東京と地方のスキルの差

藤井創氏(以下、藤井):最後に、2人のほうからそれぞれ質問があればもらえるとありがたいです。最初は竹迫さんから江草さんになにかあればお願いします。

竹迫良範氏(以下、竹迫):江草さんは日本全国とか海外出張とかもあったりでいろいろなコミュニティに参加されていると思うんですが、東京とそれ以外の地方とで、感じるものとかってありますか?

江草陽太氏(以下、江草):東京ではわりとありふれているものでも、地方では喜ばれるみたいな感じはやはりありますね。そういう意味では、オンライン、インターネットが主流になった今でも、情報の供給量は東京のほうが多いというか……。特に難しいことの情報は東京のほうが多くなってしまっている感じはありますね。それが地域のスキル差みたいなものに間接的に影響している。そういう状況にあるというのは、すごく感じます。

竹迫:ありがとうございます。僕自身は2年前に東京から千葉の田舎に引っ越したんですが、東京にいた頃は、だいたい30分電車に乗れば、誰ともすぐ会って話ができたり、どこにでも行けたんですけど、地方に引っ越すと、誰かに会って話すとかもやはり数時間とか半日かけて行かないといけないし、場合によっては泊まりも必要なので、相当気合いが必要になってきているんだなというのは確かにありますね。

江草:先ほどの勉強するスキルみたいなものの差が、地方に行けば行くほど生まれてくるんだろうなという気がします。東京だと、ぼんやりしていても、言われたことをそのまま鵜呑みにしても、わりといろいろな情報が入ってくるのでそれでなんとかなるのが、地方ではそういうインプットがやはり少なかったりとかする。

でも、勉強するスキルさえあれば、そういう情報って別にネットにないわけではないので。地域では格差が生まれやすいのかなという感じがします。

竹迫:なるほど。わかりました。受動的ではなくて、やはり主体的に動ければ、地方でも……。今は学習機会も増えているし……。

江草:そうですね。いけると思います。

竹迫:ありがとうございます。

藤井:なるほど。仙台に引っ越した私の知り合いのエンジニアが、勉強会がそもそもないと言っていて。コロナ前のオフラインが主流だった時も、「勉強会そのものがないから自分で主催するけど、エンジニアも集まってくれない」みたいなことを言っていた方もいたので、そういうのもあるのかなと思いつつ。

(それとは別に)島根のほうに私も取材に行った時があって、島根は“IT県”みたいなところで、地方自治体もけっこう力を入れていたりしているのかなとか思っていて。格差はありつつも、地方でもエンジニア人材を欲してているところはやはりあるのかなと思いましたね。

竹迫:そうですね。島根で開催しているRubyのプログラミングコンテストは毎年やっていますし、小学生、中学生とかも応募したりとかしていて、そういったところでは裾野が広がっているのかなと。

藤井:そうですよね。さくらインターネットさんも北海道にデータセンター、サーバーがあるので、あちらにもそれなりに人材が必要なのかなとか思ったりはするんですが。

江草:はい。あと全都道府県でイベントをやったり……。JANOGが地方で開催されたら一緒に「さくらの夕べ」を開催するとか、地方に行ってさくらのイベントもけっこうやっています。地域で勉強会、あるいはイベントをやることでどういう感じなのかを知る機会はあるわけなんですが、地域でやると、(その土地のエンジニアの)参加層が厚くなるということになるので、やるといいんだろうなと思っています。

藤井:ありがとうございます。

学校は「なにを教えないか」を取捨選択しないといけない時代になっている

藤井:じゃあ逆に、江草さんから竹迫さんに聞きたいことはありますか?

