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第3回有識者会議 TECHNOLOGY 新たな価値観・評価軸を体現する技術とその社会浸透(全2記事)

2020.11.26

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ウケる技術には「余地」がある Instagramと女子高生に見る、社会に根づくテクノロジーの要素

提供:NEC

2050年の未来からバックキャストし、豊かな社会の実現を目指すプロジェクト「NEC未来創造会議」。NECが2017年度から開始したこのプロジェクトは、さまざまな領域から有識者を招きながら、毎年異なるテーマについて議論を重ねてきた。
今年度第3回となるNEC未来創造会議は、「TECHNOLOGY」をキーワードとして「経済成長と地球の持続可能性を両立する仕組みと仕掛け、その社会浸透」を議論のテーマに据えた。本パートは、建築家の藤村龍至氏と日本の女性の「盛り」文化を研究してきた久保友香氏を迎え、NECフェローの江村克己氏、NEC CTOの西原基夫氏とともに、『WIRED』日本版編集長・松島倫明氏がモデレートするパネルディスカッションの後半となる。これからのテクノロジーに必要な哲学や思想、これからの日本が目指すべき方向性について議論を深めていく。
※このログは(「第3回有識者会議 TECHNOLOGY 新たな価値観・評価軸を体現する技術とその社会浸透)を転載したものに、ログミー編集部で見出しなどを追加して作成しています。

建築家・前川國男氏が語った「技術屋には気をつけろ」の意味

松島倫明氏(以下、松島):それでは2つ目の問い「社会や人の豊かさを下支えするこれからのテクノロジーに必要となる哲学や思想とは何か」へ移ります。ここからはNECのCTO西原さんを加えて議論を進めていけたらと思います。西原さんはここまでの議論を聞いていかがでしたか?

西原基夫氏(以下、西原):技術が女子中高生のスタイルを規定するという話がありましたが、例えばAIのような技術が発展すると人間に新たなケイパビリティをも与えるのではと感じました。ビデオチャットツールによって世界中の人がフラットに議論できる環境が生まれたように、技術のケイパビリティがこれまでと異なる世界をつくる可能性はありますよね。

松島:なるほど。一方で、技術が発展すればアーキテクチャによる専制に陥る可能性もありますよね。藤村さんは建築に携わられるなかで、どのようにテクノロジーと付き合っているのでしょうか。

藤村龍至氏(以下、藤村):建築は文理融合的なジャンルなので半分は技術ですがもう半分は人文社会学によってできていて、建築家はその真ん中に立っています。例えばかつて前川國男という建築家は「技術屋には気をつけろ」と言ったんですね。「あいつらは間違えるときに大きく間違える」と。

建築は経験工学なのでちょっとずつ失敗からフィードバックを受けて改善されていくのですが、それでも大きく間違えてしまうときがあると前川は言っています。ただ、技術が人々の認識まで変えてしまうようなレベルまで発展し、社会全体が大きく技術依存していくときに、それを批判していくことは非常に難しい。

松島:だからこそ前川國男は技術に気をつけろと言ったわけですね。

藤村:日本は技術立国と言われることもあり技術が良くも悪くも美しいものとして捉えられていて、事実1960〜70年代はさまざまなことを工学化して成功を収めていました。ただ、すでに1980年代にピークへ達していて、福島第一原発の事故などを経て自信を失ってしまっている。その状況をどうやって引き受けていくのか考えねばいけないでしょう。

技術と社会の関係性の変化

江村克己氏(以下、江村):技術と社会の関係性が変わってきているのだと感じます。科学技術はアカデミアのなかで閉じたものだったけれど、今は社会課題を解くための科学技術が求められている。社会との接点が増えてきたときに、どう市民と向き合うか考えねばならない。

