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第74回 イマノフルーツファクトリー(全1記事)

2018.11.13

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フルーツだけが甘いものでなくなった時代に生き残るには 「いいもの」にこだわり続ける、老舗果実店の選んだ道

提供:アサゲ・ニホンバシ

2018年10月19日、WIRED CAFE NEWSにて、第74回アサゲ・ニホンバシが開催されました。今回は、フルーツパーラーやビストロを営む株式会社いまのの代表・今野州彦氏と、農業にまつわる諸問題の解決事業を行うアグリホールディングス株式会社の岩崎亘氏が登壇。老舗企業(マエヒャク)と新興企業(アトヒャク)の2人が、それぞれの仕事や日本橋への想いについて語ります。本記事では、マエヒャクとして登壇した今野氏の、「良いもの」にこだわる想いを語ったパートの模様をお送りします。

戦後から日本橋で営業し続けるフルーツのお店

司会者:お待たせいたしました。マエヒャク(※注:「前の100年」。日本橋で100年以上続く老舗企業)のスピーカーさまをご紹介させていただきます。株式会社いまの代表取締役・今野州彦さまです。

(会場拍手)

今野さまは昭和42年生まれで、日本橋茅場町の阪本小学校、(旧)第四中学校のご出身。東海大学で学んだ後、5年間広告代理店で勤務をされていらっしゃいました。27歳のときに家業の株式会社いまのへ入社。業務を引き継ぎながら、平成15年に店名を「今野果実店」から「イマノフルーツファクトリー」へ(改称されました)。

現在は本格的なスイーツとジュースの販売を行い、精力的に事業を展開されているということでございます。それでは、よろしくお願いします。

今野州彦氏(以下、今野):こんにちは。よろしくお願いします。今野です。

(会場拍手)

中塚麻子氏(以下、中塚):今日は私、アサゲ・ニホンバシのスタッフ・中塚と今野さんとの掛け合い、トーク形式でまいりたいと思います。

仕入れから3日後に支払いを行う果実業界のシステム

中塚:スライドの1枚目(をご覧ください)。

実は今年1月に、今野さんから朝餉(あさげ)をご提供いただいております。1月にいらっしゃった方はいますか?

(会場挙手)

お! ありがとうございます。

今野:ありがとうございます。

中塚:このときには、あまおうのフルーツサンドをご提供いただきました。ありがとうございます。今日は、今野さんご自身のお話を聞いていきます。

まずは歴史を追っていきたいと思います。昭和21年に「いまの果実店」を創業されたということで、創業のきっかけについて教えてください。

今野:うちの祖父が創業しました。おそらく、戦後のごちゃごちゃとしたなかで、リヤカーを引きながら露店で果実を売りだしたのがきっかけです。

中塚:なにもないところから(創業した)ということですけれども、なんで果物を選ばれたんでしょうか?

今野:果物業界の方はご存知だと思いますが、果物は市場で仕入れて、3日後に支払いをするというシステムになっています。その3日間に売上を作れば、次の商品が買えるという、たぶんそんな単純なところから果物業界に入ったんだと思います。

中塚:お話など(を聞くと)、非常にたくましいおじいさまだったと聞いておりますが、どんな方だったんですか?

今野:日本橋の茅場町1丁目という町会に私たちは属しています。うちの祖父は町会長を20年ぐらいやったりして、町のことをけっこうよくやっていた祖父でした。

コンビニのない時代に商っていた”なんでも屋”

中塚:なにもないところから果実店を始めたおじいさまは、その後、いろいろとお店を発展させていきます。発展させていくにあたって、果実以外のものをお売りになっていたとおうかがいしました。どんなものだったんでしょうか?

今野:一番はじめは、平屋というか、2階建ての民家みたいな家から始まりまして。場所はいまと同じところで、永代通りに面したところにあったんですけれども、そのころはアイスキャンディー屋をやっていたそうです。当時は筒に割りばしを入れて、(凍らせてから)スポンスポンと引っこ抜くアイスキャンディーで、これで「ビルを建てた」なんて、冗談で言っていました。

(会場笑)

中塚:アイスキャンディーのほかに、フルーツサンドのルーツにもなるサンドイッチもお売りになっていたんですね?

