体重計に乗る・テストを受ける・締め切り直前の仕事に取り掛かる…これらに向き合う時に生まれる感情は?

広木大地氏:仕事や今までの人生の場面で、どうすると不確実性、ファクトなどに向き合っていけるのかをイメージするのにちょうどいい例を2つ挙げると、1つが「体重計に乗る」、もう1つが「テストを受ける」です。

自分自身がダイエットしようと思っている時に体重計に乗ることは、事実と向き合うことなので、「なんか嫌だな」とか「(ダイエットが)うまくいっていなかったらどうしよう」、「(体重が)増えていたらどうしよう」と感じることがあるかもしれません。

あるいは学生時代にテストを受ける。テストを学校で受けることは、大学に行くとか行けないとかは関係なくて、むしろ自分が何がわかっていて何がわかっていないのかがわかるというのがメジャーなはずなのに、自分自身が評価される、なにか自分自身の不確実なものがバレてしまうんじゃないかと思う、自分自身に向き合わなければいけないんじゃないかという気持ちから、ちょっと嫌だなという感情が芽生えたりするのではないでしょうか。

もう1つ、仕事に向き合う時のことを考えてみましょう。例えば締め切り直前の仕事に取り掛かるぞという時に「んー、なんか嫌だな」となっちゃって、なかなか気が向かず、部屋の掃除を始めたりするとか。

すれ違いのある同僚ときちんと話をしてこの件について和解したいなとか、きちんとわかり合って気持ちよく仕事したいなと思っているのだけど、ちょっと今日じゃないかな、今じゃないかな、このプロジェクトが終わってからでいいんじゃないかなと考えたりすることがあるかもしれません。

こういうものに向き合ったほうが、プロジェクトや仕事のリスクは下がっていって、結果的に仕事は気持ちよくできるはずなんですね。だけど、それに向き合おうとしている期間は不安を感じます。これに対していろいろな方法で回避をしたり、場合によっては怒りを覚えたりします。こういうメカニズムが人間の脳にあるということです。

でも、組織は不確実性に向き合って、その中で仕事をこなしていかなければいけません。そこで『エンジニアリング組織論への招待』の1章では、個人の思考の癖や本能がどういうものなのかという、個人をテーマにして矯正していくお話を載せています。もしお手に取っていらっしゃる方がいたら、1章だけでも読んでいただければなと。

2章が、そこから対話を通じてチームやペアの中での本能とか、その在り方を理解して矯正していく仕組みについてお話ししています。3つ目の4章と5章で、こういった仕組みの設計を通じて、組織全体が持つ本能を理解して矯正していくということを、ソフトウェアのプロジェクトを例に説明していくのが本書の構成になっています。

「悩んでいる状態」と「考えている状態」の違いとは?

その中に出てくるお話で、「悩むと考えるの違い」というところを1つ紹介いたします。みなさんはいろいろな人から相談を受けたり、自分自身も「悩んでいる」とか「考えている」という言葉を口にしたり、そういう状態にある人も多いのではないでしょうか。

この「悩んでいる状態」はどういうことかというと、頭の中にさまざまなことが去来して、ずっと思考をぐるぐるともたげていて、なんかモヤモヤが取れない状態。寝ている間もなんかちょっと悩んでいる。これは非常に苦しい上に生産的じゃないので、がんばっているように感じる割には結果が伴いません。この「悩んでいる状態」から「考える状態」へ変化させてあげたい。

「考える」がどういうことかというと、次にどうすればいいのかがわかっていて、そのための行動を起こしている状態です。必ず手が動いているというのが、考えている状態です。メモ帳やホワイトボード、あるいはデジタルでもかまわないのですが、課題を書き出して分解したり調査したり、考えている時は問題が常にクリアに段階的になっていく状態だと思うのですね。

プログラムを書いてデバッグしている時をイメージしてもらうといいかもしれません。エラーが出てきて、エラーを読んで、理解してなぜ出るのかを考えて、それに必要な条件を調べて、ここじゃないかと特定して、じゃあ次はこういうふうに試してみようと考えて実行してみたら、またエラーが出てメッセージが変わってと。

