東京藝術大学の実技試験で白紙を提出

池澤 あやか(以下、池澤):本日のゲストはbravesoft株式会社のCDOの青木 意芽滋さんです。どうぞよろしくお願いします。

青木 意芽滋(以下、青木):よろしくお願いします。

菅澤英司(以下、菅澤):お願いします。デザイナー・意芽滋の始まりというか、藝大(東京藝術大学)に入った話をちょっと深掘りしたいなと思うんですが。一説によると、(藝大は)東大よりも難しいみたいな。

池澤:よく聞きますよね。

菅澤:どうやって入ったんですか?

青木:がんばって入ったんです(笑)。僕は大学院から入っているんですよ。担当教授を決めて、自分の過去作った作品を実際に持って行って審査されて。あと、一応実技があるので、僕らの時は自画像を描くお題が出たので自画像を書いて面接したんですが、(僕は)自画像をとりあえず白紙で出して。

池澤:白紙?

青木:白紙で出すという努力をしてみようと。

池澤:白紙⁉

菅澤:落ちるでしょそりゃ(笑)。

池澤:絶対落ちるやつ(笑)。

菅澤:それで通ったんですか?

青木:まんまととおりましたね(笑)。

池澤:すごい! 何があったんだ(笑)。

青木:同じタイプの人は2人取らないとよく言ったりします。うまい人は1人だけ、抽象的なことを描く人は1人だけ、色がすごい優れてる人は1人だけみたいな。なので、その1枠狙いに。

「買う人が感じる価値」を作ることが得意な人の2つの特徴

菅澤:よく言うのは「絵がうまいだけじゃダメ」みたいな。(これは)どういうことなんですか?

青木:絵がうまいだけでもいいんだと思いますが、結局は買う人が何に価値を感じて買うかなので。うまいだけに価値を感じて買ってくれる人だったらぜんぜんいいんですけど、そうじゃないストーリーがみんな好きなんですよね。例えば「ゴッホは耳を切り落としてまでして絵を描いた人なんだ。そういう人、素敵」みたいに価値を感じるというか。ミュージシャンでもアーティストでも、誰でもそうだと思うんですけど。

だから、そういう価値を、作品の中にテーマとして、自分のストーリーとして作るのか。例えば宮崎駿が描く田園風景って、誰もが一度は見たことがあるみたいな風景だったりとか、そういう価値ですよね。ただうまいだけじゃなくて。そういったものを、結局どこまで作り込めるのかみたいな訓練は、よくあったと思います。

菅澤:それが得意な人は、どういう特徴(がある)というか。

青木:2つかなと思っていて。1つは誰かの感性に触れるというか。誰にも認められないもの作っても意味はないので、誰かに共感される感性を持ってる、それを発明できる感性。あとはそれを最後は描き起こさなければいけないので、再現できる力の両方を持たないと結局ダメです。両方持ってる人みたいな感じですね。

「いいことはたくさん考えられるけど、作れません」だと、結局誰にも目にすることなく終わっちゃうじゃないですか。「描く力はあるんだけど、ありふれた絵だね」ってなると、価値がなくなるので、両方を満たす(必要がある)という。

菅澤:それはけっこう訓練したんですか?

青木:大学の時にそういう評価されたりとか、そういう時間はけっこう多かったので、訓練されたんだと思います。

東京藝術大学は変な人が多い

菅澤:藝大(東京藝術大学)の人たちは、いけあや(池澤氏)から見てどういうイメージですか? 

池澤:変な人が多い……。

菅澤:言葉を選ばないんですね(笑)。

池澤:藝大生が多く生息する地域によく足を運んでるんですが、変な人が多い。藝大祭も何回か行ったことあるんですけど、変な人が多い。

菅澤:とにかく変な人が(笑)。入学してみてどうでしたか?

青木:やっぱり変な人が多いですよ(笑)。

菅澤:それに尽きると(笑)。(それは)どういう方向の変な人ですか。

池澤:変な人が集団化していて、それぞれのベクトルが違う変な人がいっぱいいるから、一言で言えないんですよね。大きく「変な人がいるな」ってなるイメージです。

青木:同じ人は2人取られないみたいなところはあるんで。

菅澤:入学して印象に残った人とかはどうでしたか?

