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コミュニティと共に生きる - キャリアの螺旋と人生を変えた瞬間(全4記事)

コミュニティでの出会いは人生を変える力がある ソフトウェアエンジニアとしてステップアップさせてくれた“3つの言葉”

曽根壮大氏は、エンジニアコミュニティを原点に、自身の人生を変えてきた経験について話しました。全4回。

今日のテーマは「コミュニティが好き」

曽根壮大氏(以下、曽根):今日は朝早くから来ていただき、ありがとうございます。なんせ、僕が来るのが一番大変だったんでね。昨日、前夜祭が盛り上がったと思うんですが、今日はさっそく、「コミュニティと共に生きる」という話をしていきたいと思います。

みなさん、大丈夫ですか? SREの話とかPerlの話とかコードの話はぜんぜん出てこないんですけど?

(会場笑)

僕の昔話を40分ぐらいただ聞くだけになると思うんですが、聞いてもらえたらと思います。

今日のテーマは好みということで。「何が好き?」という話で、僕は「コミュニティが好き」という話をしていこうと思います。

僕は“そーだいさん”と呼ばれているんですが、「そーだいなる原点」ということで、昔、パソナさんの記事で、「私とコミュニティと生きる道」という元ネタがあって、それがけっこう入っている内容なんですけど。

(スライドを示して)「キャリアの螺旋って何じゃ?」という話で、これはファインディさんの記事なんですが、「もっと成長したいソフトウェアエンジニアへ、出会いと経験で自分を変える『キャリアの螺旋』の歩み方」という話があって、これもネタにしながらしゃべっていこうと思います。

エンジニアコミュニティとの出会いが人生を変えたという話をしていこうと思います。

あっ、しまった。「おはようございます」と、言わなかったですね。やります?

(会場笑)

やりましょうか? おはようございます!

会場:おはようございます。

曽根:いいですね。今日はみんな元気が良くて。朝から声を出していきましょうね。

本セッションのアジェンダと自己紹介

曽根:ということで今日のアジェンダです。自己紹介した後は、人生を変える言葉との出会いの話と、その人生を変えた理由には計画的偶発性理論というものがあって、その話をして、僕の思い出話をしていこうかなと思っています。

はい、自己紹介。僕は“そーだいさん”と呼ばれています。下の名前が「壮大」で、音読みだと「そうだい」と読めるので、有職読みでインターネットではみんなから“そーだいさん”と呼ばれています。

今、僕はHave Fun Techという会社の代表社員をやっているんですが、(同時に)リンケージという会社のCTOもやっています。「日本PostgreSQLユーザ会」というものがあって、そのユーザ会に、もう何年ぐらい? 12年ぐらいいるんですが、もともと中国支部は……。僕は広島出身なんですが、(中国支部で)ずっとやってきて、いろいろな勉強会をやったりしています。

子どもが3人いて、長女、次女、長男なんですが。高校生、中学生、小学校5年生と、もうだいぶデカくなったなと。

僕ね、フェニックスホールというか……。フェニックスホールというのは昔の言い方なんですが(笑)。どこだったっけな。広島のAndroid勉強会かなにかで来た時、長女を背負って登壇していたんですよね。あれからもう十何年も経ったかと思うと、時間の流れを感じるなと思っています。

僕のキャリアです。今日は僕のことを知らない人がたくさんいると思うんですが、高校を卒業した後は、諸般の事情により、サンモールとレッツというゲーセンに通いすぎたせいで浪人してしまいました。

その後は広島県警に5年ぐらいいたんですよね。本通というアーケード街があったと思うんですが。その後、安佐南に行って、中央署に戻ってきてというかたちで5年ぐらいやっていました。

「警察官は大変だな、もっとエンジニアをやりたいな」と思って派遣社員に……。派遣社員になりたくてなったわけじゃなくて(笑)。リーマンショックが来て仕事がまったくなくて、やむなき理由で派遣社員をしてからずっとソフトウェアエンジニアをやってきたというかたちです。

(スライドを示して)今日のコミュニティの話は、この右側のソフトウェアエンジニアとしてステップアップできたのは、コミュニティのおかげだなという話をしていきたいと思っています。

人生を変える話という話で、これは僕の友人の和尚(るっか和尚氏)というやつなんですが、『失敗から学ぶRDBの正しい歩き方 (Software Design plus)』、名著なんですけどね。(手を挙げて)読んでいる人! あっ、読んでいない人がけっこういますね。じゃあ、読んでない人は2冊ぐらい買ってもらって。

(会場笑)

これを読んだ後輩が、「この本のおかげで独り立ちできました」という話をしてきて、「あっ、これはいい話だな」と思って。僕自身もそういうきっかけはけっこうあったので、そういう話を今日はしていこうと思っています。

(スライドを示して)これは、「入れろ」と言われたので入れたんですけど(笑)。予防医療のリンケージという会社のCTOをやっていますという話です。

平聡輔氏からの「人生を変えた言葉」

曽根:人生を変える言葉との出会いという話で、コミュニティに触れた僕のきっかけがあって。最初にコミュニティに触れた2000何年かの話をするんですが、コミュニティに行くと、新たな出会いが生まれるんですよね。

コミュニティに行った時の出会いは、人生を変える力があるんですよね。

人生を変えた言葉をいくつか紹介していきたいと思います。きっかけはね2010年7月31日の「第1回オープンラボ備後」です。検索したら出てきました。いや、いいですね。Webに残っているのは大事です。(このイベントは)土曜日の1時から5時だったんですが……。

