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会社から干されて、這い上がり、また干されてなお這い上がる。 ~サイボウズ18年で経験した、図太く楽しく生き残る働き方~(全2記事)

2019.01.17

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40代のジェネレーションギャップのリアル サイボウズ社長室フェローが語る、“絶頂期と下り坂”

提供:サイボウズ株式会社

2018年11月7〜8日、幕張メッセにて「Cybozu Days 2018 Tokyo」が開催されました。サイボウズ株式会社が毎年開催している本イベント。今年はテーマを「楽しいは正義」とし、全国4会場にて豪華ゲストによるトークイベントやセッション、展示などが行われました。本パートでは、サイボウズ株式会社の社長室フェロー兼カメラマンの野水克也氏が登壇。紆余曲折の半生を振り返りながら、従来の常識が通用しない状況に直面した苦労を語りました。

楽しくなければ人生ではないが、楽しい時期ばかりではない

野水克也氏:みなさま、こんにちは。サイボウズ株式会社、野水です。今日ほどプレゼンが嫌だったことはないです。「楽しいは正義」。全面的にこれは賛成でございます。楽しくなければ人生じゃないです。

今日は朝の基調講演からずっとそれを言っています。とは言うものの、人生そんな楽しい時期ばかりじゃないですよね。例えば、なんですか、このタイトル。このタイトルでここに立っている今がそうです。わくわくよりも、ドキドキのほうが遥かに上回っているという状態でございます。

ことは、年下の元部下の一言から始まりました。ある日のことです。

「(Cybozu)Daysはシニア向けコンテンツでやってください」「シニア?」「あなたのことですよ!」というわけですよ。「あなたって、俺……シニアか!?」みたいな。そういうところから始まるから、サイボウズはいろいろ若いなと思うんですけれども、ちょっと失礼じゃない? というか、ある意味パワハラですよね。

東京ディズニーランドでシニアパスが通用するのは60歳以上です。ちなみにユニバーサル・スタジオ(・ジャパン)に行くとさらに上がり、65歳以上。僕は、(シニアパスが適用されるまで)まだ8年くらいあるんです。

私は昭和40年生まれですので、まだ52歳でございます。(スライドを指して)こんな経歴をしています。そんなことを言っても、我々が34歳と28歳の見分けがつかないように、彼らから見ると52歳も60歳も一緒になってしまうんだろうということで、辛いかな……いろいろと断絶を見てしまうわけでございます。

「このタイトル(会社から干されて、這い上がり、また干されてなお這い上がる。~サイボウズ18年で経験した、図太く楽しく生き残る働き方~)でしゃべってください」と言われるわけです。僕が言いたかったのは「サイボウズ18年で経験した、図太く楽しく生き残る働き方」という部分です。ところが、会う社員、会う社員、全員「干されて、干されて」……干されてしか言っていないです。

内定10社を得ながら、テレビ制作業界のカーストの最底辺へ

それで、「何を話せと?」と言うわけです。「僕の人生なんか誰も聞きたくないやろ」と言うと、彼女曰く「楽しそうにやっている人生を、ぜひみなさまに披露してほしい」と。

そこで、「僕は楽しそうにやってるんか」というところに初めて気づいて、「そう見えているなら成功かな」とは思っているので、ここに立とうという気分になったわけです。

ということで、図太く生き残る人生について、今から語ってまいりたいと思っております。今サイボウズはホワイト企業ということで、みんなに「働き方が素晴らしい」と言われるんですけれども、ほんの5年前までブラックでございました。その前の人生を辿ると、ほぼぜんぶブラックです。

世代的に今の40代・50代の方々って、生まれてからだいたいブラックなんですよ。今だって、「変われ」と言われていて困るという方が、今日ここにいらっしゃる方々と理解しています。高校時代は(スライドを指して)こんな感じ(ヤンキー)です。ちょっとかわいく書いてありますけれども、似たようなもんでしょう。

それで、大学時代は(スライドを指して)こんな感じですよね。世代的にはバブリーな感じ。僕はここ(お立ち台)にいたわけではなくて、このへん(お立ち台の下)にいるわけですけれども。そういう大学生活を送って、さんざんバブルの恩恵を大学まで受け尽くして実社会に入りました。