今野:はい。それはビルになってからですね。ここは証券会社が多い地域なので、みなさん朝が早いんですね。コンビニもなにもない昭和37年ぐらいからの話ですから、果物屋というだけじゃなくて、たぶんその時代はなんでもやっていた時代だと思うんですよね。そこでサンドイッチも売っていました。

中塚:すごくたくさん売ったと聞きました。お金の話をしてもいいですか?(笑)。

今野:まあ、ちょっと打ち合わせでしちゃいましたけど(笑)。当時サンドイッチの売上が7万円ぐらいありました。昭和30年代・40年代なので、当時の金額からすると7万円は相当だなと思います。

中塚:そうですね。1個いくらぐらいだったんですか?

今野:1個60円とかですね。1枚ずつ売っていて、もう本当に裸で、袋に入れて売っていました。茅場町の証券(会社)に勤めている方によく利用していただいていました。

代表取締役へのバトンタッチ

中塚:ありがとうございます。続いてどんどんいきます。お父さまの時代から今野さんの時代に移ってということで、今野さんについておうかがいしていきます……今野さんと言ってもみんな今野さんですが、いまの今野さんのことについて聞いていきます(笑)。

(会場笑)

5年間の広告代理店勤務を経て家業へ戻ったのは、何歳ぐらいだったんでしょうか?

今野:26、7歳ぐらいです。5年ぐらい(広告代理店に勤めて)、27歳ぐらいから家業に戻りました。

中塚:家業に戻ってから20年後に代表取締役就任ということですけれども、どんなタイミングでバトンを渡されたんですか?

今野:その間もいろいろと展開はありました。フランス料理のビストロサブリエを(会社の)2階・3階で経営していまして。ビストロを改装するときに「お金をかけてやるんだったら、おまえがやれ」という父の話があり、それがきっかけで僕がやることになりました。

「彦」の字を持つ今野三兄弟

中塚:平成15年から20年ぐらいというのは、イマノフルーツファクトリーさんにとって大きな転機だったとおうかがいしました。そこには、兄弟3人がそろったこと、店の名前を変えたこと、町会活動や飲食店組合に加入して、という3つのポイントがあるそうなので、1つずつ聞いていきたいと思います。

(スライドを指して)じゃん! 今野さんは3兄弟でいらっしゃいます。どなたが何番目で何をなさっているか、聞いていきたいと思います。

今野:(僕は)真ん中ですね。左から2番目です。僕は長男で、株式会社いまのの代表です。

次男はフルーツを扱っています。彼は日本橋三越のサン・フルーツというところでずっと修行をしていまして、僕が戻ってしばらくしてから、呼び寄せたようなかたちですかね。

中塚:みなさん、お名前に「彦」がつくんですよね。(今野氏を指して)州彦さんで、2番目が……?

今野:喜彦です。

中塚:続いて三男の方が……?

今野:登茂彦といいます。フランス料理のビストロで料理長をやっています。フランス料理の業界ではしっかりした経歴を持っていまして。

渋谷のフレンチで修行した後にフランスへ2年ぐらい渡りまして、その後は銀座のレカンに。レカンのシェフに「はじめのシェフとして、うちでやれ」と呼び寄せられて、2年ぐらい(勤めていました)。全部で8年ぐらい修行した後、サブリエに戻っています。呼び寄せたというかたちですかね。

フルーツパーラーと中華料理屋の経営

中塚:こちらはちょっとおまけのページです。こんな昔の写真もいただきました。

(会場笑)

ちょっと、これは見えづらいんですけど、みなさん本当にそっくりで。これ、(真ん中が)州彦さんです。それで、左が登茂彦さん。これ(右)が喜彦さん?

今野:そうですね。

中塚:後ろにちょっと中華っぽいのが見えますよね。これ、中華料理屋さんですよね?

今野:中華料理屋です。

中塚:実はこの中華料理屋さんの上に、さっきのアイスキャンディー屋の工場があったということで。実は一時期、中華料理屋も経営されていた……?

今野:やっていました……と言っても7、8年前までなんですが。オープンしてから30年ぐらいは中華料理屋もやっていました。

実はアイスキャンディーだけじゃなくて、当時、うちはフルーツ屋とフルーツパーラーをやっていまして、そこでアイスクリームも出していたんですね。それでアイスクリームの工場がここの2階にあったという(ことです)。当時はアイスクリームはなかなか出回ってなかったので、アイスキャンディーをあっちこっちの喫茶店に卸していたと聞いています。

果実だけが甘いものでなくなった時代への対応

中塚:続いて、2つ目の問い(ということで)、お店の名前の話にいきたいと思います。「イマノフルーツファクトリー」に変えられましたが、きっかけは何だったんでしょうか?

