、1つになかなか絞れないですけれども、98年の優勝した時。優勝したら、優勝という、「これだけうれしいものか」って。すべてが報われたというか、1年間のしんどいことが吹き飛んだというか。98年の優勝はそれだけ最高によかったですね。
記者1:その98年の優勝している選手、最後になったわけですが。ユニフォームを今回脱がれるということなんですが、三浦さんは強くなっていく過程も知っていますが、今のこのDeNAベイスターズを見ていて、その時に似てるなと感じるのか、このあたりは違うと感じるのか、どうでしょう?
三浦:98年は98年のよさがあったと思いますし。今年はまたチームでの自分の立ち位置もあの時とはぜんぜん違いますので。ただ、苦しい時があったからこそ、今のハマスタ、DeNAベイスターズを見てると、やっぱりうれしいですね。いいチームになってきたって。
昨日の試合でもそうでした。横浜・広島戦で、何年か前はあれだけお客さん入ってませんでしたし。レフト側、3塁側見ると真っ赤に染まって。バックネット、1塁側ライトスタンドはブルーに染まって。満員のなかでプレーできてるということは、プロ野球選手にとっては最高のことだと思いますし。
本当に何年か前はガラガラでいろいろ苦しい時期もありましたけれども。僕1人じゃどうしようもなかったことですけれども、FAで横浜に残って、「横浜いいチームになったな」って、(いいチームに)したいってあの時に思って、小さな力でしたらけれども、横浜がどんどん変わってくるのを見てきて、本当にうれしく思ってます。
記者1:そのFAの時は、ひょっとしたら、ファンは、阪神に行ってしまうんじゃないかという思いで。「とにかく残ってくれ」という熱い思いは、三浦さん自身感じていたんですが、あの時を振り返るといかがですか?
三浦:いろいろ本当に悩んで悩んで、いろんな方にもご迷惑をおかけしましたけれども、150勝した時も言いましたけれども、本当に横浜に残ってよかったなと。たくさんのファンの方が喜んでくれる、喜んでくれた、支えてくれたというので、本当に三浦大輔は幸せ者だなと思います。
記者1:172勝、ここまでされていますが、一番印象にある勝ち星というのはありますか?
三浦:一番ですか。まあそうですね、どれもうれしいですけど、やっぱりさっき言ったように150勝の時は、僕自身はすごいうれしかったんですけども、それ以上にファンの方が喜んでくれるのを見て、それを見てまた僕は喜んでたなという印象が強かったので、思い出に残ってます。
記者1:150勝は確かジャイアンツ戦だったと思います。おそらくこの先、その最終戦でもう一度三浦さんの雄姿が横浜スタジアムで見られると思うんですけれども、どんなピッチングをしたいというのはありますか?
三浦:勝ちたいです。もうそれだけです。
記者1:ちょっと早いんですが、今後のこと、人生プランというんですかね、そういったものを考えていらっしゃったら、ここで言える範囲で教えていただいていいですか?
三浦:とくに決めていません。ただ、現役は卒業しますけども、野球からは卒業しないので、もうずーっと野球に関わっていきたいなと思います。
記者1:改めてこの25年間を振り返って、三浦さん自身、どんな野球人生だったと思いますか?
三浦:高校を卒業して、6位で(横浜)大洋ホエールズに入って。そんなにとびきり球が速いわけでもなく、すごい変化球があるわけでもなく、よくやってこれたなって。球が速くなくても、プロ野球選手ってできるんだなっていうところを見せたかったですし。
いろんな……もちろん勝ったり負けたり、まあ負けのほうが多かったですけれども、本当に周りの方に支えられてここまで突っ走ってこれたなっていう、感謝の気持ちでいっぱいです。
記者1:余計なお世話かもしれませんが、トレードマークのリーゼントは今後どうされるんでしょう?