正直、内定は10社くらいとりました。当時は入り放題ですから。僕は法政大学という大していい大学ではないんですけれども、ここでもいろいろなところから誘いがあって、いろいろな内定をもらいました。

ところが僕はなにを好き好んだか……当時の僕がいたら殴ってやりたいんですけれども、わざわざ、社会で一番底辺カーストに(就職します)。「テレビ番組を作ろう」と思って、ディレクターになろうとしたんですけど、テレビ局に行ったら「うちでは作ってないから、制作会社に行かなきゃだめだよ」と(言われて)。「あの一言を言った人は、本当に誰でしょうね」という感じなんですけれども、制作会社に入ったわけです。

(このスライドは)テレビ制作業界のカースト制度です。NHK正社員から始まって、ずーっと下まであるんですけれども、わざわざ(テレビ制作業界のカースト最底辺に位置する)田舎の独立系プロダクションに入ってしまいました。プロダクションに入った後にも、さらにカーストがあるわけです。職種のカーストになるんですけれども、士農工商犬猫ADカメアシ、というのがあるんです。

僕はこのへん(AD)から始めるつもりだったのに、なぜかわからないんだけれど、当時カメラマンが圧倒的に不足していて、なんの経験もないのに「お前カメラやれ」と言われて、いきなり現場に放り出されるという、ひどいブラックな状態にありまして。カメアシから人生が始まりました。本当に悲惨でした。

悲惨なカメアシ時代、29歳でいきなり家業の2代目社長

基調講演で真鍋かをりさんも言っていましたけれど、言っても真鍋かをりさんは、(テレビ制作業界カーストの上のほうスライドを指して)この辺の方です。ここから(テレビ制作業界カーストの底辺を指して)こう来て、(職種のカーストの底辺を指して)ここまで来るわけです。ここまで来た時の、ひどさと言ったらもう、過労で2回入院しました。オウム真理教のアジトに突撃取材をしたり、桜田淳子さんのマンションの前で1週間張り込みをしたり。

あと、ラッシャー板前さんとマグロ漁船に乗せられて、そのまま嵐の中でゲロゲロ吐きながらロケをやったりとか。ひどいことをいっぱいやったあとに今、というふうになるんですけれども。これを語るとずっと悲惨な話で、だんだんこれ(先輩風壱号)が吹いてきますので、このへんにして次にいきたいと思います。

そうやって苦労して最後はディレクターになったんですが、作りたい番組が作れないと。最後はワイドショーばかりになって、「ワイドショーって本当に子どもに誇れる職業じゃないな」と思って、(仕事を)変えたわけです。次に入った会社は自営業です。うちの父が自営業で設備屋だったものですから、今度は設備屋に入りました。

入ったんですけれども、半年くらいで親父が「もう俺はやる気がないから、お前が社長をやれ」「はあ?」という感じで、従業員が7人しかいない会社の社長になりました。30歳にして、まったくマネジメントを知らない代表取締役の誕生でございます。地方の2代目あるあるという話なんですけども。

ただ、「社長になった」と言っても、建設業界は平均年齢が高いですから、超ひよっこですよね。どこに行っても自分が一番下という状態だったわけです。それで働き方は、まあまあブラックです。もう時効だから言いますけれど、この頃は談合も普通で、平気でやっているわけです。

そのために、わざわざ「あんたゴルフを覚えろ」と。「なんでゴルフ?」と言ったら、「それがないとこれ(談合)できんやろ」と言われるような感じです。「ちょっと待ってくれ」という感じでゴルフを覚えて、あとは変なこともいろいろやっていました。

当時の建設業界でPhotoshopを使えた人間って、本当に僕くらいだったので、4月に撮った竣工写真について、「3月完工にしなきゃいけないので、桜を消してください」というオーダーがあって、チョチョッと桜を消して。しかも、それを役所に言われて。おかしいですよね。

そういうことがあったり、あとは屋根裏に入って「今から工事をしよう、クギを打とう」と思った瞬間に、電話がかかってきて。本当に電話社会ですから、20本くらい電話を取って。屋根裏でこの(クギを打つ)姿勢のまま20本電話を取ったら、それで午前中が終わった、というような生活で。「これをなんとか解決する方法はないのか」ということで探したら、ITが解決してくれそうだということで、ITの勉強をしようと思って、サイボウズという会社を見つけました。

入社1年で数億円の広告宣伝費を任せられる

こんな経歴の方を雇ってくれる会社なんて、そんなにないんですけど、当時サイボウズは創業から3年後、社員数25人だったんです。めちゃめちゃ少ない。(写真を指して)これが誰かわかります? 誰かわかります? 

