まさか自分が社長になるとは思っていなかった

池澤あやか氏(以下、池澤):本日のゲストはクオンタムリープ株式会社代表取締役で、元SONY株式会社社長、そして会長をされていた出井伸之さんです。

私もすごく気になるところがあって、SONYというとすごくハードのイメージが強かったんですが、どんどんコンテンツが強くなってきている印象があって、特に出井さんの時代にそういう方向転換が行われていたのかなと。 

出井伸之氏(以下、出井):盛田さんがアメリカのシカゴに行った時に、大きいビルディングが全部金融だということを見て、帰って来た時に、「俺たちも銀行やろうぜ!」みたいな。

(一同笑)

菅澤英司氏(以下、菅澤):ノリがいいですね。「ビルが大きかったぞ! 銀行だよ!」って。

池澤:すごい!

出井:でも法律的にはそんな簡単にできなくて。

池澤:そうなんですね。

出井:それからしばらく経って、1989年ぐらいの時に盛田さんが「コロンビア・ピクチャーを買う」と言って。

菅澤:コロンビアの映画会社ですね。

出井:映画会社を買うという話になった頃に、僕は本社に戻ってコーポレートコミュニケーションと言って、広報とか宣伝とかブランドをやっていたので、この会社を継ぐのは誰なんだろうなと思っていて、まさか自分に来るとは思わなかった。しかも(内情を)よく知っていたからこれはヤバイ。

それで僕はしばらく青ざめていたんだけれど、1993年に書いたレポートがあることを思い出した。それはね、アル・ゴア副大統領が、ロサンゼルスで情報スーパーハイウェイ戦略というのを発表した時だった。

僕はアメリカに出張で聞きに行っていたんですよ。その頃はIT革命なのね。その頃インターネットを使っているのは500人くらいだけど、本当に100人ぐらいしか使っていなかった。僕はその時に「もうこれはダメだ」とレポートを書いた。「ものづくりだけじゃ勝てないからIT企業に変わらないといけない」ということを進言したんですよ。

それで社長になった時に、デジタル・ドリーム・キッズという、デジタルドリーム。デジタルに夢を持つ技術者が、それに対して目をキラキラさせる人のために会社を作ろうというので、デジタル・ドリーム・キッズというのを作ったんですよ。社内でやっていたんだけど、だんだん社外にも広まってきた。

経営と監督を分離して「執行役員」を作った

それから、取締役や執行役員の問題。要するに取締役も外の人を入れずに何でもやっているというコーポレート・ガバナンスという問題。これは不思議だなと思ったので、アメリカのように経営と監督を分離したんですよ。経営側の人は執行役で取締役ではない。取締役を外の人に変えて、執行役という名前を作ったんですよ。

菅澤:それで執行役員というのが今あるんですね。

出井:経営を執行するという意味だよね。

菅澤:なるほど。それで、デジタルで「VAIO」とかが出てきた。

出井:そうです。僕はコンピューターの事業部長をやっていたからね。その8bitとか64bitとかのコンピューターも横から見ていたんだけど、大して進歩していないやと思って。僕はIntelの社長とも仲が良かったから、アンディ・グローブに「遊びに行こうと思ったけれど、僕は社長になったからキャンセルするよ!」とメールを送ったら「とんでもない!それこそ来い!」と返事が来ました。

それで行ったら、彼が「一緒にやろうよ!」と言ってくれたので、GIプロジェクト、アンディ・グローブ/出井プロジェクトを作りました。モノを作るのは簡単だけど、コンピューターには売り方があるじゃない。ソフトがあって、それに対してどうアフターサービスするかなんてわかっていないからね。売り切りの会社だったからそこでITのことを本格的に。だから向こうの人を150人ぐらい貸してくれたんだよね。

池澤:へー!

出井:「その代わり100万台売れ」と言われた。

(一同笑)

社長時代の苦労

池澤:お話をお聞きしていると、かなり大きな変革をたくさんされていたと思うのですが、社内からの反発とか、社外から「何しているの?」みたいな目で見られたりはしませんでしたか?。

出井:アナログのエンジニアはずっとアナログをやっていたわけだし、今までの人たちは今までの技術をつないでやりたいわけね。僕が社長の時には、「今までの成功を大事にして、ITもやり、コンテンツもやって、現場とユーザーが直接つながる会社にしましょう」と言っていたわけですけど、けっこう10年ぐらいはわかってくれなかったんじゃないかな。

当時日本でGoogleが生まれなかった理由

菅澤:当時の日本は、Googleが生まれてもぜんぜんおかしくない状態だったと思いますけど。

出井:そうですね。

菅澤:なぜ難しかったのかのでしょうか。

出井:日本では検索の番号を書類に付けると、変更しちゃいけないという噂があった。要するにコンピューターもデータも、日本に置いちゃいけないんだとか、そういう噂がみんなに広がっていたよね。それが本当かどうかは僕も知らないんだけど、結局日本は電話から出られなかったよね。

菅澤:そこから20年経って、ようやく判子がなくせるかもしれない状況ですよね。

出井:Appleとかと会議をすると紙すら残さない。お互いにやって終わり。だから紙の上があるから判子を押すわけで、紙をなくせば判子はなくなる。