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皇太子殿下 誕生日会見2018(全1記事)

【全文】即位までおよそ1年‐‐皇太子殿下が語られた “次代の象徴天皇”としての抱負

2018年2月23日、皇太子殿下が58歳を迎えられました。誕生日に先立って記者会見が行われ、次代の象徴天皇としての抱負やご家族のこと、この1年間で印象に残った出来事などを語られました。

陛下とどのようなお話をされたか

質問者:天皇陛下が来年4月30日に退位され、殿下は同年5月1日に即位されることが決まりました。率直な受け止めとともに、皇太子としての残りの期間、どのようなことに重きを置いて過ごされたいとお考えかお聞かせください。退位日が決まった陛下とはどのようなお話をされましたか?

皇太子殿下:昨年の誕生日会見でもお話ししたとおり、陛下のビデオメッセージを厳粛な思いで拝見いたしましたし、陛下のお考えを真摯に重く受け止めております。

また、長きにわたり、両陛下が一つひとつの行事を大切に思われ、真摯に取り組まれるお姿を間近に拝見してまいりましたので、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」の施行日が決まったことを受け、改めて、両陛下のこれまでの歩みに思いを致すとともに、深い感慨と敬意の念を覚えております。

今後とも、両陛下の御公務に取り組まれる御姿勢やお心構え、なさりようを含め、そのお姿をしっかりと心に刻み、今後私自身が活動していくのに当たって、常に心にとどめ、自己の研鑽に励みつつ、務めに取り組んでまいりたいと思います。

また、昨年は、三條天皇、伏見天皇、後陽成天皇の三方の歴代天皇が崩御されてから、それぞれ、1000年、700年、400年という年に当たり、式年祭が行われた関係で、各天皇の御事蹟をうかがう機会があったほか、秋に訪れた醍醐寺では、後奈良天皇を始め、多くの宸翰(しんかん)を拝見することができました。私としては、こうした、過去の天皇が人々と社会を案じつつ歩まれてきた道を振り返る機会も大切にしていきたいと思います。

陛下とは、以前より折に触れ、お考えをうかがったり、あるいはお話し合いをさせていただいております。具体的な内容についてここで述べるのは控えますが、そうした機会は大変有意義なものであり、とても有り難いことと思っております。

昨年は、陛下の名代としてアジア冬季競技大会の開会式に出席しましたが、少しでもお役に立つことがあれば、喜んでできる限りのお手伝いをしてまいりたいと思います。両陛下には、今後とも、くれぐれもお体を大切になさり、末永くお元気でいらっしゃることを心よりお祈りしております。

次代の象徴天皇としての抱負

質問者:次代の象徴天皇としての抱負についておうかがいします。殿下はこれまでも「時代に即した新しい公務」についての考えを語られてきましたが、新しい時代の天皇、皇后の在り方をどのようにお考えでしょうか?

皇太子殿下:象徴天皇、そして、公務の在り方については、これまでも陛下が繰り返し述べられていますように、また、私自身もこの場でお話ししていますように、過去の天皇が歩んでこられた道と、そしてまた、天皇は日本国、そして日本国民統合の象徴であるという憲法の規定に思いを致して、国民と苦楽を共にしながら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。

そして、そのためには、普段の活動の中で、できるだけ多くの人々と接する機会を作ることが大切であると思います。そういう考え方は変わっておりません。

陛下がおことばの中で述べられたように、「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」が大切であり、私も雅子と共に行った被災地視察や地方訪問の折には、なるべく多くの国民のみなさんとお話しができればと思い、これらの機会を大切にしてまいりました。そして、今後とも、そのように心がけていきたいと思います。

新しい時代の天皇、皇后の在り方ということについては、冒頭にも述べたとおり、両陛下も大事にされてきた皇室の長く続いた伝統を継承しながら、現行憲法で規定されている「象徴」としての天皇の役割をしっかりと果たしていくことが大切だと考えています。そして、象徴としての在り方を求めていく中で、社会の変化に応じた形でそれに対応した務めを考え、行動していくことも、その時代の皇室の役割だと思います。

「時代に即した新しい公務」についても、この点を述べたものであり、将来にわたり生じる日本社会の変化に応じて公務に対する社会の要請も変わってくることになると思いますし、そういった社会の新しい要請に応えていくことは大切なことであると考えております。

以前、私は、水の問題や環境問題、子どもや高齢者を取り巻く状況などに触れましたが、それらに限らず、今後も、新たな公務に対する社会の要請は出てくると思いますので、そうした公務に真摯に取り組んでまいりたいと思います。

同時に、世界各国との相互理解を深めていくことも大切であると思いますので、文化交流や国際親善の面でもお役に立てればと思います。こうした考えについては、日頃から雅子とも話し合っており、将来の務めの在り方についても話し合ってきております。

雅子さまと愛子さまについて

質問者:ご家族についておうかがいします。両殿下は今年ご結婚25周年を迎えられます。お代替わりに向け、雅子さまはこの1年をどう過ごされるとお考えでしょうか。皇后となられた後の活動の見通しや、殿下が感じられた変化についてお聞かせください。また、春に高校2年生となられる愛子さまは今何に関心を持ち、将来に向けてご家族でどのようなお話をされているでしょうか?

