今回のゲストはディップ株式会社 執行役員 CTOの豊濱吉庸氏

豊濱吉庸氏(以下、豊濱):「エンジニアリングマネージャになりたくなかった人間のチームビルド」というテーマで今日はお話ししたいと思います。

キャリアについて30分もしゃべるのが人生で初めてなので、何をしゃべろうかなという感じで、今日臨んで来た感じです。僕がやってきたことや、考えていることは全部盛り込んできたつもりなので、少しでもみなさんの参考になればいいなと思っています。

こちらがアジェンダです。まず先に会社を紹介します。先に会社を紹介するのは、会社をメチャクチャ主張したいわけではなく、自己紹介や経歴がキャリアにけっこうつながるなと思ったので、こんな順番にしています。

「バイトル」「はたらこねっと」「コボット」を展開するディップ株式会社

豊濱:ではまずは、ディップ株式会社について。「私たちdipは夢とアイデアと情熱で社会を改善する存在となる」というのが、企業理念です。dream、idea、passionの頭文字を取ってdipという名前になっています。

会社概要ですね。1997年3月に設立して、創業者の冨田(冨田英揮氏)が今も社長兼CEOをやっています。だいたい2,400人ぐらいの従業員がいる会社で、売上高は前年度で言うと400億円ぐらいです。1997年なので、2023年で25周年なんですね。主力の事業である「バイトル」という事業も20周年を迎えました。

本社は六本木1丁目のグランドタワーにあります。いろいろな企業が入っているビルで、そこの31階にあります。本社からの見た目はこんな感じです。きれいですね。この真ん中にあるのは六本木ヒルズです。

簡単に事業モデルを紹介します。「バイトル」や「はたらこねっと」という人材サービス事業と「コボット」ですね。N2iさんで大変お世話になっているコボットというラインナップの2つを展開しています。それでクライアントから月額費用をもらっています。

弊社の人材サービスを開発している組織としてシステム統括部というのがあります。(スライドの)一番左ですね。僕はここのシステム統括部長を兼任しています。ここでバイトルと、はたらこねっとの開発をやっています。

システム統括部の従業員数は今108名ですね。2023年には100名を超えました。新卒入社も2022年卒は17名で、2023年卒も16名を採用する予定です。あとはキャリアですね。こんな感じのキャリアを弊社では提供しています。

5歳ぐらいから「MZ-80B」でゲームをしていた

豊濱:ここからは僕の自己紹介、経歴、キャリアについてお話ししたいと思います。私は豊濱と申します。執行役員CTOと、システム統括部長をやっています。枚方市という大阪の中でも本当に一二を争う田舎町の出身で、今は川崎に住んでいます。大学は、近畿大学の経営学部で文系です。あとはゲームが好きです。

経歴です。新卒でソフトバンクという会社に入って、そのまま子会社に転籍して、ヤフーという会社で16年半ぐらいやっていました。そのあとに3社ぐらい経験して今のディップ株式会社に入ったという感じです。

生まれてから何をやってきたんだっけ? みたいなことを書いたらおもしろいかなと思って書いてきました。みなさんはご存じないかもしれませんが、5歳ぐらいからシャープのMZ-80Bというマイコンでゲームをやっていました。

プログラミングをだいたい中学生ぐらいから始めて、そのあとはCOBOLをやったり、専門学校でSEのバイトをやって社会人になった感じです。

新卒でソフトバンクに入社

豊濱:というわけで、社会人になってからどういう経験をしてきたかをちょっとみなさんにお話ししたいと思っています。1999年に新社会人になったのですが、正直な話、そんなに就職活動にコミットしていなかったんですね。キャリアの話を話せと言われているのに「なんだお前」という感じなんですけど(笑)。

名前を知っている会社にエントリーシートを送っていました。「これからはインターネットだ!」という高い意識もあまりなく、専門学校の講師に「そんなの就職できるわけねえだろ」とメチャクチャに怒られました。そんな中、ソフトバンクが拾ってくれて無事に社会人になりました。孫さん(孫正義氏)の前でAmazon.comのプレゼンをしたのが、すごく良い思い出です。