あんまり言うと怒られますのでやめておきますけど、そういうことです。当時の某副社長です。「僕、とにかく日本中を回ってサイボウズのすばらしさを広めたいんだ」とキラキラな目で言われて、「わかりました、やりましょう」という感じでサイボウズに入って、今に至るというところです。

それで、入ったらホワイト企業かと言うと、とんでもなく大きな間違いでございまして。一番びっくりしたのは、僕が一番年上だったわけです。建設業界では一番年下なんですけれども、今度は社員的には一番下だけど僕が一番年上ということになってしまうんです。

それでどうなるかと言うと、とにかく仕事が振ってくる、振ってくる。いきなりの即戦力として扱われて、僕が初めてセミナーで登壇させていただいたのは入社1週間後ですから。そもそも入社した日に、隣の人がブラインドタッチでカタカタカタッと打っているのを見て、「俺、もう3日持たないかも」と思っていました。

こういう打ち方(数2本で打つ)をしていた僕が、1週間後には、IT業界のセミナーとかに行って、みなさまにサイボウズOfficeの使い方を語っているわけです。本当に脂汗ダラダラ。今日も汗が出ていますけど、あの時は本当に脂汗がたくさん出ました。

翌年には成長期で人がいなかったので、いきなり「広告宣伝費を数億円くらい任せたから」と、ドンとやってくるわけです。辛い。経験が豊かな時に金をいっぱいもらうとすごくうれしいんですけれども、この時はさすがにプレッシャーでしかないんですよね。

だって実家で自営業をやっている時は、せいぜい年間契約で数千万ですから、「クギの1本をどうやったらケチれるか」「廃材をこう利用できるんじゃないか」とかやっていたのが、いきなり「数億円でこれくらいの売上を上げてください」「はあ?」という感じなわけですよ。

ブラックな職場環境で、自らもブラックな部長に

青野(慶久)はブラックだったという話です。しまった、言っちゃった。彼は「キーボードに突っ伏して死ねたら本望。マジ理想だよね!」と本気で言っていましたから。ことあるごとにキラキラした目で僕に言うんです。

一生懸命に広告をいっぱい出します。広告をいっぱい出すんですけど、当たるものもあれば、当たらないものもあります。当たらなかった時が辛いんですよ。なんせ社員の生活がかかっていますから。当時うちは営業がいなくて、ぜんぶインターネットで売っていた時代です。

それで、ある日トイレに行こうとすると、向こうから当時の社長が現れます。社長は仮称ハコスカさんとさせていただきます。

すれ違いざまに言うんですよ。「野水さん、先週3,000万円ほどドブに捨てましたよね。まあ、いいんだけどさ。今週はちゃんと捨てないように頼んだよ」と去っていくわけです。

胃(が)痛い、胃(が)痛い……ホンマに。ちゃんと怒ってくれたほうがよっぽどマシという(僕の)状態を(見て)、「カカカ」と笑っていくんですね。辛い時代を生きました。

人が少なかったので、半年後にマネージャーになります。

もう早いですよね、昇進。早いんですけれども、初めての部長は半年間で終わりました。そもそもそれまで「殴る・蹴る」という教育しか受けていないですから、この頃はマネージャー(の仕事)なんてまったく知りませんでした。さすがにIT企業で「殴る・蹴る」はやらないですけれども、見事にブラックぶりを発揮してしまって、「俺の言う通り、命をかけてやれよ」とか、こういうことをやるんです。

「あの上司、最悪」という感じで、半年間で(部長を)クビになってしまいました。離職率28パーセントに貢献してしまって、本当に申し訳ございません。謝る相手がここにいるわけではないんですけれども。36歳くらいまで、そういうところで過ごしてきたわけです。36歳くらいから、だんだん追い風が吹いてまいります。