青木:僕が(大学を)卒業してマンションを出るって時に、たまたま高校時代、予備校で一緒に切磋琢磨してた友だちがいたんですよ。「どうしたの?」って言ったら、「ようやく受かったんだよ」と言って。僕が院を卒業する時に1年生で入っているので、ものすごく長い間がんばっていたんだなと思って。

池澤:何浪?

菅澤:何浪ってこと?

青木:6とかじゃないですかね。

池澤:すごい。

菅澤:「受かった!」つって。

青木:「おめでとう!」つって、俺は出て行っちゃうけど(笑)。

池澤:すごい。

菅澤:それだけ大変ってことですね。

青木:そうですね(笑)。

青木氏の大学時代の専攻

池澤:大学時代の専攻はどんなものだったんですか?

青木:専攻は油絵科です。

池澤:じゃあぜんぜん違う業界に就職したってことですね。

青木:そうです。もともとはデザインがやりたくて美術予備校に行って、画材を買わないといけなかったので。予備校に入って、「君はどっちがやりたいんだ?」「油絵なのかデザインなのか」と言われて、「デザインです」と言ったら、「この先、一生デザインやるんだったら、1枚油絵を描いてみないか?」と言われて。

1万円か2万円で画材を買ったんですよ。そしたらぜんぜん絵の具がなくならないから、2枚目も油絵を描かなきゃいけなくて。(絵の具は)全部が均等にはなくならないじゃないですか。白がなくなったら白買って、黒買って。ぜんぜんなくならなくて、気づいたらずっと油絵でした(笑)。

菅澤:その選択は今(振り返って)どうですか?

青木:よかったとは思いますよ。いい経験をいろいろできたというか、歴史としてはデザインよりも絵画のほうが長いので、成り立ちみたいなところに触れられたのかなというか。そこはやっぱりおもしろかったなと思います。

菅澤:意芽滋さんといえば社内1のあまのじゃくということで知られていますが、名前も「意芽滋(いめじ)」じゃないですか。デザインをやりたいと思った時に、「やってやるか」「やりたい」みたいな葛藤はどうだったんですか?

青木:やりたい(気持ちは)はぜんぜん(なかった)。そこの天邪鬼はあまりなかったかもしれない(笑)。

菅澤:そこは素直(笑)。

青木:受験までは真面目だったんですよ。やっぱり受からなきゃいけないから。「これ描きなさい」(と言われて)テスト対策でずっと書く練習をするんです。一応お題はあるんだけど、従いたくないじゃないですか。だから、毎回違うものを作る。

例えば、白と黒を混ぜて絵を描きなさいと言われると、黒だけで書きたくなっちゃう。それはダメなんだけど、でも、遠くで見てください。ドット絵みたいなものを作るとグレーに見えるじゃないですか。白と黒をまぜて、グレーのバリエーションをどれだけ作れるかの技術のレッスンだから。(でも)「そんなの求めてねえんだよ」みたいな。

菅澤:周り変な人が多くて、あまり学校に来ないとか、授業もちゃんと受けないような人も多いんじゃないかなと思うけれど今の意芽滋を見ると、しっかり見積もりも作るし、KPI管理表もしっかり作れるじゃないですか(笑)。

池澤:すごい!

青木:そうですね(笑)。

菅澤:そこはどこで培われたんですか?

青木:もともと几帳面なんだと思います。B型なんだけどすごく几帳面で。小学校の時に、A4の紙を切手みたいに切り取り線をバーッて付けて、月曜、火曜、水曜と(分ける)。

国語、算数って、1枠が1時間なんですよ。これを毎週日曜の夜中に作って、月曜日からこれを勉強したら次というふうにして、1週間経ったら(紙が)なくなるということを、小学校の時からずっとやってました。

菅澤:もうアプリじゃないですか(笑)。

池澤:すごい! めちゃくちゃ真面目。

菅澤:そういう真面目な子どもだったんですね。

青木:なくなるのが気持ちよかったんでしょうね。そういうところはあるかもしれません。あとは、小学校の時に家にMacがあったので、それで絵を描いたりはしていました。

絵からデザインに移ったきっかけ

池澤:いつ絵からデザインになったんですか?

