2024.12.10
“放置系”なのにサイバー攻撃を監視・検知、「統合ログ管理ツール」とは 最先端のログ管理体制を実現する方法
開催直前スペシャル対談 竹内郁雄 × 登大遊(全1記事)
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竹内郁雄氏(以下、竹内):登くんと対談するのは、初めてのような気がするんですが、私が登くんの提案を初めて見た時、頭の中に?マークが3つくらいついたんですよね。
TCP/IPの上に、イーサケーブルをシミュレーションのように乗っけるという提案だったので、そんなのスピード出るわけがないと思っていて、こんなの本当にできるのかなぁと思っていたのが、未踏のブースト会議でした。
これは、自分のやりたいことをみんなが発表して、意見をもらって開発をブーストするという会議なんですが、実はその時には登くんのシステムは動いていたんですよね。神奈川県の会場から、「今から筑波大学の計算機を、ちょっと使いますよ」と言っていたから、僕は何を言っているんだろうと思っていたら、本当に筑波大学の研究室の画像が映ったんだよね。
その時の、参加者の驚きがすごく記憶に残っている。ウォオオオオという声が会場から上がったんですよね。その後、ファイアウォールを破れる仕組みだということで、経済産業省から、「この公開をなんとかやめてくれ」という話がありました。どれくらいの力になったのかはわかりませんが、私はその時「いや、これは本当に重要な技術だから、きちんと広めないとダメだ」と申し上げました。
それから、世の中にはやはり似たようなシステムを開発しているところがあって、「これは特許侵害だ」とか、訴訟がいっぱいあったんですよね。
絶対に負けない自信があったので、楽しく東京地方裁判所に行っていたようで、裁判官とも仲良くなって、裁判長席に座って裁判長と一緒に記念写真を撮るなんて、ほとんど信じられないような記念写真を見せてもらったことがあります。その当時から登くんは、世の中の常識を覆すようなおもしろいことをいっぱいやっていました。
その後は、ソフトイーサという会社を興して、ある時アメリカのベンチャーと話をする旅行がありました。その時、私が思わず、「登くんはモーツァルトのようにプログラムを作る」と話したら、アメリカの聴衆のほとんどみんながポカンとして聞いていて、やはりなかなか理解できない能力なんだなぁと思いました。
実際に未踏が終わった次の年にソフトイーサを全面的に作り直して、11万行のコードを書いたと聞きました。これはやはり勝手に手が動かないと無理な量だなと思うんですよね。
そういう登くんですが、最近はサイバー技術研究室でシン・テレワークシステムという、65万円でとんでもないシステムを作りました。総務大臣や、デジタル大臣などいろいろな方から表彰されています。本当にすごいと思います。
登大遊氏(以下、登):ありがとうございました。では、登から竹内先生の紹介もしたいと思います。
2003年の未踏ユースの時のPMが竹内先生でした。最初にソフトイーサを提案した時に、竹内先生からメールで「これはVMウェアと何が違うんや」と質問がきまして。それで一生懸命違いを述べたというのが記憶に残っています。
Lispとか、関数言語とかを日本に最初に持ち込んで広めたり、NTTの武蔵野研究所で、長年新たなプロセッサ制作の研究をしていたり、みんな、竹内先生はプログラミングの神さまみたいなもんだと思っています。ただ、自分がもっと興味深いと思っているのはそこではなくて、NTTの真面目な研究所の中に、VM神社というものを作っていて。気持ち悪い祭壇みたいなものが置いてあるんですよね。それでいろいろな人がそれを拝んでいたり、神主さんみたいな格好をした竹内先生が変な帽子被ってお祓いしていたり、いろいろ変なことが多いのが、竹内先生の特性なんじゃないかと思うんです。
プログラミングをコンピューターと向き合う、すごく合理的で真面目な仕事のように思う方も多いと思いますが、なぜ竹内先生がいろいろなところで優れた業績を残されたかといったら、これはもう変なことを半分ぐらいやっていたからではないかと思うんです。
変なことは他にもいろいろあるみたいです。自分もプログラミングの本を高校生の時に勉強していたんですけれども、たらい回し関数(竹内関数)ってありますよね。たらい回しというのは、NTTは役所なので、電話がかかってきたらたらい回しにするという意味なんじゃないかと思うんですけれども。