人生の絶頂期を迎えた42歳の「ある日」

サイボウズではそこそこ経験も蓄積してきたのですが、とにかく圧倒的にマネージャー不足でございました。なんせ僕、40歳くらいまでは一番年上のままずっといっていますから。年長社員だから、どんどん部下が増えていくわけです。

「もう1回やってみるか?」ということで、最初に営業部長になりました。ただ、営業部長とは言っても、部下3人です。3人でそこでコツコツやって、最後には12人の部下というところまでいくわけです。

それを3年くらいやったあとに、今度は「製品責任者をやってくれ」とか言われたんです。製品責任者というのは、いわゆるプロダクトマネージャーです。びっくりしますよね。だって、僕は正直ITのことをあまりわかっていないですから。プログラムのことはわかっていないんですけれども、プロダクトマネージャーの研修を受けに行ったんです。

でも、内容は建設業の現場研修で習ったこととほぼ一緒でした。「これはできるな」ということでなんとかこなして、その次にやっとマーケティング部長2回目ということで。この頃にはサイボウズもけっこう大きくなっていまして、広告費も10億円くらいあったわけです。サイボウズのマーケティング部長って、今でもけっこうそうなんですけど、当時はわりと超権力者なんですよ。

自分で言うのもなんですけれども、全製品の販売戦略の立案と広告です。それと販売促進。ぜんぶを掌握してお金を使い放題……ではないですけれども、ぜんぶ自分の裁量で10億円の決裁ができると。そういう特権でございました。

プロジェクトXみたいな番組を作ると、「このとき野水は42歳。まさに人生の絶頂期であった」みたいな回想がくるわけです。ところが、だいたいこういう番組って、その次にこういうナレーションがあるんです。

「そんなある日……」。ここからいろいろ始まるわけです。

マネージャー合宿というものをやっていました。マネージャー合宿では、マネージャーが全員集まって、3ヶ月ごとに1泊2日の合宿をやっています。今でも半年に1回くらいやっている合宿があるんですけれども、だいたい仕切っていたのが当時副社長のYでございます。知っている人もいるかと思いますが、Yの口癖が「そもそもやなー」で、そう言って、ちゃぶ台返しをするのが得意な人なんです。

そういうことをやっていく中で、ある日のマネージャー合宿の中で(Yが)すごい一言を言うわけです。ホワイトボードがありました。「世の中こうやねん」と言って、ホワイトボードにガーッと線を引くわけです。「世の中のビジネスマンの価値は、こう変わっていくんや。わかるか?」という話をしてくるんですけど……。

(山型の折れ線グラフを指して)ここの真ん中に「40」と書くわけです。その当時、僕は42歳です。僕の当時の気持ち、これですよ。「俺のほうにガン飛ばしてないか」という。けっこう衝撃ですよね。言われてみれば、その通りではあります。その通りではあるんですけれども、「まざまざと(今から下ってゆく年齢の)人の前で書くか?」というところです。

絶頂期のあとに訪れたジェネレーションギャップ

ここで、いろいろなことが自分の中でフラッシュバックしてきます。絶頂期からの自分の立場を知るというか、絶頂期は絶頂期だったと。あとは下るしかないと。出し方はどうであれ、これがわかっただけでも感謝すべきかなとは思っていますけれども、この少し前から、自分の身の周りでいろいろと異変が起こってきました。

部下が変わってくるんです。違う星からやってきた人たちだとしか思えない。5歳くらいあととか、7歳くらいあとだったら、なんとなくわかるんですよ。ところが、15歳くらい離れてくると、世代が違うので考え方がまったく違うんです。

2つくらい例を挙げます。部下S。肉が好き。でもぜんぜん太らないという羨ましい体型をしています。最近筋トレが趣味でしてね。もう1人は部下O。ショーンKに顔が似ていて、すごくイケメンなんですね。でも、彼と違い嘘はつかない。正直者でございます。