転籍先のヤフーでは「Yahoo!スポーツ」を担当

豊濱:次のヤフーに転籍してから一番長く開発エンジニアとしてやってきたのが「Yahoo!スポーツ」というコンテンツです。スポーツ関連コンテンツを提供するサイトの開発、エンジニアリングをやっていました。みなさんご存じのとおり、オリンピックやワールドカップが4年ごとにやってくるので、それに追われたりですね。

2月、3月ぐらいから各競技が開幕するのでその対応に追われたりとか、海外だと昼夜逆転したり。あとは速報メディアなので、トラフィックがすごく集中したり、トラブルが起きたら即対応しないとコンテンツとして意味がないのでレスポンスタイムもものすごくシビアで、この5年半ぐらいでそういった経験がすごく積めたのかなと思っています。

ここで僕が一番身に付いたなと思うことは、「納期はマスト」という考えですね。要は開発の遅延で2週間遅れればオリンピックは終わってしまうので、そんなことは言えないと。期限内にどうにかする方法を模索したり、期限を守るために自動化や省力化に手を出したり、そういう癖が見についた感じがしています。

コードを書く時間が減るからマネージャー職には興味がなかった

豊濱:社会人8年目ぐらいにマネージャーとして登用されました。僕はエンジニアで、今もエンジニアなんですけど、ずっとコードを書いていたかったんですよね。エンジニアとしてもまぁまぁやれているなという自信もあったし、コードを書く時間が減るからマネージャーになりたくなかったんです。そもそも(当時は)キャリアを何も考えてもいなかったし、興味もあまりなかった感じだったんですよね。

でも上長がけっこう良い人で「ま、一度やってみたら?」と、その当時は言ってくれて、そう言ってもらえるんだったらやろうかなと思いました。それでちょっとマネージャーにチャレンジしてみたという感じなんです。

やはりこれはテンプレぐらい当たり前なんですが、個の力に対してチームの力はメチャクチャ大きいなというのを痛感しました。1人がやれることなんてちっぽけなことなんだなとか、人が5人いる場合そこをうまいことをやることによって、かけ算になってチーム力が3倍にも5倍にもなるというのを実感したり、本当に自分も成長させてもらいました。

チームの中で自分も成長したし、独りよがりだったというのを強烈に実感してメチャクチャ反省しました。そこはけっこうキャリアの中での転換期だったのかなと(思います)。新しいことや自分がやりたくないことに1回チャレンジすることによって、新しい景色や世界が見えるのかなとすごく思いました。

本部長になって経営視点が身に付いた

豊濱:これもヤフーの話です。急に本部長になるイベントが起きました。テクニカルディレクターという役職がヤフーの中にはあって、社会人13年目ぐらいに事業部全体のシステムを見るという立ち位置になりました。基本はリーダー、部長、本部長というかたちだったんですが、部長を飛ばしていきなりこういう立場になったので、もう何をしたらいいのかわかりませんでした。

本部長なので自分のミッションを誰も教えてくれない。自分で考えろという感じですし、「コードはいつ書けばいいの?」という戸惑いで、最初の数ヶ月が過ぎ去った記憶があります。でも、やはりこういう時に身に付いたのは、会社・経営視点ですね。すごく視座が上がりました。今でも十分だとは思っていませんが、エンジニアリングを見る視点がエンジニアという立ち位置からではなく、全社視点というところですかね。

そういった意識ができるようになったり、いわゆる経営の数字や組織におけるチームワークというのがすごく腹落ちしました。今までのエンジニアやエンジニアのリーダーという立場とはまったく違うアプローチで貢献するという視点がすごく学びになったなと思っています。

CTOになった時に“業界の視点”が持てた

豊濱:というわけで2020年11月にディップに入りました。ここで入社と同時に初めてCTOという立ち位置に(なりました)。実はあまり書いていないんですが、違和感なく入っていったんですよね。なんでかというのはちょっと説明ができないんですが、「CTOだー! わー!」という感じで入っていったわけではなくて、スルっと入っていった印象があります。

先ほどの本部長という立場よりももっと全社視点や経営視点が強まるので、今まで以上にハイレベルな総合力が試される環境の中で相変わらずコードはどうやって書けばいいのかと。時間がないというのはありますが、こういったところがCTOになった時に感じたことです。

CTOになった時に、会社内やその会社の経営というところから、業界の視点を持ったというところがすごく僕の中ではありました。外部への発信や登壇がメチャクチャ増えたり、伝え方、伝わり方、受け止められ方、見られ方をすごく意識するようになりました。

