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羽生結弦選手 日本記者クラブにて記者会見(全2記事)

【全文2/2】羽生結弦選手が語った、夢を追いかけるということ「ほかの夢はたくさん捨ててきた」

2018年2月27日、平昌オリンピックフィギュアスケート男子シングルにて金メダルを獲得した羽生結弦選手が、日本記者クラブにて記者会見を行いました。会見では、選手としての今後や、フィギュアスケートの未来について語りました。

ケガと療養について

記者5:個人会員のタムラレイコと申します。私はスケートのことも医学のこともわかりませんけど、たぶん今度のオリンピックがもっと先だったら今頃療養してたと思うんですね。だけど、お出になって金メダル取った。

それで、これから長い将来を考えたら、また1年ぐらい療養なさったほうが、足を徹底的に治したほうがいいんじゃないかと思うんですが、いかがですか?

羽生結弦氏(以下、羽生):間違いなく、おっしゃられたようにこれがオリンピックでなければ、僕は今すぐに痛み止めを飲んでこうやってピークを作ることはなかったと思っています。やっぱりなによりも治すことが大事だというのはすごく思っていますし、これからのスケート人生、なにが起きるかわからないので。うん、やっぱり休んでいたと思っています。

実はフィギュアスケーターはわりとオリンピックで金メダルをとったあと、若い選手であっても1年間休養したり、もしくはもうオリンピック以外いらないから3年間しっかり休んで、そのまた3年後にそのシーズンにだけ合わせて身体を作ってきたり絞ってきたりする選手もいるスポーツです。

そういったなかで、僕はソチオリンピックのあと金メダルをとってもうすぐに試合に出て、そのあとの試合を、金メダルをとってまた来シーズンすぐに試合を始めました。ただ、今回は足の状態があるので「治療に専念する」という気持ちは変わっていないです。

すいません、回りくどい言い方かもしれないけれども、まぁ言えることが限られているし、もしかしたら、自分のこれからのスケートが今はわかっていない状態なので、詳しくは言い切れない。自分もわかっていないので言い切れないんですけれども。

間違いなく言えることは、今の自分のこの金メダルをとってきたという気持ちだとか、自分のスケートだとか、そういうものをすごく待ち望んでいる方がいらっしゃるということはうれしいことだし。

またアイスショーにおいても、またこういったイベントだったりとか、いろんなところでしゃべる機会があったとしても、こうやってたくさんの方が待ってくださって、自分の声やスケートをお金を払ってでも見に来てくださる。

そういった方々のために、ちょっとでも自分のスケートを使えたら、ちょっとでも自分の体力とか気持ちとか気力とか、そういったものを使えたらなというふうには今思っています。

メリハリを大切に

記者6:経済キャスターをしております、個人会員のスズキと申します。2連覇おめでとうございます。そして日本中を幸せな気持ちにしてくださって、本当にありがとうございます。

羽生:ありがとうございます。

記者6:世界中の名だたる選手が「羽生選手のことを人間性を含めて尊敬している」というふうに発言されていますけれども、その羽生選手が挑戦し続ける力ですとか、自分を律する力、そしてまた奮起させる力、その原動力というのは一番どの部分にあるんでしょうか? 教えてください。

羽生:ええとまず、うーん、今みなさんと話しているこういう時間って自分の中ではスイッチが入りきってなくて。わりとゆっくり話しているし、「この人ふわふわしてるな」って思われるかもしれないですけど(笑)。

わりと自分の中で、スケートが始まったときだとか、スケート靴を履いて氷に乗った瞬間だとか、スケートのことを考えてアップをしてる時間とか、そういうときは本当に違う人間になってるんじゃないかというぐらい切り替えています。

それは自分の精神力であったりとか、「絶対に勝つんだ」とか「絶対に強くなるんだ」という原動力だと思っていますし、その切替がうまくいかないときももちろんあるんですけれども、その切替を絶対にやると決めてはいます。

それがたぶんここまで、とくにオリンピックですね、不安要素がいろいろあったし、やれないこともいろいろあったんですけれども、そのなかでやれたのは、そういう自分の中での切り替えやメリハリがあったからかなと思います。

「夢」を叶えるということ

記者7:毎日新聞のカガワと申します。連覇おめでとうございます。

羽生:ありがとうございます。

記者7:「小さい頃からの夢だった」というふうにおっしゃってたんですけれども、私にも2人子どもがいるんですけれども、なかなか小さい頃というのは、ちょっと失敗してへこんだりとか、やっぱりほかの誘惑があったりとかで、ちょっと夢から逸れてしまうようなこともあったかと思うんですけれども。羽生選手がずっと夢を継続されて掴み取ったっていうその原動力、それはどのような力だと思いますか?