一方で、MITメディアラボが提唱してる「クレブスサイクル・オブ・クリエイティビティ(KrebsCycleofCreativity)」は科学と技術の関係性に別の視点をもたらしています。これはサイエンスとテクノロジーとデザインとアートを循環させることでイノベーションを生もうとする考え方で、その4つがそれぞれ異なる役割をもっている。本当はさらに哲学も重要になると思うのですが、いずれにせよもはや科学技術万能主義や科学技術立国は成立せず、多様な能力が求められてます。

松島:最近はトランスサイエンスという言葉もありますよね。

江村:サイエンスでアプローチできるけど解を出せない問題がたくさん出ているわけです。例えば遺伝子組み換え食品を食べていいのかどうかも、現時点では答えを出すことが難しい。それは科学が答えを出すというより、今日議論しているようなコンセンサスをつくることが求められている。

これまではNECも技術の会社だと自己規定していたけれども、サイロ化したような状況をトランスサイエンスのような発想のなかでつないでいくチャレンジが必要になっている。そこにテクノロジーの活かし方のヒントも隠れていると思っています。

松島:サイエンスの場合はどこの国でもその法則は変わらないわけですが、テクノロジーは国ごとに別のものが実装されることがありえますよね。西原さんが人々に新たなケイパビリティを与える技術を想定されていましたが、例えば合意形成のようなものに人の感情を読みとるようなものももしかしたらありえるのかもしれません。

女の子たちがInstagramで気にするのは「いいね」よりも「保存数」

松島:久保さんが研究されている領域は、まさにテクノロジーとエモーションが近接するものだと思います。技術の使い方についてはどう考えられてますか?

久保友香氏(以下、久保):ビジュアルコミュニケーションが好きな女の子たちにウケる技術がなんなのか考えていくと、「間口が広くて奥が深い」ところが共通しているように思います。プリクラも実は機種によってシャッタータイミングや画像処理の内容も違うので写り方を調整しないといけないし、つけまつ毛も細かな調整が必要ですよね。

松島:すごいですね、トレーニングが必要なわけだ。

久保:あるいはInstagramも私たちの想定とは少し異なる使われ方をしていて。「いいね」の数を気にしているのかと思いきや、今の女の子たちが気にしているのは「保存数」なんですよね。みんな写真に顔を写さないようになって、洋服やお店の様子を写すようになった。

なぜ顔を写さないかというと、私の顔なんて誰にとっても有効じゃないから保存されないのだ、と。いいお店やいい洋服を載せると保存されて、誰かの参考になることがよしとされている。

松島:評価基準が変わったことで、使い方も変わった、と。

久保:Instagram側が想定していなかったような使い方をしているんです。一見簡単に使えるように思うけれども、掘り下げていくといろいろな使い方ができるような余地のあるもの。そんな余地を残すことで結果的に普及や息が長いサービスへとつながっていくように感じます。

人が使いこなせない技術は、恐怖や不気味さを感じさせる

松島:久保さんが紹介した例のように、もともと想定されていない使われ方をすることで社会に普及していくことはよくあります。ある種の自発性というか、プラットフォームやテクノロジーをハックすることによって自己実現やより主体的な情報の発信が可能になっていく。意図されていないけれども社会に根づいていくものについて、西原さんはどうお考えですか?

西原:女子高生が画像処理を使いこなしている一方で、例えばAIによる画像処理に対して不気味なイメージをもっている人はまだ多いと思うんです。それは、使いこなせない技術に対して人は恐怖や不気味さを感じてしまうということなんじゃないかなと。

使いこなせるようになるとテクノロジーはツールになるし、心理的にも自分がマスターだという感覚が生まれてくる。そういった関係性をつくりあげられたら、テクノロジーの親和性も高まって広く受容されていく気がしますね。

松島:技術が使われる存在になることが重要だということですよね。

西原:最初から完成形が決まっていて使い方が用意されているわけではなくて、ユーザーとの関わりのなかで技術そのものが発展していく余地を残したほうがいいのかもしれない。むしろその余地を重視していくことで、テクノロジーはもっと多くの人に使われていくのではと。

松島前回の有識者会議でも、経済学者の斎藤幸平さんが「閉じた技術と開いた技術」について語っていましたが、開かれた技術とはまさに西原さんが仰っているところの「余地」が残されていているものだと言えそうですね。

島国の日本はもともとクローズドなものづくりが得意だった

松島:建築も単なるハードではなくて人間とのインタラクションのなかで語られる機会が増えていると思います。開かれた技術としての建築の可能性について、藤村さんはどのように考えていらっしゃいますか?