これは一見すると非常にシンプルなんですけれども、大変奥が深いんです。やはりプログラミングをやる時にはこういうふうに真面目なことだけでなくて、竹内先生の「おもしろいことをやることが重要や」というその精神が、未踏をこれまで受けてきた我々の仲間に浸透しているんです。
これが重要なんじゃないかと思うんです。それがないとコンピューターをやる時の仕事はもうつらすぎて、人間は耐えられないんじゃないかと思うんです。なぜ竹内先生が、プログラミングがずっとできる人材を育成できるかというと、これは先生が持ち込まれる「変な雰囲気」がうまく作用しているに違いないと思います。
これが未踏でおもしろい方々が育っている理由で、その一番の要因はやっぱり竹内先生のおもしろさなんじゃないかなと、自分は思います。
竹内:面映ゆいご紹介、ありがとうございました。ちょっと紹介を忘れていましたが、私はNTTの出身で、登くんはNTT特殊局の局員です。NTTというお役所の中で、特殊局という名前のものを作り出すすごさがありますよね。だからそういうふうに人を巻き込む力もすごいものがあって、本当に感心しています。
未踏会議のテーマは「好きなことをしていたら世の中に役に立った、世の中を変えた」になっています。
この「好きなことをしていたら」というのは、私も納得できますし、もちろん登くんはもっと激しく納得しているんじゃないかと思います。好きという意味には、「お前好きにしてろ」という感じの好きがあるような気がちょっとしています。未踏の人たちは、やはり自分のために必要なものを作る時に一番パワーが出るんですよね。
2003年にソフトイーサを設立した時も、登くんは筑波大学にいて、家から筑波大学のコンピューターが使えないというモチベーションでソフトイーサを開発しました。つまり、外からわりとセキュリティが厳しい筑波大学の中のコンピューターが使えるようにしたいという思いが、あのソフトイーサを生んだわけです。
だから、自分がやりたいことをやるためにがんばったという感じなんですね。それがいつの間にか世の中を変えたということだと思っています。
竹内:ところで、登くんにちょっと聞きたいんですけど。自分と似たように好きなことをやっていたら世の中を変えていた人って、どんな人を思いつきますか?
登:1人の人が大変特徴的に世の中を変えたというものも、もちろん一部ではあります。けれども、かなり広く浸透していて、一人ひとりを識別はできないけれども、世の中を変えているという貢献のほうが、だいぶ未踏には大きいんじゃないかと最近思うんです。
でもあえて未踏的な感じだと、例えば技術的な感じやったら、Treasure Dataとかを作ってる古橋さん(古橋貞之氏)。確か大学の2年くらい後輩なんですけど、分散データストレージが好きでずっとやっていたみたいです。
それで、そういうコンテストにも参加していきなり優勝とかするんですけども、自分は素人なので、あの分散データストレージはなんの意味があるのかよくわからなかったんです。
シリアライズのメッセージパックというのが非常に性能がいいらしくて、(自分は)それは何でもいいじゃないかと思うんですけど、いつの間にか会社も成功しているし、それよりももっとすごいのは、そのエンジンがいろいろなシステムのインフラとして、もうクラウドシステムやビッグデータやAIのコンピューター同士が会話するインフラとして自由に広まっているんです。
技術を思想だと考えると、その思想が広まっている例だと思います。落合さん(落合陽一氏)も未踏だったと思うんですけれども、落合さんは技術と科学技術の力で、すごく夢が広がる技術をビジュアルとして出して、それで技術には力があるというメッセージを、多くのところに浸透されているんじゃないかと思うのです。
技術や、物の作り方や事業のやり方や、また世の中に対するコントリビューションの方法みたいなものを、単に、経営工学や普通の工学部とか、イノベーションとは何かというような大学的講座じゃなくて、実際に自分の手でやっている人たちがこの未踏の中にはいて、すごい方はその100倍くらいの数がいるはずで、その方々は自分の時間で好きなことをやっているという特徴があるんじゃないかなと思いました。
竹内:未踏修了生の中には、今ご紹介した以外にもたくさんの人がいて、全部をしゃべっていると1時間も2時間もかかるので、あまり紹介はできませんけれど、とりあえず未踏以外で、歴史上の人物で好きなことをやっていたら世の中が変わったという話でいうと、やはりUNIXを作ったカーニハン(ブライアン・カーニハン氏)とリッチー(デニス・リッチー氏)ですかね。