皇太子殿下:結婚20年の時にもお話ししましたが、月日が経つのは本当に早いもので、結婚してから、もう25年も経とうとしているのかと思うと、感慨深いものがあります。

天皇皇后両陛下には、日頃から、私ども家族を温かくお見守りいただき、また、お導きいただいておりますことに、改めて心から感謝を申し上げます。また、 これまで多くの方々にお助けをいただいて、こうして四半世紀を迎えようとしていることにも、大変有り難く思います。国民のみなさまには、私たち3人に対し温かい気持ちをお寄せいただいており、この機会に改めてお礼を申し上げます。

雅子は、この1年も治療を続ける中で、努力と工夫を重ね、体調に気を付けながら、公私にわたってできるだけの務めを果たそうとしてきました。その結果、都内での式典などの行事への出席や、6度にわたる地方訪問など、公的な活動を、一つひとつ着実に積み重ねてきており、それが本人の自信につながり、それによって活動の幅も更に広がってきていることを、雅子本人もそうですが、私としても、とてもうれしく思っております。

これからの1年も、雅子は引き続き努力と工夫を重ね、体調に気を付けながら、快復に向けての努力を続けていくと思いますし、公的な活動についても、その時その時で、できることを一つひとつ着実に積み重ねていってほしいと思います。

ただ、昨年の東宮職医師団の見解にもあるとおり、雅子は、着実に快復してきているとはいえ、まだその途上にあり、依然として体調には波もありますので、引き続き焦ることなく、慎重に少しずつ活動の幅を広げていってほしいと思います。

国民のみなさまには、これまで雅子に温かく心を寄せていただいていることに、改めて心より感謝の気持ちを述べるとともに、引き続き雅子の快復を温かく見守っていただければと思います。

愛子は、昨年4月に学習院女子高等科生として新たな一歩を踏み出しましたが、引き続き多くの友達と先生方に囲まれ、充実した高校生活を送っているようです。そうした中で、関心もいろいろな方向に広がってきているようで、勉強面でもスポーツの面でも、また、社会に対しても、幅広く関心を示しています。

また、外国からのお客様が東宮御所にいらした時には、愛子も少しずつ英語でのお話に加わる機会が増えており、海外に対する関心も膨らませています。

将来については、愛子も高校生になり、自分の将来についても思いを巡らす時期になっていると思いますので、雅子も私も、愛子本人の希望をよく聴き、相談に乗っていきたいと思っています。そして、今後とも周りのみなさまからいろいろと御助言をいただきながら、さまざまな経験を積み、自分の望む道をしっかりと歩んでいってほしいと思います。

今後の公務の分担と在り方

質問者:お代替わりや皇族の減少を踏まえ、今後の公務の分担について天皇陛下や秋篠宮さまとどのようなお話をされているかお聞かせください。天皇と上皇が併存することによる「二重権威」を危惧する意見も聞かれますが、殿下はどのようにお考えでしょうか?

皇太子殿下:公務の在り方については、先ほども申しましたが、折に触れ、いろいろな機会に、私、そして秋篠宮も、陛下のお考えをうかがったり、あるいは意見交換をさせていただいており、大変有意義な機会を頂戴していることに感謝しております。

具体的にどのような場で、どういうことを話しているかについては、その詳細を申し上げることは控えますが、陛下御自身がお考えになられていること、あるいは、これまで経験されてきたことなどをお話しくださるので、私としても学ぶことも多く、また、大変有り難いことだと思っております。

また、秋篠宮とも、公務の在り方を含め、さまざまな事柄について話し合う機会がありますし、今後ともこのような機会を持っていきたいと思います。

陛下には、皇后陛下と御一緒に、国内外の各地に足を運ばれ、多くの人々とお会いになり、真摯に御公務に取り組んでこられました。そのようなお姿を拝見してきた多くの国民から、両陛下が敬愛を受け続けられることは、自然なことであると思います。

私としましても、まさに陛下が全身全霊をもって象徴の務めを果たしてこられたように、今後受け継がせていただく公務をしっかりと受け止め、その一つひとつに真摯に取り組んでいく考えです。