青木:アート活動しなきゃいけない時に、いろんな展覧会とかを自分たちで作るので、自分のポートフォリオを作ったり、他人のものを作ったりをやってた時に、だんだん「自分の作品よりもそっちのほうが稼げるな」となっていったというか。

菅澤:ビジネスみたいなことにけっこう興味があるってことなんですね。

青木:興味はあったと思いますね。

菅澤:そこはけっこう分かれ目って感じがしますよね。

青木:たしかにそうかも。

菅澤:エンジニアも籠もって作りたいタイプと、ビジネスしたいほうに分かれるので。

青木:それはけっこう強かったかもしれないですね。そもそも高校行きたくない。働きたいと思っていましたから。

菅澤:そうなんですね(笑)。中卒で働いてやるぐらいの。

青木:そうそう。「世の中に自分の価値を示したい」みたいな気持ちが、けっこう強かったと思うんですよね。

菅澤:それが、今は6億稼いでいるというところにつながってくる(笑)。

池澤:6億円プレイヤー(笑)。

東京藝術大学の友人たちのその後

菅澤:藝大の友だちたちとか、逆に稼ぎたくないという人たちは、そのあとはどうなっていくんですか?

青木:Facebookとか、いろいろつながってて見るじゃないですか。長く続けてる人たちは、その道の何かにはなってたりしますね。

菅澤:例えばどういうかたちになるんですか?

青木:海外でも展覧会を続けてたり、国内で何かしらそういう展覧会をしたりとか。もしくはそういう美術関連の仕事にしっかりと就いてたりする人もいたので。

僕は途中で違う道を選んだので、そういう道にも行ける可能性が自分にあったかどうかわかりませんが、その先にそういう道があったんだなと人を見て感じる。

菅澤:そっちに行った人はそれなりにすごくがんばって、何かのかたちになってる人が多いと。まとめて考えると、東京藝大というのはどういう場所なんですか?

青木:自分磨きみたいな。他人と違うものは認められない世界というか、ある種、すごく自分と向き合うんですよね。僕が昔よく思っていたのは、作文とかポエムを人前で読むのって、ちょっと恥ずかしいじゃないですか。すごくそれに近い行為というか。

(藝大では)「より自分のオリジナルのポエムを作りなさい」と言われるので、ものすごく恥ずかしいんですよね。でも、それを突き詰めなきゃいけなかった数年間は、みんなそれぞれオリジナルの個性があって、おもしろかった感じです。

bravesoftのエンジニアと東京藝術大学の人たちで似ているところ

菅澤:bravesoftに来てみて、藝大の人たちとエンジニアの人たちは、まあまあ違う感じはありますか?

青木:まあまあ違いますね。(ただ)「何かを作るのが好き」みたいなところはみんな似てるかもしれないです。

菅澤:エンジニアの我々からしても、似てるところと違うところが何かある気は(します)。

池澤:エンジニアはものづくりですもんね。

菅澤:明確に違う部分も(ありますね)。

池澤:私は答えがあるのとないのが、大きな違いかなと思いました。

菅澤:時間が来てしまったので、次回はデザイナー(とエンジニア)の違いと同じ部分を深掘りしてみたいなと思うので、引き続きよろしくお願いします。

池澤:お願いします。

青木:お願いします。

池澤:というわけで、本日のゲストはbravesoftのCDO 青木 意芽滋さんでした。

菅澤:初めてbravesoftのほかのメンバー、そしてデザイナーのお話だと思いますが、どうでしたか?

池澤:bravesoftの中で、私は一番つよつよエンジニアの菅澤さんと話す機会が多くて、そのイメージだったんですけど。本当に個性豊かなメンバーに支えられて、ちゃんと事業をやっているんだなと(笑)。

菅澤:(bravesoftは)なかなかおもしろい人材が多いんですが、実はあんまり真面目に話すことって少なくて。ビジネスの話をいつもしているので、デザインとかエンジニアの話ももっと深掘りしてみたいなと思いました。みなさんも引き続き、次回も聞いていただけたらと思います。

(次回に続く)