ベルラボの中に使われていない計算機があったから、ちょっとこれでOSを作って遊ぼうと思って作り始めたのがUNIXで、それが今や世界の標準になっているわけですよね。
リチャード・ストールマンという私の大好きなEmacsを作った人。彼もちょっとおもしろい性格の人なんだけど、やはりゴーイングマイウェイで、自分の信ずることをやっていて、フリーソフトウェアファウンデーションというところからいろいろなフリーのソフトをたくさん出しているわけですね。
日本人でいうと村井純さん。日本のインターネットの父と言われていますけれど、あの人も、かなり無茶をしながら自分のやりたいことをやってきた人なんですよね。でもやはり今となってはインターネットの父だし、いろいろな意味で、コンピューター行政についても一家言を持って主導なさっている方で、やはり偉いなと思います。
2022年の未踏会議での登くんと村井純先生の対談、これはなかなか楽しみですが、種明かしをしないことにして、Creators Talkで出てくる人たちでいうと、曽根岡くん(曽根岡侑也氏)。この人はいろいろ転々とやることが変わったんですけども、最終的には日本語に特化したAIエンジンの開発で、ELYZAという会社を作って今非常に活躍していますね。
石渡くん(石渡祥之佑氏)。漫画は日本の重大産業ですが、海賊版がどうしても多い。漫画の超高精度な自動翻訳があると、海賊版が出にくくなる効果もあると思うんです。やっている時からすごいなと思っていましたが、さらに磨きがかかってきたようです。
それからフェアリーデバイセズの藤野社長(藤野真人氏)ですね。藤野くんは、とんでもない人で、アメリカの「CES 2022」のイノベーションアワーズを3個取ったんですよね。これは、史上最高だそうです。そういうすごい技術力を持っているんですが、すごくロマンチストで、2021年の12月だったかな、演劇舞台に立って大役者を演じてしまった。私も実際に見に行ったんですが、ビックリしました。その話もひょっとして聞けるかもしれないですね。
大島孝子さん。この人は2010年未踏ユースだから、もうだいぶ前の採択クリエーターです。とにかく骨の異変は非常に人間に悪いので、骨を外から分析して、病気がないかとか、そういうのを自動的に検知する骨の健康法みたいなプロジェクトをやっていたので、骨の大島さんと呼ばれていたんですが、その後もぜんぜん違うことをいろいろやって、最近はワイナリーまでやっているとか。しかもあのアメリカでやっているという、とんでもない人です。おもしろい人です。
こういう人たちがいっぱいいるので、ぜひお話を聞いてもらえればと思います。
竹内:好きなことに打ち込める未踏事業の最近の傾向について、ちょっと話してくれと言われています。
昔とどこが違うのか。2000年に始まってからもう20年以上やっているんですけど、一番の差は、たぶんハードウェアをソフトウェアと一緒に開発するプロジェクトが増えてきたこと。
やはり日本人にはその特性が合うんですかね。ソフトウェアだけよりも、それに付随するハードウェア、あるいはハードウェアに付随するソフトウェアを作るというプロジェクトが増えてきたような気がします。
あとは、プロジェクトマネージャーの数が多くなってきて、そのプロジェクトマネージャーの個性が強く出ています。ご存じない方のために申し上げると、未踏はプロジェクトマネージャーが採択したいと思うと採択されるもので、合議制ではないんですよね。
プロジェクトマネージャーの趣味・個性がしっかり出るので、プロジェクトマネージャーの多様性の増加に伴い、採択テーマの多様性も増えてきたと思います。多様性が増えてきたということは、採択されたクリエーターみんなが、隣の芝がキレイだなと思わせる効果があるんですよね。自分の好きなことや、得意なことはまぁよくわかる。でも隣のプロジェクトはぜんぜん自分の知らない分野でやっているよねという、そういう話。
先ほど登くんが古橋くんのことをちょっと言っていましたが、自分にはよくわからないことやっているけど、「なんかすごいなぁ。あれはすごいなぁ」と思う、そういうシステムになっているんですよね。
そうすると何が起こるかというと、門前の小僧的にいろいろな分野について、いろいろな知識がその人の中に積もっていくわけですね。なので、未踏を卒業してさらに未踏の仲間たちとお付き合いをしていくうちに、未踏のクリエーターの幅がすごく広がるという感じがしています。
竹内:ちょっと登くんにお話を聞きたいんですけれども、好きなことに打ち込める未踏事業について、感想はありますか?