今までよりも幅というんですかね。範囲が広がるという感じですかね。そういったものがある。それでぎりぎりコードも書けている。そこそこ幸せな生活。

ざっくり役割の変遷を書いてみたんですが、最初はエンジニアでその次が開発リーダー兼テックリードみたいな感じで、そのあとにエンジニアリングマネージャー、本部長みたいなところから2020年11月からCTOをやらせてもらっています。

日韓ワールドカップでは「Yahoo!スポーツ」のトラフィックが通常の200倍になった

豊濱:というわけで、これまでのキャリアをお話ししました。ここで1回Q&Aをしたほうがよろしいですか? 

篭橋裕紀氏(以下、篭橋):そうですね。今ちょっとしてもらえるといいかもしれないですね。

豊濱:(質問を見て)「Yahoo!スポーツでの開発は言語は何を使っていたのか」。この時はフロントがPHPで、ただApacheにDynamic SOというんですかね。shared objectというのを抱かせて開発をしていて、そこはC++で作っていました。

とにかくトラフィックとその速度が大事なので、Apacheがちょっと重くなるんだけれどもshared objectを一緒に抱かせて起動することで、そういうトラフィック問題を解決しようとしていました。

質問者1:ありがとうございます。けっこうトラフィックがあると思うんですが、これはオンプレで全部社内にサーバールームがあって社内にガッと並んでいた感じなんですか?

豊濱:そうです。ヤフーは自社でデータセンターを持っているんですよ。プライベートクラウドみたいになっていたんですが、全部そこで処理していました。

次にご質問をいただいている「オリンピック期間中(の対応について具体的にどんなことをしていたのですか?)」ですが、これは「やばい、これ10台追加だ!」とか20台追加を2日でやるみたいなことをやっていた感じです。もう十何年前なので、そういう世界でした。

質問者1:昔懐かしい。調達コスト的な、今の若い子たちには考えられないことが発生していたんですね。ありがとうございます。

豊濱:トラフィックの話なんですが、これはすごくマチマチで、例えば僕が印象的だったのは、日韓ワールドカップです。日本戦が確か通常のトラフィックの200倍とかだったんですね。何をやっても捌けない感じになっていて、もう僕らは黙って見ているしかない時も実際にはありました。

でもおもしろくて、日韓ワールドカップの日本戦の第二戦かなにかが開催されたのが土日だったんですよね。みんなパブリックビューイングやテレビで見ていて、一切Yahoo!を見ていなかったので、僕は休日に監視していたんですが、ずっとテレビの前に座って何もしないでいました。こっちには本当にトラフィックが来なくて何もしない日もあって、なかなかおもしろかったです

質問者1:200倍というのが想像よりはるかに多かったので驚きました。10倍ぐらいかなと思ったんですが、そんなに多いとは驚きました。ありがとうございます。

豊濱:ありがとうございます。

チーム全員が同じ仕事をするのではなく、適材適所で仕事を任せる

篭橋:次は、マツイエさんですかね。マツイエさんの「部長を飛ばして(本部長になった背景を詳しく教えてください)」を先に(お願いします)。

豊濱:これはちょうど2012年にヤフーの組織がガラッと変わって社長も変わったんですよね。そのタイミングで、役割などが増えたり減ったりしました。適任者を探そう、チャレンジさせようというタイミングで僕も選ばれたという感じでした。

質問者2:ディップのマツイエです。ありがとうございます。そういう企画があったんですね。

豊濱:そうなんですよ。自分でもメチャクチャびっくりしたんですが、その時は「やるしかないな」と思いました。

質問者2:僕もそういう機会があった時にはがんばろうと思います。ありがとうございます。

豊濱:ありがとうございます。

篭橋:次はタナカさんですかね。

豊濱:「チームで足し算ではなくかけ算(とお話しされていましたが、もう少し具体的に教えていただけますか?)」。なんていうんですかね。得意なところを担ってもらうことで、それぞれを補完しようというんですかね。ただ同じ仕事を5人でやるのではなくて、得意な領域をお願いしたり、逆に苦手な分野は他の人に任せたりということをうまくやることで、チームとしての生産性がガツンと上がった記憶があるんですよね。なので僕はそれをかけ算だと表現しました。

