ミシェル・オバマ氏のスピーチに盛り上がる会場

みなさん、こんにちは! ワクワクするわね!

(会場歓声)

すごい! みんな元気? 

(会場歓声)

わかったわ、もう私のことは十分。今日はあなたたちの日だもの。

はじめに、マイヤーズ博士に先ほどのすばらしい紹介と、もっと重要なことですが、この優秀な大学におけるご指導に感謝したいと思います。また、ヤーバー市長、トンプソン下院議員、そして今日私たちと共にここにいる公選職員のみなさんと国会議員のみなさんにも感謝を捧げたいと思います。

そして、ペリー氏や理事のみなさん、ブレイン博士、ローズ牧師、そしてもちろん、ジャクソン州立大学の教職員やスタッフのみなさんにも。ここで少し時間を取って、あなたたちが今日という日を迎えるのを後押ししてくれた人たちに大きな拍手を送りましょう。

(会場拍手)

すばらしいおもてなしをありがとう。ここ以外のどこにも行きたくない気分だわ。ちょっと時差ぼけ気味だけど、私は今、あなたたちを祝福するためにここにいる。

(会場歓声)

うれしいわ。今日美しい音楽を届けてくれた交響楽団と聖歌隊の方たちにもお礼を言いたいわ。みなさん最高よ。

そしてもちろん、話を進める前に、あなたたちを今日まで支えてくれたスタンドにいる人たちに拍手を送らなくてはね。お母さんやお父さん、兄弟、姉妹、祖父母、いとこ、友人、そして隣人のみなさんに拍手を送りましょう。拍手を!

(会場拍手)

そして最後に、あら、なんて器量のいい人たちなのかしら、ジョンソン州立大学2016年度卒業生のみなさんへお祝いを言いたいと思います。

あなたたちは祝福に値するわ。この日を迎えるためにどれだけ一生懸命勉強したのか知っていますからね。夜遅くまで勉強して、論文を書いたり書きなおしたり、試験をたくさん受けたり。大変よね。

でも過去数年間、いくつか楽しいこともあったって聞いたわよ。ギブズ・グリーン・プラザでたむろしたり、ホースシューのホット・スポット・フライデーに行ってみたりね。

(会場歓声)

あんまり興奮しすぎないで。ママとパパがスタンドにいるわよ。

(会場笑)

スタジアムとミシシッピ州の負の歴史

ホームカミングやタイガーフェストのために準備をしたり、国内でもトップクラスのマーチングバンド、ソニック・ブーム・オブ・ザ・サウスと盛り上がったり。

ひっくるめて、あなたたちはみんな「優秀な16年度卒業生」ね。自分たちのことをそう呼んでいると聞いたわ。

(会場歓声)

そして、あなたたちはこの大学から、歴史に名高く受け継がれてきたものにまさに今加わろうとしています。総勢たった20人の生徒しかいない、ほんの小さなバプテスト派の神学校として始まった大学からね。たった20人だったの。でも今日では、全国、そしてこの州の、ちょうどこのスタジアム(会場となっているスタジアム)まで達する遺産を持つ大学です。

今日はそこから話を始めたいと思います。この名高いスタジアムと、それがこの国の歴史に占める位置についてね。

さて、このスタジアムが建てられた1950年、ここは国内屈指の立派なスタジアムで、すぐにミシシッピの誇りとなりました。

でもこの美しい総合スタジアムの物語には、負の側面があります。長年にわたって、ここは人種差別を強固に、かつ明確に賞賛する印でした。なぜなら、黒人差別法により、このスタジアムのゲートを通ることが許されるのは白人のチームとファンだけだとされていたからです。

1962年のミシシッピ大学のフットボールの試合の際に、このスタジアムは実質的に黒人差別法賛成派の集会の場所となりました。ファンが南軍旗を振り、「ネバー・ノー・ネバー」という歌を歌いながら、自分たちの大学にアフリカ系アメリカ人が入学することを抗議したのです。

ハーフタイムまでに、彼らは州知事に話をするように説得しました。知事はほんの3つの文を言いました。「私はミシシッピを愛しています。ミシシッピの人たちと、私たちの慣習を愛しています。私たちの伝統を愛し、そして尊敬しています」とね。群衆は熱狂しました。彼がどういうつもりで言ったのかはっきりとわかっていたからです。