登:未踏は、好きなことに打ち込むのと、やはり成果をきちんと出さんといかんなという義務感の2つが、大変よいバランスで混ざっています。
独立行政法人の堅苦しい契約書がくるんです。それを見ると、きちんとやらんといかんと思うし、一方でどうやるかは自由です。一応ソフトウェアのどういうものを作るかは、文書で書いているんですけれども、そこは自分が正しいと思うやり方を柔軟に取れるんです。
自分の場合も当時は大学1年生で、まだお金も十分ありませんでしたが、未踏の支援を受けてコンピューターとかネットワーク機器とか、自分の家に引くフレッツの、IPアドレスを買いました。あんなの業務用を8個買うと、月に17,000円がかかるんです。これは大学生には難しいんですが、ありがたいことにIPAのお金で1年間使わせてもらいました。
最近はクラウドだからなんでもいける時代になったかというとそうじゃなくて。例えばクラウド基盤を作るんや、自分のやったようなVPNの基盤、ネットワークの基礎レイヤーを作るんやという場合は、やはり手元にハードウェアがないといけないんです。
竹内:うんうん。
登:このハードウェアを揃えるのに、大学1年生や2年生だったら、研究室に行っても「論文を書くような研究じゃないやろ」と(言われる)。未踏は、絶対儲かる製品でもなく、論文化できる技術でもない、みんなが実は欲しかったけれども、その2つに当てはまらないからなかなかできなかったことを、若い方々ができる最初の入り口の原始的資本なんじゃないかと思うんです。
この機会を国がくださっているということは、未踏やっている者は、単にその予算をいただけるだけではなくて、日本の国というか主権者ですかね、日本という国家から「なんとかこの意味のあるものを作ってほしいぞ」と言われている気がするのです。あれ(未踏)を取ると、大学1年生の時にそういう気分になれるんです。普通そういうふうになるのは社会人になってからじゃないかと思うんですけど。
大学院に入ったり、研究者になると競争的研究費とか、もっといくらでもそういうものはあると思うんですけども、未踏は、そういう短期的な成果を目指しているんだというプレッシャーはあんまりなくて、我々は「20年後、30年後ぐらいに日本の国力がすごく豊かになるような種を今蒔いているんやぞ」というメッセージを常に感じていたんです。
自分が1年の時もそんな感じがして、最初大学の先生に未踏を紹介してもらったんですけれども、その時も「未踏というおもしろいものがあるぞ」という紹介の方法でした。実は自分は、未踏PMをあとでされた、加藤和彦先生に教えてもらったんです。
短絡的じゃなくて、長い間かけて自然になにかが生み出される可能性がある庭みたいなものを作っているという、半分はきちんとしたことをやりなさいと。もう半分は、自然に出てくるものに価値がありますから、競争的な研究費や完全な営利事業ではできない、ここならではのことをやっていいんですよと。常にそういうことを言われてやってきたと思います。これが2003年ぐらいに起こったことです。
竹内:本当にね、未踏の精神はそういうところにあります。「今まで誰もやったことがないことをやりなさい」と言うのは簡単ですが、まさに今登くんがおっしゃったような、「失敗を恐れずに、とことんやりたいことをやりなさい」という接し方を、プロジェクトマネージャーはしています。
ですから、「成果報告会でなにか発表してよね」というぐらいのプレッシャーはかかるんですけれども、「将来はこれをどうしたいの?」という含みを必ず残してですね、指導というとちょっとおこがましいんですけれども、伴走しています。
竹内:登くんから、未踏事業への期待などコメントがあればお願いできますか。
登:はい。この日本のコンピューターや、アプリケーションじゃなくてOSとかシステムとか、ネットワークとかセキュリティとか、そういう下位レイヤーに携わる方の割合がどうも少ないんですけれど、未踏はそこをじっくり作ることができて、しかもその成果は未踏を使えば普及がしやすいんです。
下位レイヤーの技術として他国を見てみますと、アメリカがまぁ一番で、最近中国も非常に強いです。アメリカ・中国がなぜ強いかというと、アメリカは、例えばインターネットの原型というのを1960年ぐらいからやっているみたいで、これを行政的プロジェクトでやっているんです。