三浦:えー……卒業しません。そのままです(笑)。まあ、できるかぎりやり続けたいなと思いますけどね。
記者1:安心しました(笑)。では、代表から最後になりますが、改めてこの熱い熱いDeNAベイスターズ横浜のファンに、三浦さんから一言お願いします。
三浦:本当に25年間、熱い熱いご声援、ありがとうございました。いろんな苦しい時、本当に助けられましたし、良い時も悪い時も、どんな時でも僕たちをご声援いただき、応援していただき、背中を押してくれて、本当に感謝してます。
何回かヒーローインタビューで言ったことあるんですけども。「三浦大輔を応援しててよかったな」って、「DeNAベイスターズを応援しててよかったな」って思えるようになりたいと思ってやってきて。約束していた優勝ということは果たせませんでしたけれども、若い選手が出てきて、昨日クライマックスシリーズに進出することができて、チームはどんどん成長してきました。
これからも横浜を応援してほしいなと思いますし、僕も横浜から離れることはないので、一緒に、まだね、シーズン、クライマックスって残ってるので、もっともっと上にいけるようにがんばっていきたいなと思います。
本当に25年間、熱い熱いご声援ありがとうございました。
記者1:代表からは以上です。お疲れ様でした。
司会者:ありがとうございます。ご質問のある方は挙手をいただき、ご質問の際に媒体名をお願いいたします。
記者2:フジテレビです。本当に25年間お疲れ様でした。まだ引退を受け入れることができていないファンのみなさんがたくさんいらっしゃると思うんですけれども、まだ野球からは離れませんというふうに先ほどおっしゃっていました。
ということは、これから将来監督になって、今度は自分が胴上げをされたいという思いは、今ありますか?
三浦:そうですね、将来的には指導者っていう道も、夢にはありますけども、もっともっと勉強しないといけないなと思ってます。
横浜のユニフォームをまだ脱いでないんであれですけど、もう1回登板ありますので、将来的にはまた横浜に戻ってきたいなと思ってます。
記者2:もう1つだけうかがわせてください。25年間プロ野球選手としてチームを引っ張ってきたなかで、三浦選手にとって強いチームとは、どんなチームだと思いますか?
三浦:強いチームですか? プロフェッショナルなチームだと思います。個人個人がプロとしての準備とかしっかりして、意識を持って。
強いチームとは、ファンと地元、チームと一緒になって同じ目標に向かって戦えるチームが強くなっていくと思います。
記者2:監督になってもリーゼントでよろしくお願いいたします。
三浦:了解です。
記者2:ありがとうございました。
記者3:テレビ東京のアキモトです。三浦投手お疲れ様でした。春先のキャンプから、ずっとご自身の結果よりもなによりもチームの優勝というのを目標に掲げていらっしゃいました。
優勝とはなりませんでしたけれども、昨日見事、クライマックスシリーズ進出をチームが決めて、どんな思いが今チームにありますか? そして、日本一のチャンスはまだありますけれども、どんなふうにチームを支えていきたいと思っていますか?
三浦:昨日ベンチで見てて、本当に若い選手たちが頼もしく見えてきましたし、チームが勝つこと、まずそれが、個人プレーじゃないので、1人じゃどうすることもできないことが野球だと思うので、ただ、みんなで力を合わせれば勝てるスポーツだと思ってますので、昨日も見てて本当にたくましく思い、うれしく思ってましたね。
あの、クライマックス唯一出ていないチームってずっと言われてましたから、これで来年から言われなくなるので、よかったなと思ってます。
記者3:あともう1つだけすみません。最後の登板、ファンのみなさんも非常に楽しみにしてると思うんですけれども、「ぜひここを見てほしい」というのがあれば教えてください。
三浦:今まで通り、しっかり準備して、マウンドに上がって、一生懸命、チームが勝てるように、精一杯投げるところを見てほしいなと思います。
記者3:ありがとうございました。
記者4:夕刊フジのミヤケと申します。25年間のすばらしいプレー、パフォーマンス、ありがとうございました。
今も話題になってますけれども、三浦選手のリーゼントなんですけども、三浦投手のトレードマークであるとともに、こちらから見てると三浦投手の反骨精神と言いますか、メンタルを象徴しているような気がします。三浦投手ご自身は、リーゼントにどのような思いを込められていたのでしょうか。
三浦:いや、この髪型が単純に好きなだけだったんですけどね。プロに入ったときに、正直、何十人という投手がいるなかで、なにか目立ちたいなと。注目されないと使ってもらえないと。
もちろんプレーが一番ですけども、それ以外で注目してもらいたいなと思ってやってきた……まあこだわってやってきましたけどね。その代わり、野球に対しては「ちゃんとやるぞ」という気持ちを持ってずっとやってきましたので……それだけのことですけどね。
記者5:産経スポーツのユアサと申します。お疲れ様でした。リーゼントの話が今出たんですけども、その原点と言いますか、登場曲もしかりなんですけれども、三浦選手にとっての矢沢永吉さんという存在はどういう位置づけにいらっしゃった方なんでしょうか。
