アート・コレクターだったペギー・グッゲンハイム

カリン・ユエン氏:みなさんは『ミケランジェロ・プロジェクト(原題:The Monuments Men)』という映画をご覧になったでしょうか。第二次世界大戦中ヨーロッパに渡り、芸術品や文化財をナチスの侵攻から救出しようとした男たちの一団についての映画です。今日の動画は、そのような男たちについての映画のことではなく、1人の実在の女性のお話です。

彼女の名前はペギー・グッゲンハイムといいます。グッゲンハイムという名前は、みなさんにとっては、ニューヨークのグッゲンハイム美術館でおなじみでしょう。しかしながら、この美術館施設は、ソロモン・グッゲンハイムにちなんで名付けられ、異なる人物にあたります。

ペギー・グッゲンハイムは彼の姪でした。彼女は、アート・コレクターであり、ボヘミアンであり、社交界の花形でした。

彼女は、ニューヨークの非常に裕福な家庭に生まれ、父親がタイタニック号で亡くなった時、若くして多額の遺産を相続しました。非常に情熱的な女性で、人生において3つの事柄に愛を注いだといわれています。それは、お金、男性、芸術です。

彼女は、探求心と冒険を好む感性を持ち、ボヘミアンが集まるパリに行きました。そこで、アヴァンギャルドな芸術家や詩人、作家を崇拝しました。彼らは、型破りで創造的な生活スタイルで生きていました。彼女は小さなギャラリーを運営し、自分の財産を用い、当時最先端のイギリスとフランスの美術に投資しはじめます。

戦時中に芸術作品を守った

しかしながら、彼女は30代になると、なにかしらより大きなこと、真剣に受け取られることがしたくなり、それで、ニューヨーク近代美術館(MOMA)に対抗できるような、近代美術の美術館を設立するという考えに至りました。

もちろん、美術館を始めるということは簡単な事業ではなく、マルセル・デュシャンのような芸術家、イギリスの美術史家ハーバート・リードのような専門家の協力を得て、彼らが作成した作品のリスト案をコレクションの基盤としていきます。

しかし、ヒトラーが戦争を始めます。ヒトラーは、制作される作品を統制しようとしました。公式に承認しない芸術作品を全て取り上げ、「退廃芸術展」と名付けた展覧会を開催しました。この時期に、非常に多くの芸術作品が売却され、あるものはプライベート・コレクションとして密かに保管され、あるいは破壊されたものすらもありました。

ドイツ第三帝国の文化政策の脅威にさらされ、ヨーロッパ中の芸術家は脱出を図りました。突拍子もないことに、そのとき、ペギー・グッゲンハイムは、一等席のチケットを手にして帰るどころか、小切手帳を持って購入リストを辿り、「1日1枚絵画を買うこと」を日課にしていたのです。

多くの芸術家や画商たちは、脱出する途中でしたから、喜んで貴重なコレクションを下げた価格で売却しました。こうして、ペギー・グッゲンハイムは、実際の購入代金に見合わないような、最高位の芸術品の巨大なコレクションを集めたのです。その代金は4万ドル以下といわれています。

彼女の勇気は称賛されるかもしれませんし、また戦乱の時機に乗じたことは批判されるかもしれません。しかしながら、実際に彼女は、非常に重要な多くの芸術作品と芸術家たちを守ることができたのです。

こうして、1941年に彼女がニューヨークに戻った時、芸術家の友人と一緒に、当時の最高のヨーロッパの近代美術を安全に持ち帰ったのです。