人生2周目ならではのキャリア戦略を紹介

宮原洋祐氏(以下、宮原):ではさっそく講演したいなと思います。私が人生2周目の宮原です。みなさん学生は、これからのキャリアをどうするかなぁと悩む頃かなと思うので、今日は私から、(人生)2周目ならではのキャリア戦略をぜひ紹介をさせていただきたいなと思っています。

ではさっそくですが、まだ2周目としか言っていないので、お前誰だ? って思っている方がいっぱいいると思うので、その話をさせてもらいます。(スライドを示して)バックボーンから話すと、学生時代はコンピュータサイエンスを専攻していて、当時はまったくチヤホヤもされない時代でしたが、人工知能の研究室で画像認識の研究をしていました。あとはロボットの自動走行みたいなことを研究をしていました。

人生1周目も2周目も同じことをやっていたのですが、1周目ではいろいろなプロジェクトをやっていました。これは後でちょっとだけ紹介しようかなと思っているのですが、多種多様な多くのプロジェクトに参画をする中では、主にテックリードという、テクニカルな部分のリーダーシップを取っていくことが多かったです。

2011年ぐらいに、社内横断の組織でテクノロジー組織を立ち上げました。だいたい350人ぐらいの組織で、エンジニアリング組織の責任者であるVPoEという役割を担っています。

それを1回通り越して今2周目なわけですが、2周目にあたっては、2015年にスタートアップベンチャーの経営をしたり、2016年にテクノロジーとイノベーションの事業開発をやったり、直近ではグロービスの講師をやったりしているので、その観点で1周目、2周目でのキャリア戦略をちょっと紹介できるといいかなと思っています。

Web系・SIer系・コンサル系…人生1週目の就活時に考えたこと

動画音声:経営をITをデザインする、フューチャーアーキテクト。

宮原:たぶんフューチャーを知らない人が多いんじゃないかなと思いますが、今のはCMで、流れている言葉だけは聞いたことがあるんじゃないかなと思います。

なぜか当社のロゴはIMEに登録されているので、「はし」って打ってもらうとよく使えます。ぜひ使ってもらえると。なぜか、Microsoft、Google、Appleでも、IMEには「はし」がありますので、ぜひ使ってください。

私はいろいろな立場で会社を見てきました。そういう仕事だったので、いろいろな会社を見てきましたし、いろいろな立場でも仕事をしてきました。なので、先ほどは会社からこのCMを流せみたいなことを言われたので流しましたが、私は別に会社を紹介しに来たわけではないので、今日はフューチャーの宮原ではなく、宮原という1人の転生者の話を聞いていただければいいかなと思っています。

最初にキャリア選定として人生1周目で考えたこと。これは就活の時ですね。考えたことをちょっと紹介しようかなと思います。

(スライドを示して)みなさんのようにはきちんと考えておらず、企画から開発・運用まで全部ひととおりやりたいなと思っていました。あとはやはり潰しが効く仕事がいいなと思うので、そういうことをやりたいし、これはみなさんもあるんじゃないかなと思いますが、エンジニアってすぐ飽きるので、飽きない仕事がいいなというのがあったと思います。

(スライドを示して)その中で就職活動をする時に、いわゆるWeb系の企業がいいんじゃないかと(思いました)。B2Cのコンシューマビジネスなどをやっている企業を見ている中で、どうやらここは企画はできそうだなと思ったり、開発はどうやら外部委託をしているケースが多いらしいぞというのを聞いたり。

あとはやはりWeb系企業ということもあって、業種・業態という意味だとなかなか偏ってしまうかなぁというところで、もしかしたら飽きちゃうかもなとちょっと思っていました。

(スライドを示して)じゃあということで、まぁこれが本命だったのですが、いわゆるSIer系の会社、B2Bの会社ですね。これはちょっとわかりにくいかもしれないですが、仕事が始まる前にクライアントの要求が先にあります。クライアントのやりたいことが先にあって、それを聞いて仕事になっていくのがSIerの仕事の始まりなので、もしかしたらこれって企画ができないんじゃないかなってちょっと思いました。

なので、企画力がつかないかなと思ったり、一方で開発はバリバリできるんじゃないかなというポジティブな考えもありました。(スライドを示して)あとはやはりこれですね、クライアント、お客さまが変わると業種・業態は変えられるので、いっぱい経験できるんじゃないかなという考えがあって見ていました。

(スライドを示して)最後のほうに、コンサル系ってどうなんだろうなと思って見てみました。コンサル企業とSIer企業を比べる時に一番わかりやすいのが、(コンサル企業は)クライアントのモヤモヤや相談事から仕事が始まるので、ある意味企画から始められそうだとすごく直感的に思ったわけですね。

コンサルというと、開発をやっていなさそうなイメージがあったんですが、開発をやる会社もあったので、そういう選択肢もあるんだなと思ったり。(スライドを示して)あとは業種・業態はSIerと同じで、多く経験できそうだなというポジティブな感覚があって、私の1周目の就活のスタイルはこんな感じですごく適当で、コンサル系にしようと思いました。