実際には、その間は考えている、つまり手が動いていて、次のアクションをしていくごとにどんどんと状況がクリアになっていく。わからないことがわかっていって、最終的には解決する。一方、悩むというのは手が動いていなくて、新しい情報を得るためのアクションができていない、そういった状態の時にぐるぐると悩んでいる状態になりがちです。

悩んでいる人に「がんばって考えてみなよ」と言ってもけっこう難しくて、悩んでいるということは、手が動いていない状態です。でも頭は回っているので無限ループみたいな状態になってしまって、なんか苦しいから仕事しているという気持ちになっちゃうんですよね。

実際には、悩んでいても仕事は進まなくて、考えていないと仕事は進みません。悩むは「状態」で、考えるは「行動」だと理解して、手が止まっているなと思った瞬間に、「今ちょっと悩んじゃっているかもしれない。次の行動を考えてみよう」とサポートしたり、手が止まっている人に対して「一緒に次の行動を考えてみよう」と提案したりすることで、組織の中での不確実性を下げるアクションが効率よく回ります。

私たちは「観測できてコントロールできるものを、観測しながらコントロールすること」しかできない

また、この「考える」にあたって、「悩む」になりがちな理由として、どうしてもコントロールできないものをコントロールしようと考えてしまうことにあります。他人の内心、世の中、物理法則、「あいつはきっとこうなんだ」「自分の上司がムカつくからあいつの性格を直したい!」と考えたとしても、それをしようとすればするほど、コントロールできないものに介入しようとしているという話になります。これをすればするほど問題は解決しようがないので、気がついたら無限ループに陥っていて悩んでしまうということが起きます。

また、悩ませる上で重要なテーマが、観測できるものとできないものが世の中にあるということです。他人の内心の部分は、やはり他人なので観測できません。未来のことも予測できません。だけど、自分の行動や他人の行動は見ることができます。

このように考えると、自分たちが人間である限りできることは、観測できてコントロールできるものを、観測しながらコントロールすること。それしか自分たちはアクションを取れないという、至極当たり前のことに気づきます。これを無理にコントロールしようとすると、痛い目に遭ってしまいます。

わかりやすいのは他人の部分で、他人はコントロールできないし、内心も観測できないのでわかるのは行動変化だけです。なので、行動を見て働きかけて習慣に変えて、習慣を能力に転化させて、能力がいつか成果になって、成果の行動につながる。こういうサイクルを見た時に、行動が習慣化していくことへのアシストは、実は他人としてできる部分があります。

例えば遅刻をしまくる人がいて、なんとか遅刻しないようにしたいなと思った時に、「お前は仕事に対する責任感がないから、もっと責任感を持ってきちんと寝て朝来い。遅刻をするな」と注意したところで、その人の行動は一切変わらないので結果的に遅刻を繰り返してしまいます。

でも、行動や習慣に注目して、いつ寝ていてどういうふうにアラームをつけていて、それに対して本当は何時に起きていて、遅刻するのはどういう原因なのだろう? と考えながら、行動を変えて習慣化していくことに対しては働きかけることができるわけです。それは行動なので、観測することも一部できるかもしれません。

そういうことを通じていくと、内心の部分はコントロールできないけれど、行動変化は見ることができるので、いつかそれが能力になって遅刻せずに成果を出せる人になるかもしれません。こういうふうに「自分がコントロールできたり観測できたりする部分に注目するだけしかマネジメントはできないんだよ」と知るのも、1つの考え方です。

マネジメントを“技法”として理解する

こういったマネジメントをしていくにあたって、実際に一番注意したのは、技法であるというところです。

ある時、その仕事をスペシャリストというか、一人前のタスクをこなせる人としてこなしていたら、「マネージャーをやってくれ」と(言われました)。マネジメントなんかやったことないなぁというところから学び始めたのですが、「マネージャーになると、人格的にきちんとした人にならなきゃいけないのかな」と考えたりすることもあると思いますが、実はマネジメントというのはある種の技法で、人間力や先天的なスキルに頼ったなにかではなく、再現可能な技術だと理解することが重要です。

例えば対人マネジメントをするにしても、信頼関係の構築をしてから問題を明確化し、ゴールを設定し、コンフリクトを解消し、日常生活に落とし込む。こういったステップを理解してコミュニケーションをすることが大事です。逆にこのステップがズレると、あまり意味がありません。