羽生:うーんと、なんですかね。自分の中での今自分が持っている夢というものって、わりとかたちがしっかりしていて。それはたぶん昔の自分なんですよ。

昔、小さい頃に「ああ、これやりたい」「これで強くなりたい」「これで一番上に立ちたい」「こういう人になりたい」、そういうふうに憧れて、それを信じ切っていた自分がたぶん今もずっと心の中に残っていて。その自分の心の中で「絶対やってやるんだ!」と言っている昔の自分が、たぶん僕の夢というか、夢の原動力になっているんだと思います。

だから、もちろん誘惑とかたくさんあるし、僕もすごい野球がやりたかったんですけれど。先生も厳しくて毎日正座ばっかりしてたし、たぶんスケートをやっている時間のほうが短かったぐらい立ってました。ずっと。先生に怒られて(笑)。

でも、それでもスケートやめなかったのは、やっぱりやれていることに特別だという気持ちがあったからかなと思います。フィギュアスケートってやっぱり陸上ではできないですし、もちろん小さい頃から金銭面で大変だということは、自分は姉がいたので、そういうことも薄々気づきながらやっていました。

だからこそ、こうやって続けられることが特別だなと思ったし、なにより、先生方もすごく特別視してくれて、すごく面倒を見てくれて、こうやって育ててくださったので、そういうことに気づけたからここまで来れたのかなと思います。

ただ、夢って叶う人って本当に限られてて。はっきり言っちゃえば、自分の夢だって、叶ったのはこの金メダル……だけって言ったらおかしいけど、この金メダルが叶った夢だけであって、ほかの夢はたくさん捨ててきたので。

だから、いっぱいあっていいと思うんですよ、夢って。絶対適性があるし、高い目標じゃなくても、低い目標だって夢って言えると思うので。

これから、いろんな子どもたちが夢を持ちながらいろんなことにやっていって、少しでもなにかその夢が叶う瞬間を作ってあげられるような、その叶う瞬間になるきっかけのような言葉を出せたらなと、今、あらためて思いました。

辞めたいと思った時に気付いたこと

司会者:小学生の頃、スケートのトレーニングを始めて、先生について。でも、それが厳しくて、途中で「野球をやりたい!」と言ってご両親を困らせたというのは有名な話ですけれども。

羽生:いやー、ぜんぜん両親は困ってなかったですね。

司会者:そうですか?

羽生:はい。

司会者:「やめるならやめてもいいわよ」という?

羽生:いや、「やめたいの? じゃあやめなさい」という感じで、もうぜんぜん困ってなかったです。「覚悟がないんだったらやるな」という感じはありました。

ただ、先ほども言ったように、あまりにも特殊なスポーツだし、なによりも先生たちが本当に力をかけて面倒を見てくれてたので、自分の中でも絶対やり通さなきゃいけないという気持ちもあったし。

なにより、小さいながらにかもしれないんですけど、今ほどでもないかもしれないんですけど、例えば、9歳ぐらいの時に本当にやめたいと思ったことがあって。

「もうやめる」って言って「じゃあやめなさい。野球でもやりなさい」ってなった時に、ふと思い出したのが、9歳だからまだスケート始めて5年経ってないぐらいなんですけど、「こんなところでこれを終わらせちゃっていいのかな?」って思ったんですよ。たぶんその時に気づいたのが、「僕もうスケートに人生賭けてるな」って思ったんですよ(笑)。

司会者:9歳で?

羽生:だからこれをやめちゃったら、もしかしたらこれまでの生きていた意味がなくなっちゃうかもしれないとまで思っちゃって。だから、そういう覚悟はずっとあったのかなと思っています。

司会者:そうすると羽生さんは、フィギュアスケート以外では夢を見たことがない?

