大学は文学部を専攻 卒業後にコンピューターサイエンスを学んだ

池澤あやか氏(以下、池澤):本日のゲストは、グリーのCTO、藤本真樹さんです。

菅澤英司氏(以下、菅澤):よろしくお願いします。

藤本真樹氏(以下、藤本):よろしくお願いいたします。

池澤:よろしくお願いします。

菅澤:歴史が非常におもしろそうだなと感じたのですが、まずはちょっと、大学生時代から。どんな感じの学生だったんですか?

藤本:ひねくれていたとは思います。

菅澤:大学は、文学部ですか?

藤本:そう。父親が理系で、母親が英文学科なんですよ。仕事はプログラマーに絶対なりたいと思っていました。僕は、中高一貫だったんですが、高校なんか行ってられるかと思っていて。

菅澤:すごいスケールですね(笑)。

藤本:中高一貫を抜けて、中学生の時には専門学校に行くぜ、ぐらいのことを半ば本気で思っていました。いやぁ、思いとどまってよかったと思いますね。

「大学は職業訓練じゃねぇんだよ」と言って、「勉強したいことを勉強しにいくのだ」と、文学を学びました。それはそれですごく好きだったんですが、大学ではコンピューターサイエンスを学ぶべきだなと、大学卒業後に泣きそうになりながら、勉強して思った次第です。

菅澤:もともと、教科的には理数系のほうが好きだったんですか?

藤本:別に、特になにかというものもなくて、逆に言うと、すごく得意というものもなかったので。満遍なくできるとも言えるし、満遍なくできないとも言えるのではないでしょうか。

周りのエンジニアの会話を「調べて理解する」を繰り返した

菅澤:大学生活は、どんな生活ですか?

藤本:1年生の秋ぐらいに、大学のバイト掲示板の募集に勇気を出して電話をして、ソフトウェアエンジニアのアルバイトをずっとしていましたね。

菅澤:1年生からエンジニアバイトをずっと?

藤本:そうですね。結局、卒業してもそこで働いていました。そこは本当にいろいろと勉強になりましたね。

菅澤:むしろ大学の勉強よりプログラミングをしていた感じですか?

藤本:そうですね。文系はそこまで拘束時間ないじゃないですか。

菅澤:前半は、そんなに大したことないよみたいな雰囲気を出しておられましたが、急にエンジニアつよつよ感。すごくできそうな感じがしてきました(笑)。

藤本:当時僕は未成年で、周りの人が30歳、40歳ぐらいだったので、さすがにすごく差があるじゃないですか。(周りが)話していることがよくわかんなかったりするわけですよ。そういうのをふんふんと聞きながら、帰って調べて、「ああ、こういうことだったのね」みたいなのを1年ぐらい繰り返していくうちに、だいぶ話がわかるようになってきて、「俺進歩したな」みたいな気持ちになりました。なんかそういうのがあったりしますよね。

菅澤:そうですよね。

池澤:どういう系統のプログラミングだったんですか?

藤本:いろいろあったんですが、一番長くやっていたのは、大手企業さんのサーバーアプライアンスのシステムソフトウェアです。

忘れもしないんですが、なぜかあの時、WebインターフェイスをCで書いていて。「そんなことある?」とか思うんですけど。

池澤:すごい。C?

菅澤:今ではもう絶対あり得ないですね(笑)。

藤本:覚えてますか? CGIって。

池澤:ああ、CGI!

(一同笑)

菅澤:懐かしいですね。

池澤:私が(業界に)入ったタイミングで、もう消えかかっていました。

藤本:基本的に、標準入出力でやりとりするので、その裏はPerlがメインでした。当然Cのプログラミングよりもいいので。

最初がそれだったので、僕はその時なんとも思わなかったんですが、今思うと訳わかんねぇなって(笑)。

菅澤:その歴史だと、あとは楽になる一方ですよね。

藤本:そうですね。それこそ、Perlに触った時に感動しました。文字列処理メッチャ楽みたいな。

グリーにジョインした途端にサーバーがダウン、クレームの嵐

菅澤:いろいろとプログラミングの経験を積んで、5年後にはグリーの取締役ですか?

藤本:まあ、そのぐらいですかね。

菅澤:取締役になった時は、もうフルコミット?

藤本:時間差はちょいちょいあると思いますが、だいたいそうですね。2005年かな。

菅澤:創業者の田中社長もプログラミングを書いていたんですか?

藤本:そうですね。一応初期のSNSとしてのグリーは、彼が1人で最初書いていたもので、それはもうひどいものです。

それこそ、マーク・ザッカーバーグのコードも、ひどいというのは有名な話ですし。彼はコードは書いていたけど、ある観点で、ソフトウェアエンジニアであるかというと、まあ、違うんじゃないの。とにかく動かすことが目的なので。とは言っても、プロダクトの人ですよね。

菅澤:じゃあ、ある種の二人三脚で当時のグリーのプロダクトは伸ばしていったんですか?

藤本:ほかにも何人かいました。当時副社長の山岸(山岸広太郎氏)という人もいたし。

菅澤:取締役になった時は、何名ぐらいですか?

藤本:僕は一応、社員番号7番なので、7人とかですかね。

菅澤:どういうふうに誘われたんですか?