これは、まだ24歳ぐらいの、くそ若い時の僕です。初めて参加したこのイベントですが、当時、僕はアスコンという福山の会社で社内SEみたいなことをやっていて、すげぇ天狗だったんですよ。

「俺、めっちゃコード書けるし、バリ偉いし」と思っとったら、上司の人が「世の中にはもっとおもしろい人がたくさんいるから、たくさんおもしろい人がいるところに遊びに行こう」「オープンラボ備後に行こう」と言って、連れて行ってくれたんですよね。そうしたらもう、めちゃくちゃおもしろくて。

その時にひらさん(平聡輔氏)というLinuxカーネルのすごいメンテナーで有名な人なんですが、その人がいて、Linuxカーネルの読み方みたいな話をしていたんですよ。僕は、Linuxカーネルは使うものであって、自分で作るものとか改造するものというイメージはなかったんですよね。

「あっ、これは本物のハッカーだ」と思って、懇親会の時に隣の席だったので話をしていて、「ひらさん、すごいですね。Linuxカーネルって。なんでそんな勉強していたんですか?」というような話をしていて。

ひらさんが「いや、なんか、俺はLinuxカーネルでやっていこうと早いうちには決めていたよ。そーだい君は何がやりたいの?」と言われて、この当時、(僕には)なにもなかったんですよ。25歳の時は「仕事でコードは書くけど、『自分の人生は何』とかまだ決める歳じゃなくない?」と思っていたんですけど。

そうしたら、ひらさんが、「僕が25歳の時には、Linuxカーネルで生きていくと決めていたよ」と言っていて、「かっこいいな」と思って。僕もやはりソフトウェアエンジニアとして生きていきたいなと思っていて、その時にいろいろ考えた結果、データベースを選ぼうとなりました。

大垣靖男氏からの「人生を変えた言葉」

曽根:もう1個あって、データベースで生きていこうと決めた後、大垣さん(大垣靖男氏)という人がポスグレPostgreSQLのメンテナーでいるんですが、この人は岡山に住んでいるんですよね。

「ポスグレで生きていこう」「データベースで生きていこう」と思って、当時はOracleDBをすごく触っていたんですが、ポスグレに移行するという仕事をやって、「いや、ポスグレ、なんも機能ないじゃん」みたいな話をオープンセミナー……。違う、忘年会議か。忘年会議の前座の時に、「Oracleからポスグレの移行で、ポスグレをめちゃくちゃディスる」ということをやっていたんですよね。

そうしたら大垣さんがたまたまいて(笑)。「確かにポスグレが機能不足なのはわかる」と。「だけど、OracleDBには自分でパッチを当てることはできないけれども、ポスグレはOSSなんだから、自分でコードを書いていいんだよ」と言われて。これもすごくびっくりしたんですよね。今までJavaでOracleDBでエンタープライズの開発しかやっていなかったから、ミドルウェアに自分でパッチを当てるという発想がなかったんですよ。

僕の中ではこれもすごく衝撃的で、こういうところから真のエンジニアというか、自分自身の道具を自分自身で作るとかメンテナンスするという考え方に触れたなと思っています。これが25、6歳ぐらいの話でした。

やはりこういうのが本物のハッカーだなと思っています。先ほども言いましたが、自分の道具を自分でメンテナンスするとか、不満があるんだったら自分の力で、自分のコードで解決していくということがすごく重要なことだし、そういうことによって僕も新しい道を歩めた。仕事でコードを書くんじゃなくて、自分の生き方としてコードを書くということを学んだなと思っています。

大垣靖男氏からの「人生を変えた言葉」

曽根:ということで、多くの人に影響を与えた言葉たちはほかにもあって。今日はYAPCなのでYAPCの話をしていきます。宮川さん(​宮川達彦​氏)という人がいて、2023年のYAPCの中で、大西さん(​大西康裕氏​)がキーノートをしたんですよ。

キーノートの大西さんの話で「コードを書くのに許可は要らない」みたいな話がいくつか出てきた中で、前夜祭でしゃべっていたyusukebeさんが、「『コードを書くのに許可は要らない』という言葉が、自分の中でもすごく良かった」という話を感想で言っていたんですが、この文脈は、いろいろな人が「いい話っぽい」と(その内容を)つかんだなと思っていました。

これもすごくいい言葉だなと思っていて、「コードを書きたい」とか「あれが不満なんだよな」とか「このライブラリが動かないんだよな」とか「こういうのがあったらうれしいな」というのも、許可が要らないので。「だったらコードのプルリクを送ればいいんですよ」という話をしていて。これもすごく大事だなと思っています。

大西さんが「僕が感動した話なんですよ」と言っていた、宮川さんの話の中で出てきた「遅くてもやらないよりはやったほうがいい」という話があります。

これも同じで、今この話を聞いて、「あっ、なるほど。そういう考え方があるのか」とか「今からコードを書くのも……。」僕は今39歳なんですが、「もう40歳だし、今からやっても遅いんじゃない?」と思うかもしれないですが「いつやったって今からやるのが一番早いんだから、遅くてもやったほうがいいですよ」という宮川さんの話がありました。

これは大西さんが紹介していた2023年のキーノートで、僕はそれを後から見たんですが、すごくいい話で。(この話は)「YouTube」にも載っています。やYAPCはキーノートとかの動画が残っているので、ぜひみんなに見てもらいたいなと思っています。

(次回につづく)

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