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東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長・森喜朗氏記者会見(全1記事)

森喜朗氏「私は大変迷惑している」 新国立競技場問題に不満をもらす

7月22日、2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相が、新国立競技場の計画見直しを受けて記者会見を行い、一連の騒動に対して「私は大変迷惑している」と発言しました。また、自身が会長を務める組織委員会には「競技場を運営する役割はない」として、建設問題に対する自らの責任を否定しました。

新国立競技場の計画白紙を受けての記者会見

司会:お忙しい中ありがとうございます。

森喜朗氏(以下、森):ありがとうございます。

司会:意外なことなんですが、森さんが日本記者クラブで記者会見においでくださったのは、前回が2006年なんですよ。9年も前なんです。2006年と言いますと、小泉政権の頃で「さあ、麻垣康三誰からだ?」というような、まさに政治の季節のときにおいでいただいたあれが、2006年の5月でございました。

それから時が経って、時に野党の政権が生まれたりもしながらも、森さんの後輩達が今も続いていると。そういった政治の流れの中での、今度の2度目の東京オリンピックということで。政治状況がどういうふうであろうが、これは国をあげてやらなければいけない、大きな21世紀のイベントだと思います。

そこに向けて、先週あれだけ世間の注目を集めた、新国立競技場の建設計画白紙という大きな安倍総理の判断もありました。ただそれだけで物事が順調に、5年後の東京オリンピック・パラリンピックに向かうとは限りません。

そのことを一番よく感じていらっしゃるのが森さんだと思いますので、今日は最近の動きの話から始めて、日本というこの国にとって、オリンピック・パラリンピックをどういう形で5年後実現することが必要なのか? そしてそのために、どういう力を結集したらいいのか? そんなことを中心にお時間いただければと思います。

新国立競技場の問題に「私は大変迷惑している」

:今日はありがとうございました。森喜朗です。2006年頃から9年間もここに来なかったというお話ですが、呼んでくださらなかったからです。

(会場笑)

お呼びがあれば来たんですけどね(笑)。もっとも、ここ2、3日の話題になるほど、重々しい聞き込みがあったときは、もっとたんたんとしておりました。こんなことになるとは、私も夢にも考えておりませんでした。

なぜ私が表敬したかと言いますと、この29日からクアラルンプールでIOC(国際オリンピック委員会)の総会がございます。そこで、日本側の最終プレゼンテーションがあります。もちろん次のオリンピック競技場のいろんな話題もあって1週間近くあるんだそうですが。

僕なんかはIOCのメンバーでも何でもありませんので、日本のオリンピックがうまくいくように、運営できるようにその準備をし、そして大会をつつがなく運営していくことが、この組織委員会の仕事であります。

後ほど少しお話ししますが、この新国立競技場の問題については、私は大変迷惑しているんです、正直言って。というのは、別に新国立競技場を組織委員会が作るのでもなければ、組織委員会が「こうしてくれ、ああしてくれ」と言ったわけでも何でもないんであって、作るのは国が作ること、そして都が協力することだろうと思います。

ですからそういう中でたまたま厄介なのは、当時の目標の完成時の2019年というのが、ラグビーのワールドカップがこの日本で行われるという年でもあったわけです。

メディアの皆さんは「ラグビーのために」と、こう言われるんだけれども、実は2019年と言うのはプレオリンピックでですね。オリンピックの前の年には、オリンピックの状況と同じ状況で、各種競技をやらなければいけないんですね。ですからそのことのほうがより大事なんです。本当は。

ですが、なぜか私がラグビー協会の会長をしてたもんですから、体がデカいんで私のほうにみんな注目したのかもしれませんが、「ラグビーのために競技場を作るんだ」というような見方をしているメディアもあったし、そういうふうに意図的に報じたのもあるかと思うんですね。ですから私のこの巨体が、何かをさえぎっているようにマンガに書かれていましたけれども。

そういうことじゃなくて我々の立場から言うと、ワールドカップとラグビーを決めたのはもっと早い時期であります。ですからそのときの主要(な試合)の、一番大事な決勝と、セミファイナルの準決勝2試合と、開幕試合というのが一番大事なわけですが、それをどこでやるかということで、我々は当初、横浜の日産スタジムに決めて、そこで申請をしてそれで了解を得ていたわけです。