羽生:あります。いっぱいあります。「歌、唄いたいな」とか「うまくなりたいな」とか(笑)。いろんなことを想像して、「こうなりたいな」とか「これやってればよかったな」とかってすごい思いますけど。でも、すべてスケート関連ですかね。スケートがやっぱり一番賭けてきたものが多いです。

「ぜひ仙台でお金を落としてください」

司会者:はい。時間があとわずかになってきました。前の2列目の方。

羽生:サラッと答えられるようにがんばります。

司会者:(笑)。

記者8:河北新報のイワサキといいます。よろしくお願いします。

羽生:ありがとうございます。お願いします。

記者8:前回ソチのあと、仙台市内でパレードして、9万2,000人の方がいらっしゃいました。今回も仙台市のほうでパレードを検討しています。そのパレードへの期待、あと「こういったメッセージを伝えたい」とかあればお願いします。

羽生:ぜひ仙台でお金を落としてください。

(会場笑)

やっぱりパレードするにはたくさんの費用がかかって、そしてどれだけ特別な支援があってのことかということは非常にわかっています。

それを強くわかっているからこそ、ぜひ仙台に……。足繁くとは言わないんですけれども、仙台に通っていただいて、来ていただいて、ぜひ杜の都のよさ。そしてそこでなにかを買っていただいたり、そこでなにかを見ていただくことによって、ちょっとでも仙台の復興に、宮城の復興に携われたらいいなと思っています。

ケガと金メダル

記者9:OB会員のモトダと申します。金メダルをとられた時に「ケガをしてなかったらとれなかったんじゃないか」ということをおっしゃったと思うんですけど、それはどういうことなのかもう少しかみくだいて教えていただけますか?

羽生:はい。ええと……手早くなんだよね。

司会者:いいですよ。じっくり。

羽生:はい。実は66年前に連覇をされたディック・バトンさんという方が僕にメッセージを送ってくださっていて。そのメッセージが「リラックス」だったり、「オリンピックの経験を楽しめ」というものだったんですけれども、彼自身、「練習をしすぎていい演技ができなかった」というふうに語っています。

もしかしたら、僕がケガをしないで万全な状態でオリンピックに向かっていたら、そういうふうになりえたんじゃないかなというふうにも思っています。

オリンピックで絶対勝つという気持ちをずっと持っていたからこそ、オリンピック直前にケガをしてしまったり、調子が悪くなって、最終的にボロボロになってしまったかもしれないなという気持ちを込めて、「ケガをしなければなかったかもしれない」という言葉に乗せました。

モチベーションの変化について

記者10:ニッポン放送のアイバと申します。金メダル、本当におめでとうございました。

羽生:ありがとうございます。

記者10:モチベーションの変化についておうかがいをします。先ほどの夢のお話の中でもあったんですけれども、オリンピックのあと、「4回転アクセルが唯一のモチベーション」という発言があったかと思います。

そういった意味も含めて、自分の夢を突き詰めて目指している自分を、「目指していて自分になる」というフェーズという部分は、今回の金メダルである程度達成されて、もしかして別の部分のフェーズにモチベーションというのが、例えば人を通じて喜びを得ていったりというようなかたちのフェーズに移りつつあるのかなと、同世代の目線として感じるんですけれども。そういった面からモチベーションの移り変わりというのはどのように感じていらっしゃいますでしょうか?

羽生:今回間違いなく思ったことは、自分が幸せになったときにたくさんの方々が幸せになって、そしてその幸せが還元されてまた自分に戻ってきて。自分がこうやって笑うことによって、みんなが笑ってくれる。そんな平和な世界じゃないですけれども、そんなことはすごく感じました(笑)。

ただ、それはいつから感じたかと言われたら、ちょっと明確じゃないのでわかりません。もちろんオリンピックの前から感じていたことは確かだと思います。それはたぶん自分がケガをして、一緒に苦しんでくれたファンの方々や、自分の家族だったりサポートメンバーがいたからだと思っていますし。

やっぱりこれまでいろいろやってきて、4回転アクセルとか、今いろいろ言っていますけれども、フェーズというよりも、いつも徐々に徐々に。……うーん、なんて言ったらいいかわからないけれども、蛹が羽化してきてゆ~っくりゆっくり羽を伸ばしている段階。それが今の自分のかなって思っています。

司会者:ということは、まだ羽は伸ばしきっていないという強い意思を表れですか?

羽生:(笑)。そうですね。それがすごくゆっくりなんだなと思います。時には雨に打たれてぜんぜん広げられないときがあったりとか、そういうものが僕の人生かなって今思っています。

王者の孤独はあるのか?