今野:それまでは「フルーツいまの」という名前だったんですが、果物だけじゃなくて、フルーツに関するスイーツやジュースを出していこうという目的で名前を変えて、そのときに改装したのがきっかけです。

中塚:なぜスイーツを売りはじめたかと言うことについてお話をうかがっていましたら、もともとは甘いものと言えば果実しかなかったところ、(ほかに甘いものが出始めたことから)果実が売れなくなってきて、それでなんとかしようと思ったからだと。

今野:そうですね。うちは贈答用の果物が専門で。でも、だんだん贈答用の用途もなくなってきたのと、果物をみなさんが食べなくなった(こともあります)。

というのも、甘いものが(果物の)他にもいっぱい(出てきたので)。戦後は甘いものがなく、甘いものと言えば水菓子と果物だったんですが。だんだん需要が減ってきたということで、果物屋ならではの加工をしていこうか、というのが名前を変えた理由です。

カレーにフルーツをそのまま乗せてみたら……

中塚:(スライドを指して)これは、フルーツファクトリーのお店の様子になります。茅場町の駅を出てすぐにあるお店ですね。いまここでは何をなさっているんですか?

今野:これは、カットフルーツを作っているんだと思います。カットフルーツやジュースを作っています。

中塚:お店に行くと、こういう風景を(見ることができます)。そしてこちらはビストロサブリエ。ちょっとメニューの紹介にいきたいと思います。このメニュー(について)、どうぞご紹介ください。

今野:これは、ビストロとしての遊びです。「フルーツカレー」というものを出しています。カレーのなかに果物を煮込んで入れるのは、けっこうやったりすると思うんですが、そのまま果物を載っけるのもおもしろいかなと思って。一つ一つ果物によって味が変わっていく、というところを楽しんでもらえればと、ちょっと遊びで作ったメニューです。

美しい果実の断面が見どころのフルーツサンド

中塚:次は人気メニューのフルーツサンド。イマノフルーツさんならではのこだわりは、どこにありますかね?

今野:これは朝餉の写真ですね。

中塚:はい、そうです。

今野:(以前)アサゲ・ニホンバシで出したときの写真ですね。これはイチゴのあまおうを使ったサンドイッチです。まず「良い果物を使う」ところがうちの1つ特徴になっていまして。そして断面を見せたい。果物の断面の美しさを見せるところが、うちのフルーツサンドの特徴です。

中塚:ブドウや梨など、何枚かフルーツの写真を持ってきました。フルーツカレンダーというのがあるので、そのあたりの果物の話をしていきたいと思います。実際にお店に行って、写真を撮ってきました。どん!

(スライドを指して)これ、右側は何でしょうか?

今野:右がピオーネ、真ん中がシャインマスカット。

ちょっと見にくいんですがその左がナガノパープルという最近のブドウですね。

中塚:(スライドを指して)今のシーズンは、こちらも並んでいました。これは何ですか?

今野:これは、「カリフォルニア」という名前の洋梨です。まだあまり出回っていないかもしれませんが、なめらかでラ・フランスより甘く、とてもおいしい洋梨です。

中塚:そして最後、秋と言えば柿ですね。

今野:(スライドを指して)こちらは柿とみかんです。これからみかんの時期なので。いま出回っているみかんは、11月ぐらいまで「早生のみかん」といって、皮が薄いんですね。年を越してからのみかんより、いまが旬です。一番おいしいです。

水族館のレストランも経営

中塚:今野さんは別の事業もなさっているので、最後にそのご紹介をしていただけますか? 

(スライドを指して)これは下田(海中)水族館の写真です。なんでここで下田(海中)水族館が出てくるかについてです。

今野:「下田海中水族館」のなかのレストランをうちがやっています。6年ぐらい前から、なかにあるレストランとカフェテリアをうちが経営している関係で、ここにはたまに行きます。

青年部の立ち上げから始まる、地域とのつながり

中塚:時間も残り1分なので、どんどんいきたいと思います。最後に人のつながりのお話をいただきたいと思います。

茅場町1丁目には青年部がなかったので、有志で立ち上げて、初代青年部長に就任されたということで、このあたりの話を少し教えていただけますでしょうか?