まずは部下Sです。彼女は働き方に関してはモロ昭和です。どれくらい昭和かと言うと、「あたしは仕事したなーって思って死にたい」という感じでございます。なんか、某元副社長と同じことを言っていますよね。という感じで、ブラックな働き方。夜中の2時とか3時まで平気で働くし、「休め」と言っても「休めない」と言って、めっちゃ働くんです。

ただし、朝(会社へ)来ないんですよ。うちは広告代理店じゃなくて、真っ当なIT企業でございますから、当然9時出社なわけですよ。ところが、9時に来ることは年1回くらいしかない。本当に年1回なんですよ。それくらい朝は来ないんですよ。僕らの常識からしたら、およそ考えられない。その代わり、夜遅くまで働くんです。何回言ってもこうなるわけです。

タイムゾーンがミャンマーですよ。だいたいこれくらい(11時35分頃)が彼女的には出社時間という感じ。こんな感じのまま行きますから、当然遅くまで働くと。

よくよく考えてみたら、今は出世して、こういうイベントの総責任者をやっております。出世しましたよね。イベントのそこここに、ミャンマーの面影がでてきますよね。会場内にも、カンガルーとパンダ以外はだいたいいると思います。なんとなくそういう遺伝子を引き継いでいるのかな、という感じですね。

マネージャーは、自分のコピーを作ってはいけない

もう1人が部下Oです。部下Oは今、隣でしゃべっている(隣のブースでプレゼンテーション中)から安心ですよね。今はセミナーでしゃべっているけど、昔は本当にしゃべらなかったんですよ。口でしゃべらなくて、しゃべらないから無口かと言うと、そんなことはなくて、キーボード上ではよくしゃべるわけですよ。めちゃくちゃしゃべって。「これはどう思うの?」と言うと「うーん」と言ったまま帰っていくんです。

翌朝見てみたら、掲示板がドーンと炎上しているわけです。ちょっと待ってくれと。なぜ俺に言ってくれない? という感じで、ボロボロに炎上していることがあって。もう1つありまして、あまり製品と売上に執着がないんですよ。

興味がないわけではないんですけれども、例えば「製品のこの機能をこう」と言っても、「うーん」と言うだけだったりして。「先月のダウンロード数っていくつでした?」と言ったら、「ちょっと待ってください」と。「いや、待て待て待て。マーケッターでそれはないやろ」と、こういうふうに思っているわけです。

しかし5年後に、製品をまったく出さないオウンドメディア(「サイボウズ式」)として(ブレイクして)、今けっこう有名になっています。本当に人生どうなるかわからない、ということになってくるわけですよ。

当時の僕にはわからなかったんですが、先見性がありすぎなんですよね。当時は査定にも響くくらい、遅刻に厳しかったんです。そして、マーケの指標というのはお試しダウンロード数だったんです。数字を覚えていないのはありえないわけです。それで、ソーシャルメディアなんか誰も使っていない時ですよね。

しかも、間の悪いことに、僕の上司の役員が、ちょうど元野○證券のトップ営業で。「まさかこの僕が板挟みになるとは」という感じで、本当に僕の査定まで危うくなるところまでいってしまうくらい、わけがわからなかった。仕事はできるんですけれども、今までの常識が当てはまらないんです。これをどう解釈すればいいのかが、わからなかったんです。

今になったらわかりました。ソーシャルな働き方。2人とも見事にサイボウズの働き方を具現化していたし、今なおソーシャルマーケティングなどをやっているわけです。でも、当時の僕にはわからなかったわけですよ。

ここに至って「俺のセンスはもうアカンな」ということに、そろそろ気づき始めた。そういうところにもう来ているわけです。最終的に、マネジメントに自分のコピーを作れないというか、作ってはいけないなと思いました。

自分がブラック上司だった頃は、「自分のコピーを作ろう、作ろう」というふうにしてしまうんですけれども、それはやっちゃだめだと。わからないことをどう許容するかが、今からマネージャーをやる人には必要なことじゃないかなと思っています。

もう1人変わった人がいます。変わった人です。だいたいここまでくると想像がつくかと思いますけど。なんだか顔も変わっていますよね。

「サイボウズ、イクメン社長は16時退社」……「どの口で?」というような感じですよね。今、(この会場に)いないですよね(笑)。

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