その試合は、この国の全土に火をつけ、たびたびここミシシッピで激しく燃え上がった、公民権のための戦いの1つの小さな瞬間でした。ミシシッピは、エメット・ティルという14歳の少年が殴られて殺された州です。NAACP(全米黒人地位向上協会)の指導者、メドガー・エヴァーズが暗殺された州です。留置所がフリーダムライダーたちでいっぱいになった州です。あなたたちのキャンパスで銃声が鳴り響き、若者たちを殺し、寮の一室を今日でも見られる銃痕で汚した州です。

このような背景にも関わらず、1967年10月のある日、このスタジアムで実に驚くべきことが起きました。長年にわたり、ミシシッピ州が人種差別を廃止するように求める法的そして政治的な圧力は高まっていました。そしてその年の秋、州はついに、黒人の2チームが初めてこのスタジアムで試合をすることを発表したのです。そのチームとは、グランブリング州立大学と、そうです、あなた方ジャクソン州立大学のタイガースです。

(会場拍手)

スポーツマンシップで歴史を前進させた

さあ、ちょっと考えてみて。この2チームとそのファンが感じていたプレッシャーは想像できません。ずいぶん長いこと、この競技場は白人だけの、ミシシッピの誇りでした。しかしその試合では、黒人のファンがこのスタンドを埋め尽くすのです。黒人の監督がこのサイドラインを歩くのです。黒人の選手がこの競技場で汗をかき、血を流すのです。

世間はどのように反応するでしょうか? 人種差別の勢力が抗議の暴動を起こしたり、もっと悪いことが起こるのでしょうか? 当時のある選手が言ったところによると、これは引用ですが、「とても険悪な事態になる可能性は間違いなくあった」のです。

ですから、当時のジャクソン州立大学の監督、ペイジ監督は、自分のチームをどのように心構えをさせようか必死に考えました。彼は選手たちを座らせ、2つの目的に集中しろと伝えました。1つ目。グランブリング州立大学に勝つことですね、もちろん。全国トップレベルのチームです。2つ目。争いを超越し、よい手本を示そうと言ったのです。なぜなら州全体が、アメリカ中が見ているからです。

そのため選手たちは、自分たちの靴が磨かれ、紐がきちんと結ばれているか確認しました。彼らは誤ってロッカールームでなにかを壊したり、タオルを持ったまま外に出て行かないようにかなり気を配りました。

なぜなら、例の選手が言ったように、これも彼の言葉ですが「私たちはみんな、自分たちの家族、故郷、コミュニティの見本になりたかった。次の黒人のチームが使えるように、スタジアムを可能な限り大事に使いたかった」からです。そうして彼らはロッカールームを出て、全力でプレーしました。

そしてジャクソン州立大学はその試合に勝ちました。グランブリング州立大学がそのシーズンで負けたのは、この試合が唯一でした。でももっと重要なことに、世間は黒人がこのスタジアムに足を踏み入れるとなにが起こるのかを目撃したのです。

なにを見たかって? 人々がフットボールの試合を楽しんでいるのを見たのです。このスタジアムで以前に開催されたほかの試合と同様の技術やスポーツマン精神を見たのです。

ですから、単にスポーツマン精神を示し、発揮することで、選手や監督やファンは、この国の歴史を作った偉人たちの長い列に加わりました。校舎やデパート、軽食用カウンター、そしてほかのあらゆるところで、この国を常に前へ進めてきた、長い年月をかけて有効性が証明された方法を使った人たちの列です。

彼らは、彼らの抑圧を要求していた人たちのレベルまで身を落とすことはありませんでした。ちょうどその反対のことをしたのです。彼らは立ち上がり、狭量さに対して、気高さと高潔さと優秀さで戦ったのです。

これがキング牧師の「山頂」への定番の道です。私たちの前の無数の男女が通った道です。犬や警棒や消火ホースに祈りや希望、断固とした決意で勇敢に立ち向かった、有名な公民権運動の指導者や一般人たちが通った道です。

なぜなら、キング牧師が教えてくれたように、「闇は闇を追い払うことはできない。光だけがそれを可能にする。憎しみは憎しみで追い払うことはできない。愛だけがそれを可能にする」からです。

大統領である夫の高潔さ

卒業生のみなさん、私は今日、この人生に対する考え方は、歴史の本で読めばいいだけのものではないということを伝えるためにここにいます。これは毎日をどのように生きるかという指針なのです。

なぜそれを知っているかって? この取り組み方の力を間近に、個人的に見てきたからです。高潔さや優秀さという言葉を聞くと、私は夫(バラク・オバマ大統領)のことを思い浮かべます。