記者11:毎日放送のイシダと申します。2連覇おめでとうございます。

羽生:ありがとうございます。

記者11:もう世界で1番という立場にいらっしゃると思うんですけれども、世界で1番となるとやはり孤独みたいなものもついてくるんじゃないかなと思うのですが、そういった孤独感のようなものをお感じになるようなことがあるのか? そして、もしおありになるんだったら、どのように向き合っていらっしゃるのかをおうかがいできますでしょうか?

羽生:はい。これは「ある」というふうに言ったほうがおもしろいんですかね?

(会場笑)

なくはないです。「ある」というふうにはもう言えないけれども、前は「すごい孤独だな」って、「ああ、誰もわからないんだろうな。この気持ち」って思いながらやってました。それはもちろんありました。

とくに前回のオリンピックが終わって、それからいろんな人にこうやって祝福されればされるほど、「ああ、自分の気持ちってどこにあるんだろう?」って。そういうのはすごく思っていました。

みんなが、周りがあまりにも幸せになりすぎてて、僕は「僕の幸せはなんなんだろう?」って。「僕ががんばってきたものって、本当に自分に還元されてるのかな?」って思うこともありました。

でも、今こうやってみんなに特別視されていて、やっぱり「ありがとう」とか「おめでとう」とか、そういう言葉って、気持ちがこもってなかったとしても、たとえその心の奥底では「この野郎!」とか思ってたとしても、やっぱり素直に受け止めるとうれしくなったりするんですよね。やっぱりそれってすごい幸せなものだと思うし。

それが自分を通して世界に。本当に自分は特別だなと思うのは、こうやって日本だけじゃなくて世界に発信できる。それはやっぱり1人の人間としてだけじゃなくて、やっぱり自分がこういう特別な存在になれたからこそ感じなくてはいけない使命かなというふうにも思っています。

司会者:まさにそれを「包容力」って言うんでしょうけどね。ソチの時からの4年間、その包容力のような、「受け止める」ということに関しても、自分自身、成長したという思いありますか?

羽生:あります。ただ、もちろんその、包容っていうんですか、受け止めるなかで、やっぱり嫌なことを受け止めたりとか、なにかすごくネガティブな方向に受け止めたりということはたくさんありました。今でもあります。もちろん。今のほうが多いのかもしれないけど(笑)。

でも、そういうのも含めて、やっぱり僕にはたくさんの味方がいて、たくさん信じてくださる方がいて。

なによりも自信になっているのは、やっぱりすごく実績のある方々が自分のことをすごい褒めてて。今まで自分が夢見てて「こういうふうになりたい」って思ってた人が自分のことを認めて、「彼が本当のチャンピオンだ」とかって言ってくれるこの世界に対して、感謝の気持ちしかないですね。うん。

今、分かち合える幸せを大切にしたい

記者12:フジテレビのムラヤマと申します。

羽生:お願いします。

記者12:お願いします。金メダル、おめでとうございます。

羽生:ありがとうございます。

記者12:今孤独との戦いというお話もありましたけれども、我々からすると、手に入れたいものはすべて手に入れられたのかなというにも見えるのですが、なにかプライベートでは「将来、家族を持ちたいです」とか、「パパになりたいです」みたいな、そういった思いとかあったりされますか?

羽生:はぁ……、これはなんて答えたらいいのかがわかりません。ねえ、やっぱりここまで応援してくださるファンの方がいて、ファンじゃない方も今回すごく応援してくださっていて、なんか家族を持ったら、ねぇ、それこそ「裏切られた!!」とかって言われるかもしれないし(笑)。

(会場笑)

アイドルじゃないですけど。でも、やっぱりそうやって応援してくださる方がいるというのはすごくありがたいし。先ほど、普通の人から見たらですけれども、僕からの目線じゃなくて普通の人から見たら、「もう手に入れるものすべて入れただろう」とかって。お金も、名誉も、地位も。

でも、僕にとってはそんなことぜんぜんなくて。実はこうやって地位とか名誉とか、お金ももちろんそうですけれども、結局飾られたものでしかなくて、自分本来の気持ちとか夢とか、そういうものがすべて満足感に満たされているかと言われたら、そんなことはないです。やっぱりこれからも1人の人間として普通に生きなきゃいけないし。

たまに特別な存在として、こうやっていろんなところに立って、座って、しゃべって、滑って。そういうことをみなさんといろいろ共有しながら生きなきゃいけない時間もたぶんあると思います。ただ、それは今しかできないことだし、いろんな幸せ、いろんな葛藤。そういうものをみなさんと分かち合える幸せというものを大事にしたいなと今は思っています。

司会者:ということは、まだしばらくは、普通の幸せ、家庭を持つといったことよりも、競技者としての幸せをさらに極めると。こういうことでしょうか?

