マイケル・ジョーダンのスピーチ

マイケル・ジョーダン氏:ありがとう。みんなありがとう。

友人にはここに来たら、「ありがとう」とだけ言って歩き去るつもりだよ、と話していたんだ。でも無理だね。出来るわけない。ありがとうと言わなければならない相手が多すぎるよ。

映像を見ると、そこに写っているのは僕だけじゃないことに気づくだろう。スコッティ・ピッペンもいつも写っているからね。僕が勝った全てのチャンピオンシップでだよ。ここ4週間で、たくさん質問されたんだ。みんな「どうしてデイヴィッド・トンプソンを選んだんだ?」って聞くんだよ。

僕は理由を知っているし、デイヴィッドも分かってる。でもみんなには分からないだろうね。彼がチャンピオンシップに勝った1974年に僕は22歳で、ノースカロライナで生活していたんだ。

正直、僕はカロライナ嫌いでね。UNCは大嫌いで、でも結局UNCに行き着いたんだけどね。それでもデイヴィッド・トンプソンが大好きだった。バスケの試合でだけじゃなく、彼のやることが好きだったんだ。

ヴィヴィアンが言っていたように、 僕たちは試練や困難を経験した。彼もそうだった。彼は僕を鼓舞してくれたんだ。彼にここに来てくれって頼んだ時、彼が物凄く驚くだろうっていうのはわかっていたんだ。

(会場笑・拍手)

僕は自分が何をしたか知っているよ。でも彼は優しくて、いいよ、行くよって言ってくれたんだ。カロライナの仲間たちにも失礼にはならないはずだ。だってみんなは僕が正真正銘のカロライナの男だって知っているからね。スミスコーチ、ラリー・ブラウン、サム・パーキンス、ジェームズ・ウォーシー、彼らみたいな感じだよ。全ては、両親から始まったんだ。

みんなハイライトを見ただろう? 僕のことについてみんなが知らないことって何だろうな? 他の受賞者たちが自身の歴史について話すのを聞いていたんだけど、ジェリー・スローンについては知らないことばっかりだったよ。

彼が農場で育ったっていうのは知っていたけど、1年生から8年生まで小さな教室にいたっていうのは初耳だった。デイヴィッド・ロビンソン、そう彼のことは知っているけど、彼のことも色々発見できたよ。それからジョンのことですら、悪いことも、まあいい事も知ることができたね。

(会場笑)

あと、ヴィブのことは何年も前から知っているんだけど、彼女と僕の両親はナイキの件で長いこと一緒に過ごしていたんだ。それでも彼女についてはいいことをたくさん見つけられたよ。

最初に競争心に火をつけたのは父

でも、みんなが知らない僕のことってなんだろう? 僕には2人の兄弟がいてね、それぞれ163cmくらいと165cmくらいなんだ。

(会場笑)

2人ともライバルという立場で兄弟として僕が欲しかったもの全部をくれたんだ。ラリーは小さなものの包みは小さいっていう理想的な男なんだ。あいつとは本当に毎日ケンカしていたよ。僕たちのケンカがヒートアップし過ぎると、母親が現れて仲裁するんだ。

それから兄貴はいつもいなかった。31年間軍隊にいたからね。

(会場拍手)

ライバルは2人の兄弟だけじゃないよ。1歳年下の妹、ラズは絶対自分で家に帰ろうとしなかったんだ。妹は僕と一緒に高校を卒業する為に補修を受けていたんだ。ノースカロライナ大学に僕と一緒に通うためと、僕より先に高校を卒業するためにね。

(会場笑)

客席に座っているみんなは僕のライバル達はどこにいるか、ってことか、僕の競争心がどこからきたのかってことを疑問に思っているだろうね。それは彼らから学んだんだ。

今日ここにはいない姉から学んだんだよ。それから父だ。ここには今日いないけど、いつだって僕たちと一緒なんだ。つまり、僕の競争心は、野球でもサッカーでも陸上競技でもバスケットボールでも、授業をさぼるために始めたどんなスポーツであっても初めてプレーしてからどんどん下がっていってしまうんだよ。

だから僕の心に火がついたんだ。最初は両親が火をつけてくれた。それから色々な人たちがそこに蒔きを入れていってくれた。

学生時代の競争心

スミスコーチについては、何が言えると思う?

(会場拍手)

知っていると思うけど、彼は試合のコーチをすることでは伝説的に凄いんだよ。それからリロイ・スミスだね。みんな信じてないだろうね。リロイ・スミスは僕が学校代表チームから外された時の選手だ。

実は今夜ここに来ているんだよ。彼はまだ201cmもあるんだ。もうこれ以上は大きくはならないね。多分彼の試合も同じような感じだ。でも彼は僕と同じ道を歩み始めた。だって彼は自分がチームを作った時、僕はリロイ・スミスにだけでなく、自分自身にだけでもなく、僕ではなくリロイ・スミスを選んだコーチに証明したかったんだから。分かってほしかったんだ。間違いをおかしたんだってね。

(会場笑・拍手)

バズ・ピーターソンもいるね。僕のルームメイトだ。バズに初めて会った時、彼について聞いていたのは、ノースカロライナのアッシュヴィル出身でその年の最優秀選手だったってことだ。 僕は思ったよ。「彼は一度も僕と対戦したことないのに、どうやって最優秀選手になれたんだ?」ってね。

メディア露出のせいかな? 僕がウィルミントン出身っていうのは知っているよね。そこではABCチャンネルとNBCチャンネルしかなかったんだ。小さい頃はNBAスポーツは見たことがなかったよ。