(スライドに)汎用性と書きましたが、業種・業態に関しては応用が利くなぁと思ったり、企画力がつきそうだなぁ、開発力がつけられるところもあるんじゃないかと思って、そんなところを選んだ感じですね。

(選んだのが)本当に最後の最後だったので、Web系、SIerを押し除けてコンサル系がやってきたみたいな感じで、私の中では就活が決まったという感じです。

レガシー産業「新聞業界」でDXをやってみた

仕事のイメージを先に話したほうがいいかなと思うので、コンサルでDXやってみた話をちょっとしようかなと思います。何個かあるのですが、今日説明するにあたって一番DXと呼ばれるものから遠い産業がいいかなと思ったのでそれを話そうかなと思います。

どんな産業かというと、厳しい局面に立たされている産業です。ダダンッ、新聞業界ですね。みなさんの中で新聞を読んでいる人はいますか? たぶんいないんじゃないですか。ニュースは読んでいるかもしれないけれど、新聞紙面を取っている人にはなかなか最近出会わないですね。私も実は取っていません。

加速する新聞離れの中、デジタル対応ができていない。新聞紙面は減っていく中で、スマートフォンを見てニュースは確認するけれど、どこの新聞社のニュースなのかは、みんな意識しない時代になってきたのかなと思います。

一方で、お客さまの現場はすごくアナログな世界観です。紙とペンで成立していて、若手はいない状態で、将来が不安というのもよく聞きました。

一方で発行部数はどんどん減っていると。これは世界的にも起きている現象で、かなり消滅の危機になっているということかなぁと思います。課題問題が山積みで改革が急務な状態で、やらなきゃいけないということかなぁと思います。

経営に加えてITですね。技術に関しても、新聞業界は実は、みなさん誰もが知っているような大きな会社のだいたい5社で占められている業界です。どこも保守的になるので、新しいイノベーションが生まれることはなかったというのがずーっと続いている業界だったのかなと思います。

なぜこれに私が興味を持ったかというと、世界のトップ20の新聞社の中に日本の有名5紙が上位に入っている、独占している感じになっているので、こんな業界は他の業態(では珍しく)、自動車産業で近いところはあるかもしれませんが、今一位は抜かれてしまっているので、そういう意味だと、この業界を変えられたらなにかあるんじゃないかなという、そんなワクワク感が正直ありました。

Wikipedia.「List of newspapers by circulation」.
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_newspapers_by_circulation,(参照2023-03-18)

プレゼンは大絶賛されるも「現実と理想は違うんだ」と言われてしまった

(スライドを示して)テーマは、「破壊と創造」でやろうと思っていました。これは(その資料ですが)、数百枚に及ぶ戦略を提案書に書いてプレゼンをしました。

これは信じられないぐらい大絶賛されました。「ワクワクした」とか「自分たちでも成長できる」とか「楽しそうだ」とか「あなたは変えてくれそう」とすごく言ってくれました。本当に気持ちよかったので、自信満々にプレゼンテーションしていたんじゃないかなって思います。

「もうこれで新聞業界は安泰だな」みたいに安直に思っていたのですが、そう思いきや、私の提案は却下されるという事態に陥りました。何が起きたかというと、いわゆる保守派の方々、今を変えたくないという人たちがいて、すごく攻撃をされました。「絶対にできません」と言われたり、「現実と理想は違うんだ」と、目を見ながら言われたりしました。

旧態依然の保守派がやはりいて、「変えたくないし変わりたくない」と。この気持ちもわかるんですよ。なんだろうなぁ、保守派の人たちは今まで踏ん張って支えてきた結果で今があるので、「なんで今から苦労しなきゃいけないんだ」とか思うので、(その気持ちは)わからなくはなくて、現状維持を断行したというのが結果でした。私は(その時にDXを進めるのは)無理だなぁと思いました。

改革が反旗を翻し、プロジェクトがスタート

しかし、実は改革派というか、苦しい現場や若い世代が反旗を翻していて、やらなきゃいけないと思っていた人が、経営に直訴することがお客さまの中で起きました。

後にお客さまから後日談としてもらった資料なのですが、嘆願書を書いて経営に提出をすることがありました。これは中を見たら、けっこうな枚数ありました。どんなことが書いてあるかというと、これを読み上げると涙が出る感じのことがいっぱい書いてあります。すごくいい、やりたいという気持ちが伝わってくるようなもので。経営者はこれを見て、「やってやりたいな」と思ったのか「あのプレゼンテーションをもう1回やってくれ」と言ってくれたので、私がもう1度やって、そこで決まりました。

プロジェクトはまさにこれは新聞社の存続を賭けるプロジェクトとしてスタートしました。

始まったらまぁ国会答弁みたいなもので、総論賛成で各論反対からの激論が始まるようなかたちでした。お互いの主張がぶつかり合って妥協点や最適解をみつけようとする激論が交わされながらやっていきました。

(次回へつづく)