この1年で印象に残った出来事について

質問者:この1年を振り返り、印象に残った公務や社会、皇室の出来事についてお聞かせください。

皇太子殿下:この1年を振り返ると、昨年7月の九州北部豪雨や、今年1月の草津白根山の噴火を始め、国内外で多くの自然災害が発生し、各地で人々に大きな被害をもたらしたことは、大変心の痛むことでした。度重なる自然災害により亡くなられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに、御遺族と被災された方々にお見舞いを申し上げます。

また、とくに今年に入り、北海道や東北、北陸を始め、各地で大雪が降るなど厳しい冬の寒さの影響も出ており、改めて自然の力に対する畏怖の念を覚えます。除雪作業中の事故などで亡くなったり、怪我をされている方も多いとうかがい、心配しております。国民のみなさんには、厳しい環境の中で、体調を崩されたり不慮の事故に遭われたりされないよう、お祈りしております。

東日本大震災の関係では、昨年11月に雅子と共に訪れた宮城県で、復興の状況を見ることができました。その折に、地域のみなさまの協力と、行政を含む関係者の努力により、復興が着実に進んでいることを実感し、復興に向けて歩んでこられた多くの方々の努力に敬意の念を抱きました。

同時に、復興への道のりは、まだ半ばと思われ、依然として応急仮設住宅にお住まいの方を始め、不自由な生活を余儀なくされている方々のお話をうかがうにつけ、心が痛みます。また、子どもたちを含め被災者の心のサポートの問題が残っていることを深く案じております。

引き続き、雅子と共に、被災者の方々が一日も早く安心して暮らすことのできるよう、お一人一人の幸せと御健康を祈りながら、被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思います。

明るい話としては、最近、十代から二十代前半の若い人たちが、さまざまな分野で活躍していることをうれしく思います。中学生として初めて六段に昇段した藤井聡太棋士や陸上100メートル走で日本人初の9秒台を出した桐生祥秀選手、卓球で日本一となった張本智和選手や伊藤美誠選手など、若い人たちが世界の舞台でも素晴らしい成績を収めており、とても心強く思っています。

あわせて、現在行われている平昌オリンピックでの日本選手の活躍も素晴らしいと思います。厳しい練習を重ね、多くの困難を乗り越え、オリンピックという世界の舞台で技を競い合う選手のみなさんの姿には大きな感動を覚えますし、フィギュアスケート男子とスピードスケート女子500メートルで共に金メダルを取った羽生結弦選手や小平奈緒選手が、旧知の海外の選手と健闘をたたえ合っている姿にも、国境を越えた深い友情と、世界のプレーヤーの一員としての日本選手の存在を感じ、頼もしさを感じます。

2020年は、東京オリンピック・パラリンピックが開催されますが、スポーツを通じた国際親善が更に深まることと、日本の人々が国際交流を身近なこととして感じることができるような大会となることを願っております。

また、この1年、御自分の専門を活かして人々や社会のために長く貢献してこられた方に光が当てられたこともうれしく思います。とくに昨年8月には、カンボジアを訪問した折にお世話になった石澤良昭教授が、長年にわたるアンコール・ワット遺跡の修復及びカンボジア人専門家の育成への貢献を評価されて、マグサイサイ賞を受賞されたことは印象深い出来事でした。

戦争の傷跡が残る社会の復興や文化遺産の保全のために、御自身の専門を活かしながら支援を続ける石澤教授の姿に、感銘を受けました。また、石澤教授に代表されるように、それぞれの人が工夫を凝らして自分のできる形で支援をしていくこと、そして、そのことがしっかりと評価されていくことがとても重要だと感じます。

一方で、国際社会に目を向けると、引き続き、先進国、開発途上国を問わず、所得格差の問題や若年層の失業の問題といった課題に直面しています。また、依然として、世界の各地で武力紛争やテロ事件が発生しており、それらも背景に、不幸にして安住の地を離れざるを得なくなった難民・国内避難民等の数は、第二次世界大戦後最大となる約6560万人に上っていると聞き、大変心が痛みます。

すべての人が、民族や宗教といった相違を乗り越え、協力して国際社会の直面する諸課題に取り組み、持続可能な社会の実現を目指すことが、今まで以上に重要になっていると思います。

こうした中、昨年、日本にもゆかりのあるカズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞されました。受賞そのものもうれしい知らせでしたが、イシグロ氏が受賞スピーチの中で、民族対立が深まり、社会が敵対する集団に分かれつつある時代において、ノーベル賞は、文学同様、自分たちを分断している壁を越えて、人間として共に戦わねばならないことは何かを思い出させる、と述べた点は、とても示唆に富むものであり、感銘を受けました。

印象に残った公務についての質問ですが、いずれも特色があり、それぞれが印象深いものでしたので、特定の行事を個別に挙げることはなかなか難しいと思います。この1年間、雅子と共に公務のため都内や地方に赴いた折、沿道や会場などで、私たち二人を温かい笑顔でお迎えいただいたことは、とてもうれしく、また、雅子にとっても大きな励みともなり、有り難く思います。