今野:お祭りがきっかけで、「町のこともやっていかなければ」ということで、3人か4人ぐらいで青年部を立ち上げたのが始まりですね。

中塚:(スライドを指して)この写真は日枝山王のお祭りのときのものです。これは町会がないと運営できないものなんですね。そういうところで人が集まり、つながっていった。そうやって町会活動に関わり始めたのがきっかけにもなって、この「三四四会」にもご加入なさいます。

これ、「三、四、四」と書いて「みよしかい」と読みまして。日本橋料理飲食業組合の青年部として昭和34年4月に発足したので、「三四四会」とおっしゃるんですね。今日は三四四会の方々もいっぱい来てくださっています。

(会場拍手)

加入して、どんなことがありましたでしょうか?

今野:やっぱりいろんな老舗のお店の集まりなので、刺激になります。3代目、4代目、5代目……という若旦那もいっぱいいるので、相談するのも自分のためにはなるかなと思います。

「催事はとにかく引き受ける!」というスタンス

中塚:三四四会がきっかけで催事にも出られるようになって、いまでは催事に引っ張りだこということで、関東近郊だけではなく関西のほうにも足を延ばされていると。(スライドを指して)これはちょうど今年1月の三越の催事ですか?

今野:そうですね。1月から2月にかけて行った三越の催事です。

中塚:ちなみに、これ、今野さんが右側で、左側は息子さんになります。催事はいま、「とにかく引き受ける!」というところだそうで。

(会場笑)

渋谷東急、池袋東武、日本橋三越それぞれで、来る人で雰囲気がぜんぜん違うんだそうです。それぞれ行ってみましょう。こんな感じです。

(スライドを指して)渋谷東急は「若者、Twitter、モー娘。」ということで、こういったキーワードを書いていただきました。

今野:(元モーニング娘。の)道重さゆみがTwitterに上げてくれたんです。

(会場驚)

中塚:これですね。

今野:渋谷は、Twitterに若者が投稿するとすごく人が来るという、すごい場所でした。

中塚:ちなみに、池袋東武は一言で言うと?

今野:(池袋東武)は、もうとにかく売れる。

(会場笑)

なぜかよくわかんないけれど、売れます(笑)。

中塚:日本橋三越さんは?

今野:三越さんは本当に老舗なので、高くても良いものがちゃんと売れます。そこが日本橋三越の特徴だと思います。

正直に、良いものを出し続けていきたい

中塚:時間も迫ってまいりましたので、そろそろ締めにまいります。まずは「次の世代に向けて」ということで、メッセージをいただきたいと思います。(今野さんが)いらっしゃる茅場町はどんな町になってほしいですか、というところについて。

今野:茅場町は証券の町で、前は場立ち(の人たちがいて)、コンピュータが導入される前はすごく人が多かった町なんです。今度開発も行われると思いますが、また違ったかたちで人が集まる町に戻ってほしいなと思っています。

中塚:(株式会社いまのさんは、)どんなフルーツショップにしていきたいですか?

今野:創業のときから一貫して「良いものを出したい」というところが変わっていないと思いますので、これからも正直に良いものを提供して、喜んでいただけるようなものを作っていきたいな、と思います。

中塚:ぜひみなさん、一度お店に行ってみてください。みなさんの机の上にハガキサイズの紙があります。これはお店のチラシですよね?

今野:はい。

中塚:茅場町の駅、何出口でしたっけ?

今野:7番出口を出てすぐ目の前にあります。

中塚:1階がフルーツ屋さんで、2、3階がビストロサブリエです。さっきのフルーツカレーも食べられますので。最後に、三四四会としてのご案内をいただいております。

今野:10月31日から、会場の前のほうにいる(三四四会の)メンバーと一緒に、日本橋三越の地下1階でフードコートを開催します。おいしいお寿司も食べられますし、鰻のお茶漬けをやったり、すき焼きがあったり、お弁当があったりと盛りだくさんなので、ぜひご来店ください。よろしくお願いいたします。

中塚:それではみなさま、ありがとうございました。今野さんにお話をうかがいました!

今野:ありがとうございました!

(会場拍手)

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