藤本:誘われたというか、巻き込まれたとしか言いようがないので。「手伝ってよ」と焼肉を食べさせられ、「まあ、いいですよ」と言った時からほとんど間を置かずにサーバーが落ちたんですよ。「なんで落ちてるの?」と、いきなりすごく文句を言われる状況でした。

いわゆる創業社長は、ある種常識にはとらわれない人。普通の人は、相手の感情に配慮するじゃないですか。彼は別に配慮しないわけじゃないですが、そんなことより自分はとにかくこれがやりたい、これを成し遂げたいというのがメチャメチャ強い人なんだろうなと。

システムが正しく動くことが大事だし、それを任せているやつがいるんだったら、嫌われようがなんだろうが言うべきことは言う感じ。それで1秒でも早く直るんだったら、言うわ、みたいな感じ。

菅澤:でも、入ったばかりで自分のせいじゃないのに怒られたら、普通もう辞めようかなと思いそうですが。

藤本:あまりなんとも思わなかったので、「ああ、そういうものか」みたいな感じでした。

菅澤:サービスは、当時すごく伸び始めていましたよね。

藤本:そうですね。ミクシィさんほどではないので、基本大変だった思い出しかないです。

メッチャ働いていて、メッチャ大変だった記憶しかない

菅澤:でも、その当時の空気感って、大変だけどなにか起きるかもとか、未来が楽しみみたいな感じじゃないですか。

藤本:そうですね。それは間違いなくあったと思います。競合で、もっと伸びている会社さんがいたり、自分たちは2世代目みたいな気持ちがちょっとあって。

だから、当時の先輩の会社でいうと、それこそライブドアさんとか、サイバーエージェントさんとか、そういう人たちもいたので、「僕らが先駆者だ」というのとは、たぶんまたちょっと違った感情だったんだろうなと思います。

池澤:私が大学を卒業したのが、2014年だったんですが、その時はもう、(グリーは)ブイブイ言わせていました。メチャクチャ同期が就職していきました。

菅澤:確かその当時はCM出稿料が日本一。50人ぐらいになって、すごい人も集まってきて、結果も出始める時の空気感って、相当高揚感はなかったですか。

藤本:メッチャ働いていて、メッチャ大変だった記憶しかないです。すごく広い意味でのマネジメント、それこそ経営も含めてぜんぜんだったから当然問題も起きますし、もう大変でした。

菅澤:当時は、SNSを始めて、それからソシャゲに行くじゃないですか。ソシャゲがおもしろそうということは、たぶんみんながわかっていて、そこを大きく、いち早くヒットさせた数社には間違いなく入っていたと思うんですよね。他社よりよかった部分はなんですか?

藤本:最初にお話ししたとおり、「プロダクトがこっちに行くぜ」とか「事業がこっちに行くぜ」というよりは、それをきちんと実現する、それができる会社であり続けるというのが、僕にとっては一番大事だし、それは一番に考えていることなので、事業がうまくいったとしたら、それは、その事業をがんばっていたみなさんのおかげだと思います。

1個だけあるとしたら、エンジニアと、いわゆる企画専門職みたいな人は、当時はゼロじゃないですが、すごく少なかった。なので、エンジニアでそっち寄りの人がプロダクトの責任者になっていくというのが当たり前な流れとしてあったので、当時だからできたことだなと今は思います。

菅澤:ソシャゲも、複雑だと思うのですが、各社が参加できるように、そのソシャゲのプラットフォームを作っちゃうわけですもんね。そのあたりの設計も見ていたんですか?

藤本:見はしましたが、責任者の方が他にいましたし、一応、「OpenSocial」みたいな規格もあったり、他社さんでも出ていたりするので。本当に「0→1」というよりは、より上手にやろうという感じでした。それはそれで、もちろんクリエイティビティがないわけではないし、頭もメッチャ使うし、大変ではありますが、昔の話をすると基本的に後悔と反省しかないです。

「絶対もっとうまくできたはず」は考え続けるべき

菅澤:(笑)。もっと上の境地まで行けたというところもあるんですか?

藤本:5年後にそう思わないように、どうすればいいかなと考えながら生きていますね。現在進行形でいろいろ後悔はしますが、それはCTOとして、あるいはエンジニアとして、絶対にもっとうまくできたというのは常にあり続けるわけなので、考え続けるべきじゃないかなと思います。

逆にそれを考えなかったら、どこでどうやって経験積み重ねていくのという話になると思うので、それは僕にとって大事なことですね。暗い話っちゃ暗い話ですが、僕的にはぜんぜん暗くないですね。

自分がうまくやったとか、うまくできたと思っていることは、基本的にない気がする。聞かれてもぜんぜん思い浮かばない。

菅澤:今回は、今に至るまでのお話をお聞きしました。CTOはどういう仕事をするべきか、やはりいいものを作るために相当境地に立っているなと感じたので、次回は、そのあたりをちょっと掘り下げたいなと思います。今回はこのへんで終わりにしたいと思います。

藤本:ありがとうございました。

池澤:というわけで、本日のゲストは、グリー株式会社CTOの藤本真樹さんでした。ありがとうございました。

菅澤:ありがとうございました。

藤本:ありがとうございます。

エンディングトーク

菅澤:ということで、今回もすごく個性的なエンジニアの藤本さんでしたが、どうでしたか?

池澤:実はCTOの方が何をしているかいまいちわかっていませんでした。けっこう経営側に近い視点で技術のことを見たり、どう人材を確保していくかを考えられているということで、会社の根幹となる技術領域を担っていらっしゃるんだなと思いました。

菅澤:CTOは、ビジネスをつなぐのが本来の意味なんですが、どこかでエンジニアが目指すべき像みたいなところも背負っています。とにかくいいものを作らないといけないというのが、まずガンッとあって、ビジネス的に成功だったとしても、もっとよく作れたんじゃないかとすごく考えている人が中にいるだけで、会社はだいぶ変わってくるんじゃないかなと思います。

その中身を次回は聞きたいなと思ったので、今回はこのへんにしたいと思います。