ところがそのことで、国立競技場を使うかどうかという話を国会議員の先生ともいろいろ相談をしてやっているときに、後ろから「オリンピックやるぞ!」ということになって、じゃあオリンピックやるならラグビーも間に合わせれば入れてやれるじゃないかということで。

我々は、クラウンくらいの車に乗っていたら、後ろから大きなセンチュリーか何かが来て「こっちの車のほうがいいから乗りなさい。ついでに乗せてあげますよ」って言うんでそっちに乗ったらパンクして「ラグビーだけ降りなさい」と降ろされたという、笑い話にもならない話なんで、初めからラグビーなんか誘ってくれなきゃよかったなあと思うんだけど。

やりにくいのは組織委員会の会長が森で、ラグビー協会の会長も森だというのは、ことさら事をこんがらがらせてしまったという面があるのかもしれませんが、これはこの賢明なクラブの皆さんですから、もう一度あえて申し上げますが、組織委員会は決して競技場を作ったり、競技場を運営したり、そういう役割ではないんだということです。

我々の仕事はあくまでも、アスリートがつつがなくプレーができて、そのプレーができる場所をちゃんと作り上げて選定をして、IOCあるいはIF(国際競技連盟)があります―それぞれの種目に、バスケットボールの国際連盟もあれば、日本のバスケット連盟もあります―そういうところときちんと話をつけて、いい会場を設営するのが組織委員会の仕事なのでありまして。

これはくれぐれもですね。新国立競技場は我々が「利用させていただく」そういう立場なんだということを冒頭皆さんに、ご存知のことだろうと存じますがよくそういうことで間違われて報道されることがあって、私どもとしては決して愉快なわけではないわけであります。

安保法制から新国立競技場の問題まで安倍政権は問題が山積み

:さて、それはともかくといたしまして、我々に課せられた組織委員会というのは、少しおもしろくない話からいたしますけども、今総勢380名くらいおります。これはどんどん増えていきます。ちょうどスタートして1年半経ちました。昨年の1月24日にスタートいたしました。ですからかれこれ1年半ということになるわけです。

後ほどまた触れますが、5年後の7月24日がオリンピックの開幕になります。いわゆる開会式になります。したがって、この7月24日は開幕5年前のセレモニーというものも今計画いたしております。そのときに新たにエンブレムというものがあります。今度の東京オリンピックの国体のマーク。

1964年のときは、日の丸の上にありましたね。あれがエンブレムで残っておりますが、今度それをいろんな専門の方々と相談をして、草案ができて半年くらいかかって、やっと皆さんの合意でマークができました。このマークの発表もその7月24日、開幕の5年前ということでそれをここで発表したいと思っております。

これができまして、かなり単純に考えるとそんなことはすぐにできそうだと思ったんですけれども。こういうマークを作るんですよ。まだ言えないんですが。マークを作りますと、これは日本だけじゃなくて国際社会全部、地球にある国全部の商標権と抵触しないか全部(確認を)取らなきゃいけないんです。これの作業も大変なことなんですね。

それが大体OKができて、それで我々も私も事務総長の武藤さん(武藤敏郎氏)も副会長のみんなも「これでいいだろ!」ということで採用することに決めたんですね。それで「最初の絵を見ていただくのはやっぱり総理大臣だろう」とこう思って、それぞれ役割分担をしまして。

文部大臣科学大臣、それからちょうど決まってましたので遠藤(遠藤利明氏)オリンピック担当大臣、そして東京都知事、それぞれ手分けをして、同じような時間帯にそれぞれご覧にいれて了解を得て、またすぐ取り戻してきて、24日までいっさいオープンにしないということでご覧に入れようとしていたんです。

私の担当は安倍晋三総理大臣だったわけです。それがちょうど15日のあの国会でガチャンとやった日になりまして、もう安倍さんはそれを見るどころじゃなかったわけです。だから大臣やその他大事な方の中では、安倍さんはおそらく一番後にご覧になった、1日おいてご覧になったんだろうなあと、そうお思っておりますが。

そのときは「ああ、いいねえ」くらいのことでですね、あまり感動を示さなかったような気がしますが、それどころじゃなかったなと。ちょうどその頃がやっぱり、安全保障の問題が国会で通過したのと同時に、新国立の問題をどうしようかというのでそのことで頭がいっぱいで、親しい森が来ているのにそれも打ち明けられない、そういうもやもやした気持ちの中で私が「エンブレム」って言ったもんですから「うー、ふむ」ってことになっちゃったんだと思いますが。