(会場歓声)

自分がえこひいきしていることは自覚しているわ。彼のことをかわいいと思っているしね。

(会場歓声)

でもこの道をバラクと共に歩んできて、争いを克服するとはどういうことか、地平線を見るとはどういうことか、次の世代のために状況を改善しようと人生を捧げるとはどういうことかをよく見てきました。いかなる瞬間にどんなに醜いことが起こっていたとしても、バラクがいつも最後まで諦めないのを見てきました。

(会場拍手)

彼が毎晩遅くまで起きていて、読んだり書いたり、大統領が下さなくてはいけない不可能と思えるような決断に取り組むのを見てきました。私は彼の、あらゆる背景を持つ人々を参加させるための不断の努力に鼓舞されてきました。自分の意見と異なる人たちの話を丁寧に聞いて、共通の課題を解決するために人をまとめているのです。

そして毎週、彼が全国から送られてくる手紙を読むのを見てきました。そして実は、バラクは返事を書いているんです。彼らこそが自分が仕えている人たちだと知っているからです。

私は彼が、極限状態にいる、しばしば発言力を持たない人々を助けることに専念するのを見てきました。シカゴでコミュニティ・オーガナイザーだった日々から、今日のホワイトハウスでの時間まで、それが彼の人生の仕事なのです。

そして私たちはみんな、その共感、準備、道徳的指針、厳格な労働倫理が過去7年間の非常に大きな進歩に繋がったということを知っていますね。新たな大恐慌の瀬戸際だったのが、企業が1,400万以上の新しい仕事を創出するまでになりました。失業率は半分になりました。赤字は3分の2まで下がりました。

高校卒業率はもっとも高い記録となっています。現在、これまでより2,000万人以上多くの人が健康保険に入っています。そしてこの国の人たちは、ようやく愛する人と結婚することができるようになったのです。

国際舞台では、私たちの軍隊の大部分は今、自国に帰ってきています。そして私たちの国は、気候変動に関して現実から目をそらしてはいません。ええ、私たちは気候変動を食い止めるために先頭に立っているのです。

意見の相違がより激しいものになった現代

もっと続けることもできますよ。これがこの大統領のもとで私たちが見てきた進歩なのです。それこそが、8年前にみんなが「これが可能だったらいいのに」と願った変革です。

それにも関わらず、あまりにも頻繁に、私たちはこの変革を認めたり祝ったりするのではなく、軋轢や論争に注目する傾向があります。

私たちは、行動を阻止する人、裁判官を阻止する人、移民を阻止する人、最低賃金の引き上げを阻止する人に絶え間ない注意を払っています。ただ阻止する人たちにです。

私たちはフツフツと煮え立つ怒りや憎悪に、悪意に満ちた不和を生じさせる言葉を使って互いに叫んでいる人々に、圧倒されてしまっているのです。そして、その言葉が個人攻撃として夫に注がれることも、数えきれないほどあります。

彼がアメリカを愛していないといった告発です。上下両院合同会議の前で嘘つきと呼ばれた時です。出生証明書と神への信仰に関する絶え間ない質問です。

政治とは常に荒っぽいものだということは知っています。また、議論を起こすような討論の最中に、善意のある人たちが熱くなってしまうこともあるということも知っています。

24時間絶え間なくニュースが流れている現状、Facebookのフィードが自分とまったく同じように考える人の声に限定されており、もっぱら自分が聞きたいことだけを知らせるテレビやラジオの番組にチャンネルを合わせるこの時代では、私たちの意見の相違がより個人的で激しいものになったのは驚くべきことではありません。私たちがあまりにも頻繁に、自分とは違う意見を卑しめたり却下したりするのは驚くべきことではないのです。

でもこの国を常にかき乱してきた昔からの論点について認めなかったら、私たちは自分を偽っていることになるでしょう。多くの人が気づかないように隠してしまいたいと思うような問題です。そのような難題は現在もまだ私たちと共にあります。それは否定できません。

しかし、卒業生のみなさん。このような不安定な時でさえ、この時代の間に見てきた変革のことを知らないふりをするのは不公平になります。

肌の色のために大学やホテルから締め出されたり、バスの最前席に座っていることで逮捕されたり、隔離されたトイレや水飲み場を使うように強制されたりすることはもはやありません。投票が許される前に憲法を暗唱したり、瓶に入ったジェリービーンズの数を正確に言い当てるような選挙権のためのテストをされることもありません。ですから、私たちはここアメリカで進歩をし続けています。