藤村:日本の建築のものづくりはインテグラル型と呼ばれていて、さまざまな業種の人々が定期的に集まってすり合わせを行うことが得意だと言われます。一方で今オープンイノベーションと言われるようなものは共通のプラットフォームの上で個別に開発を進めるわけですが、日本よりもアメリカや中国の方がこうしたモジュール型のつくり方に長けています。

松島:オープンな方が競争も苛酷になりますよね。

藤村:そうですね。だから日本のものづくりはクローズドなつくり方で実績を積んできたので、オープンイノベーション神話みたいなものが本当に我々の未来につながっていくのか考えた方がいいでしょう。くわえて日本の技術は島国のスケール感に合ったものなので、インドや中国の技術とそのまま比較することも難しい。私としてはむしろ近過去というか、これまで日本がやってきたことから近未来を考えてみてもいい気がしています。

江村:技術の話でもあり、文化の話でもありますね。例えばアメリカは多民族国家なのでローコンテクストなプラットフォームを用意してそこにいろいろな人が参加するほうが向いている。

一方で日本の文化はハイコンテクストだと言われることも多いでしょう。確かに日本の方が閉じてしまっているかもしれないのですが、アメリカ型のオープン性を輸入するのではなく、日本のもつ価値をどう時代に合わせてデザインしなおしていくか考えるべきなのかもしれません。そういう意味でも、藤村さんが仰ったように、我々の文化がつくってきた価値を見直していく必要がありそうです。

ナショナリズムにも自嘲にも陥らずに、立ち位置を考え直す時期

松島:ここで今日のテーマに立ち戻ってみると、成長と持続可能性に向けて一人ひとりが具体的なアクションを起こしていくためにこそ、ここまで議論したようなプラットフォームや場が必要であり、それらをつくるための思想や哲学が求められているわけです。さまざまなプラットフォームの方向性がありうるなかで、日本は今後どんな方向に進んでいくべきなのでしょうか。

藤村:與那覇潤さんの『中国化する日本』という本では、国民と国家が契約関係を結ぶ欧米型のモデルに対して中国型の徳治主義が置かれています。COVID-19の影響を受けて欧米モデルが限界を迎えてもいますが、中国型こそが未来なのだと開き直るのも危険ですよね。

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

日本は欧米型と中国型の間で国民と国家が曖昧な関係を結んできましたが、日本なりの関係性を模索しなければいけない。もちろん曖昧な協調関係は太平洋戦争のように空気に流される状況を生む危険性もあるし、先ほどのすり合わせによってイノベーションを生む可能性もある。日本はあまり自嘲的になりすぎずに、今一度自分の立ち位置を考え直すべきではないでしょうか。

松島:なるほど。確かに中国は今も成長を続けていますが、単に追随しても意味がないですよね。

藤村:まちづくりを考えてみても、中国の街って一見すごく魅力的なんですね。公園でお年寄りが水浴びしたり卓球したり、日本からすると非常に自由な空間が生まれている。そういった差異に目を向けると、日本は活気がなくてダメだなと思ってしまいがちです。経済成長できないのも今の日本のなあなあの文化がよくないのだ、と。多くの人が自信をなくしてしまっている状況にある。

でも、グローバル社会のなかで日本の特徴を発揮できる可能性を探ることも必要でしょう。その結果ナショナリズムに陥る危険性もあるので慎重にならなければいけませんが、ナショナリズムを避けながら自分の足元をしっかり見るような眼差しがもっとあってもいいのではないかと思っています。