ちょっと価値があるような気がして、せっかくのものに総理は「これか、すごいな! よかったな」くらいのことは言って欲しかったんだけど(笑)。ちょっとそれは残念だったんだけど、心が落ち着かれたらまたもういっぺんご覧にいれようと思います。

1964年の東京オリンピックは日本の再建のきっかけだった

:そういうことでですね、いよいよオリンピックの組織委員会もかなりまとまりを見せまして、ここまで持ってくることができました。多くのメディアの皆さんにも応援をいただきました。一昨年の9月に、ブエノスアイレスでロゲさんが「Tokyo!」って出したときは本当に喜んだでしょ、みんな。あのときの写真が世界中に流れました。

日本の皆さんも、とにかくみんなが「万歳万歳!」だったと思いますが、その日は冷静なシマダさんも万歳したんだと思いますよ。私らはその会場におりましたから、それは本当にうれしかった。隣の隣に安倍さんがいました。

安倍さんが一番うれしそうで、あとで写真を見ると、安倍さんがパァーっと飛び上がってますよ。みんな飛び上がってる。私はなぜか腰が痛いもんで飛び上がれなくて(笑)。途中で大きな声を上げていたのが私だったんですが。

それくらい日本の国民の皆さんは、一部報道によれば、「日本人が本当に心から『万歳』を叫べたのは、日露戦争以来だった」と、そういうふうに書いてあったのもあったんですけど。それくらいほとんどの日本の皆さんは、全てを捨てて万歳をされたというふうに私は受けとめておりまして。

「よかった、本当に日本のオリンピックというものを勝ち取れてよかったな」と思いました。シマダさんからどういう意味があるのかということも今お話がありましたけども、1964年のオリンピック、私は大学を出ましてちょうど4年目くらいになっていました。

もちろんその競技を見るような力も金も、切符も手に入りませんでしたけど広場に行くと、自衛隊の……あれは何ていうんですかね、あの五輪のマークを書くやつ。

司会:ブルーインパクト。

:あのころブルーインパクトって言ったかどうか知りませんが、いずれにしてもそれを見に行くのに一番いい場所が球場広場だと僕は聞いて、球場広場で見てましたがやっぱり感激しましたね。青い空に本当にきれいに五輪のマークが、「あー、オリンピックなんだな」と思いました。

あのときはおそらく日本の皆さんは、当時の大人というんですかね、日本が戦争に敗れて19年目なんですね。とにかく北海道から沖縄まで全てが焦土と化して、食べられるものもない着るものもないようなそういう時代からみんな一緒に歯を食いしばって日本の再建のために皆さんがんばっていた。

日本が世界を変えていくという姿勢でオリンピックにのぞんでほしい

:オリンピックというものを1つの契機に「東京」というものを作り変えた、そしてもっと言えば日本も作り変えた。そしてオリンピックだけではなくて、新幹線や高速道路、あるいは都市計画だとか、そんな多くの新しい日本を作るためにこのオリンピックというのは大変な役割を果たしましたし、世界に対してもまた貢献していくんだとそういう時代に入っていったというふうに思っております。

ですからオリンピックというのは、単に日本のスポーツマンの集まりというのではなくて、やはり日本全体の底力をここまで見せて、世界に日本を紹介するということと同時にですね、オリンピックで常に言われるように、「世界は1つなんだ」と。人々がみんな中心になって、本当に世界中の人々が対立もなくみんなが心を1つにして集まれるっていうのが、オリンピックなんですね。

いろんなことはございますが、1つになれるのがオリンピックだということから、今度のオリンピックはまさに、64年のオリンピックは日本を変えたわけですから、そして新しい日本を作り変えたということですから、今度は日本人はさらに力を発揮して、世界を変えていくくらいの気持ちで私はこのオリンピックを迎えて行きたいし、さらに担当される人はそういう気構えでやって欲しいと思うし、まして一番のオリンピックの責任者である総理大臣には「これから日本は世界を変えていくんだ」という気持ちでオリンピックにあたってもらいたいなと思っているんです。

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