CBSはノースカロライナのウィルミントンではなかったから、バズ・ピーターソンは僕のボードに点をつけたんだ。それからバズ・ピーターソンにバスケの試合で直接会う機会があって、バズは素晴らしい人間で彼には何の問題もなかったんだけど、多分僕の競争本能なんだろうね。彼は僕には勝てない、とか、彼はバスケでは僕より劣っているとか思っていたんだ。

そして彼は僕のルームメイトになった。それから彼は僕にとって、僕も彼も知らないうちに重要な存在になっていったんだ。スミスコーチがSports Illustratedに載って、4人の先発選手を発表した日、彼は僕を指名しなかったんだ。これには本当に腹が立ったよ! だって僕の名前は絶対その雑誌に載っているって思っていたからね。

彼には新入生を出場させるっていう考えがあって、それは理解するんだけど、バスケ選手として見たら僕がSports Illustratedに載るべきだったんだ。

怪我を押し切ってでも試合に出る理由は「勝ちたいから」

まだ終わらないよ。僕の競争心はプロの世界に入っても続いた。ブルスに入ったんだけど、ジェリー・ラインズドルフがチームにいた時で、それは本当に光栄だと思っているよ。また別の組織だったんだ。

それからロブ・ソーンが僕を選んでくれたんだ。ケビン・ロッキーは僕の最初のコーチだった。ケビンはよく練習試合の選手5人の中に僕を入れてくれたんだけど、負けたチームがランニングしなくちゃいけないっていうルールにして競争心を煽ったんだ。

試合の途中で勝っているチームにいる僕を、わざわざ負けているチームのメンバーと交換したりするんだ。僕は試されているんだと思ったよ。10回中9回は負けていたチームを勝たせられたんだ。彼が何をしようが関係なかったんだよ。ケビンには感謝してる。こんな挑戦をさせてくれて、僕の闘争心に火をつけてくれたんだから。彼もまた僕の中の炎に蒔を入れてくれたってことだね。

ジェリーについては何て話したらいいだろう。僕が戻ってきた次の年、足の怪我で65試合も出場できなかったんだ。戻ってきて試合に出たかったんだけどね。彼もドクター達も僕が1試合で7分しかプレーできないっていう結論に達したんだ。でも僕は1日2時間練習していたけどね。「大丈夫」って言い続けていたよ。そういう数値とかっていうのは信じないんだ。

最悪な記録を出してしまった選手は誰でもたくさんのボールやピンポン玉を持ち、どれを選ぶのか決められるんだけど、僕は気にしなかった。ただ勝ちたかったんだ。僕は優勝決定戦をしたかったんだ。分かるかい。情熱をシカゴまでキープしたかったんだ。

だから彼のオフィスへ行って、言ったんだよ。「ジェリー、僕は14分以上プレーするべきだと思うんだ。毎日2時間の練習もしてる。」ってね。彼は言ったよ。「MJ、僕は僕たちが君に投資した分を守らなきゃいけないんだよ。」

僕はこう返した。「ジェリー、僕は本当にプレーするべきなんだ」彼は「聞かせてくれ、頭痛はしないかい?」その時、足首や足をまた怪我する可能性が10%くらいあった。 彼は言ったよ。「もし頭痛がして、10錠の薬を飲んだとする。そのうちの一つがシアン化物でコーティングされていたら、その薬を飲むかい?」

僕は彼を見つめて言ったよ。「頭痛はどのくらいの痛さ? その頭痛がどのくらい酷いかによるな」ジェリーは僕を見つめながら「うん、いい答えだと思うよ。戻って試合に出たまえ。」って言ったんだ。

ジェリーは僕にたくさんの障害をくれたけど、同時にバスケにおいて高レベルのパフォーマンスをするチャンスも与えてくれた。そしてブルスという組織は僕やチームメイトを正当に評価してくれた。

僕はブルスで14年以上に渡ってプレーしている友人がたくさんいるんだから、信じてよ。僕は彼らをみんな尊敬しているし、ただ勝ちたかったんだ。それをどう見たいのかってことだよ。

プレーを禁止されてるサマータイムも関係ない

そしてジェリー・クラウスとジェリー・レインズドーフの中間にあたるダグ・コリンズが入ってきた。

そして同時に、サマータイムに僕がプレーしようとしたら、「組織はサマータイムにプレーすることは禁じているんだ。君は組織の一員なんだよ」って言うんだ。だから僕は「ダグ、君は僕の契約書の例外規定を読んでないだろ。そこには、試合を愛するっていう項目があるんだ。つまり、僕はいつでもどこでも好きな時にプレーできるってことなのさ」って言ったんだ。

(会場笑) 

ダグは「確かにそうだ。確かにね」って言ってたよ。そうやって僕とダグ・コリンズの仲は少し近くなったんだ。ジェリー・クラウスはそこにいたけど、もう一人のジェリーはいなかった。誰が彼を招待したのか分からないけど、理解してくれたと願っているよ。彼はとても負けず嫌いで、それは僕も同じだ。

彼は「組織がチャンピオンシップに勝てるんだ」と言った。僕は「ユタでインフルエンザと戦う組織を見なかったし、足首を痛めても戦っている姿も見たことないよ」って言ったんだ。

確かに、組織はチームを組みたてるけど、その日の最後には、そのチームは出て行って試合をしなきゃいけないんだ。だから突き詰めると、選手たちはチャンピオンシップに勝利し、組織はそれにつながっているんだ。勘違いしないでほしい。

でも選手よりも組織を優先させようとしないでくれ。一日の終わりには選手たちは試合に出て戦うんだから。組織は僕たちにお金を払うけど、僕たちは試合に出てプレーしているんだよ。