羽生:うーん……競技者としてとは言い切れないです。なにになるかは僕もわかっていないし、なにができるかということも明確には、なんとなくは思い描いていますけれども、明確にはなにができるかわからないですし。

ただ、言えることは、やっぱりこうやって金メダルをとって2連覇して帰ってきたということが、たくさんの方の幸せになっていることは間違いないし、それができるのは僕しかいなかったということだと思っています。

見えない方の応援も大切にしたい

記者13:個人会員のアベと申します。おめでとうございました。

羽生:ありがとうございます。

記者13:競技とはぜんぜん関係ないんですけれども、競技終了後、みなさんからプレゼントが相当投げ込まれたと思うんですけれども、その行方はどうなっているのかという。

羽生:森に帰りました(笑)。

(会場笑)

司会者:プーさん、森に帰る?

羽生:すごくこの言葉好きで。別にギャグとかじゃなくて、「森に帰った」というのが一番ファンタジーでいいかなと思ってるんですけど(笑)。

司会者:今の点、もしあれだったらさらに重ねてどうぞ。

記者13:昨日はマラソンで設楽選手が……。

羽生:あ、1億円。

記者13:1億いただいたということがありまして、花束とかプーちゃんとかがお金であったら相当よかったのになというふうに自分自身で思ったんですけど、いかがでしょうか?

羽生:(笑)。いやぁ、ねえ。だって、正直、すごくリアルなこと言いますよ。だって、まず現地に来てくださってる方って、まずチケットを取るために相当なお金を使っていらっしゃると思いますし、フィギュアスケート観戦ってけっこう高いんですよ。

だから、ファンの方の特集とか僕はけっこうされたりして、見てもいるんですけれども、本当に一部の方の声しか届いていない。それをすごく捻じ曲げた特集をする局もあるんですけれども(笑)。

(会場笑)

でも、すごく言えることは、ファンの方々がすべて来てる方、ことではないので、見えない方のサポートというか、見えない方の応援もすごく大事にしたいなと思っています。

だって高校生の方とか大学生の方とか、そんな大金払って韓国に来れないし、なにより倍率がすごく高いので、「取りたい」といって予約しても取れなかった方もたくさんいると思うので、そういう方々にも感謝が届くような演技ができれば、幸せが届けられればというふうに思ってはいます。

だからプーさんを買ったお金とかチケットを買ったお金が飛んでるというふうに思っています。経済が回ってるんだったら、それで十分です(笑)。

司会者:という、とてもリアリズムに徹したお話をいただきました。今日は限られた時間だけど、ご協力を会場のみなさんもしてくださり、たいへんありがとうございました。

羽生:ありがとうございました。

「自分自身を貫く。」

司会者:始まる前に書いていただいた、いつもの揮毫、ご紹介します。「自分自身を貫く。」こう書いていただきました。その心は?

羽生:自分がオリンピックに行く前、今シーズンの夏なんですけれども、「今を貫け」というふうに言葉を出しました。それは、絶対にケガをしないとは言えなかったし、ケガじゃなくても病気とか調子が悪かったとしても今というのは揺るぎないものなので、それを貫いてほしいと思いました。

これは羽生結弦のために書いたわけではなくて、羽生結弦がこれまでいろいろやってきた中で、ちょっとでもみなさんが、夢を叶えるきっかけになるような言葉として書いたものです。

自分を貫いていると何かしら言われることがたくさんあると思いますし、もちろん家族に心配されたり、逆に家族に文句を言われたりとか。本当に信じている人に裏切られたりするかもしれません。ただ、そうやって自分自身を貫くことによって、後悔は絶対しないと思います。その後悔をしない生き方をしてほしいなと思って書きました。

司会者:羽生さんからの、世界への贈る言葉ということがわかりました。ありがとうございました。

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