三浦:本当に中学生の頃に初めて曲を聴いてからずっと大好きで、矢沢永吉さんの歌に励まされて、勇気もらいながら、やってきましたね、ここまで。だから僕のなかではバイブルじゃないですけど、そのような感じの存在です。
記者5:ありがとうございました。
記者6:テレビ朝日報道ステーションのテラカワと申します。25年間お疲れ様でした。今、横にロゴが3つ並んでるんですね(大洋ホエールズ~DeNAベイスターズまでのロゴの変遷)。
まさに本当に長くこの横浜でやり続けてきたということの証だとも思うんですが、この25年間やってきて、先ほどもちょっと話ありましたが、三浦投手にとってファンとは、一言で表すとどんなものでしょうか。
三浦:三浦大輔にパワーをくれる存在ですね。もうどれだけ助けられたかっていうところですね。
お客さん少なくて苦しいときもありましたけども、どんなときでも見捨てずに応援し続けてくれた。最下位であろうが、「今日こそは勝ってくれるんだろう」と信じてついてきてくれましたし、一時ね、勝てないときは、グラウンドにものが投げ入れられたりとか、辛い時期もありましたけども、それでもほとんどのファンの方は、一緒に苦しんでくれたり、喜んでくれたりして、一緒に戦ってきたチームメイトだと思います。
記者6:ありがとうございました。
記者7:読売新聞のサトウと申します。25年間お疲れ様でした。
先ほど三浦さんのお話のなかで、先発としてやれなかったらやめるときだとお話あったと思うんですが、かなり三浦さんご自身の判断に委ねられてた部分が多いと思うんですけども。具体的に引退を決断した例えばボールであったり、試合であったり、タイミングというのはどういったところだったんでしょうか。
三浦:「まだできる」ってどっかであると思うんですけれども、どっかでけじめつけないといけないなっていうのは思ってました。
それが23年連続で勝利続けてきて、今年勝てば24年って続きますけども、やっぱチーム状況とか、チームが置かれている今の現状も考えながらも、8月まで勝てなかったっていうのが僕のなかでは大きかったですね。
自分でどっかで決めないといけないなってそのなかでは甘えちゃいけないなっていう自分もあったんで、常に勝てなかったらやめるっていうところで、そこはいろんな葛藤がありましたけれども、悩んで悩んで……でも、勝てなかったらやめるっていう、そこは単純なところですね。
スパッと。最終的にはそこにたどり着いて。「勝てなかったんだからやめるべきだ」というところですね。
記者8:共同通信のコイズミです。お疲れ様でした。
三浦さんにとって、先発すること、先発へのこだわりというのを教えていただけますでしょうか。
三浦:そうですね、ゲームを作っていく上で、プレイボールから1イニングでも長くと思ってマウンドに上がってましたし、行けるところまで行く。苦しくなったりダメだったときはチームメイトが助けてくれるっていうところの一番のスタートだったと思いますし、週1回ぐらいしか投げないですけども、マウンドに上がる責任の重さ、準備の大切さっていうところを大事にやってきました。
記者9:日刊スポーツのタニダと言います。お疲れ様でした。誰よりもなによりも勝負にこだわって野球を続けられてきたと思うんですが、勝つための方法論として一番大事にしてる部分っていうのはどういうところになりますか。
三浦:勝つための方法論。あったら教えてほしかったけどね(笑)。でも、練習しかないと思ってます。僕は自分ではヘタクソだと思ってたんで、ヘタクソがなにするかって思ったら練習するしかない。うまくなりたかったら練習するしかないと思って、「もっとうまくなりたい、もっとうまくなりたい」と思ってやってきた25年でしたね。もうそれしかないと思います。
記者10:TVKのヤナギタと申します。25年間大変お疲れさまでした。
25年間の現役生活のなかで、たくさんの監督やコーチ、指導者の方との出会いがあったと思います。三浦選手の現役生活を支えた指導者との出会い、また支えになった言葉などがあれば教えてください。
三浦:本当にたくさんの監督のもとでやらせていただきましたけども、本当に野球だけじゃなく、人としてもいろんなことを勉強させてもらいましたし、誰がっていうことはなかなか言えないですけども、まずプロに入ったとき、1年目にピッチングコーチの小谷(正勝)さんという方と知り合ったのが三浦大輔プロ野球選手としての第一歩だと思いますし、本当にたくさんのことを学ばせていただきました。
「まず己を知れ」と言われたことですね。自分がどういうタイプのピッチャーで、この世界で生き残っていくにはどうすればいいのかっていうことを教えていただきました。
記者10:その己を常に知って、知り続けて追求してきた25年間ということなんでしょうか。
三浦:そうですね、その言葉を胸にずっとやってましたし、勘違いしないようにしようと思って、自分はどういうタイプのピッチャーでどうやったら抑えられるかっていうことを常に考えてやってきました。