中でも、昨年5月に雅子、愛子と共に観戦した車椅子バスケットボール選手権大会や、9月の国民文化祭・全国障害者芸術・文化祭の折に見た車椅子ダンスパフォーマンス、10月の全国障害者スポーツ大会等で、障害のある方が日頃からのたゆまぬ努力の成果を出すべく一生懸命に競技に取り組む姿には、私のみならず、雅子も愛子も、深い感銘を受けました。

障害者を始め、子どもや高齢者など、いわゆる社会的に弱い立場にある人々が、周りの人たちの支援も受けながら、社会の中で能力を発揮し、活躍できるような環境がつくりだされていくことが一層求められている時代だと改めて感じています。

また、昨年3月に訪れた産業施設の視察では、小さな工場が、世界的にも極めて高い精密加工技術を有し、最先端の産業を支え、欠かすことのできない役割を担っていることや、従業員の方々が、創意工夫を重ね、高い意欲を持って仕事に取り組んでいる姿を見て、とても心強く思いました。

このことは、どのような組織・企業でも、熱意とアイディアによって、大きな発展を遂げることが可能であることの証であり、今後とも、そうした努力が報われる社会であり続けることを願っております。

皇室に関連する出来事としては、昨年6月に「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立し、昨年12月には25年ぶりの皇室会議が開かれ、その後同法の施行日が決まりました。両陛下がこれまで長きにわたり、心をこめて一つひとつのお務めを果たされてきたことに対し、改めて、深い敬意の念を覚えております。

光が当たらない分野の方々との交流

質問者:お答えの中で両陛下のいろんな人々、さまざまな人々にお会いになっているなさりようを引き継がれて、殿下御自身も即位された後、さまざまな分野の方々にお会いになりたいということがございましたけれども、現在の両陛下は即位なされる前からでございますけれども、身体障害者、ハンセン病の患者といったいわゆる社会的弱者の方々にですね、世の中から忘れられて、光の当たらなかった人々にお会いになってこられたと。

言い換えれば、こういう忘れられた人々に会うと、世間の目を向けさせるという、言葉を選べばちょっと難しいのですが、こういう分野を開拓されたと言ってもいいかと思うのですけれども。そこでお尋ねですけれども、殿下が天皇になられて、御自身でですね、こういう方々に新たにこれまで光の当たってない分野の方々にお会いになりたいという、もしそういうお考えがございましたらお聞かせ願いたいと思います。

皇太子殿下:私も以前から、今お話のあったような方々のことについてや、全国障害者スポーツ大会が全国身体障害者スポーツ大会と呼ばれていた時代から両陛下がそういった障害者のスポーツをずっと見守って育ててこられたという過程を拝見したり、また両陛下からいろいろうかがってきております。

ハンセン病のことについても、両陛下からいろいろお話をいただいてきております。私が具体的にどういうことをしたいかということを今すぐにお答えすることは難しいですが、今まで両陛下からいろいろうかがってきたこと、あるいは今後見たり聞いたりすることから、今後の自分のやり方というものを見いだしていくことができればと思っています。

天皇になられる自覚が芽生えた時期ときっかけ

質問者:先ほどのお話の中で、次の象徴天皇としての抱負をおうかがいしましたけれども、あと1年あまりで即位されるこの機会におうかがいします。

今の天皇陛下は、学習院高等科1年の時に、家庭教師だったヴァイニング夫人に将来何になりたいかと聞かれて、私は天皇になります、と英語で答えられたそうですけども、殿下が将来天皇になられるという御自身のお立場をはっきりと自覚されたのは、いつ、何歳頃のことだったのでしょうか? その際、何かきっかけのようなことはございましたでしょうか?

皇太子殿下:私は幸い両陛下の下で、ここで育つことができまして、両陛下のなさりようを逐一小さい時から拝見する機会を持つことができております。こういったことは本当に有り難いことであると思います。そのように両陛下がなさっていることを拝見したり、あるいは両陛下がいろいろとお仕事などにお出掛けになる時に私も同行させていただくこともありました。

例えば高校生の時にインターハイを御一緒に見たり、ボーイスカウトのジャンボリー、海外のアーティストが来てのコンサートなど、公おおやけの場面で両陛下と御一緒に出席することができて、両陛下のなさりようを拝見しながら私も少しずつ、この立場に、ここに生まれたからには将来は天皇になるという、そういった自覚を持つようになったのではないかと思います。

正確にどういうきっかけがあって、また、いつそういうことがあったか、そういう気持ちになったかということを、お答えすることは非常に難しいですが、徐々に自分の心の中にそういう気持ちが宿ってきたというように申し上げたいと思います。

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