江草:竹迫さんは高専の先生とかをやっていると思うんですが、エンジニアから教員になってみて、実際に教育の現場とかで感じることとか、「ほかの科目もある中で、技術系の授業や教育をするとなんか違うな」「同じだな」とか、「ほかの科目が技術系にも応用できるな」とか、なにか感じるところがあれば聞きたいなと思っていました。

竹迫:ありがとうございます。僕は今、高知高専と都立産技高専で、新しいIoTセキュリティみたいな授業とかをやっています。そこで感じていることとしては、学校の学習時間って増えないんですよね。なにかを減らさないと新しいことって教えられなくて、「なにを教えないか」ということを取捨選択しないといけない時代になっています。

ロシア人の知り合いのハッカーに聞いたんですが、最近のロシアは、ロシア文学を学校ではもう教えていないらしいんですよ。上の年配の人とかは知っているロシア文学を、今の小学生、中学生とかは知らなかったりしていて。僕らも『ごんぎつね』とか、小学校の頃にいろいろ学んだと思うんですが、ああいうのが通じなくなっていく時代もくるのかなと思っていますね。

その中で、高専みたいなところでは、電気・電子の工学の授業の中で(インターネットにつながる機器の)IoTを絡めることで、プラスアルファのセキュリティみたいな(知識を教える)ことがしやすくなっているんですが、そうじゃないところは、なにかを捨てない限りは新しいものは入れられないので、教えない選択をけっこうしないと難しくなる。

江草:難しいですね。国語とかは小学校からすごく時間をかけているのに対して、プログラミングとか技術系の授業って、ちょっとだと当然身につかないので、その時間を増やすことがないと無理だろうなと思っていました。

でも、先ほど言ったAIになにか指示するとか、新しいことを考えるとなると、自分が技術をやっているにもかかわらずアレですが、国語とか文化とか教養のほうが必要になる時って後々どんどん出てくるので、(プログラミングとか技術系の授業の時間を)捨てるのはもったいなとも思う一方、でも時間を取らへんかったら身につかへんしな、どうしたらいいんだろうなと思いました。

竹迫:そうなんですよね。昔調べたんですが、数学力じゃなくて国語力ができる人のほうが、コンピューターに指示を出して働かせられるので、優秀なプログラマーになる率が高くて。コンピューターの気持ちになってちゃんと指示を書けるかが大事だったり、コンパイラの気持ちになれるかどうかもけっこう大事だと思います。

藤井:なるほど(笑)。

竹迫:小学校の国語の試験とかで、「作者の気持ちになって答えなさい」という問題があって、「いや、僕は作者じゃないから絶対わからないよ」とか僕も言っていたんですが、でも、他人やコンピューターの気持ちを推測できて、それに対してどうコミュニケーションを取っていくかということはいろいろな分野でやはり必要だから、僕は国語力は絶対に必要だと思っています。

江草:授業の時間は増やせないんですかね? やはりそれは無理なんですかね?(笑)

竹迫:それは無理ですね。カリキュラムの中で奪い合いをしないといけないので。

江草:そうですよね。

藤井:なんかつらい……。プログラミングするにも、ゲーム作るにもアプリ作るにも、プログラムの知識はもちろん必要だけど、それ以外のところからヒントとか着想を得たり、いろいろなところから得られた知識で作っていたりすることが多いので、それが逆になくなっちゃうと(作ることは)できるけど、発想に結びつかない。

最初の話に戻りますが、江草さんが言っていた「何が問題で」の「何が」みたいなところの発想の仕方とかもあまり身につかなくなって、「ゲームは作れるけどそこまで」ということが出てきそうな感じはありましたね。

竹迫:小学校の図工の時間を使って、プログラミングで自由な作品を作るとかはありだと思っているんですよね。中学校になれば技術・家庭科みたいなものがあって、その中でプログラミングをすることも一部あったり、ラジオを作ったりとかはすると思うんですが。それ以上増やすのは、なにかを削らない限りは難しそうだなと思っています。

江草:ありがとうございます。

藤井:確かに今、小学校のプログラミングの時間って、たぶん2時間ぐらいしかないんですよね「それで本当にプログラミング思考って身につくの?」みたいな(笑)。時間の問題はあるなと思っています。ありがとうございます。

(次回に続く)