質問者3:ありがとうございます。(豊濱さんは)コードを書きたいエンジニアだという印象がすごくあったので、そこからマネジメントに移るには、ここの部分がなにか大きなきっかけになったんじゃないかと思ったので、ちょっと聞いてみました。ありがとうございます。

豊濱:ありがとうございます。そうなんです。自分で全部やるよりも得意な人に任せたほうがぜんぜん楽だし早いというのをすごく痛感した感じです。

初めてのマネージャー職は完全放置だった

篭橋:最後にヨシノさんですね。

豊濱:「マネージャーをする(上で工夫したことがあれば教えてください)」というやつですね。正直あまり覚えていないんですよね。やはり最初はイチエンジニアの延長線上で、自分のやっていることをまわりに共有していく感じだったんですが、1つ前の質問にあったように「この人の得意分野ってなんだっけ?」と協業することで少し効率が上がるんじゃないかとアプローチした記憶があるんです。

だけど正直「こうやってやるぞ!」みたいなのはあまり何も考えずにチャレンジをしたというのが事実だと思います。

質問者1:ありがとうございます。サポートはけっこうあったんですか?

豊濱:「初めてマネージャーになるから」みたいなやつですよね?

質問者1:そうです。

豊濱:一切なかったです。完全放置でした。それは明確に覚えています。

質問者1:あ! お疲れさまです。

(一同笑)

質問者1:CTOになったあとに、けっこう本を読まれたりしたんですか?

豊濱:今もそうなんですけど、あまり本も読まないんですよね。どちらかというと、経験や自分が学んだことの中から判断しがちなので、いわゆる「こういうふうにマネジメントをやったらいいよ」とか「こういうふうにコードを書くべきだ」みたいな本は読まないです。リファレンスはよく読むんですけど。なので(本は)あまり参考にしなかったです。

質問者1:ありがとうございます。

CTOは目指してなるものではなく、積み重ねた結果なるもの

豊濱:質問はだいたい以上という感じですね。じゃあこのまま次に行きましょうか。

今までやってきたことを中心にここまでお話ししたんですが、ここからは自分がキャリアや仕事をどう見ているかを少しお話させていただきたいなと思っています。

一言で言うと、いろいろやっていった結果、役割や役職がついてくるのかなと思っています。CTOになってから「どうすればCTOになれますか?」とよく聞かれます。でも僕は、正直答えがわからない。

そこを目指してなるものではないのかなと思ったり、あとはこれまでいろいろなものを積み重ねていった結果、ここにいるだけという感じもしているんですよ。(スライドを示して)この3つ目は社内でもよく言っているんですが、役職は単なる役割でしかないと思っています。偉いとか偉くないとかそういうのは僕はあまり好きじゃないです。その役割を担える人がたまたま僕だったとしか捉えていないです。

あとはCTOといっても、会社の規模やステージによってぜんぜん違うことをやっているので、きっとディップのCTOとベンチャーのCTOはぜんぜん違う役割を求められると思います。なので「どうすれば(CTOになれるのか?)」というのが一言では言えないところもあります。

「うまくやる必要はない」 愚直に回り道した経験が長期のスキルにつながっていく

豊濱:次ですね。これも新卒の方にも言う機会がすごく多いんですが「うまくやる必要はないかな」とすごく思っています。経験がまだ浅いうちはよく「正解ってなんだろう」と探しに行きがちなんだけど、正解を見つけることが正解じゃないんじゃないかなとすごく思っています。うまくやって最短距離でなにかを達成したとしても経験は広がらないと思っていて、悩んだ分も糧になるのかなと思っています。

4つ目。悩んで愚直に回り道して、いろいろなものを見た経験が、いずれ超長期のスキルや経験につながっていくのかなと思っています。エンジニアだったら絶対にこういうのがあるだろうなという例を1個持ってきました。みなさんもこういうことがありませんか?

よくこういうのがあります。「ライブラリの調査で1日終わって、結果使えないということがわかった」。この1日だけを見ると、なんの成果も生み出せていませんが、そのライブラリが何をするかとか、使いどころはきっと調べた結果でわかっているはずなので、2年後とか3年後とか、きっと使える時期が来ると思っているんですよね。

この1日だけを見て判断するのもそうですが、もっと長い視点で見たほうがいいのかなと僕はすごく思っています。

(次回へつづく)