ビジュアルコミュニケーションだからこそつながれる世界

松島:足元を見つめるという意味では、久保さんが紹介された女子中高生の話には、プラットフォームに順応させられているようで自発的にハックをしかけていくような姿勢が感じられました。彼女たちはどういうふうにバランスをとっているんでしょうか。

久保:彼女たちと話していると、もちろんリアルな学校のクラスメイトとも仲良くしている一方で、バーチャルな世界でもっとたくさんの人とつながれば本当に自分と合う人がいるかもしれないと考えてるみたいで。

例えばInstagramでは少し前に「オルチャンメイク」という韓国風のメイクが流行っていましたが、あれって実は韓国ではあまり流行っていなくて、むしろ日本の“盛り”の文化が韓国の女の子に影響を与えている。今は自動翻訳で簡単に言語の壁を越えられますし、国境と関係ない交流が生まれている。

インターネット上には分断やフィルターバブルが溢れているとも言われますが、そのうえで世界的にはつながりが増えているので、個々のコミュニティのなかにはこれまでになかった多様性が生まれているんですよね。彼女たちはよく「世界観」という言葉を使うのですが、同じ世界感をもっている人たちを重視している印象を受けます。

松島:ナショナリズムに抗う一番の方法はほかの文化と身近に接することですよね。プラットフォームを使っている方々の方が、ナショナリズムへのカウンターになりうる文化をすでに築いているのかもしれません。

久保:ノーベル賞やアカデミー賞など日本は既存の基準に振り回されて自身の基準を提供できていないともいわれますが、原宿の「かわいい」のように独自の基準を打ち出してるんですよね。言葉で発信できていなくても、ビジュアルコミュニケーションだからこそつながれるし世界を巻き込めているような期待を抱いています。

松島:おもしろいですね。人々がつながるツールがあるからこそ世界の人を巻き込めるわけで、今日の問いでもある個と公共のつなぎ方を考えるうえでも、やはり企業が果たす役割は大きそうです。

状況に応じた柔軟な対応が求められている

松島:久保さんが仰っていたようなテクノロジーの影響力は、企業の側から見るとどう感じられるものなのでしょうか?

西原:NECもドイツやアメリカ、シンガポール、インドなど世界中に社員がいて、さまざまな情報が上がってくるのですが、各国の人々とやり取りするなかで、私は日本の強みを感じています。もちろんどれか1つの国がベストなわけではないので、いいところをうまくつなげる必要がある。先ほど出てきた「すり合わせ」という言葉を使えば、多民族のいろいろなアーキテクチャと文化をすり合わせるという考え方もありますよね。

松島:まさに異なる文化のすり合わせが必要なのだ、と。

西原:例えばCOVID-19への対応においては、プライバシーを非常に重視していたEUが、3ヶ月前に規制の緩和を検討するガイドラインを策定しましたよね。一部の国が行っていた感染者のトラッキングは本来抵抗感があるけれど、パンデミックがさらに広がった場合は感染対策のためだけならトラッキングしよう、と。プライバシーを重視する文化と非常事態の公共性のバランスをとろうとしているわけです。状況に応じていろいろなやり方を柔軟に取り入れることが求められている。

江村:これまでNEC未来創造会議の議論ではマズローの欲求段階説のモデル図を描いて、下部の生理的な欲求はテクノロジーでコンバージェンスできると言われていました。そのうえで、上部の欲求は自己実現にかかわるので一人ひとりがチャレンジできる環境をつくらなければいけない。

例えば今日の議論で出てきた、間口が広くて奥が深い仕組みがあれば個人がチャレンジしやすくなりますよね。まずはそのデザインを考えるなかで、先ほど藤村さんや西原さんが話していた日本のよさをうまく入れ込んでいく必要があるのかなと。

その点、NECはいろいろな技術を提供してはいるものの、技術が開く可能性に対する想像力がまだ足りていない。プリクラの開発に元ユーザーが参加することで成功したように、NECも多様なメンバーを迎え入れたり誰かとコラボレーションするチャレンジをもっと続けなければいけないのだなと思います。

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