その行政システムは何かというと、実はソ連からのミサイルの早期発見システムとか、けっこう国防のための行政目的だったそうなんですけれど、それをやるコンピューターなんかが、低いレイヤーのプロトコルがぜんぜん違ってたまにつながらなかった。
だからなんとか相互接続性のあるプロトコルを作ろうと、それから40年以上経った2000年以降、ようやくこのインターネットというものが広く社会の役に立つようになって、膨大な利益が出て、それでアメリカは今1位なんじゃないかと思うんです。40年かかっていることだと思います。
未踏はまだ20年ぐらいで、基本思想は同じなんじゃないかと思うんです。日本がアメリカ、中国に次いで3つ目のICT技術立国になるためには、あと20年ぐらいはかかると思うんですが、それに参加する機会がこの未踏事業です。
未踏事業のなによりもすごいところは、ここで集まる方々は明らかに日本国内のトップ級であることです。このレベルを超えるコミュニティは、日本には他にあまりないんじゃないかと思うのです。
参加すれば自分の能力を他の人にも共有できて、他の人からももらえる。20年かけて成長する日本のこの大きな船に乗って、実は未踏を出た者は、国の組織や大学や、これがいいかどうかはわかりませんが、外資系企業に入って活躍している途中です。
他ではできない変な体験とか、いろいろけったいな、おもしろいインチキみたいなところにも関われるんです。自分がやっているIPAのサイバー技術研究室も、ほとんど未踏関係者でやっていて、普通の仕事とか、お金儲けのためのがんばったプログラム開発とかと比べると、確かに派手ではないんですけれど、このほうがおもしろいんじゃないかと思うんです。
そういうふうな変なことをやるための最初の入り口として、ぜひ未踏に応募いただいて、変なものを作っていただければいいんじゃないかと思います。以上です。
竹内:登くんらしく、変なものとかね。まだ「けしからん」という言葉出てきていない気がするんですけれど、本当におもしろいことをやる人が多くて、そういう人たちに刺激を受けて、あまりおもしろいことをやってこなかった人もおもしろいことをやるようになるとか、そういう効果がありますね。
先ほどアメリカの例が出ましたけれど、技術を持った人が社会を動き回って、そこの社会の技術発展に寄与するという、別の言葉で言うと人材流動性。未踏の卒業生の方は、わりと流動性が高いと思います。
あちこち移る。鵜飼くん(鵜飼佑氏)のように、本当にあちこち移っていろいろなところに足跡を残していく人が多いですね。いろいろな意味で、日本の社会の発展の先取りをする、あるいはさせているのが未踏人材だと思います。
竹内:次に、未踏への期待。私は、未踏の統括プロジェクトマネージャーをしているので、未踏に来てほしい人に対していつも言っているメッセージがございます。
そもそも、ITが強いのは東京近辺の人間だけだと思っている方が多いかもしれませんが、実は、日本中にすごい才能を秘めた人がいっぱいいるということがだんだんわかってきました。関東周辺の人たちよりも、それ以外の方たちのほうが多く採択された年もありました。
どうしてこんなところにいるんだろうという人がやっぱりいるんですよね。たぶんそういう人たちは、周りからかなり浮いているんだと思うんです。浮いてるのが楽しくなったら、ぜひ未踏に応募してきてほしいなと思います。そうすると、登くんのような人たちと知り合いになれて、さらに刺激を受けることができます。
よく未踏の紹介でお話ししているんですけれども、全国の若い方々にですね、ぜひ伝えたい言葉があります。ガッツという言葉です。
ガッツは文字どおりガッツなんですけれども、私はこれを、ガッツに“楽”のラクね。音楽のガクの楽と、カタカナのツを書いて「楽ツ(ガッツ)」と読んでいます。つまり未踏では、「人々が楽しく、楽になるような技術を開発する」。ここにもう“楽”が2つ出てきましたよね。
それからもう1つは、大事なことなんですけれど、どんなにつらいことも楽しいと思ってやれる。登くんなんかはその典型だと思うんですけれど。もちろん本来の言葉の意味のガッツがあれば、未踏で本当に楽しい思いができます。
ここでお話を聞いている方で、もし周りにちょっと変なやつがいたら、ぜひ「お前、未踏に応募してよ」と言って、お勧めいただければと思います。
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