日本の教育は文系と理系をハッキリと分けすぎている

池澤あやか氏(以下、池澤):本日のゲストは前回に引き続き、クオンタムリープ株式会社 代表取締役で、元SONY株式会社 社長・会長をされていた出井伸之さんです。

菅澤英司氏(以下、菅澤):エンジニアをどう見られていますか?

出井伸之氏(以下、出井):文系と理系とハッキリ分けすぎていると思うんですよね。

菅澤:そうですね。

出井:まずそれがいけない。これからは数学やデータ分析やプログラミングをぜんぜん知らないで生きていけるとは僕は思えないんだけどね。シリコンバレーからカニさん(Kani Munidasa氏)という人が日本に来て、「あなたを文系から理系に変えましょう!」とプログラミングの会社(コード・クリサリス)を作ったんだよね。僕はすごく応援しているんです。

菅澤:そうなんですね。

出井:そしたらうちの家内が「そこに行きたい!」と言い出して(笑)。

菅澤:全員がちょっとしたプログラミングを。

出井:僕は理系と文系を分けるのはしょうがないと思います。理系の人は文系を勉強しなきゃいけない、文系の人は理系を勉強しなきゃいけないと今の教育がそれを分けているんだけど、例えばMITだとアート&サイエンスと言っていて、アートはサイエンスなんだけど、サイエンスはアートという考えが当たり前になっているんだよね。僕は日本の判子と同じように教育が古いと思う。

菅澤:教育ですね。

出井:だって高校ぐらいから(文系か理系か)選んじゃうじゃないですか。

池澤:そうなんですよ。早いんですよね。

出井:あれは良くないですよ。

池澤:どの業界でもITは必要ですし、どの業界でもこれからはデータを貯めていかなきゃいけないという時代において、どの業界の人も、どちらの知識も身に付けなきゃいけない。

出井:僕はピアノ指導者協会の会長をやっているんですが、そこの中で、東大の卒業生が2019年に4万人ぐらいの中からトップになったんですよ。子供の頃にピアノをやるということはものすごく頭に良い。東大の卒業生の子に聞くと、半分以上は子供の頃に何らかのピアノをやったことがあると言っていました。音楽はやはり理系と文系の間にあると思います。

菅澤:出井社長の前の社長もアーティストでしたよね。

出井:そうですね。大賀さん(大賀典雄氏)はオペラ歌手ですね。彼はオペラ歌手だけど、飛行機のライセンスとかエンジニア的なライセンスを取るのが好きでしたね。

日本でDXが成功しない理由

菅澤:「エンジニア」という言葉が、それだけをやっていればいいという言葉にもなっちゃう。

出井:そうですね。それは危険です。日本の古い大きな企業に行くと、一番威張っているのはメカ屋さんです。

菅澤:一番威張る(笑)。

出井:その次は電磁気屋で、その下にいるのがそれに合うように設計をするソフトウェアのエンジニアになるじゃない。

菅澤:なるほど。

池澤:確かに多いですね。

出井:そうでしょう? それぞれ年も若いわけですよ。だからそれを逆転しない限り、日本の会社のDXは絶対にできないね。

菅澤:なるほど。

池澤:「デジタルトランスフォーメーション」ですよね。

菅澤:私たちみたいなソフトウェアの会社がハードもやったほうが早いかもしれないですね。

出井:中国ではOMOという言葉が流行っているのを知っていますか? 中国ではOnline Merges with OfflineでOMOと言うんですよ。その2つが一緒になって新しいビジネスモデルを作るということを、今の中国の企業は一生懸命やっていて、僕はそれのアドバイザーをしています。

菅澤:そうなんですね。

出井:「うちの会社のトランスフォーメーションのアドバイザーとして来てください」と言われてね。日本の会社には言われたことがないけれど。中国は勉強しているから、僕がいかにそういうことで苦労したかをきちんとわかったうえで、指名をしてくるわけですね。

菅澤:なるほど。

出井:だから日本はOffline Merges with Onlineと逆にすればいいだけで、要するにこの2つは切っても切り離せない問題じゃないのかな。

菅澤:もともとつながっているもの。

出井:だからそれを2つ、つなげて新しいビジネスモデルを作る。メーカーだとハードウェアを作って、ハードウェアを売るという一方通行でしょ。でもソフトはサービスのプラットフォーマー。日本にはプラットフォーマーがありませんよね。両側の真ん中にいるものがプラットフォーマーになるから、B to Bとこちら側にCがいて、それで今のGoogleとかになっているじゃないですか。片方じゃないですよ。

日本はすごくそれが遅れています。でも中国の人たちは、ハードの会社でもみんな「うちはOMOだ」とがんばる。だからエンジニアの人もやはりオンラインとオフラインというのはきちんとわかってないといけないし、もうデジタルの世界というよりも、クオンタムの時代だから、量子ですよ。

菅澤:10年以上の単位で話をして考えるということですね。

出井:うん。そりゃそうですよ。

菅澤:そういう話は当時も創業者の中でけっこうされていたんですか?

出井:1993年に書いたレポートは、もちろん出張レポートでもあるんだけど「10年後のSONY」というレポートで、それには結局アナログとデジタルがあって、それからインターネットでつながるということもきちんと書いてあるんですよね。

今の10年と、その頃の10年は違うかもね。だってもっと変化が速いもん。

池澤:それよりももっと速いスピードで時代が進んでいくとなると。

出井:アメリカだってトランプさんが大統領として出てくるなんて思わなかったでしょ?

菅澤:思わなかったですね。

出井:中国だって、いきなり香港を取りに来るとは思わなかったでしょ?

菅澤:確かに(笑)。

出井:そういうのはすごいですよね。資本主義も変わってきているし、それから中国みたいに国家資本主義も変わらずということだよね。

変化のスピードが速い時代で、必要になること

菅澤:なるほど。改めて、今のエンジニアや、何かを作ったり広めたりしたい人は、どういう発想を持ったり、どういうことを考えたほうがいいと思いますか。

出井:エンジニアという言葉を僕が嫌だと言っていたのは、すごく古い・狭いところに特化しちゃった人たちが多くなると、それはある種の特殊技術になっちゃうからです。その技術がこの世で生きていられる間は、卒業してから10年ぐらいじゃない? だからやはりどんどん新しいものを吸収していかなきゃいけない。その新しいものの中で、音楽でも美術でもいいんだけど、アートやサイエンスみたいなものを両方勉強しなきゃいけない。

菅澤:型にはまったところに生まれてきて育って、その型がなかった時代になんでもやらなきゃいけない。

出井:そう。この前、ものすごく高いイタリアンレストランに行って、シェフがあまりにもイタリア語でベラベラしゃべるから、僕の友だちの息子が「シェフになりたいんですけど、どうしたらいいでしょう?」と聞いたら「サイエンスをやりなさい」と言われていました。

池澤:えー!

菅澤:なるほど。

出井:それで「えー!」と言ったら、要するに、“もの”と“もの”が一緒になった時にどういうものができるかという点で「サイエンスの知識がないシェフなんてありえない」ということです。4人で食べていて、みんな「参った」となりました。

(一同笑)

池澤:新しい技術は本当に移り変わっていくから、なぜ変化するのかなど、技術の根本の部分を押さえていかなきゃいけないのかもしれないですね。

出井:そうだね。