また、結局人を変えることは非常に難しく、一生懸命説得しても人はなかなか変わりません。理屈とか、こういうものがあるんだよと言って学習して、それを通じて説得することを「他者説得」と言います。これは理屈はわかったものの体感を伴わないため、長続きしなかったり、理解を確認できない部分があります。

一方で、「自分自身が今まで周りの状況からわからなかったことを理解したぞ」という状況は「自己説得」で、これは他人から促すのがちょっと難しい代わりに、行動の変化が発生しやすく長続きします。なので、自己説得を目指したいなと考えるようになるわけです。

心理的安全性を支える「4つの大丈夫」

それをしていくために、まずは心理的安全性としてこの4つの「大丈夫」という言葉で理解するといいと思います。対人リスクを取って、そのプロジェクトの中にある問題点をパッと言っちゃっても大丈夫だなとか、意見が異なっていても言って大丈夫だなとか、間違いを認めて自分の弱さを出しても大丈夫だなとか、助けを求めても大丈夫だなという関係性が築けてくると、リスクが先に出されるようになってコミュニケーションが円滑に進み、結果的にプロジェクトは不確実性と向き合いやすくなるので生産的になります。

エンジニアリングの業界では、Googleがアリストテレスプロジェクトで調査した結果に基づいて、心理的安全性がはやったという節があるのですが、もともと医療や航空機の業界などでは「権威勾配」という言葉で、2者間の関係で表現されていました。

権威勾配というのは、その人がどれだけ権威、偉そうな部分があって、その差があるか。医療や飛行機の場面は、「この偉い人が言ったんだから間違いないだろう」ということが医療過誤につながったり、あるいは墜落につながったりすることがあるため、権威勾配が低い関係性を築くことによってあまり問題が生まれないようにしよう、大きなトラブルにならないようにしています。この考え方をチームに広げたものが、心理的安全性です。

心理的安全性はそれ単独で成り立つわけではありません。(スライドを示して)仕事への責任意識のマトリクスですが、仕事に対する意識が弱い状態だと、「コンフォートゾーン」というぬるま湯になってしまいます。

そうではなくて、それと仕事をしていくことへの責任感・責任意識が両立すると学びが強い状態になり、その結果、生産的になるよというのがこの4象限です。

組織的な問題の源泉は、人間の本能に組み込まれた機能

先ほどから述べているように、人間の本能に組み込まれた機能、扁桃体をはじめとするようなものが組織的な問題の源泉となります。「ゲシュタルトの法則」と言いますが、例えば地理的に近い集団や近くにあるものを1つのグルーピングで見てしまうことがある種の人間の本能にあったり、似ている種類の集まりを仲間だと思うところがあります。

この仲間と仲間の境目には、やはり組織的な問題が潜んでいます。そうすると、組織の中で文化的なマイノリティになる人は、「ちょっとあいつって違うよね」という感じで排除されます。高レベルな人に囲まれていると低レベルな人はちょっといづらくなって辞めちゃうという現象もあるのですが、同時に低レベルな人ばかりのところに高レベルな人が入ると、いづらくて辞めちゃうということがあります。

こういった状況だと、どんどん文化的なマイノリティは排除されやすくなります。これが新しい文化を広めていこうとした時の難しいポイントです。

さらにこの「黒い羊効果」という言葉も紹介しておきたいと思います。「内集団の好ましい成員が、同程度に好ましい外集団の成員よりも高く評価され、内集団の好ましい成員が……」ってちょっとわからないと思うのですが。黒い羊は外側にいる自分の仲間よりも、自分の仲間の内にいる異物を排除しやすい現象があります。こういった部分が人間の本能的な部分に組み込まれていて、結果的に組織の生産性、不確実性に向き合う構造に悪く作用しています。

こういった問題は、実は組織構造やアーキテクチャの部分に課題があって、その結果、問題が顕在化していくというのが本書が結んでいくところになります。なので、プログラミングの構造を新しいより良い構造に変えていくという部分になぞらえて、「組織のリファクタリング」という言葉を使い、悪い構造の組織をより良い構造の組織に変えていくことでより生産的になるのだよ、という話を展開しました。

ちょっと長くなっちゃったな、以上です。

(次回へつづく)