記者11:NHKのクリハラです。お疲れさまでした。
ベイスターズは若い選手もたくさん育ってきていると思うんですが、25年やった三浦さんから若い選手に伝えたいこと、覚えておいてほしいことなどあれば教えてください。
三浦:そうですね。今の若い選手、10何年やっていた選手もいれば1年、2年の選手もいますけども……やっぱり後悔、悔いってあると思います。僕もやっぱり優勝したかったっていう気持ちはまだ残ってますし、それは100パーセント満足で終われることってないかもしれないですけども、やるだけのことやって、もちろんプロなんで打たれることもありますけども、でも1人じゃないっていうことを思ってほしいですね。
マウンドで苦しくなったときでも、チームメイトが後ろで守ってくれてますし、スタンドでファンの方は応援してくれてますし、ピッチャーだけじゃなく野手もそうですけども、しっかり準備して、グラウンドに立つ責任の重さっていうかね、それを感じて……やっぱり毎日毎日試合の日々が続きますけども、それを忘れずに。
1人で野球やってるんじゃないって。自分だけじゃなくみんなで繋いで1つの勝利に向かっていくんだっていうことを思って、グラウンドに立ち続けてほしいですね。
記者12:25年間お疲れさまでした。本日インターネットで会見の中継をしていますSHOWROOMのタナカと申します。
先ほどファンの方へのメッセージだったり、ファンの方の声援が力になったというお話ありましたけれども、やはりファンの方々からすると、三浦さんが投げてる姿とか、見るだけで勇気や元気をもらったっていう人たちもたくさんいらっしゃると思うんですね。
今会見、おそらくあわせて60,000人の方がライブで見ているんですけれども、朝からTwitterなどでも「寂しい寂しい」という声がたくさん飛んでいまして、改めて寂しいというファンのみなさんの声に一言メッセージいただけないかなと思います。
中央に中継のカメラがございますので、そちらに向かってぜひ一言お願いいたします。
三浦:えー……自分も寂しいです。まだまだ離れたくないですし、横浜のユニフォームを着て投げたいなっていう気持ちもまだあります。もちろんもう1試合投げるんですけども。
いろんなことがありすぎて、ファンのみなさんの前で投げれるのはあと1試合となりましたけども……まあ、もっともっと投げたい、ずーっとユニフォームを着続けたいっていう気持ちもありますけども、やっぱりいつかユニフォームを、現役を引退しないといけない。誰もが通る道だと思うので、そこは……僕もつらいです。
けど……なんて言っていいかよくわからなくなってきましたけども、本当にさっきも言いましたけども、つらいときいっぱいありました。
今年だけじゃなく、もっと前に引退かな、やめないといけないかなって思うときはいっぱいありましたけども、「もうダメかな」って思って2軍で1軍の試合をテレビで見ているときでも……。
(三浦氏、涙ぐむ)
……すいません。……18番のユニフォームを着て……スタンドで応援してくれてるのテレビで見たら、「絶対にあのマウンドに戻るんだ」と思って、がんばってこれました。
それだけ三浦大輔に力を与えてくれましたし、あの応援があったからここまでやってこれたと思います。
まあでも、ここはつらいですけれども、でもまた違うステージでも三浦大輔はがんばっていきますので、そこでも応援してもらえたらなと思います。
すいません。
記者13:たびたびすいません。産経スポーツのユアサと申します。三浦さん、長い現役生活でたくさんのバッターと対戦してきたと思いますけれども、三浦さんが思うライバルのバッターというのと、あと思い出に残る打たれたホームランなどがあれば、ぜひお聞かせください。
三浦:ライバルという方はいっぱいいますけれども、たくさんの打者と対戦させてもらって、たくさんの打者の方と対戦することによって、自分も成長させてもらいました。
思い出に残るホームランは、いっぱい打たれたんでね、いっぱいありすぎて。プロ初勝利・初完封できるかっていうところで、金本さんに打たれたホームランとか。開幕戦で、名古屋でさよなら満塁ホームラン打たれたりとか。ハマスタでのプレイボール直後のホームランとか。
数えたらいっぱい出てきます。打たれたことはいっぱい思い出もあるんですけれども(笑)。
記者14:日刊スポーツのタミヤです。18番の背番号なんですが、今後、三浦選手自身はどういった選手に託したいとお考えでしょうか?
三浦:最初96年ぐらいから球団の方に「18番つけさせてほしい」っていうことを伝えて。で、98年から着けさせていただいて、「横浜のエースナンバーを18にする」という思いでやってきまして、19年、18年ですか、つけさせてもらいましたけれども。背番号の重みをわかってもらえる選手につけてもらいたいですね。
司会者:よろしいでしょうか? ありがとうございます。以上をもちまして、三浦大輔選手による記者会見、こちらで終了させていただきます。本日はお集まりいただきまして、誠にありがとうございました。
(会場拍手)
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